06.狭い部屋
「では、名前と年齢を教えてください」
「宇賀川ミナト、二十八歳です」
ミナトは緊張した面持ちで質問に答える。
膝の上で組んだ手の下には、見慣れない服がある。今日は監査局で用意された服に着替えていた。
淡い灰青色の長衣は喉元まで閉じた立ち襟で、腰を黒い布帯で締めている。膝の上に裾がゆるく広がり、前の切れ込みから濃い灰色のズボンが覗いていた。裾には目立たない刺繍が入っている。飾り気は少ないが、仕立ての良さが分かる服だった。
鏡で見た自分の姿は、この世界の人間に少し近づいたようで、妙な感じがした。
だが、いずれ慣れるはずだ。おそらく、ジャケットに袖を通すことはもうないだろう。
今いる場所は閉鎖的な部屋だった。面談室だと聞かされている。
そこそこの広さはあるのに、四方を暗い色の壁に囲まれているためか圧迫感があった。換気用と思われる窓はあるが、顔が出せるか出せないか程度の大きさしかなく、装飾品は壁掛けの時計ぐらいしかない。部屋の中央には大きな机と、椅子が四脚。それもあまり飾り気のないシンプルな造りだった。
ミナトの隣は空いていて、正面には、錆色の上衣に監査局の徽章を付けた二人の職員が座っていた。一人が質問を読み上げ、もう一人がペンを走らせている。さらに出入り口付近には別の職員が立っていた。
ミナトの印象としては、面談する場所というよりも刑事ドラマで見かけるような取調室だった。
「二十八……」
斜め前に座る記録係がペンをサラサラと走らせながら首を傾げている。
彼の手元を見ると、当然ながら見知らぬ文字が記されていく。それが自分の名前だと思うと面白く感じた。
正面の質問担当の職員は特にコメントもなく淡々と次に進んだ。
「こちらに来る前の職業は?」
「会社員です」
「かいしゃいん、とは」
記録係のペンが止まった。
ミナトは眉間に皺を寄せて天井を見る。改めて聞かれると、噛み砕いた言葉が思いつかない。会社は会社だった。言葉を捻りだそうと、頭をフル回転させた。
「国ではなく、個人が作る……利益を生み出すことを目的にした団体、に、所属して働く人間です」
「商会ということですか」
「そう、ですかね。そんな感じです」
なんとか一つは説明ができたようだ。まずは胸をなでおろした。
それからも質問されては答えて、その答えの中の分からない単語を質問されて答える、というのを繰り返した。
職員たちは終始難しい顔をしながらも、なんとか理解しようとしてくれているのは分かった。
昼は職員たちと一緒に食堂へ向かった。付き添いというより、単に目的地が同じだけだった。
食堂では定位置で一人で食事をする。
朝はレヴィンがいて、昨日の夜はイースもいた。その前の道中も騎士団の人が一緒にいたので、一人での食事は久しぶりだった。
選んだメニューはスープスパゲティのような麺類だ。コンソメに似た味を感じ、他の料理でもコンソメ風味が多かったことを思い出す。
似たような味付けが続くと、醤油があればいいななどと考えてしまう。マヨネーズがこの世界にもあるのは分かっているが、醤油はあるのだろうか。作るにしても自力では絶対に無理だ。
そんなことを考えながら食べていると、周りの人や通りすがりの人がチラチラと見てくることに気づく。
今日は服装もこちらのものだし、黒髪が珍しいわけでもないはずだ。明るい髪色の人が多いのは確かだが、そもそもここの局長が黒髪なのだから。
自分が異なる世界から来たことを知っている人が多いのか、見かけない奴がいるなと思って見ているのか。
少し離れた席に、二人組が座った。
話しながら、何度かこちらへ視線を向けている。
「騎士団が連れてきたっていう――」
「また面倒なのを――」
「――局長も物好きだよな」
途切れ途切れに聞こえてきた言葉に、フォークを持つ手が止まった。
自分のことだろうか。
考えすぎかもしれない。
けれど、昨夜のレヴィンの騎士団に対する感情を思い出す。騎士団をよく思っていない人は彼だけではないのかもしれない。
聞こえていないふりをして、残っていた麺を口に運ぶ。
けれど、さっきまで普通に食べていたものが、急に味がしなくなってしまった。
残りをなんとか押し込み、席を立った。
午後も元の世界の話をして終わった。
とにかく、この世界にないものの話をする難しさを痛感する。
コンピューター、プログラム、システム、どんなに噛み砕いて説明しようにも、前提条件が存在しなければ、伝えたいことの半分だって届いていない気がする。そもそも、この世界のことをほとんど知らない自分にとって、何を例に挙げればいいかすら分からなかった。
「住んでいた環境について、もう少し詳しく教えてください」
そう問われて、ミナトは少し考えた。
今度は、どう説明すればいいのかではない。何を話せばいいのかを考えた。
自分の過ごしていた環境を思い出す。
会社から電車で二十分ほどの、小さな賃貸マンション。広くはない。ここで与えられた部屋よりもずっと狭い。けれど、一人で暮らすには十分なだけの空間だった。
玄関を入れば廊下のようなスペースにキッチン、奥の部屋にはベッドと机、それから仕事にも使っていたパソコン。
「一人で住んで……いました」
過去形でいいのだろうか。少し悩む。
「一人で? ご家族は?」
「離れて暮らして、いました」
「会ったりは?」
何のための質問なんだろう、と思ってしまった。家族の話はあまりしたくなかった。
「仕事が忙しくて」
濁して答えながら、ふと部屋の光景が浮かんだ。
急に呼び出されて脱ぎっぱなしにした部屋着。片付ける気力もなく机の端に積んだ郵便物。料理どころか買い物も面倒で、冷蔵庫にはろくなものが残っていない。
あの夜も、帰ったらシャワーだけ浴びて寝ようと思っていた。
それが、もうずいぶん遠いことのように感じる。
今、あの部屋はどうなっているだろうか。
「それじゃあ、さみしいですね」
質問担当の職員が、本当にそう思っているのかも分からない口調でそう言った。
「さみしい……」
家族と離れていることをさみしいと思ったことはなかった。
思い出すのは誰かの顔ではなく、帰ればいつもそこにあった日常だった。
今は、あの狭い部屋が恋しかった。




