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自分には、これしかやれることがないと思っていた。今までのクソみたいな生活と比べれば、ここは快適に違いなかった。人を騙すだけで、いい生活ができる。俺が傷つくこともない。
「顔がいいだけで、なんの努力もしていない。皆はこんなに頑張っているんだ。お前も努力しろ」こんなことを言われる必要もない。
俺は、努力していたはずだ。閉ざされた道を開いてくれた団長には、言い表せないくらいの感謝の念を持っていた。だからこそ、少しでも力になろうと思って、寄った街では民話を聞き、その登場人物になり切ろうとした。
ディルが、自身の浅い経験を、他の人物になりきることで拡げようと考えたりのことだった。また、それだけではなく、時折行われる、余興としての小舞台に向けての備えでもあった。
人が見れば、あるいは努力をしていると答える者もいるだろう。見世物集団の中にもいたはずだ。
しかし、彼らは必死だった。ひたすら増えていくメンバーと、減っていく分け前。次第に、他人に対して形振り構っていられなくなった。
俺は、捨てられた。崩壊しかけた見世物集団の、穀潰しだと打ち捨てられた。他の捨てられた奴らは、慣れたもんだとでも言うように、すぐに歩き出した。だけど、俺は初めてだ。全てを失ったような気がして、放蕩していた。
そして、ここに捕まった。人を騙せば、楽ができる。それまでの暮らしを考えれば、抵抗はなかった。
なかったはずだった。何度も、何度も、誰かを騙しているうちに、その誰かが自分に重なっていく。
自分はこれまで虐げられていた。そこから抜け出したと思っていたんだ。だが、違う。虐げる側に変わっただけだ。虐げる者と虐げられる者。その関係からは抜け出せていなかった。
それに気づいたとき、俺は傷つけた人々に少しでも償いをしようと考えた。傷つけることを未然に防ぐのは、無理だった。
命令されれば無視できない。お頭は怖くない。嫌だと言ったことを、やらせないからだ。しかし、それを他のやつが認めない。
殺されたくないから、従うしかなかった。虐げられるのみであれば、まだいい。だが、命を失えばなにもできない。
だからこそ、抵抗してもらうしかなかった。俺が怪しいということに気づいてもらい、失敗するしかなかったんだ。なのに、ほとんどの人間が耐えて、騙され続けた。中には、その行為を望むやつまでいた。
そうして、罪を重ね続けて、俺はようやく、償うときがきた。何人かの女を守って、遂にエフィーに到達した。そして、彼女は俺に道を見出してくれた。
だから、俺は彼女に感謝している。
彼女が望むなら、死んでも構わない。俺はもう、目的を失ってしまったのだ。
最初こそ、村を出てなにかをするのに必死だった。抜け出して、見世物小屋で役割を得た。そして、それも奪われて、俺の底が見えた。
ただ生きるだけになって、楽だからという理由で現状を選んで、生きているという実感はない。
だから、目的を作った。自分の罪を自分で帳消しにすることで生きようとした。結局は、自分のために。ここではとことん、他人を使い捨てるような生活ばかりだ。
だって、そうだろ。お気に入りとして、俺が苦しませたやつを全員は無理でも、できるだけ側に置こうと思ったのに、本当に救えたことは一度もなかった。エフィーの両親みたいに一緒に逃げ出すことも、誰かを逃がすこともしなかった。
そうして、ただ、目の前で苦しみ、日に日に弱っていく奴らを見届ける。助けて欲しいと請われても、俺にできることなんかなにもない。臆病だったし、なにかができるとも思えなかった。
そんな日々に比べれば、できることがわかっている今は、とても気が楽だ。これが成功すれば、精算にもなる。俺が捕らえてしまった奴らを、全員ここから逃げさせられるのだから。そう考えると、余計に。
不安なのは、エフィーのことだけだ。あの簡単に壊れそうな身体に、あまりにも多くの負担を抱えさせてしまっている。最近は、体調も悪そうだ。
今日も帰ったら、話し相手になろう。どうも、今の彼女にとっては、会話こそが唯一の楽しみらしい。
そうだ。たまには、見世物でもやってやろうか。今では部屋の装飾になっているが、道具なら昔使っていた二本の剣が残っている。久しく演じてない身体が、まだ動きを憶えているかどうかだけが心配だが。
* * *
エフィーは、子を宿している。
確信した。これまでに匿ってきた女性でも、何度かあった。そして、これが彼女らの心を折ってきた。エフィーに降りかかることを、最も恐れていた現象だった。
エフィーの様子も、明らかに変わってきた。今まで以上に気疲れしているようだし、機嫌も悪くなってきた。夜になると、涙声が聴こえてくるようにもなった。
人員は確保できたし、お頭にも怪しい動きが出てきた。ここまで来れば、計画が消えることはないだろう。
しかし、エフィーはどうなる? 彼女は、ここから出ることを望んでいたのだ。それなのに、その身に枷となる重りをつけられてしまったのだ。
どうすればいいか、エフィーに相談されてしまった。だが、俺には答えることができない。俺には、なんの力もないのだ。エフィーは、俺にできないことがたくさんできて、助けようにも助けることができない。手伝うことはできても、俺自身が考えて、彼女のためにできることなどない。
俺には、エフィーの意志を尊重することくらいしかできない。励ますことくらいしかできない。他になにができる?
わからない。わからない。わからない……。
* * *
「ねえ、その後のことを考えたんだ」
「その後のこと?」
「うん。アタシにも、わかった。きっと自由になっても、外へ行ける人と行けない人がいる。だから、その後の選択肢を、作ることにしたの」
エフィーは、出会ったばかりの頃とは違っていた。あのときは、とても強く見えたのに、今では触れるだけでも壊れそうな気がしてしまう。
「その選択肢っていうのは、なんだ?」
「外へ出るか、諦めるか。外へ出るなら、ここにある金品と食料を渡す。諦めるなら、ここを火に包んで、一緒に燃えて無くなる」
「お前は、どっちを選ぶんだ?」
「アタシ? もう、どうでもいいなって思った人間が選ぶ方だよ」
「そうか」
やはり、エフィーも折れてしまったのだ。そう実感する。だが、それでも、まだ周りのことまで考えることができている。そこは、彼女の強さなのだろう。
「お前がそれを選ぶなら、俺も一緒に消えてしまおう」
俺の命は、今やエフィーのものだ。なら、エフィーと消えるのは当然のこと。
「ただ、我儘を言えば、お前には生き続けて欲しい」
エフィーは、生きることを望んでいない。だから、俺の我儘だ。
「残念ね。アンタの言葉は、アタシには響かないみたい。……ただ、ここまで付き合ってくれたのは、ありがと。ディルがいなかったら、もっと早く折れてた」
「どうかな。お前なら、って俺は思う」
「一緒にいるのがアンタじゃなかったら、アタシが立ち上がっても、なにもできないじゃない」
「……そうかもしれないな」
上の方にいる奴らは、大体がその立場を受け入れている。反抗する気力を持っているやつなどいないだろう。この制度を受け入れているから、上にいるのだ。
「アヴァには、会うんだろ?」
「アヴァがアタシを忘れてなければね」
「……そうか」
アヴァが忘れているなど、今までのエフィーなら絶対に言わなかった言葉だ。そこまで、弱っている。それがわかっていながら、俺にはなにもできない。掛ける言葉も見つからない。我儘を言っただけ。
ただ、一つだけ決めた。
「俺は、お前に約束するよ」
「なにを?」
「破ったら意味がないから、言わないでおく」
「なによ、気になるじゃない」
「……まあ、一人だけ、思い切りぶん殴ってやろうと思ったんだ。お前の代わりにな」
「誰のこと? アンタの言う頭?
「いいや。ここを腐らせたやつさ」
力しか振るうことのできない俺には、それくらいしか思いつかなかった。そしてそれは、これまで狂わせてきた人たちにできなかったことでもある。彼ら彼女らは俺よりも強く、しかし力はなかったから。
「結果だけ、あとで伝える。期待せずに待っててくれ」
「期待するものなんて、もうなにもないよ」
その言葉が、苦しかった。




