13.古代文字の先生
この日も面談室にはフォルスがいた。
さらにもう一人、見知らぬ男が同席している。
「彼は、魔法道具と古代文字の研究をしています」
「魔法道具研究室のガークだ。室長をやってる」
ガークはフォルスよりも一回りほど年上に見えた。身長はミナトと同じぐらいだが、全体的にがっしりとした体格をしている。細身で長身のフォルスとは対照的で、二人が並ぶとずいぶん凸凹に見えた。研究者というより、先日会った職人に近い雰囲気がある。
身だしなみには無頓着なようで、明るい茶色の短髪は寝癖もそのままに、無精髭も生えていた。服装も生成りのシャツにポケットの多いゆったりとしたズボンという軽装で、街にいたら違和感なく溶け込んでいるだろう。
挨拶のために差し出された手は、皮が厚く硬かった。遠慮がちに重ねると力強く握られ、上下に軽く振られる。
「よろしく頼む」
「ミナトです。よろしくお願いします」
握手を終えると、ガークは同じ机の対面に着き、机の隅に重ねられた紙を一枚手に取る。昨日ミナトが文字を書き起こした紙だった。
それに目を落とすと、目を丸くしてミナトを見上げた。口が少し開くが、言葉が出るより先にフォルスが喋る。
「魔法道具と古代文字に関しては、彼のほうが適任です。今日からしばらくは彼の指示に従ってください」
「はい、分かりました」
ミナトの返事に頷くと、フォルスは退室し、面談室にはガークと出入り口に立つ研究員が残った。
ガークは手にしていた紙を置き、机にあった手のひらサイズのアーモンド型の道具をミナトの側に押し出す。不透明なガラスの塊のようなそれは、昨日、文字を書き写した照明器具だ。今はただの灰色で光っていない。
「何か見えるか」
話が始まったので、ミナトは着席する。そして一つ息を吐き出してから、その照明を見据える。
しかし、何も見えない。そもそも光っていない。
「何も」
「よし。じゃあ持ってみろ」
言われるまま、ミナトは照明を片手で掴み、手のひらの上に乗せてみせた。昨日も書き写しの際に触っていたので、警戒心も抵抗感もなかった。
「持った時の感覚は?」
「え? いえ、特に何も」
「だろうな」
ガークは頷き、照明に手を伸ばす。そして端の方を指で一度叩く。
「ん……」
ミナトは小さく喉を鳴らす。照明がぼんやりと光を放つ瞬間、手のひらの上を何か細かなものが這ったような気がした。そして、かすかに文字が頭の隅に流れ込んできたが、すぐに消えた。
意識して見たときには、照明の輪郭に沿って小さな文字が巡っていた。
「どうだ」
「表面に文字が動いています」
「それ以外は。頭痛や吐き気は。感覚的には」
「ええと。頭痛も吐き気もないです。感覚的には特に……」
そこまで言って、ミナトは先日のフォルスとの会話を思い出す。ミナトにしか見えない物については、事の大小に関係なく報告してほしいと言われた。
現象の重要性を判断するのは、監査局側の仕事だ。今、ここも例外ではない。
「起動した時、持っている手のひらの上を何か細かいものが動いたような感じがしました。それと、頭の中にうっすらと文字列が入ってきました。今はありません」
「ふむ」
ガークは手元の紙に何かを記入していく。記入しながら、机の端にある白紙を指さす。
「文字が道具の上にどんな感じで見えてるのか、描いてみてくれ」
「はい」
ミナトは照明を置き、紙とペンを手に取る。
アーモンド型のそれを紙の左上に描き始めると、ガークが覗き込んできて顔をしかめた。
「指示が悪かったな」
「えっ」
「紙一枚でこいつ一個の資料を作るつもりで、中央にデカく描け。それに線を引っ張って補足していく感じだ」
「ああ……分かりました」
ミナトは頷き、新しい紙を手に取る。そして中央に、実物より一回りほど大きくアーモンドの形を描く。資料として文字の流れを書き込むなら、このくらいの方がいいだろう。
アーモンド型の周辺を這う古代文字は、端の部分から発生して、くるくると周囲を回りながら、また端にたどり着いて消える。
リボンを巻いていくように古代文字の代わりとなる四角を並べ、その流れに沿って矢印を添えた。
ガークはそれをじっと眺めていたが、ミナトがペンを置くと感心したように息を吐いた。
「分かりやすいな。線も綺麗だ。カイシャインってのは設計者か何かか?」
「えっ、えーと。会社員というのは……」
突然の質問に、ミナトは言葉を探す。ガークはミナトの面談時の記録に目を通しているらしい。
「雇われて働く人って意味です。俺は、仕事でこういう感じの資料を作ることはありまし、た……」
口にしてから、過去形になっていることに気づく。自分の無意識に戸惑いもあったが、ここではそれが正しいだろう。
これまで必死になって身につけてきた技術が、思いがけず役に立ったことは嬉しい。それだけに、その技術そのものを使う場面がないことは、ほんの少しだけ寂しかった。
「なるほどな。こっちとしては助かるが」
ガークは少しだけミナトの顔を見たが、それ以上は聞かなかった。手元の紙に何かを記入したあと、少し身を乗り出して照明を手に取る。端を押して光を消すと、両手で左右を持ってひねった。すると、外装が中央で分かれ、中に小さな板が覗く。
ガークはそれを引っ張り出して机に置いた。
「これがこいつの術式盤だ。術式盤ってのは、魔法道具の動きを決める核みたいなもんだ。古代文字で術式を刻んで、役割を持たせた魔石を配置して回路で繋ぐ。道具によって形も構成も違うが、基本は同じだ」
目の前に出された術式盤は、昨日、ミナトがレヴィンと一緒に見たものよりも小さくて単純な構成だった。
細かい文字が刻まれた長方形の鉄板の上、左右と中央に小さな石が乗り、数本の銅線で繋がれている。
「こいつも、今は何も見えないな?」
「はい」
「じゃあ、これでどうだ」
ガークは一方の端にある石をペンの先でコツンとたたく。すると、板全体が淡く光を放ち始めた。照明とは違い、周囲を照らすほどの明るさはない。
ミナトにだけ見える文字列は、一方の石から始まって銅線の上を流れる。ミナトは文字が始まる方の石を指さす。
「文字が見えます。こっちから出てきて、線を辿って」
ミナトは文字の流れに沿って指を動かす。
「この石に入って、また出てきて、こっちにたどり着きます」
「いいぞ。文字は表面に見えていたのと同じ並びか?」
「えっ……ええと……」
ミナトが迷うと、ガークは紙を一枚差し出す。それは昨日、ミナトが書き留めた文字列だった。
受け取って見比べてみるが、術式盤の上を流れる文字は小さく、動きも速い。しかも一度に見える文字列が短く、判別は難しかった。
「すみません、分かりません。文字が小さいのと、それぞれが似すぎてて区別が難しいです」
「よし」
ガークは頷き、術式盤の端の石を指先で叩いて止めた。そして外装と一緒に机の端に置く。
「今は分からないってことが分かればいい」
その言葉に、ミナトはわずかに目を見張る。
「あ、あの、いいんですか? 書き写さなくて……」
「いい。拡大鏡を用意する。それで見え方が変わるかは知らんが。とにかく今は無理してやる必要がない」
「……すみません」
「謝るな。お前が悪いわけじゃない。この紙だけでも貴重な資料だ」
ガークはミナトの手もとから、古代文字を書き留めた紙をつまんで引き抜く。
「俺たちの目には刻まれた術式と結果しか見えない。その間を見られる日が来るとはな……」
ガークが紙を見る表情は嬉しそうに見えた。その表情だけで、ミナトも少し嬉しくなった。
ガークは一息つくと、紙をその場に置く。
「とにかく古代文字はな、慣れだ。形を見て慣れて見分けるしかねえ」
ガークが更に一枚の紙をミナトに差し出す。
見ると、古代文字が表になってズラッと並んでいる。一覧表のようだが、どれも似通った形状で目がチカチカした。
「古代文字って呼んでるが、正確には誰が、いつ作った文字なのかは分かっていない。そもそも文字なのかってところだが……」
ガークは一覧表の上を指先でなぞる。
「大昔、この世界には今の人間よりもリュドーに近い種族がいたと言われてる。近いってのは距離とかの話じゃなくて、存在そのものの話だ。人間よりもリュドーそのものに近いから、今の俺たちより直接的にリュドーと関わることができたんだと。で、そいつらがこの文字を使い、今の魔法道具の祖になるものを残した――ってのが、一応の定説だ」
「リュドー……魔法を使う時に呪文で呼びかけていますよね。万象を満たし、世界を巡る根源……でしたか」
それにくわえ、フォルスは食事の前にリュドーに祈っていた。特別な存在だということは分かる。
「ああ。世界の根源とも呼ぶ。見ることも触ることもできねえ。何かがあるのは確かだが、何なのかは誰も知らん。分かってるのは、魔力に術式を乗せてぶん投げれば、リュドーの方から応えが返ってくる、それだけだ」
「術式とは?」
「簡単に言えば、指示文だと言われている」
「言われている?」
「俺たちは呪文を唱えるが、すべて定型文だ。例えば手のひらの上に光源を作る魔法。これは誰でも同じ呪文を唱えるが、光の強さや細かい色は人によって変わる。定型文をそのままリュドーに渡してるなら、誰だって結果は同じはずだろう」
「不思議ですね……」
「そこで、呪文とは別に、術者ごとの差を含んだ何かがあるはずだとして考えられるようになったのが術式だ」
ガークは一覧表を指先で叩いた。
「魔法道具は分かりやすい。刻まれた古代文字の並びを変えれば、出る効果も変わる。細かい指示を組んで、そこへ魔力を通してるわけだ。同じように、人間が呪文を唱えた時にも、目には見えない細かい指示が生まれてるんじゃないかって考えられてる」
「なるほど……直接見えてなくても、そう考えると辻褄が合うんですね」
そこまで聞いて、ミナトの頭にはひとつの言葉が浮かんだ。
ソースコード。
術式はソースコードに似ている。
もちろん同じものではない。けれど、何をどう処理するかを書き並べ、実行させるという意味では、ずいぶん近い。そしてそれは、ユーザー側には見えないものだ。
頭に流れ込んでくる文字列の構成にも、ソースコードと近いものを感じていた。あれが術式なのだろうか。
ガークはひとつ頷いて、話を続ける。
「呪文を唱えることで術式が組み上がる。そこに、どこに、何を、どう動かすかっていう術者のイメージが反映される。それを魔力に乗せてリュドーへ通す。リュドーはその指示に沿って、世界の中の現象を変える。俺たちはその結果を魔法として使ってる。これが一般的な理解だ」
そう考えると、呪文は入力コマンドで、リュドーは――いや、そこまで無理に置き換える必要はない。ミナトは少し肩の力を抜いた。
「……世界そのものに、こうしてほしいって頼んでるようなものですか」
「まあ、かなり大雑把に言えば、そんなもんだ」
ガークは肩をすくめる。
「リュドーの側で実際に何が起きてるかなんて、俺たちには確かめようがない。そこから先は古い伝承や推測の域だ」
ガークは水を一口飲んでから続ける。
「呪文研究がされてたこともある。だが、呪文としては並びまで含めて一つみたいでな。結局、言葉を入れ替えて別の魔法に作り替えるような真似はできねえ」
ミナトはドキリと心臓がはねた。
魔法改変。
本来なら、呪文の文言を弄って魔法そのものを作り変えることはできない。それなのに、自分はアルヴェインの魔法を変えたと疑われている。危険視される理由も、少し分かった気がした。
「だがな、道具の方は違った。どの並びが何をするか分かってれば、丸ごと入れ替えて効果を変えることができる。面白いじゃねえか。だから俺は魔法道具が好きだ」
ガークはそう言ってニヤリと笑う。
「だが、なぜこの文字と仕組みでリュドーへ指示が届くのか、その根っこの部分は今も分かってねえ」
ガークは、ミナトが書き起こした紙を指先で叩いた。
「だから、あんたが見てるものには価値がある。俺たちが今まで推測するしかなかった処理の仕組みを、確かめられるかもしれねえんだ」
その言葉に、ミナトは思わず紙へ目を落とした。
昨日の出来事で、自分に見えているものが魔法道具の故障箇所を探す役に立つのだと分かった。それだけでも十分だと思っていた。
けれど、もしかすると、それだけではないのかもしれない。




