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「俺の家は、お前たちが向かっている町にある。そこで、代々商人をやっていたんだ。そこで、長男が家業を引き継ぐようになっていたんだが、それが気に食わなかった」
「どうしてですか?」
「しがらみが、うっとうしかったんだ。商品には規制、売り方も条件つき。だから逃げて、弟たちに押し付けようと思った。自由にやりたくて、こんなところにいるのは、それが理由さ」
両手をあげて、ガルトは自嘲気味に笑った。そして、思い出したかのように料理を口へ運ぶ。アヴァとブラムにも食べるよう促す。
「まあ、こんなところで売れるわけもなく、家畜を育てて自然を借りて生きている。で、弟たちは町で商人をやっていると思ったら、客からの話だ」
「町からここへ来る途中に、店があったっていう話ですよね」
「そうだ。もしも本当なら、確かめてもらいたい。あいつらは俺を嫌ってるだろうから、文を届けるだけでいい」
ガルトの視線が逸れる。その先には棚があった。文自体は、以前から書いていたのかもしれない。
「嫌われていると思うのに、文を渡すんですか?」
「まあ、飛び出すように出て行ったからな。老い先短い俺としては、謝っておくのも悪くないと思ってな」
ガルトは快活に笑う。どこか、嘘っぽく。
「もうな、ずっとここにいると、やりたいことも、やれることも見つからない。お前たちのおかげで、久しぶりに楽しい日々を送れていてな、本当に感謝してるんだ」
ガルトの穏やかな瞳が、二人を眺める。それはどこか似つかわしくなく、しかし二人にはガルトらしさを感じられた。
「俺も、二人には幸せになってほしい。そのために、手に入れられる知識はあった方がいい。俺では教えられないことも、弟たちなら教えられるだろう。だから、必ず立ち寄るべきだ。弟たちが、俺を心底嫌っているようなら、全て学んだあとに文を渡してくれ」
ガルトが両手を卓につく。振動でフィンが跳ねた。
「どうだろう。行ってくれないか?」
「わたしは、行きます。行きたいです。学べることが増えるのはいいことだと思うし、それに兄弟なら、仲直りした方がいいと思うから。助けられるなら助けたいです」
「アヴァが言うなら、俺は従うだけです」
「……そうか。ありがとう二人とも。……どうせなら、ここでずっと暮らしてもいいんだぞ?」
ガルトが提案する。アヴァには、とても魅力的なものに思えた。今の生活は楽しいし、特に苦痛に感じることはなにもない。
「わたしは、それでも━━」
「いや、駄目だ」
ブラムが、アヴァの声を遮るように重ねた。
「どうして?」
「もっといい場所があるかもしれないのに、ここで落ち着くのはどうかと思う。アヴァには、本当に幸せになってほしいんだ」
「わたしは、なにも怖いことが起きないで、お兄様といられたなら、それだけで幸せよ?」
アヴァは、本当にそれだけで良かった。多くは求めない。ただ、穏やかに過ごせれば、それで良かった。
「いいや、まだ、幸せはきっと、こんなものじゃないはずだ」
しかし、ブラムは違う。彼は、幸せという単語に囚われていた。曖昧模糊としたその単語は、ブラムの中でお金持ちでなに不自由ない生活だったり、労を要せずに暮らせる生活だったり、多くの幸せを見せていた。
「こんなものって、お兄様は今の生活に不満があるの?」
「……いや、ないよ。俺もこの生活は楽しい。でも、いつまでも続くわけじゃない。わかるだろ?」
「わからないよ……」
アヴァにはまだ、想像力が足りていなかった。足りていたとして、ブラムと同じ答えにたどり着いたかはわからない。
ブラムは、今のこの幸せを支えているのが、ガルトの存在だと考えていた。しかし、そのガルトも、いつまで生きているかはわからない。永遠ではないのだ。だからこそ、ここで立ち止まることをよしとはしない。
「まあ、俺もブラムに賛成だな」
「ガルトさんもなんですか?」
「ああ。嬢ちゃんよ、ここは寂しいぞ。人も多くは通らない。なんの面白みもないこんなところで、代わり映えのしない日々を過ごせば、いずれは退屈に殺される」
「でも、ガルトさんはずっとここで過ごしていたんですよね?」
「そりゃ、他に行くところもないし、家畜の世話や装備の見張りもある。過ごしたってよりは、離れられなかったってところだ」
ガルトは長く息をついた。そして、棚を指差す。
「それにだ、俺としては、文を届けて欲しいところだ。そのためにも、外へ出て、そしていろいろ学んで欲しい。ただ、アヴァの意思を蔑ろにはできねえ。ブラムはアヴァに幸せになって欲しいみたいだが、アヴァにはなにかそういう目標はないのか?」
「目標……」
そして、アヴァは思い出した。忘れてはいけなかった、託された意思のことを。それを忘れてしまうくらい、彼女はこの生活に居心地の良さを感じてしまっていた。あの地下での日々が、アヴァの中で、過去になろうとしていたのだ。
アヴァは首元に手を近づける。エフィーから渡された首飾りは、体の一部になってしまったかのように、その重みを失っていた。手触りを、確かめる。アヴァは、急に首が重くなったような気がした。
「ありました。ガルトさん、ありがとうございます。わたしは、まだここで留まってはいけないみたいです」
「よし、ならいい。じゃあ、それを達成するためにも、今は一つずつ力をつけていけ。さて、今日も美味しかった。夜も楽しみだな」
ガルトは立ち上がって、食器を外へ持ち出していこうとする。水は川から持ってくるか、川でしか使うことができない。
「わたしが洗うから、いいですよ。それよりも、お兄様に付き合ってあげてください」
「アヴァがいいなら、お願いします」
「わかった。そろそろ、盾の扱い方も覚えておくべきだな」
ガルトは食器を食卓の上に戻した。ブラムも自分の食器をそこに重ね、ガルトについて外へ向かう。
「ガルトさん、アヴァの説得を手伝ってくれて、ありがとうございます」
「気にするな。前はアヴァの味方をしちまったから、今度はブラム。それだけさ」
そう言って鷹揚に笑うガルトの背中を、ブラムは追っていく。その大きさも服も、なにもかも違うはずなのに。
その背中は、ブラムが思い出したもう一つの背中と重なった。
* * *
「とうとう、この日が来ちまったな」
「はい。これまで、お世話になりました」
ブラムが頭を下げると、アヴァもそれに倣う。二人の得た物は、目に見えるものも、見えないものも、ここへ来る前よりも遥かに多い。
アヴァは足に鞘入りの短剣を装着し、スカートで見えないようにしている。そして、腰の右側と左側に、布袋が一つずつ縛り付けられている。
一方で、ブラムはディルから受け取った剣と、ガルトから新しい剣を受け取り帯剣している。元々使っていたものは、刃こぼれが酷くなっていたため、ガルトが引き取ることにした。
「また寂しくなっちまうな。ま、悪くない。もしも、また寄ることがあれば歓迎するぜ」
「ありがとうございます。近くまで来ることがあれば、絶対に」
「おう、そうしてくれや。じゃあ、これを持って、頼むぞ」
ガルトが、丸めて紐で縛られた便箋を2通、ブラムに渡す。二つの便箋は、紐の色で誰宛てなのかがわかった。
受け取ると、ブラムとアヴァは後ろに待機していた馬に乗り出す。乗馬術も、ガルトから教わることができたのだ。
「弟たちによろしくな。嫌われているかもしれないが、どうしているかは気になっちまう」
「任せてください」
「頼む。手筈は覚えているな。その馬は弟のところに置いて、こっちへ来る客がいれば乗ってもらう。弟たちの反応が良ければ、馬の貸し出し商売を持ち掛けてくれ」
「はい。……無理そうだったら馬は貰っていいとのことでしたが、弟さんのところへ置いていった方がいいんじゃないですか?」
「いいや。俺のところは帰って来ないなら、馬が可哀想だ。弟たちよりはお前たちに懐いているし、俺のところに帰ってこないなら必要ない」
ガルトが二頭の頭を撫でると、馬は気持ちよさそうに嘶いた。
「わかりました。じゃあ、そのときはそうします。これまで、ありがとうございました」
「ありがとうございました!」
「おお、楽しかったぜ。元気でな! おっと、もちろんフィンもな」
アヴァのポケットから、ひょこっと顔を出したネズミに、ガルトは笑いかける。
「お前のおかげで、あいつらも楽しそうだった。アヴァたちが困ったら、助けてやるんだぞ」
フィンはいつものように鳴き、別れを告げるように尻尾を振った。
「はは。よし、それじゃあ二人とも、それとフィン。頑張れよ」
「もちろん。アヴァを守りきってみせます」
ブラムが馬の向きを翻させ、アヴァの方を見遣る。
「いろいろ教えてくれて、ありがとうございました。絶対に、また来ます」
「おう。敬語も料理も、随分うまくなったな。次に会うときは嬢ちゃん、なんて言えなくなってるかもしれん」
「わたしにとっては、ガルトさんはずっとガルトさんですよ」
「まあ、だろうな。……ほら、ブラムが待ってるぞ。早く行け」
促されて、アヴァも行く先へ馬を向ける。
ブラムはそれを確認し、馬の歩みを進める。アヴァも、それについていく。
少ししてアヴァが振り返ると、それに気づいたガルトが、顔を伏せ気味に手を振っていた。アヴァがその姿を捉えられなくなるまで、ずっと、ずっと、彼は手を振り続けていた。




