第八話 二年という見積もり
「地上は、我々を殺そうとしているのか」
国王は、理人が名乗り終える前に尋ねた。
謁見の場として案内されたのは、玉座の間ではなかった。壁一面を地図と書棚が占める、小さな会議室である。中央の長机には地下王国の区画図が広げられ、幾つもの木札が水路や坑道の上へ置かれていた。
上座にいる男は四十代前半に見える。黒い上着の襟に銀糸の紋章がなければ、王とは分からなかっただろう。短く切った茶色の髪には白いものが混じり、右手の人差し指には、筆を持ち続けた者にできる硬い瘤がある。
ヴァルグラート国王、オスカー。
右隣には痩せた文官、左にはエルナが立ち、少し離れた席へアーデルが座っている。ガルドの姿はなかった。使者によれば、王宮へ来るより受熱槽の見張りを優先したらしい。
「分かりません」
理人が答えると、文官の眉が上がった。
「陛下の御前だ。言葉を選べ」
「選んだ結果です。上層熱受け槽へ、上から熱が流れ込んでいるのは確認しました。四十一年前までルドニア神殿庁が管理していた記録もあります。ただ、いま流れ込んでいる熱を、神殿庁が意図的に送っている証拠はありません」
「殺意がなければ許せると?」
「そういう話はしていません」
文官が何か言い返そうとしたが、オスカー王が片手を上げて止めた。
「続けろ」
「自然に生じた熱なのか、魔法を使った結果なのか、それもまだ判断できません。地上でいつ、どれだけの魔法が使われたか、その時刻と受熱槽の変化を比べる必要があります」
「お前は、魔法を使えば熱が出ると考えている」
「少なくとも、光や火として現れた分は、どこかへ熱を渡します。ただ、魔力そのものがどう変化するのかは知りません」
王は机上の紙へ目を落とした。
エルナが持ち帰った写しである。炭で擦り取った七枚の翼と塔の紋章、その下に「地上側の要請により、受熱量の記録を中止。槽の運転は継続する」と記された一文。アーデルがこちらの文字で清書したものも並んでいた。
「この受熱槽は、何をしている」
「流れ込んだ熱を冷却液へ移し、下へ送っています。槽の中で熱が消えているわけではありません。街のどこかへ運び、別の設備で放出しているはずです」
「その設備が壊れれば?」
「受熱槽へ戻る液が冷えなくなる。槽内の温度と圧力が上がり、最後は管か容器の弱いところが破れます」
「止めればよいのではないか」
文官が口を挟んだ。
「地上から来る管を塞ぎ、導力をほかへ回す。そうすれば揚水所も換気塔も動く」
「上から来る熱まで止まるなら、それでいいと思います」
「止まらないと言うのか」
「分かりません。受熱槽の弁を閉じたとき、地上側の設備が熱を引き受ける構造なら止められる。途中の管に溜まる構造なら、別の場所が破裂します」
「推測ばかりだな」
「図面がないので」
文官の口元が硬くなる。
理人は、自分の言い方が相手を苛立たせていると分かっていた。もう少し柔らかく、希望のある表現を選ぶことはできる。国王へ協力する意思を示し、自分なら解決できると匂わせれば、必要な立場も得やすい。
王城の召喚殿でも、似たことを考えた。使える人間と思われたくて、安全性に疑問のある昇降機へ乗った。
今度は、目の前に三万一千六百八十二人がいる。
分からないものを、分かるようには言えなかった。
「宮坂理人」
王が名を呼ぶ。
「お前はルドニアに召喚され、役に立たぬと判断された。その直後に、神殿庁が存在を隠した設備を見つけた。ずいぶん都合のよい話ではないか」
文官の言葉より、王の静かな声の方が答えにくかった。
「僕もそう思います」
「否定しないのか」
「疑う理由はあります。僕自身、なぜ殺されかけたのか分かっていない」
エルナが腰の革袋から、短く焼けた縄を取り出した。机へ置くと、油の臭いが薄く広がる。
「昇降箱の吊り縄です。刃物による傷と、燃焼を早める油が確認されています。自然な破断ではありません」
「これが、その男を吊っていた縄だという証明は」
文官が尋ねる。
「潰れた昇降箱から回収した。箱を発見した隊員も廊下に待機させている」
「地上側が用意した偽装かもしれん」
「なら、地上は自分たちの間者を昇降箱ごと落とし、死ぬ寸前まで痛めつけたことになる」
「疑いを晴らすには十分な方法だ」
「もう少しましな間者を使うだろう」
エルナの視線が一瞬だけ理人へ向いた。
「この男は、王都の名前すら知らなかった」
擁護されているのか、能力を低く評価されているのか判然としない。理人は黙って縄を見る。
「間者ではないと仮定しよう」
王は指先で縄の端を押さえた。
「お前なら、上層熱受け槽を直せるか」
来ると分かっていた質問だった。
直せると答えれば、この国で必要とされる。牢へ入れられず、セヴランに殺されないための力も得られるかもしれない。召喚殿で笑われた《熱流眼》を、国王が欲しがっている。
喉まで上がってきた返事を、理人は飲み込んだ。
「いまは、直せません」
文官が小さく息を吐いた。予想どおりだったとでも言いたげな音である。
「冷却液の種類も、循環量も、受熱槽の容量も分かっていない。熱が入る間隔も一定か確認できていません。壊れている場所が一つとも限らない。手を入れるには、まず状態を測る必要があります」
「どれほどかかる」
「それを判断するための調査です」
「では、何ができる」
「壊れ方を予測しやすくする。温度と圧力を記録して、危険な変化が出たとき退避できるようにする。冷却系統を追って、熱がどこへ運ばれているか確かめる。いま使っている設備と導力の系統を調べて、揚水所を動かしたら換気塔が止まるような状態を減らします」
「結局、調べるだけではないか」と文官。
「調べずに直した結果が、昨夜の逆流です」
言ったあと、理人はエルナを見た。
第七揚水所の二号機を起動したことで、第五換気塔への導力が不足した。原因を知らなかったとはいえ、方法を提案したのは理人である。
文官がその失敗を追及する前に、王が口を開いた。
「逆流で二人が倒れた。だが、以前に死んだ二人の原因も見つかったと聞いている」
「まだ同じ原因と決まったわけではありません」
「お前は、自分に有利な話まで否定するのだな」
王の声音に感心も苛立ちもなかった。理人を観察しているだけに聞こえる。
オスカー王は机の端に置かれた冊子を取り、理人の前へ滑らせた。
表紙にはアーデルの文字で「王都基盤設備・継続稼働予測」とある。
最初の頁には人口、食料生産量、飲料水の確保量、坑道ごとの浸水速度が並んでいた。単位は読めない。アーデルが横から指を置き、地球のものに近い言葉へ置き換えていく。
給水量は十二年間で一割以上減少。排水設備の故障は同じ期間に三倍。居住区の平均気温は測定地点によって二度から五度上昇している。正体不明の発熱、頭痛、嘔吐を訴える者は下層ほど多かった。
最後の頁には、大きな数字が一つ記されている。
「六百八十七日?」
「最も早く限界へ達すると予測された設備が、その日数だ」と王が答えた。
「何の設備です」
「第三浄水所。完全に停止すれば、王都全体へ必要な飲み水を配れなくなる」
「六百八十七日後に停止する根拠は?」
「過去十年の処理量低下から算出した」
「処理量が同じ割合で低下し続ける前提ですか」
アーデルが冊子を覗き込んだ。
「そう書かれているわね」
「部品の劣化が進めば、低下の速さも変わる。明日急に壊れる可能性もあるし、応急処置で三年動く可能性もあります。この数字だけでは、六百八十七日と言い切れない」
「なら、二年という見積もりも誤りか」
「数字が細かすぎます。安全側に見るなら、長くても二年。短い方は分かりません」
室内が静まった。
悲観的な答えを求められていたわけではない。それでも冊子を読めば、楽観できる材料は見つからなかった。
王は背もたれへ身体を預け、目元を指で押さえた。そこで初めて、年齢より疲れて見えた。
「この報告は、三か月前に出された。知っているのは、ここにいる者と技師組合長、医療院長、それに軍の上層だけだ」
「住民には?」
「知らせていない。二年後に水が尽きると触れ回れば、二年を待たずに街が壊れる」
その判断が正しいのか、理人には決められなかった。隠すことで修理の協力を得られなくなる一方、飲料水をめぐる混乱が起きれば、弱い者から水を失う。
どちらを選んでも、数字だけでは答えが出ない。
「宮坂理人。十日やる」
王が言った。
「王都の基盤設備を調べ、何を先に直すべきか報告せよ。アーデルとガルドには、必要な記録を見せるよう命じる。坑道へ入る際はエルナの許可を得ろ」
「十日で修理するんですか」
「優先順位を決める。修理はそのあとだ」
「調査の途中で危険な設備を見つけた場合は?」
「ガルドかアーデルの同意があれば停止を許す。人命に直結し、同意を得る時間がないときは、お前とエルナの判断で止めてよい」
文官が王へ顔を向けた。
「陛下。素性の知れぬ者へ、設備の停止権限まで与えるのは――」
「壊れかけた設備へ触れさせておきながら、止める権限だけ与えぬ方が危険だ」
王は机の引き出しから、銀色の札を取り出した。表に王家の紋章、裏には新しい文字が刻まれている。
「王命設備調査員。技師ではない。王国への忠誠も求めん。ただし、調査で知った地上側の情報を許可なく住民へ伝えることは禁止する。破れば拘束する」
「拒否したら?」
「牢へ戻す。食事は出す」
エルナと同じ答えだった。
理人は銀札を手に取った。薄い割に重く、縁が手のひらへ食い込む。
自由を得たわけではない。監視される場所が牢から工房へ変わり、役に立つ間だけ歩くことを許されたにすぎない。それでも、設備を調べる権限と、止めるための条件が明文化された。
「十日後に、直せないという結論になるかもしれません」
「そのときは、直せない理由を持ってこい」
王は冊子の途中を開き、ある項目を指した。
第三浄水所。処理量低下、下層給水区における金属性異臭、原因不明の腹痛と手足の震え。
「まず、ここを見ろ。昨日の報告では、下層の飲み水が悪化している」
「いつからですか」
「苦情が増えたのは三か月前。ただし、水がまずいという訴えなら何年も前からある」
理人は冊子を閉じず、記載された症状と給水区域を見比べた。
六百八十七日後の故障より、すでに住民が飲んでいる水の方が先だった。
「フィアに水質検査の記録を用意させます。明日ではなく、今日中に試料を採りたい」
「好きにしろ」
王が答える。
「十日は、もう始まっている」




