第4章60「反転した世界で吊るされた女が見た光景4」
バラバラと音を立て、いよいよ落下し続ける通路の強度が限界を迎えていた。
私やプリシラ様が暴れてもビクともしなかった筈の天空闘技場の石造りの壁と床は、既に亀裂が入っていて闇雲に触れられない状態だ。
力強く踏み込んでも普段通りに打ち込めていた筈の拳は、もはや力を加減しなければ届かなくなっているだろう。
この場にいるのが私一人なら構わず打ち込みにかかれるし、逆に足場を踏み壊して問題なく戦闘を続けられるが、残念ながら足場がなければ命が危うい方々が後ろに控えている。
つまり今の私は、立ち位置や攻撃のタイミングを図る事を強いられているのだ。
「さて、決定打を探している女教皇ちゃんに一つアドバイスをしよう。“吊るされた男”の力についてだがーー」
「結構です、およそ解ってますので。それより“ヤツヨ”様には戦闘面で手伝っていただきたいのですが」
格闘戦しかできない女のデメリットがこうも強調されると私だって辛い。遠距離戦が気軽にできる方々が羨ましいと久々に思った。
ただでさえ守りながらの戦いが不得手な私に、これ以上単身で防衛戦を強いないでほしい。あわよくば攻撃に専念させてほしい。
視線で訴えてみたものの、しかし色よい返事はもらえそうにないと、“ヤツヨ”様に肩をすくめられた事で察してしまった。
「期待してくれているところ残念だけど、今のボクにできる事があるとしたら知識を披露する事くらいだ。超越物質の起動どころか、彼との意思疎通すら今までロクにさせてもらえなかった事から推測するに…よほどボクという存在を入念に封じたい誰かが、この世界にはいるらしいね」
恐らくカケル様を人質に取って私たちに殺し合いをさせようとした、覆面を被った男の方でしょう。外見の怪しさは花マル満点でしたからね。
とはいえ確たる証拠がない以上、決め付けは良くない。それに私は月の国の賢者…一時的とはいえ頂点に立っていた人間です。物事はなるべく公平に、俯瞰して考えなければ。
「でも女教皇ちゃん、答えはちゃんと聞いた方がいい。僅かな勘違いが最後の詰めを甘くするからね」
決め付けは良くないと私自身に言い聞かせた直後に貴女様がそれを言いますか。他人に心を読まれる気持ち悪さ、正直何度も経験したくはありません。
ですが“ヤツヨ”様の言い分に一理あるのも事実。ーー気は進みませんが、耳を傾けない訳にはいかないようです。
「たった数秒、されど数秒。さぁどうする?」
「聞いてほしいんですよね、素直にそう言ってくださいよ」
「心の余裕が足りてないよ、女教皇ちゃん。…と、普段なら言いたい所だけど今はよしておこう。時間がないからね」
普通、時間がなければその手の小言は心の中で呟くものです。私の方が時間に配慮してどうするんですか。
表情で不満を訴えるが、どこ吹く風とばかりに“ヤツヨ”様は口を開いた。
「“吊るされた男”の力の本質は、反転だ。女教皇ちゃんが暴いた回復とダメージの関係性は、その一端に過ぎない。実際はもっと幅広く、超越物質の効果が適用されている」
「効果の幅が広い?」
少し要領を得ない、と思考を巡らせてみる。
相手を傷つける事で自分が癒える「反転」、これでも充分脅威になる筈だ。実際、全力で癒した拳がダメージに変換された事からも一目瞭然。
フローア村でプリシラ様が戦った際、プリシラ様が敗北したと聞いた当初は何かの間違いかと思ったが、弱化の水の性質を反転させて強化したと考えれば理解もできる。
性質の反転、この考え方に間違いはない筈だ。
これ以上の脅威になり得る「反転」効果は一体何があるのだろう。下手をすれば全てを疑わなければならなくなるーー。
「……まさか」
「そう、そのまさかだ。キミたちの常識そのものがひっくり返る反転効果、それが“吊るされた男”の力だよ」
頭を過ぎった可能性を肯定され、私はより表情を険しくする。
回復とダメージは、ほぼ対に位置する事象と言えるだろう。私の拳で感じ取った事実に嘘偽りはないと断言できるし、これが反転させる力だと説明されれば思考を止めて納得しただろう。
私の予想は正しかったが、認識が甘かった。この白翼族、私に嘘がバレる事を見越して情報を隠そうとしたのだ!
「もっと砕いた表現にするなら、本来作用する筈の力を全て逆向きにしてしまう。自然エネルギーの象徴である重力ですら、超越物質を発動させている間は反転し、空を滑空する事だって力の調整具合では可能となるのさ」
「私の切札の秘密を、よくもペラペラとぉ…!」
「おぉ怖い怖い。でも隠し事はいつの時代、どの世界でも性差なく悪い結果に転びやすいと学ぶ良い機会だ。かけつけ一発、女教皇ちゃんの怒りの鉄拳を貰っていきたまえ」
白翼族の表情が怒りに歪んでいく。
歪ませ足りないと、私の表情が険しくなる。
自分に有利な展開に運ぼうとした事、それ自体は何も問題ない。
戦闘では生死に関わる瞬時な判断を迫られる訳で、むしろ咎める事の方が問題だ。
私とて浄化の恩恵を使って戦う身、いかに相手に接近し拳を叩き込むかを考えて戦闘する。
相手の裏をかき、隙を作って一撃を見舞うーー対人戦闘における基本中の基本だ。
殴り合い、蹴り合い、大いに結構。むしろ相手が接近戦を得意とするなら、私も戦いやすいので普段であれば歓迎だ。
しかしそれは「私個人で状況が完結するなら」という枕詞がつく。問題は、私以外の人間…とりわけカケル様の安否を性急に慮る必要がある現状で、私の時間と魔力を奪おうとした事だ。
この一点がある限り、私はこの白翼族を赦すつもりは欠片もない。
「女教皇ちゃんへの助言はもう一つ。“吊るされた男”を追い詰めようとすればする程、トドメを刺すのが難しくなる。使えるものは使っていきたまえ。尤も…全部を反転させたら自滅してしまうから、ある程度の境界線はあるかもしれないけどね?」
「境界線、ですか」
言われれば確かにそうだ。あらゆる事象を反転させてしまったら、血の流れだって逆転させかねない。
躰の動かし方だってそうだ。普段慣れている動きができなければ、まず私相手に格闘戦を挑むという思考すらなくなるだろう。
それなのに通路を斬り落とされる前の戦闘と比べて変わっていない事もあった。
拳を打ち込んだ際に感じ取った、内臓の形や場所に特段変わったところは無かった筈だし、蹴りの精度に狂いはなかった。
ならば“ヤツヨ”様の言う通り、タロットで反転させられる境界線がどこかにある筈だ。問題はやはり、見極めるまでの時間が足りない事だが…。
「だからーー今から女教皇ちゃんには、文字通り命を賭けて境界線を見極めてもらう。その為にボクが彼女たちを焚きつけたんだからね」
視線を送った先には、既に各々の得物を構えている3人。太陽の国の村娘にセレディア様、プリシラ様が戦闘態勢に入っていた。
怯えた表情、不満のある表情、背後を気にする表情。一致団結したとは言い難い雰囲気を漂わせながらも、いずれも決然とした表情なのは間違いない。
そんな彼女たちの攻撃を、“ヤツヨ”様は試金石にしろと言っているのだ。後で皆さんの全力の一発で殴られるべきだと、私は思います。




