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「そこまでよ。オニアーーーーアァーーース!」
静寂を切り裂き、高らかに響きわたる凛烈たる女性の声。それは戦場に咲く一輪の徒花のごとく、場に不釣り合いな高揚を帯びていた。
「チッ、うるさいな。いちいち伸ばすな。おい、またお前か。小娘。蛆のように、どこでも湧きやがるな」
忌々しげに舌打ちを漏らし、肩をすくめるのは、闇に身を置く者――オニアス。その眼差しには、執拗に立ちはだかる闖入者への、底知れぬ倦怠が滲んでいた。
「あなたの行く手に、常に、ヘナ・チョコリナありよ! 覚悟なさい!」
翻るマント、虚空を指差す指先。彼女は、叙事詩の一幕を演じる騎士のごとき、絢爛たる決めポーズを披露する。
「仕方がない。付き合ってやる。さっさと無駄な長セリフを始めろ」
諦念にも似た冷笑を浮かべ、オニアスが促す。対するヘナ・チョコリナは、天啓を希求する聖女のごとく、両手を天へと仰ぎ広げた。
「愚かで、無知なる悪の子よ。この偉大なる、崇高に満ちた神獣の前に平伏すのです! さあ、出でよ。深淵の禁忌を守りし守護者――深淵の要塞、アビス・ガーディアン!!!!」
その咆哮に呼応し、大気が震える。
「ば、馬鹿な! ついにモノホン召喚できるようになったというのか!?」
「フッフッフ♪ 後悔しても、もう遅いわよ♡」
地表に刻まれた魔法陣が、冥府の業火を思わせる禍々しい輝きを放つ。大気は収束し、狂瀾を極める突風が吹き荒れた。眩いばかりの発光体から、次元の壁を穿って「それ」が具現化する。
「ミュー!」
出現したのは、円らな瞳を持つ、あまりにも愛くるしいカタツムリ型の軟体生物であった。
「あら? おかしいわね……。きっと、また今度も、世界が私の理解に追いついていないせいね。そうよ。もう一度……」
「どけ!」
混迷を断ち切る無慈悲な一喝。オニアスの放つ不可視の念動が、肉体の質量を無視してヘナ・チョコリナを弾き飛ばした。
「あーー(棒)」
ドスッ!
物理法則に従い、無残にも冷徹な石壁へと叩きつけられる肉体。
「ぐはっ!(棒)」
「さて、サプライズの余興も済んだ。はてさて、メインディッシュと行こうか」
オニアスの視線が、小脇に抱えた神官へと移る。そこには、獲物をなぶり殺そうとする捕食者特有の、下劣な愉悦が宿っていた。
「い、いや! だ、誰か! 誰か助けてーー!! 誰かーー!!」
悲痛な絶叫が地底に木霊するが、オニアスは一切動じない。冒涜の歩みを止めず、生贄を捧ぐべき祭壇へと着実に、一歩ずつ歩を進める。その手には、反対の腰から抜かれた一振りの短剣。刀身はいびつに歪み、呪詛を孕んだかのような禍々しい燐光を湛えていた。
不意に、オニアスは神官の女性を、羽毛を扱うがごとき慈しみを持って地面へと下ろす。
「ああ、どうも」
「いえいえ」
「……助けてーー!!」
混乱の極みにある神官が脱兎のごとく駆け出そうとするが、その細い手首を、鉄の枷にも似た剛腕が力強く捕捉した。
「さあ、神殿に貴様の血を捧げるのだぁぁぁーーーー!!!!」
「シュッ」
刹那、鋭利な刃が空を裂く。神官の小指の先端に、針で突いたほどの微かな亀裂が走り、真紅の雫が静かに一滴、祭壇へと零れ落ちた。
「……えっ!? これだけ!?」
「そうだ。血は血だ。もう用はない。じゃあな」
「じゃあ……」
嵐のような緊迫感は霧散し、オニアスは未練など微塵も感じさせぬ背中を見せ、神官の女性はヘナチョコリナを無視って静寂の彼方へと去り行くのであった。




