3-12
「アヴァ、朝だぞ」
「……うん」
いつもと違い、目覚めの遅いアヴァにブラムは声を掛ける。昨日、蘇生が出来なくなってから、アヴァはそのまま寝具に座り込んだままだった。声を掛ければ返事はするし、食事も取ってはいるのだが、動きはどことなく緩慢な様子で、これまでとは異なっていた。
笑わなくなったことと関係があるのか、ブラムは考えを巡らせていたが、それもすぐに投げ出して、今は違うことを考えている。アヴァに関わること、という点では変わらないが。
「まだ眠いのか?」
「そういうわけじゃないの」
ブラムが怒っているとでも思ったのか、アヴァは体を起こした。しかし、その瞼は重そうでトロンとしている。
「体調が悪いなら言ってくれ。無理をさせたいわけじゃないんだ」
「どこも悪いところはないよ」
アヴァは心の底から、というには感情のこもっていない声ではあるが、そう思っているようだった。ブラムには、アヴァがどのような状態であるのか想像もつかないため、今のアヴァの見ているもの、感じているものが全くわからなかった。考えていることに、同意してくれるかも。
「アヴァ、提案があるんだが」
「なに?」
「ここから、逃げないか?」
それは、ブラムにとって当然の思考であった。元々、アヴァに害が及べばここにいるつもりはない。それは、プラット達にも言っていたことである。
今のアヴァは、直接的に害を受けたわけではない。しかし、度重なる蘇生という行為が現状を導いたと考えるのは自然だし、そうとしか思えない。つまり、間接的に、ここにいたせいで害を受けたのだと考えられる。
「ここにいても、幸せはない」
「美味しいご飯も寝るところもあるのに?」
ブラムは言葉に詰まる。確かに、野宿などに比べれば、きちんとした寝所があって、更には準備しなくとも食事も得られる環境など、それだけ見れば最善であろう。しかし、それは生きるための最善であるし、実際にアヴァがこうなってしまう悪い点もある。
「それがあれば幸せなのか?」
「わからないけど、そうじゃないかな。お兄様は、幸せじゃない?」
「ああ。俺は、アヴァが幸せにならないと意味がない」
「わたしは、幸せじゃないのかな?」
「お前はどう思うんだ?」
「どうかしら。わからないわ」
会話の内容がおかしいわけではない。だが、ブラムはいつものアヴァと違うところを、ひしひしと感じてしまう。そして、会話の節から、ブラムはアヴァが陥っている状況に、目星をつけた。それが正しいのか、試してみる。
「アヴァ、なにか、楽しいことを思い出してみてくれ」
「楽しいこと? 孤児院での日々は楽しかった。と思ったけれど、思い出してみるとそうでもなかったかもしれない。なんてことない、普通の日々だったわ」
「なら、悲しいことは。フィンのことはどうだ?」
「フィン。ねえ、わたしは、どうしてあそこまでフィンを大事に思っていたのかしら。生きるために、邪魔でしかないのに。昔、エフィーがいなくて、あの子に話しかけていたこともあったけど、そんなの変だわ」
「……そうか」
ブラムは、自分の考えが正しかったことがわかった。さっき、幸せなのかという質問に対して、アヴァは幸せがわからない、自分が幸せかもわからないと答えた。わからない、という答えが、ブラムには理解できなかった。自身の感情なんて、その当人しかわかるはずがないのだから。
アヴァは笑顔を忘れたわけじゃなかった。なら、なぜ笑えないのか。それは、もしかして、感情を失ってしまったからなのではないか。確認のつもりでした話からも、それは感じられた。
楽しい日々を思い出したのに、それがそうではないように思えてきていた。フィンのことも、なぜ大切にしていたのか、その理由がわからなくなっていた。つまり、好意を忘れ、聞きたくもない言葉を聞かされた。
感情を失う。これは、本当に力を使ったから訪れたのだろうか。そんな病があったとしても、おかしくはない。状況から考えれば、力を使ったせいだとしか考えられないが、それでも、まだ未知の病の可能性だってあるのかもしれない。あるいは、病でも力でもない、なんらかの理由が。
ブラムは、多くのことを知らない。また、この世界の番人に共通する常識というものも存在しない。だからこそ、ブラムはある程度の想定をしなければならなかった。
「フィンは、頭が良いからな。アヴァの助けになると考えたんだろう」
「そういえば、そうね。あの子は頭が良かった。囮にもなってくれたし、連れていた意味はあったわね」
ブラムは何も返さなかった。返す言葉が見つからなかった。返したところで、更に返ってくるかもしれない言葉が怖かった。
感情を失った。考えて辿り着いた結論であり、アヴァの様子とも整合性のあるために、ブラムはそう捉えることにした。原因については未定だが、蘇生の濫用が最も要因として考えられるものと置いている。しかし、その結論が恐ろしいものであるというのが、アヴァとの会話で実感させられる。
孤児院との日々は、ブラムにはわからない。楽しいものだったのかもしれないが、見てはいないからだ。だが、フィンは違う。アヴァが見つけ、初めて蘇生させた生き物で、これまで共に過ごしてきた友人だったのだ。それを、なぜ連れていたのか、そう言った。あまつさえ、察したブラムが理由づけをすれば、アヴァはあまりにも感情を排斥した答えを見つけてきた。
ブラムは、目の前にいる金髪碧眼の少女が、アヴァだとは思いたくなかった。
しかし、この状況を招いたのが自分であるという事実からは逃れようもなく、また、アヴァの兄であり守らなければいけないという事実からもそれは変わらず、今は夢よりも厳しい現実と向き合うしかなかった。
コンコンと、そこへ扉を叩く音がした。おそらく、プラットだろうと考えながら、ブラムは扉を開ける。いたのはやはり彼で、ブラムは部屋の中に招いた。
「アヴァの調子はどうだい?」
「おそらく、感情を失った。理解できるものでもないが」
「聞いたことがないね。一応、僕も考えてみて、病か単に疲れなんじゃないかと思ったんだ。ただ、信用できる薬師は探さないといけないし、疲れなら食べて寝ればどうにかなる」
「俺は、蘇生の影響だと思ってる」
「まあ、君としてはそうだろう。しかし、神の与えた力が、こんなことを引き起こすだろうか。俺らとしては、それを信じるわけにはいかないんだ。それとも、君は悪魔とやらを信じてみるかい?」
「どうでもいい。わからないことを考えても仕方ないだろう。手を出せることから、手をつけていかないと」
「それもそうだ。くれぐれも、ここから逃げようと思わないでくれると、俺たちは助かるけど」
「蘇生をする必要がないのなら、まだいい」
「もちろん。待遇も変わらないし、昨日の要望は進めているよ。今後も豪勢な食事を楽しんでくれ」
プラットはアヴァを一瞥し、そのときなにかを見抜こうとするかのように目を眇めたが、わかったのかわからなかったのか、そのまま部屋を出て行った。
アヴァの状態が、嘘だとでも思ったのだろうか。ブラムは、そう考えてから息を吐く。一体、いつまでこの状況が許されるか。蘇生を求める声は、増えていくばかりだろうに。
しばらくして、また部屋の扉を叩く音がする。長い間ここにいるせいか、その叩き方だけで誰が叩いているのかわかるようになってしまった。
「食事を運びにきました」
「どうぞ」
中に入ってきたのは、食事の載った盆を持った女性だ。最初の方からずっと、アヴァのお付きとして付き従っている女性だ。給仕のような役割をしているのは、アヴァが男性を恐れてしまうからだった。
「少し、聞いてもいいか?」
「はい。なんでしょう?」
初めはオドオドとした対応だった女性も、今では慣れきったらしく落ち着いた応対をしてくれる。ブラムは、人は変わっていくのだなと、自身を棚に上げてそんなことを考える。
「これまでアヴァの様子に、不自然なところはなかったか?」
「アヴァ様ですか? そうですね。しばらく前から、お元気が無くなっているような気はしました。ただ、聞いてみても、なにも答えてはくださらなかったです。なんでもないとか、大丈夫だとか、そう言うばかりで」
「……そうか」
声を荒げそうになって、ブラムはそれを抑えた。この女性は、なにも悪くない。むしろ、彼女が気づいていたのに、自分が気づかなかったことを責めるべきだ。彼女や騎士は、アヴァの警護役に努めているだけで、その他のことにまで責任は求められない。
「なにか、ありましたか? 昨日から、様子がおかしいようですが」
「いや、大丈夫だ」
「なら、いいのですが。その、失礼かもしれませんが、アヴァ様は妹のような、そんな方に感じられて。だから、なにかあったら、必ず力になりますので」
「妹か」
「あ! すみません! その、アヴァ様のご家族であるブラムさんには、やはりとても失礼なことですよね」
「いや、別に気にしてないさ。ただ、姉が多いなと思っただけだよ」
エフィーにしてもこの女性にしても、アヴァはやたらと妹のように思われるらしい。実際に妹だからなのか、そうさせるなにかがあるのか。どちらかといえば後者なのだろう。親しみやすくて、守りたくなるような。
あのとき、あの場からエフィーを連れてこれたのなら、もしかしたらこんなことにもなっていなかったのかもしれない。俺だけじゃなく、アヴァを守れる存在は、必要なのかもしれない。
ブラムは、自身の力だけでは、補えない部分があることを感じ始めていた。
「他にも、お姉様もいたのですか?」
「いないよ。……いや、いた。血は繋がっていなくとも、あいつはアヴァの姉だったんだろうな」
ブラムの知らない時間を過ごした人間。それは、エフィーに限らず、多くいるだろう。ただ、その中でも、ブラムもよく知るエフィーという人間は、特別な枠に収まっていた。あの場所での出来事は、悪い記憶とトラウマを植え付ける場所ではあったが、だからこそ深い絆のようなものも生まれた気がする。ブラムは、そう思い起こす。
「まあ、いいんだ。もしも、これからアヴァのことで気づくことがあれば教えてくれ。多分、俺以外でアヴァと一緒にいるのは、貴方くらいになるだろうから」
「わかりました。それでは」
女性は卓に盆を置いて、部屋を出て行く。
ブラムは、朝食を眺める。最初は量が多いだけだった食事も、今では料理の種類が増え、献立も考えられているようだった。何日かに一度は見たことのない料理を見る機会もあり、それが全て口に合うというわけでもなかったが、アヴァとの話題にはなるため、あえて止めはしなかった。
野菜、果物、魚、肉、清潔な飲料、見目麗しい料理。全て、アヴァが得たものだ。
アヴァが蘇生を行い、味方になった旅人や、少し離れた遠くの人々。そんな彼ら彼女らから、これらの食材などは提供されている。
これだけ多くのものを得たのに、アヴァは感情を失った。目の前のものが対価のように思えて、いつもはすぐに湧く食欲も、あまり湧いてはこない。空腹ではあるのに、手が伸びないといった感じだ。
「お兄様、食べないの?」
一方で、アヴァは卓についていた。そして、いつもよりも冷たい動作で、儀礼的に手を合わせ、義務的に口を運び、食事を楽しむ様子は見られなかった。ただ空腹だから食べる。それだけだ。
「いいや、食べるよ」
和やかな会話があるわけでもなく、味付けの薄く感じられる料理は、やがて全てが胃に収まる。しかし、満たされることのない食事だった。




