3-2
「お兄様、休むのもいいけど、できたらお兄様になにがあったか、話を聞かせて欲しいわ」
「……ああ、そうだな。これから話す時間があるかもわからないし、今がいいか」
ソファーに背中を預けていたブラムは、ゆっくりと瞼を開き、体重を前に移動させつつ手を組んだ。
「どこから話すか迷う時間も惜しいか。まずは、俺が騎士の訓練生になったのは省くとして、その後、俺はある騎士の養子になった。元は教主の近衛兵だった人で、その人の指示を聞く代わりにアヴァの無事を保証してもらったんだ。
その証の一つが、その首飾りを取り戻すこと。もう一つが、アヴァの様子を見守ってもらうこと。それはこの組織を通してだった。そして、アヴァの危機を知って今に至る」
ブラムは淡々と、彼の近況を語った。アヴァは、簡単にではあったが、首飾りを取り戻したことやこの組織と繋がった過程を理解した。具体的なことは想像で補う。
「その、養子にしてもらったっていうのは?」
「ああ。名前はネイハム。俺たちに判名はないが、ネイハムさんに俺の判名と、それと養子になったことで家名ももらった。
家名っていうのは、ある程度の地位を得た人が持つ、その人を示すための名前だ。まあ、この町じゃ、もう使えないけどな。アヴァの判名も、いつか考えておこう。一応な」
アヴァの方へ首を捻らせ、ブラムは微笑んだ。その様子に、アヴァはホッとした。最近いつも強張っている兄の笑みは、彼女に懐かしさと安心をもたらす。
「俺は少し休もうと思うんだが、アヴァはどうする?」
「わたしは、ちょっと歩いて回ろうかな。フィンのことも、頼まないといけないし。誰に頼めばいいか、わからないけど」
「それなら、さっきまで案内してくれた奴を探すといいぞ。愛が重要だって言ってたやつだ。確かこの組織は、基本的に家族の多いやつが偉いはずだ。でも、創設に関係している人間は、特別に偉いらしい。
愛でまとまる。分け隔てを失くす。いい考えだ。ただ、まとめる人間も必要らしい」
本来なら、そのまとめる人間というのにアヴァが入ることになる。しかし、アヴァは望んでいない。代理となるのは、現状でこの組織をまとめる立場にある人間になるのだろう。
「じゃあ、探してくるね。いってきます」
「ああ、いってらっしゃい」
まるで、昔の家にいたときのような送り出しの挨拶に、アヴァの口角は自然と上がっていた。
金属製の取っ手を掴み扉を開ける。すると、両脇に男性が立っていた。両名の格好は騎士のそれだ。ただ、若いわけではなく、アヴァやブラムよりは一回り、あるいはふた回り年上だろう。
「アヴァ様、どこへ行くのですか?」
睨みを利かせながら、低い声が響く。
「え、えっと、その前に、二人はどちら様ですか?」
驚きと怯えが湧き上がる。アヴァはこめかみを抑えながら、震えた声で問う。
「怖がる必要はありません。我々は、アヴァ様の警護係です。どこかへ行くのなら付き添わせていただきますし、御用があれば代わりに努めます」
アヴァにとって全く身に覚えのない忠誠は、少し気味が悪かった。力を持っているがための忠誠。それは理解していても、気になってしまう。イゴールや青年のときは、そこまで特別扱いをしてこなかったために、大して気にならなかったのだろう。
「あの、その、出歩きたいんですが……いいですか?」
「付き添わせていただきますが、それでもよろしければ。申し訳ありませんが、一人で動くことはほとんど許されないでしょう」
軟禁に近い状態だが、アヴァは立場を理解している。その言葉を受け入れることができた。それは、過去のひどい環境を経たからこそのものかもしれない。
「わかりました。その、探して欲しい子がいて、それを頼みたくて。あの、誰に話せばいいですか?」
「私が代わりに話しておきましょう。用件がそれだけならば、部屋の中にいてくださると助かりますが」
「え、あ、はい。じゃあ、そうします」
「では、探して欲しい対象について、教えてください」
自分に害意がないとわかっているのに、なぜか治らない怯えと頭痛。一度、休んだ方がいいのかもしれないと考えて、彼女はフィンの特徴を伝えると部屋の中に戻る。フィンの特徴を伝えられて、二人は目を丸くしていたが、彼女はそれを無視した。
「アヴァ、どうした? なにかあったのか?」
扉の音に気づいたブラムが、そちらを見遣り声を掛ける。そこには、外を出歩いてくるはずだった妹が、口元を抑えながらへたり込んでいた。
「大丈夫か? 顔色が悪いぞ。嫌なことでもされたのか?」
「……ううん。違うの。外に、わたしたちの見張りみたいな人たちがいて。……お兄様。わたし、お兄様以外の男の人が、駄目みたい」
「駄目って、どういうことだ?」
「わからない。だけど、頭痛がして、それになんだか怖くて」
要領を得ないアヴァの回答だったが、ブラムは妹が男を恐れているということだけ把握した。これまでの経験からすれば、それも当然なのかもしれないと、その理由を掘り下げることはしなかった。
「わかった。なら、これからは俺が気をつけるよ。もっと早く言ってくれれば良かったのに」
「ごめんなさい。わたしも、気のせいなのかと思って」
アヴァの出会ってきた男性は、年を食った三兄弟に、キーファと騎士や老人、そして青年と見張り役。これまで高齢な男性と接することばかりで、恐怖や気分の悪さが色濃く出ることは少なかった。せいぜい、人見知りのようなものだと思う程度で。
アヴァは口から手を離し、深呼吸をする。頭痛は吐き気を呼び起こしていた。頭が揺すられて、彼女の体の中をヘドロのようにへばりつくなにかが、這いずり回っているみたいだった。
なにかが思い起こされそうで、吐き気と一緒に蓋をする。開いてはいけないような気がして。
「落ち着いたなら、俺と一緒に行くか? アヴァの前を歩いて、男は全部避ける」
「大丈夫。もう、出ないから。必要なときだけ、一緒に」
「わかった。そうだな。それに誰か来たら、見張りに女の人もつけてもらうか。いや、女性騎士がいないから厳しいか? 旅人に強い女性がいるといいが」
「お兄様、そんなに気遣わなくても大丈夫よ」
アヴァはブラムといる間は、何事もない平穏な時間を過ごしたかった。ブラムは残された唯一の家族だからだ。アヴァはブラムに思い詰めたような顔はして欲しくないし、笑って一緒にいてくれるだけで良かった。
「いや、俺に遺されたのはお前だけなんだ。お前を幸せにするために、俺は生きているんだから」
一方でブラムは、アヴァを幸せにするために生きている。彼は罪を背負った。それは彼自身が死んでしまいたいと思ってしまうほどに、重くのしかかっている。
だが、母との約束。幸せに生きて欲しい。手紙に遺されたそれを守るために、彼は生きている。
「わたしは、お兄様が笑っていれば幸せよ」
「そうか。ありがとう」
アヴァは本気で言っているが、ブラムはそうとは受け取らず、二人の幸せに対する考え方の差が、すれ違いを生んでしまう。
「お兄様。いなくならないでね」
「ああ、きっとな」
ブラムの返答に、アヴァは違和感を覚える。なんだか、噛み合っていないような気がしたのだ。しかし、それを追及する間もなく、扉が叩かれた。
「食事を運びに参りました。開けてもよろしいですか?」
「ああ、大丈夫だ」
アヴァの代わりにブラムが答え、扉が開いた。そこにいたのは案内をしてきた青年で、手には料理の載ったお盆がある。
「今夜の食事です。朝、昼、夜に運びに来ます。今はこの程度ですが、俺たちの規模が大きくなれば、もっと豪勢になるでしょう」
青年はそう言うが、食事は孤児院のときよりも料理の種類が増えており、明らかに孤児院で見たことのない食材も混じっていた。
「あなたも、わたしに敬語を使ってしまうのね」
「ええ。道中はまだでしたが、今は俺たちの頂点ですから。アヴァ様」
「やめてもらうことはできない? わたしは、普通の人だから」
「普通の人ではありませんよ。ただ、望まれるのであれば、普通に話しましょう。というわけだ。まあ、人前では形だけでも敬うから、そのつもりでいてくれ」
アヴァは簡単に変化した態度に面食らう。ただ、話しやすい様子は気安くて、孤児院の子ども達と近いからか、恐れは抱かない。あるいは、道中からずっと兄が一緒だからかもしれないが。
「食事は終わったら外へ出してくれ。あと、明日からは死者の蘇生をしてもらう。力の証明をしないとな。今日はよく食べて、よく休んでくれ」
お盆を卓の上に載せると、彼は手早くそう言って椅子に腰を下ろす。実際、アヴァに敬意というものは持ち合わせていないようだ。愛を訴える彼にとって、アヴァの存在はどちらかといえば、道具のようなものなのだろう。
「わかったわ。それをするしか、許されないのでしょう?」
「そうそう。豪華な食事も、逃げ出さないようにするため。文句を言ってもこれ以上の料理だよ。逃げる理由を作らせないためだ。料理が貧相だったから嫌だ、俺たちの態度が悪かったから嫌だ、なんていうのをね。アヴァは一番偉くなるから、ご機嫌取りって名目だ」
つまり彼らは、アヴァがここを去る正当な理由を持たせたくないということらしい。ブラムはそう受け取る。脅迫じみた発言よりは、それらの行動の方が表面上は優しい。それに、豪華な食事は、アヴァの幸せに繋がるかもしれないと、そのままブラムは考えた。
「じゃあ、こんなところで。二人はこのまま同じ部屋でいいんだろ?」
「うん」
「アヴァを守らないといけないからな」
「わかった。じゃあ、俺はそろそろ出て行くよ。長くいると、なにか大事な話をしていると思われるかもしれない。変な疑いは持たれたくないからな」
椅子から立ち上がると、椅子がそのまま後ろに倒れた。おっと、と呟いて青年は椅子を立て直す。
「そうだ。あなたの名前だけ、教えて」
扉の取っ手に手が触れていた青年は振り返る。名前か、とだけ呟いてから、続ける。
「俺はプラット。まあ、アヴァ様にとって、俺たちの名前なんて覚える必要なんてないですよ。面倒なだけですから」
扉を開けながら、彼は言葉を敬語に戻しつつ、言い終わると扉を閉めて出て行った。
「どういうことかしら?」
「そのままだと思う。アヴァと深く関わる予定のやつはいないんだろう。だから、覚える必要なんてないってさ」
「でも、せっかくだから」
「それはいいと思う。アヴァの自由だ。さ、ご飯を食べよう」
二人は卓を囲み、食事に手をつける。どこか寂しさがありつつも、料理は美味しくて、しかしその味を食べた先から忘れていくくらいに、会話を楽しんだ。




