第4章57「反転した世界で吊るされた女が見た光景1」
天空闘技場の吹きさらしの通路一区画分が、風術に斬り落とされて自由落下している。
そう思わせる証拠に、外の暗い空に浮かぶ雲海までの距離が近くなっているし、この場にいる人間の多くがスカートを穿いている為、流れ込んでくる風の所為で激しく音を立ててはためいている。
特にスカート丈の短いプリシラ様は大変だろうと目をやると、もはや隠す事を諦めているらしく水の珠を外套を羽織るように展開させて風を凌ごうとしていた。
(身に付けられている赤ずきんも一緒に飛んでいかないようにする為と考えれば妥当かもしれませんが…。風術と水術の相性の悪さからすると、この後の光景が目に見えるようですね)
案の定、展開していた水の外套はあっという間に形が歪に膨らんでいく。その拍子にいくつかの水珠は吹き飛び、術者であるプリシラ様の操作範囲から離れた珠たちが空中で破裂する。
並大抵の水術であれば、あっという間に幕の欠片すら残さず吹き飛ばされている筈だ。しかし水珠たちは、未だしぶとくプリシラ様を守ろうと纏わりついている。
それどころか「外套がダメなら球体の中に籠れば良いじゃない」と水牢を作り出し、自らを閉じ込めてみせた。…眉間に皺が寄りそうな光景を目の当たりにして、思わず溜息が漏れてしまった。
小さな水珠を集めて壁にしても吹き飛んでしまうなら、大きな水珠の中に入れば良いって訳じゃないんですよプリシラ様。ある程度水術で水珠の位置を操作できるとはいえ、断絶した水中でどうやって呼吸するつもりなんですか。
「とりあえず二人の戦意が引いただけでも善しとしようか。では改めて、ボクと少し話をしよう」
善しとしないでください、目の前で起きている奇景に呆れて二の句が継げないだけです。
セレディア様も同様に「なんか白けたわ」と力を解いて元の姿に戻ってしまう始末ですし、やり場をなくした私の戦意をどこにぶつければ良いのでしょう。
「そっ!その、その前に!!」
戦闘を遮られて悶々とする中、物申したい事があるらしい太陽の国の村娘が唐突に手を上げた。…物申したいのは私もなのですが?
思わず私怨を籠めた視線を送ってしまうと、「ひゅっ」と声にならない悲鳴が村娘から上がった。…いけません、先に手を上げたのは村娘なのですから今は我慢です。
「失礼しました、続けてください」と咳払いをしつつ言葉を譲るも、「殺されるぅ…戦巫女に目をつけられましたぁ。今日がエステルの人生に終止符が打たれる日ですぅ…」といじける始末。やはり一度殴っておきましょうか。
「ボクに言いたい事があるんだろう?言ってごらん?」
改めて“ヤツヨ”様が水を向けた事で、私が口を挟む余地がなくなってしまった。同時に「威嚇は少し控えてもらおうか」と、ちらりと私に視線を送られる。
仕方ないので、不完全燃焼を起こしている不満を心の中に押し込んで成り行きを見守る事にした。
「さ、さっきのわたしの風術…鋭すぎなかったですか?一部だけとはいえ、あの天空闘技場を斬っちゃうとか考えてなかったんですけど!?」
「大丈夫、ボクはそのつもりで考えていたし指示したから。お陰で謎の空中浮遊能力を持った建物から離れられたよ、ありがとう」
「わたしの風術強化の謎、結局何なんですかぁ!?ダメダメこのままだと皆で落下死しちゃうぅぅううう!!」
…会話を見守った結果、より展開が混沌としてきた気がします。まぁ、私は浄化の恩恵があるので最悪私だけ生還できるとは思いますが。
それはそうと、敵国の村娘と言えど何の説明もなく武器を振り下ろさせたと?一手間違えれば最上級の心の傷になり得る行動を、ただの一般人に強いたのは看過し難いのですが?
一度は引っ込めた戦意が徐々に漏れ始め、「ぴぃっ」と村娘から再び悲鳴が上がる。…小鳥か何かですか貴女様は。
「で、オレたちに何の話があるって?ロクでもねェ事だったらお前から殺すぞ」
セレディア様もまた、会話に置いていかれた者として苛立ちを隠さずに“ヤツヨ”様に視線を送る。
実際に拳を振るうかどうかはさておき、話を聞く為の停戦である事には変わらないので私もセレディア様に追随した。
「威勢の良い御託は結構だ、“力”ちゃん。過剰な力を注がれた所為で正常な思考まで溶けたとは、まだ思いたくないんだけどなぁ」
「……テメェ」
挑発めいた第一声に、セレディア様の額に青筋が浮かぶ。
会話をいなされたから、ではない。先ほどまで使っていたタロットの種類をズバリと言い当ててきた事に対してだ。
この世界において他人の恩恵を解析し詳らかにする事は、一種の宣戦布告と受け取られる。
暴露された切り札は、同時に弱点も露呈する。たとえ味方であっても、よほど心を許した相手でなければ情報を開示する事は有り得ないし、敵であれば尚のこと攻略にかかるだろう。
私の浄化の恩恵とて、この理屈は変わらない。自分の恩恵の詳細を伝える意味は、想像以上に重いのだ。
しかし“ヤツヨ”様はそれをあっさりと、見せつけるように踏みつけてきた。まるで、自分にされた事をそのまま返したかのような気軽さだ。
「この通り、ボクにはキミたちが所有している超越物質の能力を看破する知識がある。キミも片鱗くらいは、ボクとの会話で感じたんじゃないかな?」
「チッ、慣れない問答なんてするんじゃなかった」
後悔の舌打ちをするも、セレディア様自身の怒りが和らぐ訳ではない。髪を乱雑に掻きつつ、セレディア様は努めて冷静に言葉を絞り出した。
「確かにオレは“力”のカードを押し付けられた。例の部屋にぶち込まれた時に無理やりな」
「つまり他の人間もキミと同じように超越物質を押し付けられた…そう解釈して間違いないかな?」
「だろうな」
自分の情報をくれてやるから私たちの情報も寄越せ、という事ですか。成程、考えましたね。素直に応じても良いですが、さて…。
そんな視線をプリシラ様に向けると、自分を覆っていた水の珠を器用に顔だけ解きながら会話に参加し始めた。
「あたしももらったけど、まだつかってない。うまくつかいこなせるきが、しなかったから」
「ほう?使いこなせる気がしなかった、ね」
興味深いと言わんばかりに腕を組む“ヤツヨ”様は、続けてこちらに視線を向けてくる。
私も答えろと言外に圧をかけられ、溜息をつきながら期待に応える事にした。
「私もです。そもそも私の場合は、タロットが使えるかどうかも怪しいですね」
「確かに。キミの場合、超越物質が順応するかどうかも怪しい。使わない理由としては、連続戦闘が見込まれる今の環境じゃ妥当だろう」
「…………」
これが私の浄化の恩恵を把握した上での発言なのだから、尚のことセレディア様の怒りが理解できてしまう。
故に、違和感にも気付く事ができた。僅かに私が目を細めた事も、“ヤツヨ”様はどうやらお見通しらしい。
では私の疑問に答えてくれるか…と期待した視線を向けたものの、これは躱されてしまった。“ヤツヨ”様の視線は、村娘に既に向けられていたのだ。
「えっと、これは自己申告しないとダメな流れ…ですよね?」
「勿論。“力”ちゃんのご機嫌を損ねたくなかったら、回答を拒否してもらっても構わないよ」
「もし断ったらまた助けてくれて……くれたりは、しませんよねー」
火を見るよりも明らかな問答は避けたいんだけどなぁ、と表情で訴えている“ヤツヨ”様を見て、「分かりましたよぉ」と拗ねたように村娘が溜息をついた。
「わ、わたしは“運命”を。これ以上は、ちょっと…」
「キミにとっての幸運が舞い込む、文字通りの運命操作だろう?さっきの風を使ってボクと上手く距離を取るつもりだったかもしれないけど…残念だったね。その程度の幸運ならボクにも備わっているんだ」
「やだやだ近い近い怖い怖いぃ!勝手にわたしのタロットの能力をばらさないでくださいぃぃ、それと圧をかけないでくださいぃぃぃ!!」
この期に及んで情報を隠そうとした罰に、村娘が目を白黒させる。…必要以上に顔が近い気もしなくはないですが、害は無さそうですし割って入らなくても良いでしょう。
ただ、“ヤツヨ”様の言葉通りに受け取るのなら、幸運操作は非常に厄介な性質だ。何せ、術者の思惑の外から突如降って湧いてくる要素は計算のしようがない。
可能なら敵対はしたくないですが、タロット所持者である限りいずれは拳を交える事になるでしょう。穏便に事が済ませられる方法があれば良いですが…。
「ちなみに、赤ずきんの少女に伸されたそこの彼女からは“戦車”の気配を感じる。駒を作る事に特化した能力だね」
「駒を作る…ですか」
さて、問題は土兵に抱えられていた女…確かカノン様でしたか。ウルスラ様の腹心の部下で、土術を使った無限の武器製造ならびに卓越した剣技は厄介だと噂されていた方ですね。
そもそも土術とは、水術より精巧かつ強固な武器を鋳造する事ができ、他の魔術には存在しない防御の性質が備わっています。
中でも土兵のような重厚な戦士を造る事ができるのは土術の最大の長所であり、土兵が造れる人間は土術使いでも上澄みの部類。そして土兵は術者の思考の分身とも言われ、喉から手が出るほど皆が欲しがる魔術です。
戦士として戦わせても良し、身の回りをサポートする世話役として使っても良し。ウルスラ様が召し抱えるのも頷けます。
しかし、プリシラ様の水術とは致命的に相性が悪すぎる。殴れば殴るほど弱体化させられる水の得物は、土術の天敵とも言えます。
他の水術使いでは再現できない彼女のみの特徴、カノン様をはじめとした土術使いたちにとってプリシラ様は目の上のたんこぶだった訳です。
プリシラ様に伸された話は納得しかありません。グッジョブです。腹心の部下を下されたウルスラ様は是非とも泡を食ってもらいたいですね。
「……と、キミたちの超越物質の内訳はこんな感じか。赤ずきんのキミが持っている超越物質の正体がまだ解らないのが残念だが、お互いの戦力把握はできたと思う」
「待てやコラ、オレは納得してねェぞ!」
勝手に話を締めようとされる“ヤツヨ”様に、セレディア様の第一声を皮切りに私たちも一斉に身を乗り出した。
「第一お前は何のカードを持っているんだ!オレたちの情報だけ派手にぶち撒けておいて、お前だけ情報を隠すのは不公平だろうがァ!」
「そっ、そうです!わたしのタロットの情報を勝手に丸裸にしたくせにぃ!!」
「お二人の不満に便乗する訳ではありませんが、私も納得していません。プリシラ様も同様だと思います」
「うん。いくさみこのいうとおり、あたしたちはまだあなたをしんじられない」
やいのやいのと野次が飛び始める。さながら、勝利を見込まれ大金が積まれたにも関わらず呆気なく敗退した闘技者に向け、「金を返せ!」と掛け金を毟り取られた観客らが浴びせる罵声のようだ。
それでも“ヤツヨ”様は怒鳴り返すでもなく、耳を塞ぐでもなく。ただ毅然と、私たちの野次に向かい合った。
「信じられない、か。そういえば女教皇ちゃん、少し前からボクに視線で訴えていたね」
受け止めるべき不満はしっかり受け止める。その姿は、まさしくフローア村の教会…クライムハート教会で見せた“ヤツヨ”様そのものだった。
故に、違和感がより鮮明になった。否、より確信できた。
“ヤツヨ”を騙る人間が、存在するという事実に。
「女教皇ちゃんの疑問に答えてあげたいところだけど、残念ながらタイムアップみたいだ。キミたち、死にたくなかったら今は手を取り合って迎え撃つ準備をしたまえ」
糾弾したくても、私とプリシラ様の口は強引に塞がれてしまった。
物理的に、突如土壁を蹴破ってきた白い脚に襲われたからだ。
「ハァァイッ!!元気してたかしらぁ戦巫女ぉ、遊びに来たわよぉッ!!」
“ヤツヨ”様の言葉が終わるのを待っていたかのように。私たちの意識が戦闘から離れきったタイミングを狙っていたように。
もがれた白い翼を生やし直し、目を血走らせながら。蹴撃の天使はリベンジマッチを申し込んできた。




