3-1
梯子を昇ると、家の中に出た。アヴァとブラムには見覚えがある気がした。その理由は、前に現れた人物で理解する。
「来たか」
「イゴールさん?」
現れた男は、町へ至る道中で遭遇した三兄弟の一人、イゴールだった。歓迎するように笑顔だ。彼の家に滞在した時間は少なく、印象には薄かったが、忘れることはできない。アヴァはイゴールだと認識してすぐ、気になることを聞いておく。
「ガルトさん達には会いましたか?」
「それが最初なのかい? いや、心配してくれてありがとう。落ち着いたら、自分で馬に乗って行こうかと考えてるよ」
イゴールがガルトやハンクと繋がれば、旅人に馬の貸し出しができるようになる。それはついでで、兄弟仲を確かめるための馬だったが、どうやらまだ届けられてはいないようだ。
「それより、最初に会ったときは、もてなすこともできずにすまなかったね。君たちが味方になるか敵になるかわからないから、こうやって人が出てくるのも見られたくなくてね。長居はさせたくなかったんだ」
「全然、そんなことは感じませんでしたよ。
「そうか。それはそれで、申し訳ない気持ちもあるね。これからは、全面的に支援させてもらうから、お詫びと思って素直に享受して欲しい。では、向かってもらおうか」
イゴールは、笑みを崩すことなく、昂ぶっているのか機嫌も良さそうだ。彼はその様子のまま、これまで先導してきた青年に目配せする。
「二人とも、ついてきてくれ。滞在場所はまだ離れている」
「わかりました。それじゃ、イゴールさん、いつかちゃんと、ガルトさん達のところに行ってくださいね」
「ええ、もちろん。それではまた、お会いできるときをお待ちしてます」
青年が歩き始めたので、アヴァはイゴールに別れを告げた。アヴァは最後だけ恭しい態度になったイゴールに違和感を覚えたが、追求することも深く気にすることもなかった。
青年のあとをついていくと、彼は家を出ていく。外は日が差し、町へ続く整備された土の道が一本。道の両脇は砂利であったり、好き勝手に成長した草花が埋め尽くしている。その外には、ひたすら森が広がっており、青年はそちらへ向かっていくようだった。
「フィンは大丈夫かしら」
ブラムの耳は、前にいるアヴァの呟きを拾った。それが独り言にしては大きいような気がして、彼は励ますことにする。
「大丈夫だ。そう心配するな。あとで、探すのも手伝ってもらえばいいさ」
「うん」
アヴァは首元をさすったり、フィンがいつも入り込んでいたところへ手を突っ込んでみたり、肩に視線を移したりしていた。
そんな様子を見て、ブラムはなにかを決心した。
「アヴァ、今のうちにこれを渡しておく」
振り向いたアヴァに対して、ブラムは皮袋から取り出したものを手渡す。
「これ、どうやって?」
「向こう側で頼りになる人の力を借りて、取り戻したんだ。そのせいで、今こうなっているんだが、その話は今度だ」
アヴァは軽く手を握って、感触を確かめた後に再びその手を開いた。そこにあるのは首飾りだ。それも初めて見るものではなく、エフィーから渡され、リアムに奪われたものだった。
「今はそれで我慢してくれ。フィンもきっと、取り戻せるさ」
「……ありがとう、お兄様」
首飾りを身につけて、アヴァは愛おしそうに先端を撫でた。赤、青、桃色、三つの球形に加工された鉱石。森を抜けた木漏れ日を透かして、赤い宝石がわずかに煌めいた。
「これから先、左は見るな」
「左になにかあるのか?」
「知らなくていい」
森の中を進んでいると、青年が唐突に口を開く。注意を呼びかけてきたが、その意図はわからない。周囲を警戒するため、今は後ろについているブラムからすれば、見るなと言われても無視することはできなかった。
「ああ、そういうことか。アヴァは見ない方がいいな」
「わかったわ」
アヴァの目元に背後から手が近づいてきたが、アヴァは軽く跳ね除けた。そんなことしなくても、言うことはちゃんと聞くのにという意思の抵抗だった。
「悪かった」
「ううん。でも、わたし孤児院でもいろいろ学んだし、子供扱いしないでね」
「大人として扱うこともできないな。アヴァは、いつまでと俺の妹だ」
「それは、そうだけど」
ブラムは会話で気を引きつつ、アヴァが左を見ないように警戒する。彼が見たものは、動物を解体する大人たちの姿だった。
雑に刈られた緑の中で、黒い金属で作られた台の上、鈍色の大きな肉切り包丁が白い皮を裂き、赤黒い肉を切り分け、乳白色の骨と赤混じりの白い皮だけがそこに残される。近くの川は赤く染まり、先に行くにつれ赤が薄まっていく。
会話の一つもなく、ただ黙々と辺りが血に塗れていく光景に、ブラムの頭が痛んだ。
アヴァにも、見せたくはない。経験したこととはいえ、それを見る側になったとき、どう思うかわからない。それに、絶対にアヴァが傷つく。
こめかみを揉みながら、ブラムは早くこの光景が過ぎることを願った。解体作業をするために、この辺りだけ森が伐採されているのだろう。この地域を抜ければ、また深い森に覆われるはすだ。
アヴァと話を続けながら、ブラムの視界は変わらない。解体作業をする大人たち。そんな彼らを見張るように、数名の騎士がいる。見知った顔もあった。森の中にいるとはいえ、こちらに気づく可能性がないとは言い切れない。
ブラムはそう考えていたのだが、騎士の一人はこちらを見たにも関わらず、特に気にする様子を見せなかった。その態度は、存在に気づかなかったのではなく、見ないふりをした、というのが正しいように思えた。
もしかすると、ここにいる騎士は、全員がこちらの味方なのかもしれない。それなら、注意がそちらを見ないようにというだけなのも頷ける。それに、向かっている先にある滞在場所というのが、未だに存在を認知されていないということからも、その可能性は高い。
「そういえば、滞在場所ってどんなところなんですか?」
ようやく視界が森に移り変わり、ブラムがアヴァとの会話を打ち切ったところだった。首飾りで補おうとはしたものの、話していないと不安を忘れられないのかもしれない。口の閉じないアヴァに、ブラムはそんな考えを抱いた。
「大きな建物になる予定だが、まだそこまでじゃないくらいの場所だ。それで十分なくらいの人間しかいないからな。石造りで、イゴールさんや向こう側にいる他の信者から支援を受けて作ってる。いずれ、信者が多くなったときは、町のこちら側を活動場所にして、全面対立する予定だ」
「安全なんだろうな?」
「アヴァ様の力は貴重だ。信者の中には騎士もいるし、全員が守る」
青年の声には、強い意志が宿っていた。ブラムは安心こそしないが、信頼できるものだと感じた。アヴァの方は、なんだか途轍もないことに巻き込まれているような気がして、気後れしながらも足だけは前に進んでいく。
「ここだ」
進んで行くにつれ森が深くなり、危機もないと考えアヴァの前にブラムが立つようになっていた。いつの間にか日も落ちて、薄く夕暮れがかかり始めている。そうして、垂れたり体を傷つけそうな枝を切って進んだ先に、建物はあった。
石造りの建物で、高さは二階ほどだろう。入り口に扉はないが、人が二人立っており、片方は騎士の装いをしていた。傍らには屋根まで届く梯子が掛けられており、平らな屋根の上に人がいる。眩しそうに目を細めながら遠くを見ている様子から、見張りの役目を担っているのだろう。
「地上での大きさは十分で、広げられるのは地下空間くらいだ。地上だけなら、広さはアヴァ様のいた孤児院くらいだろう。相談はまだ重ねているが、高さを上げて目立つわけにもいかないから、これくらいの建物をいくつか建てる、という考えが今のところ主流だな」
兄妹が説明を求めたわけでもないのに、青年は勝手に説明を加える。誇らしげな様子から、これは彼の功績であるのかもしれない。
「中に」
気を取り直したように短く言うと、青年は進んでいく。入り口にいる二人の男性と言葉を交わし、二人を招き寄せる。入り口の男性たちは、アヴァとすれ違いざま、わずかに首を垂れた。
「アヴァ様の部屋は二階だ。ブラムは、同じ部屋でいいか?」
「わたしはそれでいいけど、お兄様は大丈夫?」
「ああ。護衛にもなるし丁度いいだろう」
「わかった。なら、二人とも案内しよう」
二階の部屋。間取りは当然、孤児院とは違っていたが、二階の部屋というだけで、さっきまでいた孤児院を思い出す。そして、ジーンのことも。
約束を果たすことはできなかった。一緒に連れていくと言ったのに。
いつか、迎えに行けるときが来たなら、そのときは一緒に。
「後で夕食を届けるよ。今日はお疲れ様です。アヴァ様には、しばらくここで過ごしてもらいます。不自由な生活になると思いますが、苦労はさせませんので」
一方的に言って、青年は部屋の外に出て行ってしまう。
ほっと一息ついて、アヴァは部屋を見回した。
孤児院と同じく、部屋の中は木造りのようだ。部屋は孤児院のときと比べて広く、六人分のベッドくらいは余裕で設置できそうだった。
ただ、右側の壁は崩されたようで、隣の部屋と繋がっている。わざとなのか、事故なのかはわからないが、天井と床の両隅に残る木の破片から、故意に壊したように見受けられた。
その広い部屋の中に、既にあったのは一人分の大きなベッド、ソファー、座椅子、棚、そして机だ。机の上には便箋の束があり、それらは全て未使用のものだ。筆記用の炭と、液体状の炭が入った瓶もあった。
アヴァは荷物をベッドに置き、部屋の中を探索してみることにした。ブラムは荷物を置くところまでは同じだが、背中をソファーに預けて体を休ませている。
棚を開いてみると、男物の服が入っていた。もしかすると、この部屋は最近まで他の誰かが使っていたのかもしれない。
「わたしたち、これからここで過ごすのね」
「そうだな。ここが俺たちを幸せにしてくれるなら、ずっとここでもいいよ。とりあえず、この椅子の感触はかなりいい」
ブラムは体の力を抜いて、目を閉じながらそう言った。そんな様子が新鮮な気がして、アヴァはクスリと笑う。彼女もまた、落ち着けるのであれば、しばらくはここにいてもいいかなと思う。いや、正確には、落ち着ける場所が欲しいと、そう思っていた。




