2-1
石で周りを整備された穴ぐら。大人が手と膝を床につけて、ようやく通れるくらいの広さしかない。そこには、土の香りと腐臭が漂っていた。
先は見通せず、アヴァにとっては前を歩くブラムの姿だけが頼りだ。それを見失わないよう、ぶつからないよう、先へと進んでいく。終わりもわからないままに。
「わたしたちは、どこに向かっているの?」
とうとう、アヴァは口を開く。彼女は、ブラムがわかっているようだったから素直についてきていたが、いよいよ不安に呑まれた。
「今の町に不満を持っている人間が、集まっているところだ。前と同じさ。きっとな」
前、というのが、あの山賊に対抗したときのことだろうとは、アヴァにも理解できた。しかし、彼女はそれに良い思い出がない。確かに山賊達は酷い人間で恐ろしかったが、反抗した人々もまた恐ろしく感じられるものだった。
その狂気や熱気というのが、アヴァには受け入れがたかったのだ。なにより、蘇生させた人を、あっという間に奪われたのだから。それも、山賊に関わる人間だろうという短慮によって。正しくはあるが、事情も聞かずに命を奪ったというその事実が、彼女には山賊の行為にも及ぶものだと思えてしまっていた。
「今のこの町は腐っている。何年か前から、おかしくなったんだ。だから、この町に住む俺たちが、異常に気づいた俺たちが、この町を変えないといけないんだ」
ブラムの前方から、声が聞こえた。先導している青年のものだろう。ブラムは彼らのことを知っているようだが、向こう側で出会ったのだろうか。
「そして、一番大事な役になるのが君だよ。アヴァ」
「わたし?」
これまで関わりなんてなかったのに。急に名前を呼ばれて彼女は驚いた。
「ああ。君は、俺たちを率いてこの町を正しく統治すべきだ。もちろん、皆が支えてくれるだろう。だから、安心してほしい」
「待ってください。どうしてわたしなんですか?」
この町に来たばかりで、何の縁も所縁もないというのに、自分が指名される理由がわからなかった。
「ああ、そうだな。今のうちに話してしまおうか。神話については、知っているはずだよな。爺さんが話してくれたはずだ」
「はい。聞きました」
昔、死者を蘇らせる力を持った悪魔が現れて、この町を襲ったという話だ。しかし、その悪魔は神に倒されて、教主様が神様から統治の証をもらったと。
「よし。でだ、その神話は間違っているんじゃないかと考えた人間がいた。ここ数年か、もしかしたら十年以上前からいたかもな。
そんな奴らが神話について調べているうち、この神話はどうもこの町の話でなく、元々あった大きな一つの国であった話だと考えたんだ。他の町や国に、似た話があったかららしい。この町ほど伝承はされてないらしいが。
まあ、そもそも、今ある多くの国や町が、全部同じ国だったっていうのが驚きだよな」
「そうですね」
アヴァはキーファから聞いていたため、そこまで驚くようなことでもなかった。ただ、話の先が気になっていたから、素っ気ない反応を返したのだ。
「それでは、本当の神話はどういうものなんですか?」
「さあな。神話というより過去の事実らしいし、有力な話はあっても、どれが本当の話かはわからない。ただ、この町を除いて多くのところで、悪魔というのは一人の女性、それも神の力を与えられた人間だと言われている。
悪魔なんて言っているのは、この町だけだ。まあ、この町の神話の中でも、悪魔は人間の女の姿を取り、なんて脚色されている話もある。だから、女性は差別されてるのさ」
「そうなんですね」
その事実に、救われたといえばそうだ。なにか、悪い力ではなかったのだと、それだけはわかったのだから。
アヴァの目的も、一つ果たされた。自分の力が一体どこから来たものなのか、それはわかったのだから。とすれば、それが本当の話かは置いておいても、有力だと言われている神話は聞くべきだ。さっきの疑問、わたしがこの町を統治する理由は、察しがついてきている。
「本当の神話だと言われている話を聞かせてください」
「あ、ああ。それは、一番多い共通点を合わせたものだ。共通しているということは、長い時間が経っても脚色されていない点、そういうことだからな」
そう前置いて、青年が話し始めた。
昔、ある女がいた。金髪で青い瞳をしていたそうだ。彼女は普通の女だった。大人になって男と出会い、契りを交わした。
しかし、ある日、その男は捕らえられた。理由はわからないが、悪いことをしていないのは確かだ。にも関わらず、処刑された。殺された。
女は男を喪い悲しんだ。そこへ神が現れ、人を蘇らせる力を授けた。女は男を蘇らせ、他の死者も蘇らせ、国を侵略しようとした。
「大筋は、こんなところだ。最後にどうなったのかはわからない。まあ、今の国や町が分かれた現状が答えとも言えるが。細かいところでなにがあったのかは知らない。脚色されて物語になっていることもあるし、想像するしかないだろうな」
神話の元になった話。金髪に青い瞳は、アヴァと同じ特徴であり、それは彼女の母であるクレシダもまたそうだった。
偶然なのか、理由があるのか、今のアヴァにはわからない。
「死者は操られていたのか? 国を侵略するなんてこと、簡単に納得しないだろう。それとも、それだけ当時の国がひどかったのか?」
「さあな。当時の資料がないんだ、知りようもない。技術や知識も国と同様に分かれた。過去を記した資料があるとすれば、大量に蔵書を抱えているらしい、イヒガトだろうな」
イヒガトといえば、とアヴァはキーファに受け取った封筒を思い出した。外へ出られた時には、イヒガトに行って欲しいと言われたのだ。
「まあ、国が分かれた辺り、国が良くなかったってことじゃないのか? 今の俺たちみたいに、文句を抱えた奴らが多かったんだろう」
青年は、そう結論づけているらしい。正確な歴史がわからない以上は、憶測するしかない。
「それに、アヴァが死者を蘇らせるんだから、操れるかはそっちの方が詳しいんじゃないか?」
「どうして知っているんですか?」
「鳥を助けただろう。君はリアムに雇われた者から見張られていて、それも仕組まれたことだよ。そして、その情報はこちらにも入っている。同じ人間を雇ったんだ。情報だけ流して欲しいと言ってね。引き受けても、彼は儲けが増えるだけだ」
リアム。嫌な人だ。エフィーからもらった首飾りを取られたし、もしかして、騎士を呼んだのもそのリアムなのではないか。この町でわたしが蘇生したのはメルだけ。それが仕組まれたことなら、十分に考えられる。
それに思い至ると、アヴァの中でリアムの好感度は更に下がった。
「俺たちは、少しずつ町の人々を引き入れているんだが、旅人も来る度に目をつけているんだ。だから、彼は君のことを探るのに丁度良かった。君が蘇生の力を持っていたのは、嬉しい誤算だったけどね」
わたしに、町を統治させるためだろう。かつて、もしかすると、最初に蘇生の力を持った人がしたように。
「わたしがいれば、教主様の証が、疑わしくなるからですね」
「そう。その通りだ。悪魔がいないというなら、証だってあったかわからない。そして、証は神からのものだと証明できないが、君の力は神のものだと信じさせられる。神の力を持った少女が現れ、神を騙った人間に裁きを下しに来た。これが、最終的な筋書きだ」
なるほど。それなら、確かに教主様よりわたしの方が信じられるだろう。問題は、わたしがそんなことを望んでいないというだけで。
アヴァは、自分の力のことを知りたいという目的を作り出した。神が存在するということを知り、エフィーとの約束を思い出し、自分の力が神に与えられたものだと知れば、彼女の最終目的は神に会う、ということに定められる。
「わたしは、この町の統治をするつもりはありません」
「それでもいい。ただ、その場合は、教主から統治の力を取り戻す時までは付き合ってもらう。断るという選択肢は存在しないよ。どれだけの人を敵に回すか、想像した方がいい」
端的に言って、それは脅迫だ。アヴァに人と戦う力はない。アヴァが頼れる最大戦力のブラムでさえ、数に勝てるほどの力を有しているとはいえない。
殺されることはないだろうが、それでもひどい目に遭うことは避けられないことは、想像に難くなかった。
「全てはアヴァ次第なんだぞ。脅さないで欲しい」
「ああ、すまない。ただ、俺たちも必死なんだ。君たちは、自分達のために大勢を見捨てるような奴らか?」
「……それも脅しじゃないのか。俺だって、話を聞いて気持ちは理解できる。ただ、俺はアヴァを幸せにするために生きているんだ。だから、不幸にするようなら」
「わかってる。君たちには、手厚い待遇で過ごしてもらうよ。逃がすようなことも、逃げさせるようなこともしないよ」
「…………」
ブラムが押し黙り、三人の動く音だけが響く。声がなければ、音のない暗闇は心細くさせる。アヴァは目の前にいるはずのブラムがいないような、そんな錯覚を時々覚えていた。
「悪かったよ。大丈夫。俺たちは愛を中心にまとまろうとしているんだ。優しさは十分だ」
「愛?」
「そう。この町は宗教でまとまろうとしていた。だけど、これからは愛だ。人々を分け隔てる必要のない、子供を捨てる必要もない。愛と優しさでまとまる」
「そんなことができるの?」
もしも、できるのであれば、この町はきっといい方に変わるだろう。孤児院の子達みたいに、苦しむ子供は出なくなるし、いいことだ。
「きっとできるさ。なにせ、神が女性に力を与えた理由は、愛だと言われている。神は、その女性を愛したんだ。だから、その女性に蘇生の力を与えたと言われている。いくつかの話でね」
神が人を愛した。その言葉に、アヴァは不思議な感覚を覚えた。
神というのは、一体どんなものなのだろうか。姿がないと先生が言っていた気がする。だから、殴るのは難しいと。でも、そんな存在が、人を好きになる。なんだか、よくわからない。神ってなんなのだろう。
「これまでは、人を引き込むのが難しかった。愛を訴えても不可能だとね。でも、これからは君がいる。君の力があれば、仲間を増やすことも楽になるだろう」
青年は熱が入ったようで、止まることなく話し続けた。しかし、それらの言葉は全て闇が吸い取って、なにも残らない。
「これからよろしく。全ては、ここから始まるんだ」
遠くに薄く見えた闇の終わり。どこかから光が差している。新しい始まりを告げるその朧げな光は、縋るにはやけに頼りなく、先を見通すにはあまりにも弱々しい。
そこにあるのは、力を得て光るのではなく、得た力を失った後の光のような、茫々たる輝きだった。




