18.旅の終わり
翌朝にはベッドから下りて歩き回れるようになっていた。
頭痛は完全には消えていないし、身体のだるさも残っているが、歩く分には支障がない。
借りていた服から、もとのスーツに着替える。ワイシャツに袖を通すと、安心するような、落ち着かないような、複雑な感情が芽生えた。
長年着慣れていた服装が、自分がこの世界の異物であるということを際立たせている。
馴染みたいわけではない。帰れる方法があるなら帰りたい。
人が簡単に死んでしまう世界は怖い。自分が死ぬかもしれないことも、誰かを死なせてしまうかもしれないことも、同じくらい怖かった。
今回は守ってくれる人がいた。だから死なずに済んだ。誰かを傷つける選択を迫られずに済んだ。ただ、それだけの話だ。
イースから言われ、一人で駐屯地の建物の外に出ると、騎士たちが荷物をまとめて荷馬車に積んでいた。幌馬車ではない。
これに乗るのだろうかと考えて見ていると、白馬を引いてアルヴェインが歩いてきた。
それに気づいて、ミナトは軽く頭を下げる。
「おはようございます」
「ああ。おはよう」
アルヴェインの静かに響く声に、ミナトは少し驚いた。前に挨拶をした時は、返答があっただろうか。
アルヴェインはミナトの顔を見つめ、頷く。
「歩けるな」
「はい、大丈夫です」
「異変があれば報告するように」
それだけ言って、アルヴェインは馬の手綱を引いてその場を離れた。
ミナトはその背中をしばらく目で追った。
事務的な確認にも思えるこのやり取りが、彼なりの思いやりなのだと感じる。
荷馬車に乗るものと思っていたが、ミナトの定位置は別に用意された箱馬車の座席へ移った。これで腰や背中が痛くなる問題はかなり改善しそうだ。
四人乗りの車両には、野盗との戦いで負傷した御者のカボンが同乗している。
道中では、斜め前に座る彼と、ぽつりぽつりと世間話をした。
骨折は治癒魔法でもすぐには治らないらしい。装具で固定し、数日かけて治していくそうだ。彼の右足は、ギプスとよく似た厚い装具で固定されている。しばらくは休養するとも話していた。
「すまなかったな」
カボンが呟くように言う。ミナトは首を傾げた。
「あの時は、俺たちも魔法を使わないわけにはいかなかった」
「ああ……いいんです。分かっています」
「そうだな……でも、団長も気にしていたんだ」
カボンは窓から外を見る。そこには馬で並走するアルヴェインの姿があった。
「そうなんですか」
ミナトも同じように外を見る。アルヴェインは涼やかな顔をして、相変わらず前方を見ていた。
「総団長ともあろう人が、自分であんたを運んだんだ。森の中からベッドまでな。あれで気にかけてないなんて、誰も思わない」
カボンはそう言って笑う。
ミナトは少しの気恥ずかしさに、はにかんだ笑みを浮かべた。
馬車の窓から見える街道は、目に見えて広くなり、徐々に人通りも増えてきた。
荷車を引く商人、旅人、冒険者のように武装した集団。
騎士団の姿を見ると、道の端へ寄って頭を下げる者もいる。
感謝を伝える声、応援するような声、女性の黄色い声。色々な声がかけられる。
子供たちは目を輝かせて手を振っていた。
そのたびにイースが笑顔で手を振り返し、ローデリクに呆れられていた。
駐屯地を出てから二日後の昼下がり。
馬車の隣を並走していたイースが、馬上から少し身を乗り出して馬車の窓を叩いた。
ミナトは窓を開けて顔を出す。
「何ですか?」
「見てみな」
そう言って、イースは進行方向を指さす。
窓から顔を出すと、街道の先に巨大な壁が見えた。
「うわぁ……」
思わず声が漏れる。
高い城壁。見上げるほどの門。絶えず出入りする人々と荷馬車。
開かれた門のその向こうには、無数の建物が広がっていた。
「すげーだろ」
イースが自慢げに笑う。ミナトは素直に目を輝かせて頷く。
「大きいですね」
「そりゃ、王都だしな」
森を抜け、野営をし、駐屯地で休み、野盗に襲われた。数日間のことなのに、ずっと長い旅をしてきたような気がした。
ここに入れば、もう旅ではなくなる。
反対側で、短い号令が聞こえた。減速を指示するアルヴェインの声だった。
巨大な城壁を見上げながら、ミナトは静かに息を吐く。
ここから先が自分の新しい日常になるのか、それとも帰る方法が見つかるのか。答えは分からない。
それでも、胸の奥が静かに高鳴っていた。
第一章 完




