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「飛ぶぞーー!!」
俺は気合を入れ、巨大な翼を力一杯バタつかせた。
視界に広がるのは、素晴らしく赤く、どんよりとして、息が詰まりそうなほど重苦しい空。およそ「冒険の始まり」には相応しくない地獄のような光景だが、最強っぽい龍である俺にはこれくらいが丁度いいのかもしれない。……多分。
「おいおいおいおいおーい!! そんなに埃を立てるなよ」
ケツより後ろでラタトスクが、尻尾で顔を覆いながら抗議の声を上げた。
「だって飛んでいかなきゃいけないじゃんよ」
「まだ脳ミソが治ってないみたいだな。向こうの空に飛んでっても、後ろの空からまた出てくるだけだぞ」
「何それ怖っ。俺たち、閉じ込められてんじゃないのか?」
無限ループってるのか。
「出口がなければそうかもな。だいたい、ここを作ったのはお前とお前の妹のウロボロスだろ。この世界に不満なら妹に言え」
「妹!? 最高じゃないか! で、そのウロボロちゃんはどこにいるんだ?」転生モノの定番、さっそく身内ヒロインか! 期待に胸を膨らませる俺に、ラタトスクは冷ややかな視線を浴びせてくる。
「最高!? お前、あいつを心底嫌ってたけどな。あいつは重度のブラコンだ」
「重すぎるのは好きじゃないな……」
愛が重すぎて物理的に締め殺されるパターンか。それは勘弁してほしい。
「まあ、会えば思い出すさ、嫌でもな。ウロボロの行き先なんて知らない。お前が数億年の眠りに入ってる間、少し前に目覚めてふらっとどっかに行った。まあ世界を旅してればどこかで会うだろう。たぶん」
「まあ、一つのディグる楽しみとして覚えておくか。で、どうやってここから出るんだ?」
「あの穴に入るんだよ」
「えっ……」
ラタトスクが短い前足で指さした先、眼下に広がるのは――。
そこには、変で汚い水たまりがあった。
いや、水たまりと呼ぶにはあまりに冒涜的だ。黒く禍々しい液体が常時ブクブクと泡立ち、渦潮が巻くたびに「オオオ……」「助けて……」と得体知れぬ悲鳴が幾重にも重なって聞こえてくる、あの世の特製片道切符スープみたいな湖だ。
「あれに入んの!? うっそーー!!」
「そうだよ。あく行けよ。じゃないと、無駄に髭を伸ばしてイキった神が、この世界に乗り込んでくるぞ。お前はどうか知らないが、俺はここで24時間365日、だらだら飯を食いながら寝て過ごすのが好きなんだよ」
「それは守らなければならない。それ以上に楽しいものなどこの世にないからな。よし、行くぞー!」
ニート生活の平穏を乱す奴は、神だろうがなんだろうが俺の敵だ。
「まあ、気をつけろよ。馬鹿な連中が気紛れで開いた転移門だから、歓迎パーティーが待ってるかもな」
「えっ……そういうのは……嫌だな。俺は善人プレイで、最初はじっくり世界を観光したいタイプなんだ」
できれば、すれ違う住人一人一人に話しかけて、世界観を噛み締めがら、ゆっくりと消化していきたいんだ。いきなり、善人か悪人か自己判断してない奴を殺すかもしれないのは、モヤモヤするな。
「何をわけのわからないことを。まあ、達者でな。土産話、たくさん持って帰ってきてくれよ。お前がいなくなったら、それはそれで寂しいからな」
雑になるラタトスク。
「分かった、任せろ」
俺は湖の淵に立ち、じっと水面を見つめた。
相変わらずブクブクしている。……ふと、遠くの景色を眺める。しかし、この世界はなんて静かなんだ。景色は酷く汚いが、これ以上ないほど平和だ♪ ここから俺の異世界ライ……。
「…………早く行けよ!!!!」
「わかってる、わかってる。そう急かすなって、心の準備ってもんが……」
その時、背中に凄まじい衝撃を感じた。
ラタトスクの念動が、俺の巨大なケツを容赦なく押し出したのだ。
「あーーーー(棒)」
落下。
空中で必死に翼を開こうと試みる。えいっ、ふんにゃ! 開け! 飛べ! 俺のドラゴン・ウィング!
……頑張ったが、耳しか動かなかった。
「最悪だ。背中から落ちるなんて……!」
巨大な質量が重力に従い、暗黒の湖へと叩きつけられる。
俺はそのまま「ブクブクッ」と、得体の知れない悲鳴のコーラスの中に沈んでいった。




