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アヴァ達が奴隷となって、数週間が経った。一日中暗い地下に篭っているため、アヴァは日付の感覚が曖昧になっていた。
また、ここで過ごす人々は、その多くが自分のことだけを考えるので精一杯であったため、アヴァとエフィーが一緒にいるうちに仲良くなるのは、必然とも言えた。
「子どもってのは恐ろしいね。すぐに順応できるってんだから」
「わたし、エフィーより年下だけど、子どもじゃないもん」
「子どもだよ。アタシより背も低ければ、胸も小さいしね」
「これから成長するの!」
「そうやってムキになるところが、ますますね。アタシはアンタのそういうところが、可愛くて好きだよ」
そんな風に気安い会話をしている2人だが、手には肉切り包丁が握られ、手元には血塗れの動物がいる。
アヴァはまだ幼く、行動が感情に左右されやすかった。動物も最初こそかわいそうだと思ったが、生きるためとなれば簡単に割り切ってしまえた。あるいは、その点に限り、感情が麻痺し始めていたのかもしれない。
「まあ、成長したらしたで、お兄さんを驚かせることはできるんじゃない? その頃には、お兄さんも変わってるだろうけど」
「そうね。いつか、無事に会えたらいいな」
エフィーの話によれば、男は外で山賊紛いのことや狩りをさせられるらしく、会うことは滅多にないとのことだった。女性はこの洞窟に閉じ込められ、外と接するのは、狩った獲物が届けられるときか、果物の配給のときくらいだ。
「強ければ生き残ってるさ」
「それは、ちょっと心配。お父さんに訓練されてたけど、そんなに長くなかったし。お母様も、大丈夫かしら」
「大丈夫よ。女の人なら気持ちいいことをしてるはずだから」
「気持ちいいこと?」
「そ。気持ちいいけど最悪なこと。本当に気持ちいいのかは、アタシも知らないけどね。話に聞いているだけだからさ」
「お母様は、なにをしているの?」
「知らない方がいいよ。ーーアタシも口を滑らせたって後悔してる。ほら、作業に集中」
「うん……」
アヴァは気になったが、エフィーが話したくなさそうだったので、問い詰めることはしなかった。それくらいの分別がつくようになったというよりは、言葉を不用意に、口から出すことを恐れていた。男に殴ると脅されたのが、過去のことだとしても、脳裏を過るからである。
「ーーさて、今日はこんなところかね。アヴァはどう?」
エフィーが、手元を見てからアヴァに訊ねる。時間の感覚がないため、ここで作業をしている人たちは、作業の進捗で時間を見計らっていた。
「わたしも、硬いところは無理だけど、ほとんど終わったと思う。これで大丈夫かな?」
「うん、まあ、いいんじゃない? じゃあ、体を洗いに行こっか」
作業を終えると血塗れの体を洗いに行く。体は、べったりとして乾燥しかけた血液や動物の毛が付着して不衛生だ。川の水が地下へ流れ出ている箇所があり、彼女らはそこから水を汲み体を洗う。
「今はまだいいけど、寒くなると辛いもんだよ。体が凍るんじゃないかって思うくらいだからね」
桶に両手を浸しながら、エフィーは細い息を吐いた。
体を洗い終わると、配給される食糧を受け取る。食糧はリンゴのような果実が一つと、皮袋に入った純水のみだ。彼女らの1日は、起床、解体、食事、睡眠の4工程のみで表せてしまう。
ずらりと気怠げに女性らは並ぶ。彼女らに残された気力は、ここに来ての時間と反比例していた。アヴァは配給を受け取って、離れた場所でエフィーを待つ。
「お前はこっちに来い」
「アタシ? なんかした?」
「いいから来るんだ」
しかし、その日の配給では、なぜかエフィーだけが果物を渡すときに呼びだされた。男は、視線をエフィーの上から下へと舐めるように流していく。アヴァは、それに対して強い嫌悪感と軽い吐き気を覚えた。
腕を掴まれ、エフィーが連れて行かれる。一瞬振り返ったエフィーは、心配しないでと目で訴えていた。
* * *
部屋に戻ったアヴァは、ネズミに果物の一部を与えていた。餌付けは毎夜、欠かすことなく行われ、それが功を奏したのか、とうとうネズミは逃げなくなっていた。その存在は、彼女が不安を聞いてもらうのに、壁と比べてみれば、かなり優れた相手だった。
「今日はね、エフィーが呼ばれたの。とっても心配なんだけど、わたしにできることはなにもなくて、とても辛いの。あなたなら、その小さい体で、どこにでも行けるのにね」
アヴァは、いつものようにネズミに話しかけながら、ウトウトと眠りに落ちかけていたが、近づく足音で覚醒した。
暗さに目が慣れているため、正体はすぐにわかった。赤毛、長いこと光を浴びずにいた白い肌、アヴァよりも幾分か痩せ細った手足。それが、高身長のためアンバランスだった。
「エフィー、良かった。酷い目には遭ってないみたい。でも、なんで呼ばれたの?」
「うん、まあね。ちょっとお邪魔するよ」
あまり歯切れはよくなかった。エフィーの表情にも、アヴァは痛々しさを感じる。慣れぬ相手に驚いたのか、ネズミは走って部屋から消えた。
「ふふ。まだ、怖がられちゃうか。……はい、これ、半分あげる。アヴァのおかげで、今までよりはこの生活が嫌いじゃない。だからそのお礼だよ」
エフィーに渡されたのは水が入った袋と、長いパンの半分だった。いつも食べる果物がジャムになって塗られており、生地は柔らかいようだった。
「これ、どうしたの?」
「……いつも頑張っているから、だってさ。半分あげる」
「でも、いいの? 嬉しいけど、エフィーが貰ったものなんでしょう?」
「いいんだよ。アヴァに感謝してるってのは本当だしね。ーーねえ、嫌じゃなかったら、話でも聞いてくれない? アタシのことも、知ってもらいたい気分なんだ」
なかなか訊くこともできず、話してくれることもなかったその話題は、アヴァにとっては願っても無い提案だった。姉妹のように感じ始めているがために、なおさらだ。
「感謝してるのは、わたしもだよ。エフィーがいなかったら、わたしはこんな生活に耐えられなかったもん。ありがとうね。それに、エフィーの話も、聞いていいなら聞かせて欲しいわ」
「アヴァーー。……わかった。じゃあ、話すよ」
アヴァは、初めてエフィーの弱々しい表情を見た気がした。なぜそんな表情をしているのか全くわからなかったが、アヴァは真剣に耳を傾けた。
「アヴァの両親は、とても素敵な人たちなんだろうね。話を聞いていて、いつもそう思う。でも、アタシは、自分の両親が嫌いなんだ。間抜けなんだもん」
「間抜けなの?」
「うん。商売に成功してお金持ちになったけど、そのせいで、お金を貸して欲しいっていう人が来るようになってね。父親は気前よく貸すんだけど、お金は一回も返ってこなかった」
以前のアヴァなら、会話の節々で、この言葉はどう言う意味? 商売ってなに? そういう風に尋ねていただろう。しかし、エフィーと会話を重ねるうちに、それなりの語彙力は培われていた。
「それは、酷い話ね。借りたものは返さないといけないって、お母様はよく言っていたわ」
「はは、やっぱりいいお母さんだね。でもさ、確かに相手も悪いけど、信頼できる相手を選ばないで貸す父親も悪いんだよ。アタシはそう思う」
アヴァは否定も肯定もせず、エフィーの話に耳を傾け続ける。
「だって、返ってこなかったのなら、それはそういうものだったのだ、なんて言うしさ。なにを余裕ぶってるんだって。そんなんだから、何回も騙されるんだって、何回言ったか忘れちゃうくらい思った」
エフィーの口振りは確かに嫌っているような様子だったが、その口調は心の底から嫌っているというわけでもないようにアヴァは感じた。
「もしかして、エフィーの家族もディルに騙されたの?」
「正解。その名前が出るってことは、アンタ達もそうだったんだね。あんな軽装の旅人がいるわけないってアタシは言ったのに、両親は信じなかった。本当に間抜けだよ」
「でも、それはきっとご両親が優しかったからできたのよ。全く知らない人を信頼できるのって、とても すごいことだと思うもの」
アヴァとしては、これは単なるフォローでなく心の底からそう思ったことであった。他人に優しくできるということは、アヴァにとって正義である。
「お人好しなんだよ。人の縁で成功できたって、口癖のように言ってたっけ。そのせいで、こんなことになった。きっと、アイツらも後悔してるよ。他人を信頼するんじゃなかったってね」
「ご両親はここにはいないの?」
「アヴァと同じだよ。盗賊仲間になったり、アンタのお母さんと同じことをしてるさ。そういえば、さっき訊いてみたんだけど、このパンや水も、解体したものや奪った金品を街に売って、その金で買って来てるらしいわ。アタシの父親も関わってるかもね」
エフィーは呆れたような、悲しそうな顔をしていた。
アヴァは、エフィーが両親のことを本当に嫌っているとは考えなかった。しかしそうならば、嫌いな人たちの仲間となっている両親をどう思うのか。それはわからなかった。アヴァには、兄がそうなっているかもしれないという考えが浮かばず、想像できなかったからだ。
そして、誰かに相談されるという経験に乏しかったアヴァは、悩んだ末にエフィーに抱きついた。
「ちょっと、いきなりどうしたの?」
「あのね、わたしが悲しいときにね、いつも、お母様がこうしてくれたから、わたしも、ぎゅーってしてあげるね」
エフィーは目を丸くしたが、理由を聞いて穏やかな表情を浮かべた。母親に抱きついた幼い時の記憶が、温かい光を伴って思い出される。
「……ありがとう、アヴァ」
アヴァはそのか弱い腕でエフィーを抱き寄せる。年上で、強くて頼れるエフィーの体はとても細くて、ちょっと力を入れたら折れてしまいそうで、アヴァは心許なくなった。
程なくして、アヴァの首筋に水滴が落ちてくる。それは、アヴァがこの地下で初めて触れる温かさだった。
* * *
それから、アヴァとエフィーは本当の姉妹のように仲良くなっていった。エフィーが追加の配給をもらう日々も長く続き、夜には一緒に寝るようになっていた。また、追加の配給は日々、その量と質が増し、確かに喜ばしいことではあったが、少し不気味に感じなくもなかった。
また、アヴァには気にかかることが一つだけあった。それは、エフィーが時折見せる暗い表情だ。日が過ぎて行く度に、それはより深刻になっていた。しかし、アヴァがそのことについて直接訊くことはなく、話してくれるときを待とうと考えた。エフィーが自ら家族の話をしてくれた時のように。
「ねえ、エフィー。なにか、悩み事があったら、わたしはいつでも聞くからね?」
「え? そんなのないって。いや、本当だよ。それにさ、アタシの方が年上なんだけど、アヴァこそお姉さんに相談はないのかな?」
ときどき、我慢しきれず遠回りに訊くこともあったが、はぐらかされるばかりだった。そんな日々が続き、ある日の夜。
「ねえ。アヴァは、アタシのことを信頼してくれる?」
いつも通り、アヴァのスペース。二人は寄り添って寝そべり、アヴァが眼を閉じようとしたとき、エフィーが不意にそう呟いた。
「もちろんよ。家族と同じくらい信頼してるもの」
「そう。ありがとね。……もし、もしもね、アタシのせいでアヴァが酷い目に遭っても、許してくれる?」
「わたし、なにか酷い目に遭うの?」
「もしもの話よ。どう?」
その反応はあっさりしていて、アヴァは何の疑いも持つことがなかった。
「わからないよ。だって、エフィーが酷いことをするなんて、想像できないから」
「はは、そっか。……ふぅ、ごめんね、変なこと訊いてさ。……なんだか、冷えるな。今日は、手を繋いで寝ようか」
「うん」
アヴァはいつもと違う雰囲気を感じ取ったが、気にはならなかった。繋いだ手の感触が、いつかの安心感を思い出させてくれたからだ。そして、夜は更けていく。
* * *
翌日の配給で、エフィーがまた呼ばれた。いつもと違うのはすぐに戻ってきたこと、そして、エフィーに引かれ、アヴァも連れていかれたことだ。彼女らが歩いた先には、前にエフィーを連れて行った男がいた。
「コイツを代わりにしようってことか?」
「そうだよ。アタシが貰った分の食べ物は、全部この子にあげた。体型でわかるでしょ?」
「確かに痩せてはいない。だが、ガキだ」
アヴァには、会話の内容が掴めなかった。
「可愛いからいいでしょ? 母親だって、アンタ達のところにいる」
「名前は?」
「確かクレシダ」
「おお、クレシダか! あいつはいいぞ。なるほどな、その娘か」
アヴァは舐め回すような視線に、頭が痛んだ。久々に、胃液が迫り上がる感覚が襲う。
「わかった。幼いが、よく見れば上物だしな。いいだろう、手打ちにしてやる。だが勘違いするなよ。お前の順番が長引いただけだ」
「わかってる」
耐えきれず、アヴァは口を開いた。
「ねえエフィー、どういうこと?」
目の前で男と話すエフィーに問いかける。エフィーは振り向いて、哀しげな目をして答えた。
「良かったね、アヴァ。母親のところへ行けるってさ」
「お母様のところへ?」
「うん」
「エフィーはいいの?」
「アタシは、まだいいんだ」
エフィーは微笑んだ。アヴァが見たことのない、痛々しさを孕んで。
「そうなの? ……わかった。わたし行くね」
アヴァが言い終わると同時に、手首を男に掴まれた。その力が強くて、彼女は小さく悲鳴をあげる。
「なら、この娘を連れて行くぞ」
「……好きにしなよ」
アヴァは男に連れられて、洞窟の外へと向かっていく。振り返ると、エフィーが悲しげな表情をしていた。そんな顔しないでと、アヴァは笑顔で手を振る。
「エフィー、ありがとう!」
これまでの感謝を、ここで表そうと。軽く反響するくらいの大きな声で、思いを伝える。
そして前に向き返すが、アヴァの声を遥かに上回るほど、大きな声が響いた。
「待て!」
エフィーが涙を流しながら、アヴァ達の方を睨んでいた。彼女は、ゆっくりと手を伸ばす。
「なんだ?」
男が、わかっていて尋ねる。
「やっぱり、アタシを連れて行け」
「いいのか? お前はこれが嫌で、コイツを犠牲にしたんだろう?」
その通りだった。エフィーは、傷が痛んだような表情をしながら返す。
「そうだよ。でも、アタシはその子が大切だ。妹みたいな、そんな存在なんだ。初めは、確かに裏切るために仲良くなろうとしてた。利用できればいいって考えてた。他の奴に、アタシは狡い奴だって言われたのに信じ切って、バカで……とても、いい子だって」
最後の方は、声がくぐもっていった。顔の向きが、男の方から足元へ移っていったからだ。彼女は一息ついて、顔を前へ向き直す。アヴァと、男に、向き合う。
「アタシは、もう、アヴァを裏切れない!」
言い切ると同時に走り出す。男の手から、無理矢理アヴァを引き剥がす。そして、なにが起きているのか全くわからないアヴァの方を向いた。すぐ近くで、いつも、部屋で隣り合って話すときと同じ距離。
「ごめん。ありがとう。……アンタにはやっぱり早いよ」
「ねえ、どういうことなの? エフィーも、エフィーのお母様に会いたくなったの?」
「まあ、そういうことにしといてよ」
エフィーが、うな垂れたまま男に連れて行かれる。その足取りは、どこか堂々としていた。
「アンタといるの、本当に楽しかったよ」
エフィーは最後にそう言い残して、男とともに陰へ消えて行った。
アヴァは、なにもかもから取り残されたような気がして、涙も流せず、ただ寂しくなるのだった。




