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アヴァは、エフィーの影を追い求めて走り出した。しかし、洞窟の出入り口に達する手前で、厳つい男にその足を止められる。
「出ることは許されないぞ。大人しく寝ぐらに戻れ」
「でも、エフィーが、エフィーが!」
「ああ、あの女か。ふん。もう会うことはない人間を気にかけてどうする。さっさと戻って、自分の仕事をしていろ」
威嚇するように、男は武器を揺らした。アヴァには、男を越えてその先へ踏み出せる想像ができず、仕方なく引き返すことにした。
* * *
地下へ戻ると、足音が寄ってくる。顔を上げると、ここで最も見たくない顔があった。
「エフィーの奴、どうなったんだい?」
エフィーを狡い奴だと、悪口を言ってきた女性だった。どこか楽しげな様子なのが、アヴァをとても不愉快にさせた。
「お母様のところに連れていかれたわ」
「ってことは、あいつは母親のところへ行ったって?」
「そうだと思う」
アヴァが呆けた声で返すと、女性は、さも素晴らしい見世物を見たかのように笑い出した。
「あっはっは! それはなんたって最高だ! 男どもの慰みものになるんだ! あたしを馬鹿にした態度のあいつも、どうせボロボロになって死ぬんだ!」
アヴァにはその笑い声が耳障りだったし、死ぬという単語に反応せずにはいられなかった。
「死ぬってなに!? エフィーはお母さんのところに行っただけでしょ!? それなのにどうして死ぬのよ!」
アヴァの質問で、女性はようやく笑いを止めた。彼女は、冷めた目でアヴァを見下ろす。
「そっか。あんたは、何も知らないんだね。それもそうか。あんたみたいなお子様は、知らなくていいことだもんねえ」
「何よ。何があるって言うの?」
アヴァが挑むような目で尋ねると、女性はまた気分の悪い高笑いを始めた。
「あっはっは! 教えてやるものか! 勝手に考えて勝手に絶望してろ! どうしてあたしが、エフィーのお気に入りのあんたに教えるのよ! ばっかじゃないの!」
女性の笑い声は止まらない。どうやら、教えるよりも教えないことで、アヴァを余計に苦しませるつもりのようだった。しかし、この女性の態度により、エフィーとの別れで意気消沈していたアヴァの感情に、とうとう怒りが勝った。
「うるさい! 静かにしてよ!」
「はあ? どうしてあたしが、あんたに命令されないといけないの? あっはっは! あんたが嫌がるなら、余計に笑ってやるよ!」
「うるさいうるさいうるさい! 黙らないと、悪いことが起こるわよ!」
アヴァの身体は、怒りで震えている。エフィーとの別れに悲しみだけを感じられたのは、エフィーの未来に不安がないからだった。母親と会える、その希望的観測があったから悲しむだけでいられたのだ。
しかし、目の前の女性は、あろうことかその未来に暗雲をもたらした。そして、その正体も教えることなく、更には不愉快な態度ばかりとる。
「悪いことってなによ? あんたに、なにかできるの? あいつがいなくなったあんたに、なにが?」
女性が煽る。彼女は、身長も年齢も一回り幼いアヴァに、追いやられる要素など一つもないと考えきっていた。
そんなこの女性が、ここまでの態度を見せる理由は偏に、エフィーに対する嫉妬や羨望であった。
この地下にあって、多くの女性たちは絶望していた。助けは来ない、与えられる食糧は少ない。これまでの生活とは、なに一つ揃わない日々。そこで感じるストレスは強く、やがて生きる気力さえ失っていく。あるいは、あまりにも少ない供給に対して、生きているだけで十分だと考えるようになる。
この女性もそうだ。生きる気力を見出せなくなり、死んだ方がマシだと考えていた。しかし、そこでエフィーを見つけてしまう。
希望を失わず、目には小さい光が残り続けていたエフィー。自分よりも若い少女が、まだ希望を持っている。自分よりも、強くある。それが、許せなくなってしまった。それは単に、支配欲と似たようなものでもあった。
最初に軽く小突いたり、ぶつかったり、ちょっとした悪意を示した。しかし、エフィーは全く動じない。それが、この女性の神経を逆撫でし、より悪意は増大化した。
だが、彼女がある域に達した瞬間、エフィーに初めて抵抗された。
「ねえ。これ以上されたらアタシ、自分で死体を作りそうなんだけど」
首元に包丁をあてがわれ、エフィーに冷たい声で囁かれた。そして、逆らえない、勝てない、そうした認識を植え付けられた。
それからだ。エフィーに対する悪意は、形を変えた。自らはなにもしない。エフィーなんか死んでしまえ、苦しめ、恐ろしい目に遭えと、そのことしか考えないようになった。
女性は、新しい生きる目的を見出したのだ。それは、周囲の誰にも悟られることがない、しかし、強い生への楔。
エフィーへの呪いだ。他人の死を、苦しみを望むこと。それが、この女性の生きる目的であった。
「ほら! できるなら、なにかしてみなさいよ!」
アヴァにはなにもできないと、彼女は考えていた。所詮は、エフィーを盾にする少女。自身の深い呪いの感情を、潰せるまでの力はないはずだと。
しかし、それは間違いだった。アヴァもまた、強い思いを抱いていた。奇しくも、それは、この女性とは正反対のもの。エフィーに対する、友愛から来る様々な正の感情であったのだから。
「後悔しても知らないから」
アヴァは、すぐ近くの卓に乗っていた、肉切り包丁を手に取った。その瞬間、既に女性は嫌な予感がしていた。
「わたしは、ケンカしたくなかったのに。でも、エフィーのこと、酷いこと言うから。エフィーは死なないのに、死ぬなんて言うから。うるさいから」
その声は静かで、目の前の少女から発されているとは思えなかった。冷や汗が止まらない。女性にとって、初めてのことだった。
アヴァがゆっくりと歩き出す。包丁を両手に持ち、一歩ずつ、踏みしめるように、前へ進む。
「ねえ、約束して。もう、わたしに話し掛けないって。エフィーのこと、なにも言わないって」
声が発せない。女性は酷く動揺していた。早く言わなければ、全てが遅くなる。相手は緩慢に近づいて来るのに、走って逃げることも叶わない。足さえも動かないのだ。
アヴァが来る。女性の、目前だ。最終通告が、発せられる。
「約束、して?」
「約束する! だから殺さないで!」
女性が言い放った瞬間、周囲の圧力が一気に掻き消えた。アヴァがニコニコしながら、女性に念を押す。
「約束だよ。絶対に、守ってね?」
「守る! 守るから!」
やっと動けるようになった女性は、転びそうになりながらも走り去っていった。その姿を見送ってから、アヴァはペタリとその場に座り込んだ。
「わたし、どうしたんだろう」
アヴァも、彼女自身を恐れていた。エフィーのことがいくら好きだったとはいえ、人を脅すことまでするなんて、夢にも思っていなかった。そもそも、彼女は人を怒り、憎むことなど一度もなかったのだから当然だ。
「村にいたら、こんなこと絶対にすることなかったのに」
アヴァの独り言は、その通りだった。今回のこれは、アヴァの凶暴性が滲み出たわけでもなく、エフィーへの想いが怒りと重なり、それがこうなってしまっただけである。
誰も頼れる者のいない幼い少女が、一人の頼れる存在に対してどれ程の信頼と感情を抱いていたのか、それを見誤った女性の自爆だ。
「部屋に、戻らないと」
アヴァはごく自然に、その行動を思い浮かべた。無意識のうちに、落ち着く為の方法を考えついたのだ。
包丁を静かに卓へ置くと、彼女は頼りない足取りで、自身の空間へと向かっていった。
* * *
アヴァがエフィーと一緒に呼ばれたのは、配給のあとだ。もらったものは衣服にしまいこんでいたため、彼女は自身の部屋で取り出した。
すると、鳴き声と共に、穴からネズミが飛び出して来る。
「こんばんは。あのね、エフィーがいなくなっちゃったの。……わたしね、エフィーのこと、とっても好きだったんだなって……」
涙が流れた。頬を伝う、温もりを持ったその液体が、前にエフィーに抱きついたときを思い出させる。あの時は、エフィーが泣いていた。
アヴァは涙を拭って、配給品をわける。いつもより、重い。ネズミが、必死に声を上げる。
「もしかして、励ましてくれるの? ふふ、ありがとう。近くの友達は、あなただけになっちゃった」
他に知り合いはいない。そもそも、他の女性たち同士では交流があまりないようで、どちらかといえばアヴァとエフィーが特殊らしかった。
アヴァは、これから、新しく友達を作ろうという気にも起こりそうになかった。少し、別れが怖くなったのだ。
もう、エフィーには二度と会えないと、出入り口の男に言われた。それは嘘だと信じたい。でも、本当だったらと思うと、もうこんなことは繰り返したくないと思った。
「お別れって、とっても辛いのね。お父様の時は必死で、全然気づけなかったわ」
無事でいてくれたらいいけど、その望みはあまりにも儚い。動物の死体に触れるうち、死や命というものの価値観が変わっていた。それは、あまりにも簡単に、消えてしまう。でなければ、あんなに多くの動物が、何日も、何日も、運び込まれるはずもない。
「あなたにも友達や仲間はいるの? それなら、大事にした方がいいわ。わたしに構わないで、行っていいのよ?」
ネズミは鳴き声をあげるが、ここではなにかを汲み取る事ができなかった。
「わたしには、あなたがなにを言っているのかわからない。そもそも、あなたに言葉が通じているのかも。だけど、あなたがそこにいてくれるなら、わたしはいつまでもあなたの友達でいるから」
微笑みかけると、少し明るい鳴き声が聞こえた気がした。
「友達にするのなら、やっぱり呼びやすい方がいいわ。あなたに、名前をつけましょうか。いつか、いい名前を考えておくわね」
言葉にはしっかり反応して、ネズミは鳴き声をあげる。喜んでくれていたらいいなと、アヴァは笑った。
「今日はいろいろあって、もう眠いの。また、明日ね。おやすみなさい」
そう言って、アヴァは寝そべった。ネズミも一鳴きして、穴の中へ駆けていった。
初めは一人でいた部屋なのに、こんなに狭い部屋なのに、今夜はやけに広く感じる。目を瞑りながら、アヴァは寂しさを覚えていた。




