第4章62「反転した世界で吊るされた女が見た光景6」
重力に従って落ちていく躰を、冷たい風が舐めていく。
何度も戦場で存在を感じ、顔馴染みになってしまった死神が今、嗤いながら私のすぐ後ろで鎌を構えている。
ならば前方は無事なのかと言われれば、実はそうでもない。
今はまだ私を睨みつけるだけで済んでいるが、落下する心配が皆無な白翼族は防御もままならない私たちをどうやって嬲ろうかと思考しているのだろう。
対応を間違えれば、カケル様やプリシラ様たちを失うだけでなく、私自身も死の危険があると思わされた瞬間だった。
(地上まで、あと十数秒といった所でしょうか)
チラリと見た緑色の地上は、どうやらフローア村の近くに落ちる予定らしい。
村そのものに落ちる訳ではないと、幸運なのか不幸なのか分からない現状を確認した所で思考を再び戦闘モードに切り替えた。
弓兵が仕込んだという、タロットの魔力を籠めた風矢の行方、目的が気になる。
プリシラ様の水術のような例外もあるが、通常は魔術を放ったら自然と効力を失うものが多い。
しかしタロット…この世界の常識では考えられない超常現象を魔術に付与する存在があり、弓兵がそれの所持者である以上、私の常識の範疇で決め付けるのは悪手だろう。
「“ヤツヨ”様、地上まで時間がありません。偽り誤魔化しなく答えてください」
ここまでの思考をコンマ数秒で纏め、防御姿勢を取る事なく落ち続ける“ヤツヨ”様に視線を送る。
恐らくこれが最後の問答だ。答えが何であれ、すぐに動けるよう今のうちに手足に魔力を通しておいた。
「先ほどお話されていた、注文通りの攻撃。端的に何なのかを教えてください」
「なら一言で。一度きりの、キミの足場を作る為の仕込みだよ」
上空を指し示す“ヤツヨ”様の答えに、私は落ちてきた空を改めて見上げ…“ヤツヨ”様の意図に気付いた。
そこにあったのは、空気が不自然に掻き混ぜられている魔力の吹き溜まり。既に何十人も一気に吹き飛ばせそうな密度だ。
浄化できる私でさえ、魔力量が十分でなければ突っ込むのを一瞬躊躇する。
しかし一向に魔力の塊が落ちてくる様子はない。白翼族の仕業かとも考えが過ぎったが、確認するように何度も視線を送っている様子からして違うと見た。
では誰が巨大な魔力嵐を仕込んだのか?という疑問はあるが、今は棚上げしておく。時間があまりにも足りないのだ。
“ヤツヨ”様の罠の考えは?答えはノー、「私の足場を作る為の仕込み」という発言に嘘はない。自分が死ぬ可能性に晒されている中で、一番戦力になり得る私と敵対する理由はない。
突っ込む事はできるか?答えはイエス、問題なく侵入できる。しなければ白翼族の暴走を止められない。
魔力嵐の中にあるモノで反撃される可能性は?答えは…ノー。ただしこれは私の直感だ、可能性の一つとして考えなければならないだろう。
そして一番大事な疑問、白翼族が敢えて自分の頭上に鎮座する魔力嵐を放置しているのか。
これについても私の直感だが、あの魔力嵐の中は白翼族にとって脅威となるものが無い…もしくは、脅威だが間に合わないと判断していると見た。
「おい戦巫女!あの翼女をぶっ飛ばすヒントは見つかったか!?」
いよいよ地上が迫っていると、表情で訴えてくるセレディア様が声を荒げてきた。
ーー思考の邪魔だと普段なら殴り捨てるのですが、運の良い方です。貴女様にはまだ、地上に着く前にやっていただきたい事があります。
「えぇ、見つけました。ところでセレディア様、一つお願いがあるのですが…」
断ると言葉にしかけたものの、自分の命に関わる事だと飲み込んだ表情に変わる。
私が言うのも何ですが、セレディア様のその正直な所は好きですよ。今からその善性を大いに利用させていただく訳ですが。
「焔の盾を、構えていただきたいのです」
「あ?まぁ構わないが…」
セレディア様は盾を上空に構え、白翼族を一瞥する。
蹴りが飛んでくるから防いでほしい、と取られたのだろう。あながち間違いでもないので、敢えて訂正はしない。
「オレだってこのまま死ぬのは御免だ、防ぐのは買って出るが反撃までは手が回らねェぞ?」
「いえ、セレディア様に反撃までお願いするつもりはありません。盾さえ構えていただければ」
私が更に強調した事で、セレディア様に不信感が生まれてしまったらしい。
…いけません。思い留まってしまう前に私のやる事をやらなければ、折角の足場が無くなってしまう。
「おい戦巫女、何企んでやがるーー」
「緊急事態です!盾、お借りしますね!」
盾を下ろされる前に足を着け、再び空を駆ける。尤も、弾丸の如く直線に突き進む事しかできないのだが。
白翼族もまた、私がまだ向かってくる事に多少面食らったらしい。まさか仲間を使い捨てて一騎討ちを仕掛けてくるなんて、と考えている事だろう。
「テメェッ、オレの盾を踏み台にしやがったな!?覚えてろよォッ!!」
小さく聞こえる筈のセレディア様の恨み節が、何故かはっきりと伝わってくる。
私の方こそ、目的の魔力嵐まで十分な踏み込みができなかった事について小言を並べたい気持ちがあるのですが?と返したい気持ちはあるが、ここは我慢だ。
「女教皇ちゃん、目的地は見つかったようだね」
そして当然の権利のように、跳んでいる筈の私に追随するように飛ぶ“ヤツヨ”様は一体何なんですかーー。
思わず抗議しそうになった口は、突如現れた土の足場を見て噤まざるを得なくなった。
「“ヤツヨ”様、これは?」
「今回、彼に呼び出された事で使えるようになったボクの特技さ。尤も、数秒も保てない土くれだけどね」
確かに込められた魔力量は微弱、私の脚力に耐えられるとは思えない。
ですが、一度限りの足場と考えれば悪い話ではない。この足場を幾つか作ってもらえればーー。
「そして残念ながら、そろそろ今回の身体に溜まっていた魔力が尽きそうでね。作れても一度きりだ」
「“ヤツヨ”様を足場にすれば良いんですね?お任せください、力いっぱい踏みつけて差し上げます」
私の計画を勝手に頓挫させないでほしいです、と今度こそ抗議を口にする。
「それは怖い」と軽く流された事から、“ヤツヨ”様には二の矢があるようで。
「言っただろう?一度きりだと」
思わず、口を噤んでしまった。
一度きり、その言葉が意味するところを理解してしまったからだ。
「本気、ですか?」
「逆に女教皇ちゃんの方こそ、ボクを力いっぱい踏みつける発言は本気じゃなかったと?」
ーー二の矢とは、自分自身が足場になるという事だった。
私の脚力を知った上で、魔力が尽きそうな土の躰を足場にして上っていけと。勝手に躰が崩れるのを放置するくらいなら有効活用していけと、言っている。
嘘は、言っていない。私の躰が反応していない事からも打算のない提案なのだろう。
確かに、“ヤツヨ”様の躰を使えば魔力嵐まで容易に届く。 白翼族のタロットによる妨害を考慮しても、私の脚力の方が一枚上手だと確信できる。
しかしそれは、犠牲の上に成り立つ優位だ。よりにもよって、カケル様が憑依させているという“ヤツヨ”様の犠牲でだ。
選べる訳がない。承服できる訳がない。私が嫌がる事を、的確に突いてくる。
人の心をどこに置いてきたというのか、この女神様は。
「その躰は、カケル様のものです。貴女様の一存で勝手に粉々にする訳にはいきません」
私に選べる訳がないと見越しての言葉なら、大した度胸だ。
実際、自分の命も掛かっているだろう現状で分の悪い綱渡りを成功させたのだ。意地が悪いと皮肉を投げたくなるが…今は我慢だ。
まさか、ここで示し合わせていた切札を切る事になるとは思わなかった。
ここでダメージを負うのは痛手だが、文字通り身銭を切ってカケル様を護ったと思えば安いものだ。
「ーーこれで貸し借りは無しですよ、ソレイユ様」
ため息交じりに呟くと、私の躰で“ヤツヨ”様の躰に影を作る。
一体何をしているのか、と“ヤツヨ”様が呆れた表情を浮かべるも…それは一瞬だけ。
どうやら、私たちが何をしようとしているのかを察したらしい。
「思いっきり、蹴り上げてください!」
「アンタの注文、承ったわッ!!」
腕を構えて防御する私に、見慣れた足袋がまるで人体を蹴破ったかのように影の中から現れ、しっかり力の籠った前蹴りが炸裂する。
受け慣れた蹴りと言えど、戦士職の大男の太腕すらへし折る脚は何度も受けたいとは思わない。
そもそも好んでソレイユ様の蹴りを受ける予定なんて一切ないのですが。いえ受けても瞬時に浄化するので返す拳で黙らせますけども?
「オジサンの方はアタシに任せなさい、アンタはあの女を殴り倒す事だけ考える!」
「言われなくとも、そのつもりです!」
影の苦無が、足場に使えと追いかけるように飛んできた。
ーー邪念が過ぎると叱責されているようで、流石の私も反省。今は白翼族の顔をひしゃげる事に注力しなければ。
たった今まで何もせず、勝手に自滅してくれるだろうと傍観していた事を、後悔させてあげましょう。
まだ十全に力が振るえない状態で、戦場に居座り続ける訳にはいかない。
かつては「最高戦力」だなんて持て囃された身だ、今のボクの状態が女教皇ちゃんをはじめとした面々の足手まといになっている事も解っている。
それに、憑依元である彼の意識を戻す一助になるだろうと思い、最も有効的にボクの身体を活用できる方法として提案した筈なのに…。
まさか女教皇ちゃん、ボクの提案を蹴ってしまうなんて。
「笑ってるんじゃないわよ、アンタ。あの女に踏み壊されなかっただけマシだと思いなさい」
「あぁ、すまない。女神でも思い通りにいかない事があるんだと、改めて思い直していたのさ。それ以外の他意はないよ」
「今の言葉、あの血の気多い魔猪女の前で一言一句間違えず言ってみなさい?というより絶対言え」
それは怖い、笑顔を浮かべたまま光以上の速度で拳が飛んでくる様も容易に想像できてしまう。
しかし困った、同時にボクを閉じ込めてくれた何者かの罠を壊してくれる事を期待していたのだけど…。恐らく戦況が落ち着いてからも暫くは彼の躰を借りたままになるだろう。
「まったく、ボクの予定が狂ってしまった。どうやって元の躰に戻ったものか」
「ハッ、今の土くれ人形のままでも良いんじゃないの?」
「キミたちを護る為の超越物質が、いざという時に使えないのは流石に困る。この際、躰を壊すのはキミでも構わないよ?」
「下手に藪蛇突いて死にたくないわ。それにこの躰、元はオジサンのものでしょ?それならアタシもパス、他を当たりなさい。尤も、フローア村で引き受ける人間がいるとは思わないけどね」
益々困った。元の躰に戻る推定の方法が他人頼りの現状で、有力な候補者たちが悉く否協力的だ。
好ましい事象ではあるのだが…ボクがいなかった間に一体どんな魔法を使ったんだい、色男め。
「ところでキミたち、いつから結託していたんだい?」
ずっと嘆いていても時間の無駄だ。ならば少しでも有益な行動をしようと思考を切り替える。
今もボクの影…否、彼の影から器用に苦無を投げて跳躍していった女教皇ちゃんを尚も支援し続ける忍者ちゃんに向かって、ボクが抱いている疑問をぶつけた。
二人はいがみ合い、肉体言語で語り合う仲だった筈だ。
隙あらば頬に捻じ込み、腹の中を潰し合うという、華奢な少女たちのお遊びとは思えない暴力の応酬をし合う筈の彼女たちの間に、一体何があったのか…興味が出てきた。
「いつからって、オジサンが攫われた時からよ」
「へぇ、二人揃っていて彼が攫われる事態になったのか。白い翼の彼女、そこまでの実力者とは思えないんだけどなぁ」
「あの女の後ろにいるのが外道なの。闘技場の主、『審判者』とか言ってアタシたちを争わせようとしてたわ。オジサンの件がなければ、アタシも魔猪女を殺す為に一枚噛んでたかもしれないけどね」
成程、二人の関係はミクロンレベルでの修正だった事がよく解った。
だがほんの僅かな修正だったとしても、この世界の仕組みを思えばキミの功績はとても大きい。
それにしても、審判者…『歩みを止めた者』ねぇ。キミなのだとしたら、随分と洒落た名前をつけたじゃないか。




