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蘇術少女のリヴォルト  作者: 天木蘭
断章2.夢
42/60

2-1

 夢を見て。

 それは、誰かに言われたことだった。どうしても、思い出すことができない。

 でも、俯いていたら、そう声を掛けられたのだ。


 ここは、宗教が人々をまとめている町。信仰の証は金品か行動で。表立って信仰を拒否すると、それが誰かの耳に入れば騎士が来る。そして、処刑されるという。わたしが生まれたのは、そんな町だった。多分。


 多分というのも、わたしは自分がどこから来たのかわからないから。気づけばわたしは、ジーンは、孤児院にいた。そこで過ごしているのが普通だった。

 それが普通でないと気づいたのは、先生の授業を受けてから。孤児院というのは、親を失った子ども達が来る場所らしい。どうして親がいないのか、先生は言ってくれなかった。知らなかったのかもしれないし、言いたくなかったのかもしれない。


 最初こそ不満だったけど、他の子が聞いても返答は同じで、だから押さえ込んだ。それに、どうしてここにいるか記憶のある子ども達は、悲しい理由ばかりだったから、聞きたくないとも思った。


 でも、やっぱり、それは羨ましいとも思ってしまった。わたしは、気づいたらジーンになっていたけど、そういった子たちは、ちゃんとその子たちになったのだから。


 見下ろされるのが嫌いなレイラだって、そういう環境があって、レイラになったんだ。悲しいことではあるけど、それは絶対にレイラのものだ。わたしには、絶対にわたしのものであるというものがない。わたしだけのものがない。


 孤児院では、先生は皆に分け隔てなく接する。食事も差はない。同じ食事。同じくらいの量。小さい子は、もちろん違うけど。


 わたしがわたしであるためのなにか、それが欲しかった。わたしには、ジーンがどんな子かわからないから。わたしには、違う名前があるのかもしれないし、本当にジーンという名前なのかもしれないけど、でも、ジーンはわたしではない気がして。


 先生や他の子にもうまく説明できなくて、頭の中がぐるぐるして、気持ち悪かった。


 でも、そうしていると、わたしは皆と違うような気がした。誰にも説明できないけど、誰もそれがわからない。だから、それはわたしだけのもの。ジーンのものでもない。だけど、ジーンに貸してあげてもいい。ジーンに貸してあげたら、わたしもジーンも同じもの。


 わたしは、よくわからない説明できない、なにかを抱えた。そして、それを誰にも理解させないことにした。それが、わたしであり、ジーンだから。


 でも、それは、皆との間に見えないなにかを作ってしまった。わたしはジーンになった。けど、他の子たちと、どうやって仲良くなればいいのかわからない。わたしは、ジーンになるのにも一苦労したのに、皆は自然に皆なのだ。それを訊いてみたら、またよくわからないと、変な子だと思われたみたいだった。


 そうなると、わたしとジーンを結びつけたそれは、おかしいものだということになってしまう。そう思うよりは、わたしが皆に意地悪されていて、答えてくれないのだと思う方が良かった。


 そうして、周りの子とあまり仲良くなれそうにないことがわかると、わたしはよく俯くようになった。顔を合わせて、話して、また変な表情をされるのが嫌だから。でも、別に困らない。先生の授業を受けているのがほとんどで、俯いていても変に思われることはあまりないから。先生も、話を聞いているのには気づいてくれていた。


 ある日、わたしは部屋の壁に寄りかかって、本を読んでいた。先生が貸してくれたものだ。一体、どこであれだけの本を手に入れたのか、誰も知らない。そのうちの一冊を読んでいた。

 物語だ。あまり分厚くなくて、読み進めて半分くらいのところだった。王子様が結婚相手を探していて、ある村の女の子がその相手になりそうだった。でも、魔女と呼ばれる赤い目の女の人が、死んだ王子様のお母さんを蘇らせて操って、その結婚を邪魔しようとする。

 王子様と女の子がどうなるのか、少し楽しみにしながら読んでいた。物語は喋らないから、わたしをおかしいだとか変だとか言うこともない。


「あなたはいつも俯いているわね」


 夢中で本を読んでいると、そう言われた。意識は物語に向いていて、声はただその言葉の意味しか頭に入らなかった。


「本を読んでいるから」

「本を読んでいなくとも俯いてるじゃない」


 何気ないときに言われたなら、わたしはムッとしただろうけど、そのときは特にどうとも思わなかった。なにかを考える力さえ物語の方に向けたくて、相手に考えさせるようなことを言う。


「じゃあ、どうすればいいの」

「夢を見て」

「夢?」

「そう。楽しい、幸せな未来。そんな夢。見たいものがあれば、下じゃなくそちらを見れるでしょう?」

「見たくないものも多いよ」

「無視すればいい。たった一つ、夢だけ見ていればいい。それだけで、前は向けるから」


 夢。未来。それで、前を向ける?


「そもそも、わたし、前を見たいなんて言ってない」

「……じゃあ、好きにしたら? わたしだって、あなたのことはどうでもいい」

「…………」


 本が進まなくなっていた。紙をめくる手が止まってしまう。恐る恐る、顔を上げてみた。

 でも、そこには誰もいない。今は窓からの日差しが眩しいばかり。誰かがいたのだと思う。わたしの想像と話していたとは思えないから。ただ、それなら、わたしのことを見放さないで、まだその場にいてくれたかもしれない。

 だから、誰もいないということは、どうでもいいとは言いつつも、わたしに前を向くように言ってくれた人がいたはずで。


「誰かが、心配してくれたのかな」


 誰とも仲良くできなくて、わたしのことを気に掛けている人なんていないと思ったのに。少なくとも、一人はいたんだ。そんな人が。


 それに気づくと、誰がそうなのか、気になってしまう。でも、本に集中していたせいで、誰の声だったのか全く思い出せない。話し振りは女の人だったような気がしないでもないけど、それも多分、くらいのものだ。


「……夢」


 夢を見れば、前を向けると。別に、俯いていたって、わたしはいいけど。でも、前を向いてないと、心配する人がいる。心配してもらうために、ずっと俯いていようなんて、考えられない。

 それなら、前を向くことで、その誰かにいつか声を掛けてもらいたい。あなたのおかげで、わたしは前を向けるよって、気づいてもらって、友達に……なれたらいいな。


 夢を、見つけないと。


 でも、すぐには思いつかなくて、思い出したように重くなった手に気づく。先が気になっていたのだった。ひとまずは、今はまだ俯いて夢を探そう。もしかしたら、それはわたしの落し物かもしれないから。


 * * *


 夢を見る。

 それは、わたしの見つけた夢だった。物語を読み終えて、そして拾った夢。


 王子様は村の女の子と協力して、王子様のお母さんじゃなく魔女を倒した。操られていたお母さんは正気を取り戻して、結婚をしてもいいと言ってくれた。

 とっても、幸せな夢だ。きっと、この王子様と女の子なら、子どもを持ったとしても、捨てるなんかしないだろう。

 わたしは、わたしたちはどうして捨てられたのか、それはわからないけど、王子様たちにも、そのわからない理由が来る日もあるかもしれないけど、それでも捨てないことを選べるんじゃないかって、なんだかそう思えた。だって、これだけ幸せになれる最後なのだから、その先も幸せが満ちているに違いない。


 いいな、と思った。憧れた。


 村の女の子は、普通の子だった。親がいて、でもそれ以外は普通。特別ななにかを持っていたわけじゃない。わたしは、親に捨てられた。でも、それ以外はきっと普通だ。特別ななにかを持っているどころか、普通のものも落としてしまっているかもしれないけど。


 でも、わたしだって、この村の女の子みたいになれるはずだ。王子様は難しいかもしれないけど、王子様みたいにカッコよくて優しくて勇気がある。そんな人と結婚して、幸せに暮らす。子どもがいても捨てたりなんかしない。そんな風に、できるはずだ。なりたい。


 だから、これを夢にしよう。わたしの未来は、こんな風に。それには、どうしたらいいだろう。女の子は、どんな感じだっただろうか。

 そうだ。特別ななにかはなくても、お母さんを倒すのはやめた方がいいと言ったり、魔女を倒してしまってもいいのかと言ったり、王子様を気遣って優しかった。それに、強い王子様を助けるように、勇気があって、元気で。


 そんな風に、わたしもなれるだろうか。いや、ならないといけない。

 あとは、王子様みたいな人。どうしたら会えるだろうか。でも、会うとしても、この町は嫌だ。先生から聞いて、そう思ったから。なら、他の町。


 だったら、旅人になろう。


 王子様と女の子を守るのに、麗しい騎士様の他にも強い旅の剣士がいた。旅人はいろいろな経験をしていて、王子様たちが知らないことを知っていた。

 頭も良くなって、王子様みたいな人も探せる。いつか、旅人になって、かっこいい人と結婚しよう。それが、わたしの夢だ。


 顔を上げる。眩しい日差しは、紅く染まっている。物語に出てた魔女の瞳も、もしかしたらこんな色だったのかもしれない。物語を読んでいるときは、全然想像がつかなかった。俯いていたら、こんな景色も見逃していたんだと思うと、なんだか、ありがとうと言いたくなった。

 本を閉じると、パタンと気持ちいい音がした。


 * * *


 夢を見た。

 それは、友達と約束。アヴァさんに出会って、わたしは初めて仲の良い友達を得た気がした。


 前を向くようになってから、レイラさんや他の子と話す機会は増えたけど、なかなか踏み出せないでいたから。

 同じ部屋になったのと、これまでのわたしを知らないアヴァさんには、踏み出してくれたのもあってわたしからも歩み寄れた。それに、年上で憧れた旅人でもあるけど、どこか子どもぽいところが残っていて、壁を感じることもなかった。


 そして、メル。アヴァさんが治してくれて、わたしに懐いてくれた子。言葉は通じないけど、心の通じ合う友達。わたしのせいで逃げられなくなってると思っていたけど、アヴァさんがそうじゃないと言ってくれた。


 そして、約束。アヴァさんが一緒に連れて行ってくれると言ってくれて、とても嬉しかった。わたしの夢は、欲しかったものは、全て手に入ってしまうようになる。そう思っていたのに。


「さて、皆さんに話さなければいけないことがあります」


 夢は破れた。アヴァさんは、いなくなってしまった。お別れの挨拶を言うこともできないで、わたしを連れて行ってもくれなかった。


「アヴァさんが、神話における悪魔の関係者だと疑われ、騎士が来ました。今も、この孤児院の入り口は交代で見張られていますね」


 他の孤児院から帰って来たら、騎士の人が見張っていた。疑ぐるような嫌な視線をくぐって中に入ると、先生は皆に事情を説明してくれた。アヴァさんを逃したことについては、他の子どもから聞いた。先生は騎士に怪しまれているみたいで、特に睨まれていたから。


「わたしは、こんなことが起こってしまって、悲しいです。優秀な生徒が、一人失われてしまったのですから」


 夜になってご飯の後。今は、騎士の人は外にいる。いつもより夜の見回りをしている騎士は増えていて、アヴァさんが外で目撃されたのは確からしく、この孤児院の中にいることは疑われていない。


「騎士は、アヴァさんの情報をよく知っていました。それは、向こう側の人間からの指令のようですが、私はこちらへ来た人を知りません。また、フィンくんのことは、この孤児院にいる人間しか知り得ません。つまり、誰かが情報を流していた、ということです」


 食卓がざわめいた。もしも、本当にそんな人がいるなら、わたしだって許さない。アヴァさんは、まだここにいられたのに、わたしと一緒に行けたはずだったのに。


「もしも、心当たりのある人がいれば、あとで私の部屋に来てください。来なくても、責めはしません。理由は気になりますが、できることなら、そんな人などいなかったと思いたいですから。

 ……皆さんも、必ず誰かいるはずだとは、思わないでください。私も軽率でした。すみません。ここは、私が一番冷静になるべきでしたね。……では、皆さんおやすみなさい」


 一足早く、先生は部屋に戻って行った。いつもは最後になることが多いから、珍しいことだ。

 他の子達も、それぞれ動き出したり、話し出したりする。わたしは、周りの様子を見てみた。どこか、不自然な様子の子はいないか。


 ……一人だけ、いた。

 でも、それはとても予想外な人で。


 わたしは、部屋に戻ることにした。きっと、この人なら自分から言うはずだ。でも、どうして。


 * * *


 夜が更ける。わたしが怪しいと思った人は、なかなか動く気配がなかった。もしかしたら、今夜は行かないのかとも思ったけど、かなり時間が経ってから、遂に足音がした。

 皆が寝付くのを待っていたのかもしれない。それとも、話に行こうか迷っていたのか。どちらにしても、関係ない。わたしにとっては、犯人であるというのと、何故そんなことをしたのかが大事なことで。


 メルを優しく枕元に寝かせた後、足音を立てないように気をつけて、ゆっくりと先生の部屋へ向かう。灯りが漏れている。今夜は、眠らずに待つ気だったのかもしれない。


「あなたが、通じていたんですね。……俄かには信じられませんが」

「すみません。本当のことです」


 部屋の扉に耳をつける。多分、そんなことをしなくても物音はわかるけど、きちんと何一つ聞き逃したくなかった。


「……なにか、理由があったんですか?」

「……とても、自分勝手な理由です。先生は、わたしを嫌わないでくれますか?」

「理由によります。嫌いには、なりたくありません。そうとだけ、答えておきます」

「……わかりました」


 先生は、優しい。先生は、わたしたちのことが好きだ。勉強だって誰も置いて行かないし、好きなことをやらせてくれるし、全然怒らない。だから、こんなことがあっても、追い出すなんて言わないで、嫌いになるとも言わない。


「では、話してください。レイラさん」


 息を呑む。やっぱり、そうだった。もう、声でわかっていたけれど、改めて名前を聞くと、その実感が胸に降りてくる。


「はい。まずは、通じた経緯から。最初は、先生がアヴァや他の子達と、町の見学へ行ったときです。あのとき、先生がいない間に、向こう側の人間に雇われたという人が孤児院に来ました」

「なるほど。あなたは、それを隠していましたね。一体、どんな会話をしたのですか?」

「アヴァについてです。あの子を見張るように、それとあの子の様子を伝えるようにと。断れば、この孤児院がどうなるかはわからない、とも言われました」


 わたしは、知らないことだった。でも、アヴァさんはどうして、向こう側の人に目をつけられていたのだろうか。旅人だから、目立っていたのかな。


「ならば、あなたは脅されてアヴァさんの情報を渡したということですか?」

「いいえ。それもありますが、それだけではありません。そもそも、この孤児院がどうにかなるなんて、思ってませんでしたから。どんな危機でも、先生ならなんとかしてくださると」

「買い被りです」


 ちょっとばかり明るくなったレイラさんの声と、苦笑している様子がわかる先生の声。いつか見たような感じもする。


「しかし、脅しではないとすれば、どうしてアヴァさんの情報を?」

「それは、わたしが先生を好きだからです」

「……どういうことですか?」

「わたしは、先生が好きです。付き合ってほしいです。結婚して欲しいと思っています」

「……なるほど。好意はわかりましたが、それがアヴァさんのこととどう繋がるのですか?」


 わたしには、なんとなくわかった気がした。それは、あの物語と同じこと。だけど、絶対に好きにはなれない理由。


「アヴァは、綺麗です。そんな見た目なのに、可愛いです。そして、知識もあります。とても、魅力的な女の子でした。……だから、もしかしたら、先生が好きになってしまうんじゃないかと、いえ、アヴァが先生を好きになったら、わたしに勝ち目なんかないと、そう思って。……今までも、先生に近づく女子を牽制していました」


 物語でも、魔女は王子様に恋をしていたのだ。だから、魔女は王子様の恋路を邪魔していた。魔女と呼ばれ、疎まれる自分では、王子の間に止まることなどあり得ないと嘆いて。


「……薄々、気づいていました。ただ、大したことではないだろうと、そう思ったことが仇になったようですね。他に、言うべきことはありませんか?」

「情操教育として動物を勧めたのは、向こう側の人に言われたことです。その後に、メルを救ってもらう理由を作るために。メルも、向こう側の人が傷をつけて孤児院の前に置くと、事前に言われていました」


 思わず、その場に崩れそうになった。メルが、メルも? メルも、アヴァさんが出て行った理由に関係があるの?


「そして、メルが元気になったことを確認して……その頃には、わたしもアヴァのことが嫌いではなかったです。だから、なにも言ってません。だけど、ずっと前からアヴァのことを見張っている男がいることを、知っていながら誰にも言いませんでした」

「それで、全てですか?」

「全てです」


 毅然とした口調。だけど、どこか悔いているような口調。どんな表情をして、レイラさんは話しているのだろう。

 きっと、わたしが許してはいけないのは、レイラさんと通じた向こう側の人だ。アヴァさんのことを騎士に言って、メルのことも傷つけて。だけど、その想像もできないような相手よりも、レイラさんを嫌う方が遥かに楽だ。だって、この怒りをぶつける先がないなんて、そんなこと、認められない。


「なるほど、話はわかりました。しかし、そうなると向こう側のその人は、アヴァさんが悪魔に類するものだと、本気で考えていそうですね」

「先生は、そうは思いませんか? 人の言葉を解するフィンに、不自然なメルの回復。おかしいところは、多くあります」

「ええ、そうですが。レイラさんは、アヴァさんが悪魔だと?」

「思いません。あの子はいい子です。わたしが追い出せても、嬉しいと思えるような子ではないですから」

「そうですよね? それなら、なんだっていいでしょう。彼女はいい子だ。それだけで十分。逃してよかった」


 そう。そうだ。わたしは全く気にしていなかったけど、アヴァさんに悪いところなんか一つもない。それなのに、ここから追い出されて、わたしもついていけなくて、どうしてアヴァさんがこんな目に遭わないといけないんだ!


「さて、では、レイラさんのことですが」

「はい」


 わたしは、待っていた。先生が、いくら優しい先生でも、きっと厳しい罰を与えてくれるはずだと、そう信じて言葉の続きを。


「お咎めは、ありません。あるならば、私が受けるべきでしょう」

「……どうしてですか?」


 レイラさんの質問は、わたしもしたいくらいだ。だけど、おとなしく、扉の外で待っている。怒りたいし、言葉をぶつけたいけど、まずは話を全て聞いてから。なにかを聞き落して、後悔はしたくなかった。今夜のここでの話は、全て聞きたい。


「レイラさんには、お世話になっています。いつも授業の助けをしてくれますし、子供たちのこともよく見てくれています。それは、もしかしたら私との関係ができないように、とのことだったのかもしれませんが。特に、ジーンについては、あなたにしかできなかったことでしょう」


 突然、わたしの名前が出てきて驚く。レイラさんが、わたしになにをしたのだろう。


「どうでしょう。誰でも良かったはずです」

「そうですね。誰でも良かったのかもしれません。ですが、その誰でもの中から、声を掛けたのはあなたです。他の子は、そこまで気遣えるほど心が成熟していませんでしたし、ジーンもどこか人を遠ざけているように感じました。あなたが、ジーンの顔を上げてくれたんです」


 先生の、最後の言葉。それは、俯いていたわたしに手を伸ばしてくれた誰か。それを示す言葉ではないか。でも、もしも先生の言う通りなら、あの声の主は、レイラさんだった?

 そんな、まさか、だって、レイラさんは先生のことが好きなだけで。


「わたしは、わたしの思ったことを言っただけです。それこそ、先生の買い被りです」

「確かに、あなたは私の優秀な生徒の一人ですから、買い被りはあるかもしれませんね。ただ、私の評価は変わりません。だから、それまでの分で、あなたの罪は帳消しです。私の中ではね」


 レイラさんの言葉。思ったことを言っただけ。それを踏まえて、誰のものかもわからない言葉たちを思い出す。そうしてみると、確かにレイラさんに当てはまるような気もしてくる。そして、声が重なるような、そんな気も。


「でも、わたしはジーンを傷つけました。特にアヴァと仲の良かったあの子から、アヴァを奪ってしまいました」

「そうですが、今のジーンには、メルがいます。私は、ジーンが乗り越えられるはずだと、そう信じていますよ」

「それは、でも」

「私は気にしません。ですから、悔いるのであれば、他の子ども達に言って、謝るべきです。許してもらえなければ、私が代わりに責任を負います」

「……わかりました」


 ……そんな声を出されたら、許してしまう。だって、アヴァさんを奪った原因を作った、ただの悪人でいてくれたら良かったのに、レイラさんは違った。昔のわたしを、俯いていたわたしを、助けてくれた、手を差し伸べてくれた、そんな人だったのだから。仲良くなりたい、いつか友達になりたいと、そう願った相手だったのだから。


「でも、聞かせてください。どうして、先生がお咎めを受けるのですか?」

「それは、これを招いた一因が私だからですよ」


 中で先生が、溜息を吐いたのを感じる。

 わたしは、もうレイラさんを責めることはできない。アヴァさんが嫌うんだったら、一緒になるかもしれないけど、できれば皆が仲良くなれるような、そんな未来がいい。

 でも、だからと言って、代わりに先生を責めるなんてこともできない。なのに、先生は責任を負うだなんて言って。


「私は、恋を知りません。興味のままに調べ、知り、そうして今ここにいます。恋には興味が至らず、あなたの気持ちを軽く見ていました。

 それに、ジーンのこともそうです。彼女は、子どもの作り方を知りたいと言いました。それが、私にどれだけの衝撃をもたらしたか」


 また、わたしの名前だ。先生は、そんなに驚いていたんだ。わたしは、わたしのことで必死で、先生の様子なんか全然気づいてなかった。


「ここにいる子達は、捨てられた子達です。ならば、子供が欲しいと考えるとは思えませんでした。捨てられた自分たちを顧みて、子供が欲しいだなんて、どうして思えるのか。未だに、理解できていませんよ。

 しかし、子供が欲しいと思ったのは、ジーンだけではなかった。今まで、私は全く気づかなかったんですよ。恋と同じく、子供達の心情に」

「だから、先生も責任を負うべきだと?」

「そうです。全ては、私の知識不足。そして、子ども達に不自由をさせ、レイラさんを安心させることもできなかったのですから」


 わたしには、先生が悪いとは思えない。きっと、他の子ども達もそう思うんじゃないだろうか。だって、知らないことなんてあって当然だ。それが、なんでも知ってるような先生だから意外なだけで、普通のことだ。


「わたしは、そうは思いません。先生の話を聞いて、やはり悪いのはわたしだと思いました。だから、責任は全てわたしが」

「いえ、子ども達の責任は親のもの。私のものと同義です。こんな私ですが、私は皆の親だと思っています」


 そのまま、責任がどちらにあるか、レイラさんと先生が言い合いをしていた。それをずっと聞いていて、意思が抑えられなくなってしまった。


「どっちも悪くないです!」

「……ジーンさん?」


 先生が呆けたような声を出す。なんだか珍しいものを見た。


「悪いのは、アヴァさんを疑って騎士に捕まえるよう言った人です! それに、そんなことがまかり通るこの町です! 勝手に責任を取ろうとしないで、アヴァさんが帰ってきたときのために、ここがもっと良くなるように考えましょう!」


 声を出すために両手を腰に当てて、どこか前屈み気味。自分でもこんな声が出せたのかと、驚いてしまった。


「えっと、はい。わかりました。そうですね。そうすべきです」

「……わたしは、明日の朝に、皆に謝ります。責任がないと言われても、わたしが納得できないから」

「それならそれでいいと思います。じゃあ、そういうことで」


 そのまま扉を閉めて、また聞き耳を立てる。中はシーンとしていたけれど、急に明るい雰囲気が漏れてきた。


「いやあ、驚きましたね」

「……ええ、全く。いつからいたのでしょう」

「さあ。でも、彼女の言っていたことは、その通りですね。アヴァさんが帰られるように、ここを残すこと、そして町を良い方に変えること。子ども達にも、そのために頑張ってもらっていたんですし」

「……先生、改めていいでしょうか?」

「なんですか?」


 レイラさんの声は、なにか意を決したような、そんな感じだ。


「わたしは、先生が好きです。だから、結婚してください」

「……告白ですね」

「はい。告白です」


 素直なやり取りだ。レイラさんと先生は、20歳くらい離れてるのかな。先生が何歳だったか、詳しくは知らないけど。王子様というには、ちょっとカッコ良さが足りない。


「私は、先ほども言ったように、恋を知りません」

「はい」

「それに、皆さんのことは子どもで、自分は親のように感じています。だから、恋をすることもないんじゃないかと思っています」

「……はい」


 沈黙。とても、重苦しく感じた。軽くなっていた空気が、すごく重い。どんよりとしていて、曇り空のようだ。


「でも、わたしは先生と一緒にいたいんです。先生に、ずっと優しくしてもらいたいんです」


 レイラさんの声は必死だった。でも、それも当然だ。レイラさんは、親に捨てられた記憶があって、今は先生だけが頼れる人なんだ。その先生にまで捨てられてしまえば、もう心は壊れてしまうような気がした。

 ああ、昔のわたしは、記憶のあるレイラさんが羨ましいと、そんなことを考えていたなんて、本当に最悪だ。


「私は、レイラさんの夫にはなれません。まだ、考えられないことですから。ただ、その代わりに」


 空気が動く感じがした。先生が、体を動かしたみたいだ。


「レイラさんを、私の助手に任命します。卒業しても、ここを出て行く必要はありません。なんせ、助手ですからね」

「……はい」


 優しい声音の先生と、半分泣き声みたいなレイラさん。ああ、結婚みたいに綺麗なものではないけれど、これもまた幸せな物語の一つなのかもしれない。


 そのまま、レイラさんが本当に泣き出してしまったので、わたしはここにいるべきではない気がして、部屋に戻った。


 * * *


 夢を見る。

 アヴァさんとフィン、レイラさんと先生、わたしとメル。皆が一緒にいて、楽しそうに話している。


 それは今見ている、幻でしかない夢であり、いつか必ず叶えてみせる、幸せの延長線上にあるわたしの夢だ。

すみません、遅刻しました。

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