第4章58「反転した世界で吊るされた女が見た光景2」
文字通り完膚なきまで叩きのめされ、自尊心も粉々に砕いた筈の白翼族が。血走った眼力で射殺すつもりで私を見つめている。
アオザイが振り乱れるのも構わず殺意を乗せた白い脚を乱舞させ、私の躰をへし折らんとする様は、この場にいる他の人間など興味がないかのようだった。
「ぎゃわぁ!!ただでさえ狭い地面がもっと狭くなったぁ!?」
「ちィッ、手を取り合えって強制的にかよ!底意地悪いぞお前!!オイ、土術が使える奴いねェのか!?」
「残念ながら絶賛気絶中だ。赤ずきんのキミ、今から起こす事はできるかい?」
「あたしのみずでちからをぬいてるから、とうぶんはおきないわ。そもそも、このおんなをおこすめりっとをあたしはかんじない」
「…との事だ。土兵は上からボクたちの後をついてくるように次々飛んできているみたいだが、過度な期待はできないね」
ブーイングの飛び交う外野もなんのその、白翼族は構わず私だけを蹴り殺さんと脚を振るい続けていく。
避ける度に地面が抉れ、壁が崩れ、安全地帯が無くなっていく。ただでさえ落下し続けている空間を壊し、更に狭めていく様を見るしかできない観客は生きた心地がしないだろう。
さて…従来リベンジマッチとは、示された実力差を埋めた上で申し込むものだ。
敗者が勝者に追いつく為にはいくつもの課題があり、一つ一つの課題を克服する為に多くの時間を費やされるべきであり、差を埋めるという行為に近道を求めるべきではない。
これらを克服できなければ強者に到底敵う筈もないし、間違った知識を展開させた脳が理解するまで拳を再び叩き込むつもりだった。
(先ほどの戦いより、隙がありませんね)
私の拳は、白翼族の躰を捉えるどころか、打たせてもらえずにいた。
これは単に“ヤツヨ”様の話に気を取られて先手を譲ったからではない。浄化の恩恵をもってしても対処しきれない、強大な力を攻略できていないからだ。
とはいえ攻略の糸口は見つかっている。私の恩恵で浄化しきれなかった戦闘には、心当たりがある。
その一つが、カケル様を襲おうとした際に顔を合わせたファルス司祭との戦い。タロットを使用した直後の攻撃で、私の手を一度消し炭にされかけた苦い思い出が蘇ってきた。
(ファルス様が力を解放させた時と同じ威圧感が、この白翼族の脚から伝わってきます。単に避けるだけなら何も問題ありませんが…反撃が難しすぎます)
ひたすら影に潜りながら死角から飛んでくるソレイユ様の蹴りとは異なり、攻撃の速度は大して気になるものではない。
しかし白翼族の蹴りは、側頭部、首、胸、軸足など上下に打ち分ける打撃の精度もさることながら、一撃がひどく重い。
タロットの持つ魔力を脚に乗せているからと言われればそれまでだが、やはりこの説明だけでは不可解な事がある。
それは、先の戦闘で確実に粉砕している白翼族の骨では繰り出せない筈の威力、そして挙動。まるで怪我など負っていなかったかのような素振りは、いくらタロットから魔力を融通させていたとしても即座に改善されるものではない。
(タロットによって、私のような浄化の恩恵に目覚められた?ですがダメージは中途半端に残っているようです。…くっ、好き勝手蹴ってくれますね)
攻撃の隙を窺うべくガードする腕ごとへし折りに来ている白翼族の脚は、浄化の恩恵を必要以上に使わせられていて、確実に私の体力を削っている。
当然ながら浄化できる私の魔力が尽きたら形勢は一気に白翼族に傾くし、敗走すら許さないだろう。背中を見せれば即座に躰を蹴り砕いてくるに違いない。
とはいえ…私以外が真っ向からこの蹴りを浴びれば、白翼族が飽きるまで体液を吐き出し続ける噴水人形となっていた事だろう。
戦闘の適材適所とは口が裂けても言わないが、白翼族の興味が私一人だけで済んで良かったと心底思った。
「空の旅から随分早いお戻りでしたね。ちょうど貴女様抜きでタロット談義をしていた所なのです、貴女様も今から加わりませんか?」
「楽しそうなお誘いだけど断らせてもらうわぁ、今は戦巫女をぶちのめす姿を想像する方が楽しいものぉッ!!」
骨ごと踏み潰した筈の軸足で踏み込み、回転のエネルギーを味方につけた白翼族の上段蹴りが私の顔を連続で弾く。
踊るような脚の連続回転にガードが間に合わず、何発か被弾してしまう。その内の一発が口の中を傷つけたらしく、蹴られた勢いで噴き出した赤い液体が宙を迸った。
まるで別人が憑いたかのような蹴りの練度、思考を読んでも簡単に裏をかかれてしまうだろう緊張感が、“ヤツヨ”様の横槍ですっかり萎えてしまっていた私の戦意を瞬く間に復活させる。
浄化によって傷が綺麗に消え失せたにも関わらず尚も頬に残る熱、ゴキリと死の音を立てた筈の骨が元に戻る快感が、戦場での命のやり取りを久々に思い出させてくれた。
「ほら出しなさいよぉ、戦巫女のタロットをさぁ!ほらぁ!ほらぁッ!!」
白翼族の脚が、私の顔を捉え始めた事で更に唸りを上げる。
二度目、三度目の快感を欲し、執拗に急所を蹴り抜かんと振り抜く脚が加速していく。
多腕種の振るう剣舞の如く、鋭い軌道で私の躰を痛めつけてくる。
ソレイユ様以上の格闘センスを惜しげもなく披露する様は、確かに称賛に値する。順当に技を磨けば若くして達人の域に軽く手が届くかもしれない。
それでも、白翼族が私の格闘技術を上回る事はなかった。その証拠に、首の骨を折らんと振り抜いてきた脚に合わせて顔に一発食らわせてやった。
「こんなまぐれ当たりーーおぐォッ!?」
二度目は通用しない、は私の台詞だった。
観察の時間もあったし、攻撃を何度も浴びせてくれたのだ。癖を見抜いたり思考を予測する事くらい造作もない。
脳天をかち割ろうと振り上げた白翼族の脚を空振らせ、懐に一気に潜り込んで鳩尾を突き上げた。
白翼族の躰がくの字に折れ曲がり呼吸が止まった一瞬を見逃さず、二度、三度と同じ鳩尾を突き上げて床から白翼族の軸足を引き抜いていく。
防御の為に締めた腹筋を強引に緩め、完全に軸足が引き抜けたのを確認した後は、首輪代わりにつけている戒めの鎖を引いて沈んできた顔に向けて膝を叩き込んでやった。
よほど意表を突いた攻撃だったのか、それとも顎骨を砕いた衝撃が脳を強く揺らしたからか。
まともに膝を受けた白翼族は瞬間的に意識が飛んだらしく、受け身を取ることなく地面に顔を張り付け、真っ赤な花をその場に散らした。
「私のドレスにこんな大きくて素敵な赤いスタンプを押していただき、ありがとうございます。折角なのでもっと押していってくださいね、台紙はこの地面一帯です」
「こ、んのぉ…!」
しかしまだ私を睨む眼は殺意に満ちていた。よほど膝の一撃がお気に召したのだろう、歯軋りまで聞こえてくる。
ーー歯軋りを聴いた瞬間、私は油断なく這いつくばった白翼族の頭を踏み潰さんと足を振り下ろした。
「あっぶないわねぇ!」
私の殺気に反応し、咄嗟に身をよじって躱される。
もちろん回避行動は読めていた、音速程度の踏みつけは簡単に避けられて当然なのだ。そのように攻撃速度を調整したのだから。
だからこそ、脳内に浮かんだ疑問符は確信へと変わった。白翼族のタロットは、反転させる能力だ。
(ダメージを反転させて無理やり回復させている、と見るべきですね。動きや技のキレが良くなっているのは、恐らく弱体化の魔術を自身にかけているから。成程、プリシラ様との相性は最悪ですね)
地面を踏みつけた時にばら撒いた砂の粒に魔力を一時的に纏わせて飛ばし、敢えて傷口を浄化させてみた結果…その粒が触れた箇所のみが薄いながらも内出血を起こしている。
勿論私は魔力を放出できない体質だし、無理やり纏わせたものを放てば加速度的に帯びた魔力の質は落ちていく。恐らく白翼族も知覚できない程の魔力量だった筈だ。
それでも、浄化の恩恵を纏った砂粒は白翼族の脚を傷つけ、傷を浄化した。私が打撃を打ち込む時と同じ要領で、砂粒は白翼族の躰を浄化した筈なのだ。
にも関わらず内出血を起こしている矛盾は、あらゆる事象を反転させている魔力を纏っているからに他ならない。傷つけるものを癒す力は、逆に癒すものを傷つける力に変換するという事だ。
要するに、あの白翼族に有効打を与えられるのは私一人。それ以外の人間は、可能なら安全圏まで遠ざけたい所だ。
「ーー戦巫女、何に気が付いたのかしらぁ」
私の僅かな視線の動きに、何か悪いものを察したらしい白翼族。
最初こそ気持ちよく脚を繰り出せていた白翼族も、表情に焦りが隠せていない。
「私から視線を逸らした瞬間があったわねぇ。なぁに?怒らないから教えてほしいわぁ」
気が付く筈がない、ハッタリに違いないと、表情に大きく書き殴っているのが解る。
しかし白翼族様は聞き方を間違えた。よりにもよって、私に対して質問が致命的に直球すぎた。
「確かに私は白翼族様の力の正体を見抜きました。えぇ、嘘をつけない私の体質に誓って正直に答えましょう」
愛用する黒い手袋をキュッと締め直し、拳を開閉させながら白翼族を正面から見据える。
たったこれだけで、白翼族の眼に宿る殺意が更に強くなった。白翼族のタロットが持つ魔力を更に引き出す幻聴が、こちらにも聞こえてくるようだ。
「その上で訊ねましょう。白翼族様の命、ここで散らす覚悟はできていますか?」
「上等よぉ、私の力を本当に見極められたかどうか…命懸けの答え合わせをしてあげるわぁッ!!」
吼えるように叫び、翼を広げながら白翼族が吶喊してくる。
今の彼女の脚をまともにもらえば、浄化の恩恵で回復できる私ですらタダでは済まないだろう。
けれども白翼族は選択を間違えた。その過剰に宿した魔力を、私相手に向けるべきではなかった。
タロット持ちを相手にするのはこれが初めてだと、白翼族は思っているのでしょうが…。私、想像以上に修羅場をくぐっているのです。




