第4章59「反転した世界で吊るされた女が見た光景3」
格闘戦の利点は、剣や槍といった刃物を扱うよりも相手の命を奪いにくい事だ。
素手格闘を極めれば身軽に動き回る事だって可能だし、何よりも過剰に警戒されない。
分かりやすく得物を持ち歩いていない、一見して動きにくそうな法衣ドレスを身に纏っている無防備な女として常に振る舞っているのは、私の命を狙う刺客の油断を誘う為でもあるのだ。
…いつの間にか、私の存在そのものが警戒される事になったのは誤算ではあったけども。
そして、浄化という恩恵を生まれながらに授かった私にとって、魔術が放てなかったり武器を持てないデメリットは皆無に等しい。
毒を盛られたり強酸を浴びせられても、私の魔力が尽きない間は傷ついた躰が瞬時に元の状態まで戻るのだから。
だからという訳ではないが、私は様々な武器種と対峙する機会は多かった。
剣術や槍術といった武器の扱いの達人らに囲まれて私の首を狙われた時は、一人ひとりの得物を丁寧に折ってから拳を打ち込んだ。
炎術、水術、風術、土術を同時に浴びせる魔術師の大軍の相手をした時は、全てを浄化した上で最大魔術ごと殴り倒した。
弓や砲撃といった、魔術に頼らない遠距離攻撃の嵐に放り込まれた時は、射角と矢や砲弾の速度からおおよその位置を瞬時に割り出して得物ごと叩き潰していった。
私にできる最善をしていただけなのに、傍から見れば無茶な戦い方を続けていたらしい周囲は、その頃から私を「戦巫女」と呼ぶようになった。
拳闘姫、魔術師殺し、人間戦艦。様々な二つ名があった中で何故この呼び名が選ばれたのかと問い詰めたい気持ちはあったが、渋々受け入れた記憶も今や昔。いやはや、慣れとは恐ろしいものです。
慣れと言えば…二つ名をあてがわれた人間の宿命なのか、私の恩恵の研究は大いに進められた。
如何に私の力を効率よく削げるかと太陽の国も月の国も模索し、実験と称して私を屈服させんと、様々な戦闘に放り込まれた。
巨大な魔力の塊を一度にぶつける?…否。魔力を籠める労力と時間によらず、私が消費する魔力量が大して変わらなかった事から最悪手だ。
瞬間最大火力よりも継続火力、長期戦に持ち込む事で私に魔力を消耗させ続ける事が理想らしかった。
威力を抑えてでも連続して放つ?…否。私が浄化する魔力を一時的に枯渇させるのに、国が抱える何百何千もの凄腕の魔術師たちが一生魔力を練れない躰になってしまう。
魔力の生産効率と消耗率に差があり過ぎて、私一人を倒した後の事を考えると致命傷が過ぎるだろう。
ならば弱体化を狙う?…否。そもそも強化も弱体化も魔術である以上、すべて等しく浄化してしまう。
選択肢に上げようとした思考が溶けるまで殴って差し上げたい。
そんな紆余曲折を経て、何故か打撃によるダメージが一番効率よく私の恩恵を削る事ができると知られた時は、我が事ながらとても笑ったものだ。
得物に頼らず、魔術に頼らず、素手で向かっていくのが最も効率的な私の倒し方?何の冗談だと、当時は一蹴されていた。
しかしこれが意外と馬鹿にできない。
武器や魔術といった、人間が直接的に触れていないものの浄化は、何も考えず打ち消したり壊したりする事ができた。
ところが人間の拳や脚が武器となる徒手空拳は、防御の為に過剰な浄化を行えば相手の命を奪う事になる。けれども被弾したダメージはある程度浄化しなければ、回避も防御もできず連続被弾を許してしまう。
私が他人の命を奪う事を嫌う性格を突いた、ある意味合理的な対策。
今まで注力してこなかった格闘技術を、これを機に両国の人間はこぞって練磨するようになったのだとか。
ーー閑話休題。
私の顔のすぐ横を斬るように脚を鋭く薙いでくる白翼族の格闘技術は、間違いなくこの世界の上澄みに相当する。
急所を正確に狙って差し込み続けられる脚、反撃を封じるように立ち回り続ける無駄のない足さばきは、達人の域にたどり着いた人間ですら激しい戦闘の最中に完璧になぞる事は難しいだろう。
ましてや白翼族の脚を防御せず、被弾しないよう回避し続けていく私の技術は…彼ら彼女らでは再現不可能に近い芸当だと自負する。
(白翼族の脚には、超高密度の魔力が常に溜まっています。あんなものを私以外の人が受ければ、躰が僅かでも残れば奇跡と言えるでしょう)
無論、私が被弾しても似たような結果になる事は違いない。
それだけ今の白翼族の脚に溜まった魔力量が尋常ではないのだ。
超高密度の魔力の出所が、白翼族が持つタロットである事は明白だ。
そのタロットは恐らく暴走状態にあり、私の恩恵をもってしても簡単に浄化しきれない魔力量を生み出し続けている。
生半可な放出系の魔術では魔力の鎧に阻まれるし、私の拳以外の物理攻撃などもっての外。戦闘に参加できる人間もおのずと限られてくる。
つまり…タロットによる魔力生成機能をどうにかしない限りは、取り押さえる事ができない。現状でこの条件をクリアできるのは、私だけだ。
(ファルス様の時にも薄っすらと感じましたが、久々の強敵と対峙した時のこの高揚感はなかなかに抑えがたいですね)
しかし問題が一つある。
闘争本能を無理やり抑え込んでいる今の理性が吹き飛んだ時、「レイラ」という人格が自分の中の軸から外れてしまう予感が今もしているのだ。
カケル様が親しんだ優しい人格には二度と戻れず、カケル様を襲う狂犬に成り下がる未来は間違いなく訪れるだろう。その未来がやってくる時間が早まる事だけが懸念点だ。
再び白翼族の肉を殴る感触を思い出したくて拳が疼いている。
それが殺人衝動に似た、私の中で飼う獣だと理解している。だからこそ、努めて冷静に思考を鎮めようと呼吸を整えていく。
「我慢の音がするわねぇ戦巫女ぉッ!私相手に余力を残せるだなんて、なんて傲慢な考えなのかしらぁッ!!」
その獣を解き放たんと白翼族がアオザイを振り乱し、上下左右から打撃の嵐が私の躰を貫こうと牙を剥いた。
白翼族独特の戦闘の間合いから繰り出される蹴りは、一見浮遊し続けている為に威力を低く見積もりがちなのだが、要所で何もない空間に魔力の床や壁を作って受け手の予測を覆す動きをしてくる事がある。
例えば、踵を落とした直後の地面に跳ね上がる魔力の床を作ると、踵を避けて安堵した直後の受け手に強烈な蹴り上げを見舞う事ができる。
蹴り上げられた受け手が追撃を警戒し、顔のガードを固めたところを後ろ回し蹴りで土手腹を抉り取る。大概の受け手は、このような通常接続し得ない打撃コンボを浴びて脳が思考を放棄するだろう。
ソレイユ様とは違う、しかし厄介さはほぼ同格な連撃。
勿論ソレイユ様同様に、魔力を用いた戦術なので私には通用しにくい。設置した床や壁を私が都度破壊するので、想定している動きを私は無意識の内に阻害し続けているのだ。
「魔力の乗せ方が甘いですよ?ほら、足先だけに魔力を集中させてください。そうすれば、私の躰をへし折るくらいはできるようになりますよ」
「こん、のッ!調子にーー」
余裕がない人間のような言葉選びをする癖に、態度はまだ余裕があるように見える。
ならば白翼族様の心の余裕、崩していきましょうか。早く対処しなければ、今ある足場が地上に落ちたら私以外の命が危うくなってしまう。
「ですが無理でしょうね。白翼族様は、今も自分が負っているダメージを反転させる事に集中していらっしゃる。私の反撃を恐れ…即座にダメージを回復できる分の魔力を常に蓄えている」
ピクリと、幽かに白翼族の目元が動いた。
規則正しかった呼吸は僅かに乱れ、キレのあった脚さばきは鈍さが垣間見えるようになった。どうやら私の指摘は図星だったらしい。
嘘がつけない私だからこそ解る。人間は図星を突かれると、無意識の言動に本心が表れるものだ。
苛立ち、焦り、恐怖。これらはパフォーマンスを著しく下げる要因だ。どれだけ戦闘に長けた人物でも、平静を保てないと本来の力が発揮できない。
逆に言えば、戦闘中に相手の感情を揺らすように立ち回れば優位に立ち回る事ができる。…個人的にはあまり好まない戦法ではありますが、相手によっては戦術を選り好みしません。
白翼族はまだ、感情が僅かに揺れているだけ。心の鎧はまだ半脱ぎ状態だ。
ならば白翼族の心の余裕を食い潰すまで、白翼族のタロットの秘密を暴露させていただきます。
「正確には、ダメージを反転させ続ける膜を全身に張り続けなければ、白翼族様は意識を保ち続けられない。痛みを感じる時間を先延ばしにする麻酔を打ち続けているようなものでしょうか」
乱れた蹴りのコンビネーションの間を縫うように、私も拳を差し込み始めていく。
防御すら許されない脚技乱舞と言えど、結局のところは1対1の格闘戦。最初こそ驚いたものの、いくらタロットの力で威力を倍増させたところで、攻撃をもらわない方法などいくらでもある。
故に…甘く入った攻撃は、浄化の拳で鋭く返させていただきます。
「確かに先ほどの戦闘と比べ、白翼族様の脚に溜まった魔力は極まっています。しかし本来、魔術使いたちは魔力を練る時間をそれなりに掛けて戦場に立ちます。回復魔術など、その最たるものの筈。それなのに白翼族様は…ほぼ時間を置く事なく再戦を挑んできた。粉砕した筈の軸足なんて、ほぼ完治しているかのように今も動かしていますからね」
足底の跡を私の服につけんと突き出し続ける脚を捌き、私は尚も言葉を続けていく。
拳が届かない安全圏から繰り出される前蹴りは、リーチはあるが動きが単純だ。故に、突き出された脚が次の動きに移る隙を狙って拳を振り薙いでいく事だってできる。
「即席の魔力はタロットで補うとして、問題はそのタロットが持つ魔力の性質。今の拳のように、ダメージは与えたのに同等程度の回復もほぼ同時に行っている。実は先ほど、私の恩恵を僅かに纏わせた小さな砂粒を弾いた際の反応を見させていただいたのですが、とても興味深い反応を示していました」
顔に、腹に。拳を捻じ込みながら、少しずつ言葉で白翼族を追い込んでいく。
鍛えた肉を柔らかくする感触に合わせ、湿った悲鳴を吐き出す口。ーーその実体験をした白翼族の纏う空気が、大きく変化した。
「先ほどの拳は、私の恩恵で白翼族を癒した結果です。不思議ですね?私の拳が触れた箇所は超常的な速度で癒える筈なのに、逆にダメージになっているなんて」
「さっきから黙って聞いていれば、分かったような口で勝手に私の恩恵を語らないでほしいわねぇッ!!」
勢いよく飛び出してきた白翼族だったが、私にひと蹴り浴びせる事すら叶わなかった。
それどころか、今までは気持ちよく私を蹴る事ができた筈の一撃が軽々と躱され、忌々しく思っているだろう私の拳が躰に捻じ込まれていく。
薙いだ裏拳で態勢を大きく崩した白翼族の無防備な腹にめがけ、人体を貫くつもりで拳を突き出すと、体内で内臓を跳ね上げられた白翼族は口から赤く液体を零した。
常人であれば直視できない過剰な殴打の数々を叩き込まれ、いよいよ白翼族の感情の堰が切られたらしい。血走った眼からは、私への殺意以外の感情が消え失せていた。
「それに…私に拳を当てられるようになったからと言って、調子付いてもらっては困るわぁ!この場で優位に立っているのは私、戦巫女じゃないのよぉッ!!」
けれども、まだ追い詰め足りない。決定的な一撃が、拳も言葉も足りない。
白翼族の言う通り、まだ私は劣勢に立たされたままなのだ。
落ちる足場、迫る地上。白翼族は自在に空を飛べるが、私以外は地上に叩きつけられて命を落とすだろう。
これを改善する為には私が白翼族を早々に伸し、対策を考えなければならないのだ。焦らない訳がないーー。
「はいストップ。女教皇ちゃんの悪い癖だね、一度頭を冷やそうか」
パンと、柏手を打つ音がした。
全ての物事を俯瞰している神様のように、静かな物言いで私の動き回る心を鷲掴みにされる。
「確かに、状況は彼女…“吊るされた男”ちゃんに優位だろう。ボクたちは無策で地上に落ちれば生還できる保障はないし、“吊るされた男”ちゃんの狙いも同じ筈だ」
分かりきった話を今更整えなくても、と声を上げようとして…“ヤツヨ”様が言いたい事を理解した。
焦りは油断を生み、瑕を見落とし、得られた筈の成果を零していく。私は今、何かを見落としているのだ。白翼族すら見落としている、状況を逆転できる何かを。
「あぁ、“吊るされた男”ちゃんも。たった今、女教皇ちゃんがネタばらしをしてくれたから、キミの持つタロットが何故バレたという疑問はよしてくれたまえよ?そも、ボクには超越物質の能力を看破する知識があるーーという台詞は、キミに言うのは初めてだったかな?」
「何よそれ、一度力を見せたら能力を見破ってくるとか反則じゃなぁい?」
「反則も何も、超越物質についてはただの知識だからね。法則を見破ったくらいで反則呼ばわりは感心しないなぁ」
知識も使い方次第です、とは口が裂けても言えない雰囲気に思わず溜息をつきながら頭を振ってしまう。
それと、確かに白翼族が襲撃してくる直前にそのような話をされていましたが、何故今になってその話をするんですかーー。
一瞬だけ、私から白翼族の意識が逸れた事で。話を振り返ったおかげで、私は気付く事ができた。状況を逆転させる事ができるかもしれない一手を。
問題はどうやって活用するかだが…“ヤツヨ”様はその方法を考える時間までは流石に稼いでくれなかった。
「残り数十秒の空の旅は、そろそろ終わりを迎える。お互い悔いの残らないよう、死力を尽くして戦ってもらおうじゃないか」
焦らせるだけ焦らせて、一体何がしたかったのかと問い詰めたい気持ちはあるが、今は白翼族にトドメの一撃を見舞う方が先だ。
“ヤツヨ”様の言う通り、悔いの残らないよう全力で最善の結果を掴めるよう努めなければ。
ーーところで“ヤツヨ”様、戦場に出しゃばっておきながら自分は戦わないおつもりですか?




