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アヴァとブラム、二人は部屋を出て、外へと向かっていった。ここへ来るのと同様に、ブラムがアヴァを背負い、彼女は目と耳を塞ぐ。
アヴァは、途中でポケットが軽くなったことに気づき慌てたが、程なくしてフィンが二人に追いついた。彼はブラムの足をよじ登り、器用にアヴァの肩に乗った。
「もう。勝手にいなくなるのはやめてね。とても、とても、怖いから」
アヴァが、身体を震わせつつ叱責する。わかったのかわからなかったのか、フィンはいつもと変わらぬ声で鳴いて、彼女のポケットに忍び込んだ。
「もういいな。行くぞ」
「うん」
動きを止めていた二人は、再び先へ進み始める。
ここで残された最後の用事は、蓄えられていた武器や金目のものを持ち出して行くことだった。
道中では浴びるように酒を飲む者、形見と思われるものを抱いて咽び泣く者、様々な人と感情が渦巻いていた。変わらないのは、人々がその場から動かないことだった。まるで、そこが自分に与えられた場所であるかのように。
この空間で自由に動き回っている、アヴァとブラムこそが異常な存在だった。
塞いだ耳に届く周囲の喧騒が気になり、アヴァはつい目を開けてしまう。
最初に、血や肉の散らばった床と壁が目に入る。そして次に、その凄惨な場で宴を楽しむ者や、悲しみに暮れる者が視界に映る。
「お兄様。この人たちは、みんな」
「ああ。邪魔をしてやるなよ」
短く交わされる言葉で、察してしまう。それがいかなる方法で、どのように行われるのかはわからない。しかし、アヴァたちのように抜け出して行く者は僅かなのだと、それだけは彼女にもわかった。
「お兄様、わたしを降ろして。大丈夫だから」
「信じるけど、気分が悪くなったら言えよ」
「うん」
アヴァは地に着くなり、ゆっくりと首を巡らす。一人一人の顔を、刻み込もうとしていた。
「その様子だと、転ばないか心配だ。手だけ繋ぐか」
「うん」
アヴァは足元を見ないように気をつけながら、先へ進んでいく。時々伝わる、柔らかい感触の正体を想像してしまわないように、彼女は周囲と先だけに意識を集中させていた。
「来たか」
やがて、二人は開けた空間に辿り着いた。ブラムについていくと、前の方にいたディルが声を掛けてくる。ここが、貯蔵庫だったのだろう。
「お前たちの分はこれだ。食料は少なくなってしまうが、ブラムがいれば大丈夫だろう。だから、金になりそうで荷物にならない、宝石や装飾品をやるよ」
アヴァがエフィーに貰ったものより、幾分か豪奢なネックレス、指輪、ブレスレットがブラムに渡される。その他、皮袋に果実が数個とパンが入れられ、アヴァが受け取った。
「助かる。だけど、お前に礼は言いたくない。これは、当然の見返りとして貰うからな」
「ああ、それでいい。ここで俺がやる善いことは、全て償いなんだ。感謝されても、困るだけさ」
ディルは自嘲気味な笑みを浮かべる。ブラムは表情を変えることなく、言うこともなかった。
「目的は、決まっているのか?」
ディルは、それだけは心配そうに訊ねた。これから見送る旅人に、必要なものを持っているのか、それを確認するために。
「幸せだ。俺たちは、幸せになるために旅をする」
ブラムは力強く答えた。母との約束。それを遂げられなければ、生きる意味などない。少なくとも、今の彼にはそうとしか考えることができなかった。
そして兄は、妹を見下ろす。彼女は促されたのだと気づいて、自らの答えを出す。
「わたしも、同じ。だけど、あとは、神様をぶん殴るの。エフィーに頼まれたから」
ディルは二人の回答に満足するように微笑んだ。ブラムは少し気に食わなかったが、わざわざ口に出すまでもないと無言を貫く。それに、それを我慢できないのは、なんだか子供ぽいと考えたからだ。
「わかった。頑張れよ。ここにいるほとんどの奴は、運命に挫けちまった。お前たちは、そうなるなよ。苦しいことがあっても、逆らうんだ。それができる強さを、持ってるはずだ」
ディルはそう言うと、腰の帯剣を外して、そのままブラムに手渡す。
「それなりに質のいいものだ。俺にはもう不要だし、見るなら俺の部屋に飾ってるので充分だ。やるよ」
ブラムは受け取り、利き手のある右側に帯剣した。
「必要になったら使わせて貰う。まだ、今まで通りの剣で充分だ。……それと、礼はやっぱり言いたくないけど、まあ、お前も頑張ったとは思う。から、少しでも救われれば、いいな」
言いたくないことを頑張った、というよりかは、改まって口に出すことが恥ずかしかった。ブラムは、そのまま顔を背ける。
ディルは口の端だけ緩め、ブラムの肩に手を伸ばす。しかし、その手が肩に届く前に首を振り、ダラリと腕を降ろした。
「いいや。俺はもう、救われたさ。救われたら、いけないのにさ。ああ、いけないことだ。わかってるんだ。だから、返すのに必死なんだ。返そうと頑張れたんだ」
ディルは力の抜けた腕を再度上げ、そのまま真っ直ぐ指差した。外からの光が漏れていた。
「お前たちが生き続ければ、そして幸せを得れば、俺はようやく全てを返せた気になれると思うんだ。だから、さあ、行け!」
最後の激励を受けて、二人は踵を返した。泣いてる人も、笑ってる人もいる。誰もが、二人を目の端で捉えていた。しかし、何も言うことはなかった。ここに残る誰もが、二人に言葉が届くとは思えなかった。
兄妹も足を止めず、振り向くこともせず、ただひたすらに歩いていった。二人を捕らえるものは、最早ここには存在しない。
* * *
その日の夜、兄妹は森にいた。ブラムは、獣が来ないか警戒しつつ、アヴァの穏やかな眠り顔を眺める。
彼はここしばらく、眠ることができなくなっていた。眠りにつくと、必ず悪夢を見るのだ。それはときに、獣の匂いであったり、人の叫びであったり、生々しい感触であったり、それらを蘇らせるばかりで、眠るのが怖くなった。
全て、忘れてはいけないこと。忘れ去らせてくれないこと。アヴァがいなければ、母の手紙がなければ、俺はもう、生きてはいないだろう。
さっきまでいた、あの地獄のような場所があった方を見上げる。さっきまで暗く、星々が瞬いていた空は、赤く染まっている。
そうすれば、本当に救われるんだよな。俺もいつか、同じことをするのだろうか。アヴァが幸せになった後は、それもいいかもしれない。
「安らかな、眠りを」
その呟きもまた、人々の命と同様に、夜空へと吸い込まれていった。




