第4章61「反転した世界で吊るされた女が見た光景5」
いよいよ雲海を抜け、地上の景色が迫ってくる。同時にガラリと大きく音を立て、私たちの生命線である足場が崩れてきた。
もう一刻の猶予もない、白翼族を黙らせながら脱出する手段を同時に講じなければ…待っているのは浄化の恩恵で回復できる私以外の全員の死だ。
「あ、あの…本当に、やるんですよね?」
「今更怖気づいたのか?それとも今死ぬか?墜落の衝撃で複雑骨折に内臓破裂した後でジワジワ逝くより、オレの焔で焼かれる方が楽だぞ」
「だれかがしぬのはかってだけど、あたしはまだしねない。きょうりょくはしてあげるから、ちゃばんはよして」
急造チームの連携に穴がありそうな予感しかせず、一抹どころか山のように盛り上がった不安で思わず溜息が漏れた。
勿論、この無益なやり取りの間にも足場は崩れていく。ならば誰かが先に飛び降りて無理やり足場を作る?答えは分かりきっています。
(皆様が協力をしなければ切り抜けられない難局だからこそ、誰か一人でも欠く選択肢は取れません)
そもそもプリシラ様の弱体化する水は、性質を反転させる白翼族のタロットとの相性が悪すぎる。
物理攻撃に特化したセレディア様は、宙を自在に駆ける白翼族の種族特性との相性が悪すぎる。
実力は未知数ながらも、有効打になり得る風の弓を携えた弓兵は既にヘロヘロで、まともな攻撃ができるのも一度きり、精々二度が限界だろう。
それでも“ヤツヨ”様は、私たちの命を掛け金にして勝負をしろと言っている。
彼女の言葉に嘘偽りはない。私が嘘を見抜けない訳がないからだ。
つまり“ヤツヨ”様は、白翼族を本気で私たちが協力すれば突破できる相手だと。たとえ相手がタロットの力を振りかざそうと、恐れるに足らずと言っているのだ。
「寄ってたかって虐められる前に、各個撃破していこうかしらねぇ!!」
目の前で宣言された当人の目が据わるのは、至極当然の事だった。
宙を滑るように移動する白翼族が、村娘の持つ風の弓に狙いを定めて脚を鋭く突き刺す。
「こ、来ないでぇッ!!」
弓を持つ者の宿命として、超近接距離まで迫られたら為す術がない。
直線にしか飛ばない矢の射線が読まれるのは当然ながら、射出台である弓を弾かれる距離での格闘戦を仕掛けられたら、青痣をつけられる程度で済むかどうか分かったものではない。
けれども、弓兵の弱点を知らない戦下手がこの場にいる筈もなく。私が駆けつけるまでもなく二人は行動し始めていた。
「お前の脚ごと燃えろ、焔壁!」
「あたしのみずがつうようしないなら、かんせつてきにきりさくだけ!」
足がすくんで動けない娘の為にセレディア様が焔の盾を張り、プリシラ様の水鎌が宙を裂いて衝撃波を飛ばす。
従来であれば炎術と水術の相性は悪い筈だが、衝撃波とする事で属性相性を無視できる他、距離を置きながら攻撃できる利点がある。
二人の得物に籠めた魔力量が半端だった場合は、飛んでいく斬撃の威力が大幅に落ちただろう。
特にプリシラ様は、造りだした水鎌を扱う技術が半端だった場合はセレディア様の盾に阻まれていた事だろう。
にも関わらず、急造コンビにしてはよく出来た連携で最上級の目くらましを作ってみせた。…否、常人であれば致命傷一歩手前の深手を負わせられた筈だ。
「この程度のそよ風じゃ、満足できないわぁッ!!」
二人の渾身の目くらましに、白翼族は避けるまでもなく突っ込んでくる。
それもそうだ、今はダメージを反転させられる状態。私の浄化の恩恵を纏っていない攻撃など、脅威にもならない。
「刺突脚ッ!!」
伸びる爪先が最上の威力を発揮する位置で繰り出される前蹴りは、まるでレイピアのように。
しかし威力はレイピアなんかよりも強力だった。セレディア様の焔の盾を容易く貫通し、人間の躰に風穴を空けんと迫ってくる。
「間に合った…鳥薙ぐ一射ッ!!」
プリシラ様の躰に白翼族の脚が貫かれる未来は、訪れなかった。
突如吹き荒れた暴風に白翼族の躰が泳ぎ、狙いをズラされたのだ。
必殺の一撃だった筈の攻撃が外れ、九死に一生を得たプリシラ様は仕切り直すように水鎌を篭手へ変形させながら一歩下がる。
弓兵を庇う必要もあり、これ以上は狭くなりすぎた足場の都合で下がれない。
尚も格闘戦の間合いを強いられるプリシラ様を助けなければならないのだがーー同時に私は気付いた事がある。
(間合いが、近すぎます…)
風術は基本的に、術者の向く方向へ一直線に風圧を飛ばす魔術だ。
圧が強くなれば攻撃は強力になるのは自明の理、体重の軽い女…ましてや風術を使って空を常に駆ける白翼族など影響を大きく受ける。
真正面から風術を受ければ、躰が飛んでいくのは後方。しかし実際は風に飛ばされる筈だったのに、反転し続ける躰の所為で力のかかる向きが変わり、必要以上に前へのめり込んだ。
それは良い、むしろ納得できる。だからこそ、反転していない格闘技術に私は違和感を覚えた。
(私に何度も蹴りを当てる事ができる技量の持ち主が、基礎中の基礎である踏み込みの加減を間違える?)
あり得ない、とは言いきれない。達人でも精度に多少の誤差は付き物だ。
しかし、反転する世界へ急に放り出された者が普段通りの動きができるだろうか。
通常動作すら困難であろうに、私やプリシラ様、セレディア様との戦闘をこなせる程の難解な動きが、できるだろうか。
「も、もう一発っ!!」
反転の境界線を理解しかけた所で、弓兵が二射目を放つ。
弓兵の弱点について語った十数行前の私が怒りの拳を握り締めている展開、白翼族も狙いが読めず理解に苦しむと表情に書いてある。
一同、意図が読めずに弓兵の攻撃を見逃した。
風矢の持つ魔力は先ほどよりも僅かに少なめ、しかし他者を殺すには十分な魔力量が籠った矢は、プリシラ様やセレディア様、果ては白翼族の横をすり抜けるように途中から分散した。
「は、は!どこに向けて技を撃ったのよノーコンがァッ!!」
苛立ちつつも嗤いながら迫る白翼族の、反転して追い風となった勢いを味方につけた蹴りが迫っていく。
しかし再び、蹴りは宙を切る事になった。最後までしぶとく残っていた足場が、いよいよ崩れたおかげで躰の位置がズレたのだ。
蹴り損なったと白翼族が唇を噛むもーー私たちの幸運は、ここまでだった。
白翼族を除く全員が、宙へと投げ出されていく。足場を失くした私たちは、攻撃と防御の手段を同時に失った。
「あ、はは。私のタロットの力、ここで打ち止めですぅ…」
“運命”のタロットの力を使い終わった事で、極度の疲労感が出たのだろう。カケル様も同じ事を口にしていたと記憶している。
風弓が手から消え、覇気のない声を漏らす弓兵。それをプリシラ様が抱えて水の膜を周囲に張って守りに徹していく。
「いくさみこ、あとはおねがい。あたしのタロットもつかえなくはないけど、あのおんなとはあいしょうがわるいきがする」
取るべき行動を、自らの判断で行った。口にすれば簡単かつ常識的に思うかもしれない。
プリシラ様の弱体化する水が通用しない現状、下手な戦闘介入は逆に不利になると悟ったが故の行動だ。
「あの裏切りエルフ、オレの仕事取りやがったな」と悪態をつくセレディア様の土手腹には後で一発拳をぶち込むとして、彼女が取れる最上の行動だと私は評価したい。
「いまのあたしは、これいじょうやくにたてない。せめてちじょうにおちるまでは、このこのたてになるくらい」
眼下には小さいフローア村が見える。プリシラ様は小さな胸でその光景を隠すように、弓兵に見せないよう抱き留めた。
水の膜も、恐らくは万全ではない。この高度からの落下だ、折れた骨が臓器に刺されば簡単に死んでしまうだろう。
無論、私の浄化の恩恵で怪我を治す事はできる。が、白翼族との戦いの後でどれだけ魔力を残せるかが未知数だ。
村がすっかり大きく見える頃までに対策できるなら、するに越した事はない。しかし私の足りない頭では、その対策を考える事すらできない。
どうする、何をするべきだ、と。必死に答えを探そうとしてーー。
「でも仕事はしましたよ、“ヤツヨ”さん。これで、良いんですよね」
今の今まで気を張っていた事が分かる声色に、私の思考はそこで止まった。
泣きそうな表情、疲労により虚ろになった目を見て、思考を他の事に巡らせる事ができるとしたら…それは人の皮を被った悪魔だろう。
無理もない。通常であれば戦士である私やプリシラ様、セレディア様が担うべき仕事を、戦士ではないただの市民に近しい人間に重荷を背負わせたのだ。
にも関わらず、私たちは生き死にの境界戦上で仕事を任せてしまった。彼女は、報いられるべきだろう。
「あぁ、上出来だよ。ボクの注文通りの攻撃だ」
今にも消えそうな細い弓兵の声に、女神の冷静な声色が響いた。
キミの行動に間違いはなかったと太鼓判を押された弓兵は、すっかり安心しきってしまったのか意識をプリシラ様に預けたらしい。
その様子に安堵しながらも、私は鋭く女神を目で射抜いた。
「“ヤツヨ”様、今の注文通りの攻撃について…私にも教えていただけるのですよね?」
「勿論とも。ただし、キミが答えを得られたかどうかでボクの仕込みの成否が変わるものだ。キミが得た答えが果たして正しいのか、審判の時は近いね」
ゲームのような感覚で話をしないでください、私たちの命が掛かっているんですよ。
視線だけで訴えた言葉に、果たしてどれだけ本気で取り合ってもらえたか。その答えは、“ヤツヨ”様の薄い笑みが物語っていた。




