14.静かな心配
「まずは形だ。見たものを迷わず書けるようになれ」
初日の別れ際、ガークに古代文字の一覧表を渡され、そう言われた。
古代文字をもっと見分けられていれば、さっきも文字を比較できたかもしれない。ガークはそれについて何も言わなかったが、ミナト自身は気になっていた。
その夜から、現代文字と並行して古代文字の練習に取り組むことにした。
この週は、ガークによる魔法道具の講義と、起動中の魔法道具に見える文字の書き取り、術式盤の文字との比較などを行った。
ガークの話は専門用語も多かったが、質問すれば些細なことでも嫌な顔一つせず丁寧に答えてくれた。
大学時代、よく質問をしていた教授を思い出す。見た目も喋り方も全然違うが、ガークにはどこか似たものを感じた。
魔法道具の仕組みや構造が面白くて、知りたくて、自分でも驚くほど質問をして話をしていた気がする。
頭痛や目の奥のだるさは残っていたが、それが気にならないほど熱中してしまった。
休養日前日の夜、机で文字の練習をしていると扉が叩かれる。
もしかして、と、ミナトは少し緊張しながら後ろを振り返った。部屋の中央に、昨日、レヴィンが支給してくれたテーブルセットがある。小ぶりだが、お茶ぐらいはできるサイズだ。それを確認して、小さく頷く。
立ち上がり、上衣の裾を軽く引いて腰布と一緒に整えた。
「はい!」
テーブルセットの脇を通り、ゴミや濡れがないかを確認しつつ、扉に向かう。
そのままドアノブに手をかけたが、前に言われたことを思い出す。相手を確認せずに開けるのは不用心だと。
「ど……どなたですか」
『アルヴェインだ』
緊張しながら扉を開ければ、もちろんアルヴェインが立っていた。
今日は前回の私服とは違うようだ。濃紺の服は高めの詰襟で、襟元と袖口に控えめな金の刺繍が入っている。飾り気は少なく、胸元に小さな騎士団章があるだけだった。騎士団の制服だろうか。腰には短剣を帯びている。
濃い色の衣服が夜の廊下の暗さに溶け込むようだ。
「遅くにすまない」
「いえ! 起きてたので」
ミナトは自分が高揚しているのが分かった。アルヴェインが前回の言葉通りに、こうして顔を出してくれたことが嬉しい。それが騎士団としての義務や責任の内だとしても。
「どうぞ」
体をずらして中に招き入れようとするが、アルヴェインは首を横に振った。
「すぐに行く。……疲れた顔をしているな」
「そう、ですかね?」
ミナトは無意識に顔を伏せた。
以前にも似たようなことを言われたが、今はその時よりも気まずかった。
誰かに無理をさせられたわけではない。ただ、疲れた理由を説明しようとすると、自分一人のことでは済まなくなるし、熱中しすぎたのは自業自得でもあった。
「何か言いにくいことでもあるのか」
アルヴェインの静かな声に、思わずびくりと肩をすくめる。
「いえ、そんなことは」
慌てて顔を上げると、目が合った。
無機質さすら感じる整った顔は、相変わらず表情が読みにくい。ただ宝石のような綺麗な目で、じっとこちらの顔を見つめてくる。
怒っているのだろうか、と、一瞬だけ不安がよぎるが、その考えはすぐに振り払う。
これまで何度も助けてもらったし、心配してくれていることも分かっている。こんなことで怒るような人ではない。
それでも、こうして真顔で対面すると、少し怖かった。思わず視線を横に逸らしてしまう。
「すみません。ちょっと疲れているだけなんです」
アルヴェインはわずかに眉を寄せた。
「謝る必要はない。顔色が悪いから確認しただけだ。責めてなどいない」
「はい……すみません」
ほとんど反射で謝罪を口にすると、アルヴェインが小さくため息をついた。
また謝ってしまった。責めているわけではないと言ってくれたのに。
「違うんです、あの……」
言い訳をしたかった。けれど、うまく言葉が出てこない。
せっかく心配してくれているのに、これではかえって困らせてしまう。
「ミナト」
名前を呼ばれ、恐る恐る顔を上げる。
「私の聞き方が悪かったようだ」
「え?」
「体調が悪いのなら、そう言ってほしい」
アルヴェインは少し考えるように間を置いた。
「……これでも、心配をしている」
その声は、先ほどよりも少しだけ小さかった。普段の毅然とした態度とはどこか違って聞こえて、ミナトは思わず息を呑んだ。
「すみま……」
出かけた言葉を止める。
「あ、ありがとうございます。ちょっと疲れてますけど、大丈夫です。本当に」
「頭痛は?」
「少しだけです。休めば治ります」
軽い頭痛と身体のだるさはあるが、普段の生活に支障はない。
「……そうか」
アルヴェインが静かに頷いたので、ミナトはそっと息を吐いた。
「今週は、魔法道具について教えてもらいました。古代文字の書き取りとかもたくさんして、それで、ちょっと張り切りすぎました」
今週の自分の行動を思い出し、少しはにかむように笑った。それを見たアルヴェインも、わずかに口元を緩める。
「それなら、休養日は文字から離れて過ごすのがいいだろう」
「ンンッ」
思わず咳払いをする。正直なところ、明日は古代文字の勉強をしようと考えていたところだ。返す言葉に詰まる。
アルヴェインはミナトの反応を見て、少し考えるように黙った。
「……魔法生物に興味はあるか」
「魔法生物?」
ミナトが顔を上げると、アルヴェインは柔らかく目を細めた。
「魔力を持ち、その魔力を活動に利用する生き物だ。監査局には、そうした生き物を研究、管理している施設がある」
「研究……一般に公開してるんですか?」
「一般向けの施設ではない。だが、生き物がいるだけの区画なら許可を得れば入れるはずだ。私も行ったことがある」
「えっ。そうなんですか」
意外な組み合わせに、思わず目が丸くなる。
「研究用の魔物を搬送した時に何度か。入ったのは外郭側からだが」
「魔物の搬送……そんなこともするんですね」
「討伐に出ると頼まれることがある」
「大変ですね……」
ミナトは視線を落として、考える。旅の途中の休憩所で馬と触れ合った時、とても安らいだのを覚えている。もしかしたら、いい息抜きになるのかもしれない。
「どこにありますか……?」
遠慮がちな問いかけに、アルヴェインは頷く。
「正面玄関まで行けば、建物の裏手へ出る扉が分かるはずだ。そこから出て、裏庭を抜ければいい。少し歩くが一本道だ」
そこまで言って、アルヴェインは廊下の先へ目を向けると、一歩下がってからミナトに向き直った。
「また来る」
「あっ、すみません。すぐ行くと言っていたのに」
「いい。よく休め」
身をひるがえしたアルヴェインは、振り返らずに廊下を足早に行く。
アルヴェインが歩き去って数秒、施設を教えてもらったお礼を言いそびれたことに気付く。かといって、ここで大きな声を出すのは駄目だ。
それ自体は心残りになってしまったが、次の休養日には魔法生物管理施設へ行ってみようとは思った。
ミナトは、その背中が見えなくなるまで見送った。




