04.犬猿の仲
一人になった部屋を、改めて見回す。
カチコチと、振り子時計の音だけが響いていた。
外からの音は聞こえない。
ふと寝台の上のほうを見ると、かなり高い位置に小さな窓があることに気づいた。換気用といった程度のものだ。
扉の鍵は内側からはかけられない。外側からはかけられる。
快適な部屋ではあるが、いざとなれば閉じ込めておける造りになっていた。
レヴィンが『軟禁している』と呟いたのも、こういう扱いを指していたのだろう。
今になって、その意味が分かった。
なんとなく部屋の外へ出る気にもなれず、本棚から一冊の本を手に取る。
目の粗い厚紙に、馬に乗った騎士が簡略化されて描かれていた。背景には星の模様が散りばめられている。鮮やかとは言えないが、色もついていた。
表紙には、見たことのない文字でタイトルが書かれている。
字の形を理解しようと見つめていると、すっと頭の中に意味が浮かび上がった。
『騎士様とお星様』
不思議な感覚だった。
文字が示す意味は分かるのに、読めているわけではない。
書くこともできなければ、使いこなせるわけでもない。
ミナトは少し考え、本を手に机へ向かった。
「ふぅん。だから書き取りしてたのか」
夕食の迎えに来たレヴィンが、長い廊下を歩きながら感心したように呟く。
部屋を訪れた時、ミナトが机に向かっていたので理由を聞かれたのだ。
「覚えられる気がしません」
「意味が分かるなら、覚えなくてもいいのに」
「それはなんだか、違う気がして」
「わっかんないなぁ」
レヴィンは顔をしかめる。
「真面目とも違うんだよなぁ。いや、真面目だけど。あんた、研究者連中と一緒だな」
「確かに、そうかもしれません。順序立てて知りたくて」
そんな話をしながら、階段を上る。
一つ上の階に着くと、人の姿が増え始めた。
ミナトはまだスーツ姿のままだった。
すれ違う人々が、興味津々といった様子で視線を向けてくる。
「あれが騎士団の拾い物?」
「あんなの預けられてどうするんだ」
「変な服……」
聞こえてくる声に、思わず顔を伏せる。
着替えてくればよかったと、今さら後悔した。
「おい! ジロジロ見るな。見たいなら話しかけろ」
「えっ」
突然、レヴィンが周囲を威嚇するように声を張った。
「れ、レヴィンさん、話しかけられるのは……」
「ああいう奴らはどうせ話しかけてこない」
大声で言われた彼らは、気まずそうにそそくさとその場を離れていった。
レヴィンはフンっと鼻を鳴らす。
「ほらな」
「レヴィンさん……」
本当に話しかけられても、何を話せばいいのか分からない。
そう思ったが、口には出さなかった。
「堂々としていろ。遠くで話してる連中なんか、道端の雑草と同じだ」
「……はい。ありがとうございます」
ミナトは力なく微笑んだ。
廊下をしばらく歩くと、大きな両開きの扉が開け放たれた場所へ出た。
今日、フォルスに先導されてここから応接室へ向かった。
建物の正面玄関なのだろう。
扉の向こうには、日が沈みかけた景色が広がっていた。
濃紺と橙が混ざり合う空の下、街灯に照らされた通りを、まばらに人々が行き交っている。
その中に見覚えのある姿を見つけて、ミナトは足を止めた。
「あっ!」
向こうも気づいたらしい。
片腕を大きく振りながら、こちらへ走ってくる。
「ミナト!」
「イースさん!」
「げっ」
背後で、レヴィンがカエルを潰したような声を上げた。
「レヴィンさん?」
「げー!」
イースもレヴィンに気づくなり、露骨に嫌そうな顔をする。
「し、知り合いですか」
どう考えても友人ではなさそうだった。
二人とも、ミナトを挟んで距離を取りたそうにしている。
イースに至っては、両肩を掴んでわざわざ自分のほうへ向かせてきた。
野盗との一戦のあと、通常時に危険はないと判断されて、ミナトとの接触は解禁されている。
それ以降、イースに触れ方の遠慮がない。
嫌ではない。
ただ、まだ少し驚く。
「全然! こいつが騎士団のことを目の敵にしてるから嫌いなだけ!」
「自分たちのしてきたことを棚に上げて、よくもまあ」
「イースさんは、どうしてここに?」
一触即発の空気に、ミナトは慌てて話題を変えた。
イースは「そうそう」と言って手を離し、ズボンのポケットを探る。
「これ、ミナトのだろ?」
差し出されたのは、シンプルなコバルトブルーのネクタイだった。
「あっ……なくしたのかと」
この世界に来た直後、森で意識を失ってから行方不明になっていたものだ。
「ありがとうございます」
「いいって。荷物整理してたら出てきたんだ。返せてよかった」
「ミナト、洗濯籠に入れておけよ。ポケットに直入れなんて配慮がないな」
後ろからレヴィンがぼそりと言う。
もちろん、イースにも聞こえていた。
「お前なぁ! ミナトは何も言ってないだろ」
「用が終わったなら帰れ。俺たちはこれから夕飯なんだ。遅くなると終わってしまう」
「おっ、夕飯か。俺も行く」
「図々しいな」
「ここの食堂は局外にも開放されてるだろ。ミナトは、慣れてる俺がいたほうが食べやすいよな!」
「えっ」
勢いよく左肩を掴まれる。
「ミナト。記念すべき監査局での初食事が、こんな野蛮な男と一緒でいいのか? いいわけないよな?」
今度は背後から、レヴィンに右肩を掴まれた。
「あ、え、ええと……」
二人の鋭い視線を浴びながら、しばらく考える。
そして、おずおずと口を開いた。
「イースさんがいると、心強いです……」




