余興②ボツ案2公開-2
キリのいいタイミングでチャイムが鳴った。クラスの人たちはバラバラと各自の席に戻っていく。これからホームルームをやるんだろうが、オレの隣の席の黒井さんはまだ来ていなかった。そのことを黒崎くんに言うと「可愛い子だったらいいな!」と、何がいいのかわからないがネタキャラ度が高い返事をもらった。
ほどなくして担任の先生が教室に入ってきた。グレーのパンツスーツにゆるい栗毛が似合う、若い女の先生だ。名前はクラス分けの張り紙に載っていたが、漢字が難しかったので読み方はわからない。なんて言うんだろう。
「は〜い、はじめまして〜、亀掛川 めぐみです〜。これから1年間よろしくおねがいしま〜す」
亀掛川先生は、入学初日のオレたちの緊張を解くような、ゆるふわ〜な笑顔で挨拶した。見た感じかなり若めだが、新任って感じじゃないやる気のなさ、もとい力の抜け方だ。ちょっと頼りない感じはするけど、変に怖い先生よりは大歓迎だ。
「は〜い全員揃ってますね〜」
「先生、黒井さんがまだです!」
……最前列の空席を見逃すやる気のなさ、もとい力の抜け方である。すかさず黒崎くんが修正する。ひな壇芸人ばりの反射神経で少しでも存在感をアピールするその姿勢はちょっと面白い。面白い人は好きだ。
「あら〜そうですね〜、なにか聞いてますか〜?」
「いや、何も……」
「そうですか〜。まぁ遅刻でしょう〜。ではホームルーム始めま〜す」
……なかなか楽しい先生だ。
ホームルームといっても大した情報はなく、何分後に入学式で体育館入口のここらへんに集まるんですよ〜とか、式の後は自己紹介するから考えといてくださいね〜とか、そんな感じだ。語尾に影響されつつある。
ホームルームが終わると、クラスのみんなは体育館裏に移動する準備を始める。トイレに行ったり、リボンを直しあったりしている。涼夏ちゃんは早々に女子の集まりに参加してしまったので、オレは黒崎くんといい時間になるまで暇を潰すことにする。
「いやー、可愛かったな! 担任の先生! えーっと……」
黒崎くんは興奮した様子で言った。
「亀掛川先生」
「そうそう! あの、ちょっと抜けてる癒し系な感じが非常に僕好み!」
「……」
涼夏ちゃんに惚れてるのかと思ったら、可愛い子なら誰でもいいのか。節操がない。クラスの男たちも「亀掛川先生推せる」と持ちきりだ。でもオレは、あの先生かなり曲者だと思うよ……。
そんなこんなで数分間ほど時間を無為にしていると、涼夏ちゃんが体育館履きに履き替えに戻ってきた。机の横にかけた巾着袋から上履きを出して、ローファーと履き替えている。
「ユニスケたちもそろそろ出る準備したほうがいいよー」
トントンと爪先を鳴らしながら涼夏ちゃんは言った。いつの間にかみんな移動したのか、教室にはほとんど人がいなかった。まぁ涼夏ちゃんが言うなら、そろそろ準備しておこう。オレも机の横の上履き袋を……。
「……上履き忘れた」
思わず呟いてしまうと、涼夏ちゃんは深々とため息をついた。
「入学早々なにしてんのよ!」
「にゃはは……」
「にゃははじゃなくて! 事務室でスリッパ借りてきなさいよ! 場所わかる? 付いてってあげようか?」
「涼夏ちゃんオレもう高校生だよ」
「それなら、ちょっとは成長しなさいよ! 事務室は一階の中央階段降りて右ね! それじゃ!」
涼夏ちゃんは怒った勢いそのままでさっさと行ってしまった。事務室の場所を教えてくれる涼夏ちゃんの優しさにオレは今日も救われている。このままじゃいかんな。オレもしっかりしないと、涼夏ちゃんに手間ばっかりかけてしまう。
体育館が左側だった気がするから、事務室は真逆の方向だな。ってか時間やばい。
「ごめんねー黒崎くん。時間もないし、先体育館行ってて」
「おう! お先に!」
そう言うと黒崎くんは去っていった。やれやれ。オレはこれからスリッパを借りるべく事務室に行かねばならない。
重い腰を上げ、オレは中央階段を……どれだそれ。まぁいい。適当な階段で一階まで降りて、廊下を右に進んでいく。ほどなくして事務室の看板が見える。ありがとう涼夏ちゃん。
「失礼しまーす……」
半開きのドアを開けながら中を覗くと、雑然とした室内にいるひとりの女子生徒と目が合った。不意を突かれたように見開かれた大きな猫目がオレを捉える。
「……ども」
申し訳程度に挨拶すると、椅子に座った彼女は軽く会釈を返して、すぐに足元の8ホールブーツに向き直り、靴紐を緩めた。クールというか、そっけない態度だ。この子もオレと同じく上履き忘れ仲間だろう。
胸元のリボンが赤色だからオレと同じ新入生だ。うちの高校に靴の規定がないとはいえ、ドクターマーチンの無骨な黒とイエローステッチが個性的。何より、肩にかかる艶やかなストレートの黒髪には目を見張る美しさがあり、そうやって丸まっている姿はさながら黒猫のようだった。
事務員さんはいないようなので、スリッパがいっぱい入った段ボール箱から勝手に一組抜き取る。と、ちょうどくだんの黒猫女子がスリッパに履き替えたようで、半ば入れ違いのように事務室を出た。
オレもすぐ後を追ったが黒猫さんはおらず、振り返ると黒猫さんは何やらきょろきょろしながら体育館とは逆の方向に歩いていた。
「体育館なら、方向逆だけど」
頼りなさげな背中に話しかけると、黒猫さんは肩をぴくんっと震わせて、恥ずかしげな笑顔で振り向いた。さっきのそっけない姿とのギャップで余計に可愛く見える。
「えへへ、ありがとうございま……」
言いながら何かに気づいたような顔をして、黒猫さんは突然走り去っていった。なんだったんだろう、とぼんやりしながら腕時計を見る。
「って、もう始まってんじゃん!」
オレも大急ぎで体育館に向かった。途中スリッパが脱げそうになりつつも体育館裏の集合場所に着く。吹奏楽部の演奏が聞こえる。やばいやばい。既にクラスごとに整列していて、先頭の方のクラスは入場行進が始まっていた。えーと、1年7組はっと……。
「ユニスケ! こっちこっち!」
人混みの中から涼夏ちゃんが手招きしてくれた。うおおおお助かったぁ!
「ギリギリセーフ……ってとこか?」
「どこがよ! 髪ボサボサ! あーもう、じっとしてて!」
涼夏ちゃんは虚空を掴むような動作をしたかと思うといつの間にか小さなヘアブラシを握っていた。涼夏ちゃんはこう見えて手品が好きなのだ。何度見ても全然タネがわからない。サラッとやられると本当に異次元に手を突っ込んで取り出しているように見える。スズえもんと前に呼んだら怒られたけど。
驚いたオレを見て満足げな涼夏ちゃんは、急いで走ったせいで乱れたオレの髪に櫛を入れる。涼夏ちゃん、オレたちもう高校生だよ……。人の目というものがですね……。
「なに? この売れないバンドマンみたいな髪。うっとおしいのよ」
「知らないの涼夏ちゃん? これはマッシュウルフってんだよ」
「なーにがマッシュウルフよ。大体、マッシュ要素はどこなの?」
「さぁ……ここらへん?」
サイドの丸みを指して言うと、涼夏ちゃんは力が抜けたように笑い、「ちゃんとしなさい」とオレの肩を小突いた。さて、そろそろ7組の入場だ。
* * *
入学式はつつがなく終わり、校長先生がタヌキみたいだったという感想しか頭に残らないままオレは教室に戻った。クラスのみんなが戻ってくる中、オレの隣は不在のままである。
やがて先生が来て、
「自己紹介タ〜イム!」
と言い放ち、途端にクラスに緊張が張り詰める。自己紹介とはそれだけで第一印象のみならず今後の立ち位置的なものまでぼんやりと決まってくる一大事だ。オレはクラスのみんなのことを知れて楽しいけど。ここで良い印象を残すためには何を言えばいいんだろうと悩む人にとってはかなりの緊張だと思う。順番待ちの残り人数がまるで爆弾の導火線のように見えることだろう。
いつもなら自己紹介くらいで動揺しないオレだが、今回はペン回し部の勧誘活動の大きなチャンスである。ここでなるべく多くの人にペン回し部に興味を持ってほしい。責任重大だ。
張り詰めた空気を感じつつ、オレは教卓の前に立つ。クラス中の視線がオレに集まる。
「或波 由仁助です。趣味はペン回しです」
張り詰めた緊張の糸が緩んだような笑い声で歓迎される。こう言うとなぜかみんな笑ってくれるのだ。掴みは完璧。挨拶がわりにリシャーボを実演すると、ガチすぎて引かれてしまった。スリップトダブルインフィニティくらいでよかったかな。失敗。
「ペン回し部を作ろうと思ってるので、興味があればぜひ声かけてください。よろしくおねがいしまーす」
一礼すると暖かい拍手に包まれる。うん、緊張もいい感じにほぐれた。この段階では、変なやつがいるなと覚えてもらえれば成功だ。不本意ではあるが。
次は涼夏ちゃんの番だ。
「乾 涼夏です! よろしくおねがいします! 趣味は……手品です!」
そう言うと涼夏ちゃんは何もないところからスカーフを取り出してみせた。どよめく教室。涼夏ちゃん……オレのペン回しに対抗してきた。
「部活は、まだ考え中です!」
えっ、ペン回し部は?
「同じ中学の人あんまりいないので、仲良くしてください! よろしくおねがいします!」
暖かい拍手。……えっ、ペン回し部は?
オレと涼夏ちゃんが自己紹介のハードルを上げてしまったのか、次の植木くんが「特技は……ゴミを木に変えることです!」などとボケて微妙な反応をもらっている。うえきの法則ネタ、オレでなきゃ見逃しちゃうね。
和やかなムードで自己紹介は進行し、次の番は……。
「黒井さん〜……は、遅刻ですねぇ〜。次――」
先生が黒井さんを飛ばして黒崎くんに促したその時――
ガラッ! と教室の前側、オレの目の前のドアが開いて、ドクターマーチンの左足がぬっと入室した。
もう半歩進み、全身が現れる。ドクターマーチンの8ホールブーツにスカートの甘辛コーデ。ゆるいリボン、着崩した制服。前を開けたブレザーのポケットに片手を突っ込み、もう片手でペラペラの通学鞄を抱えている。首にヘッドホンがかかっていて、セックス・ピストルズが薄く漏れ聞こえる。デストローイ。
パンクないでたちの女子生徒は、ガムをくちゃくちゃと噛みながら、大きな猫目で威嚇するように教室を睨みつけている。鮮烈な登場にクラス中が引いているが、オレはその艶やかな黒髪には見覚えがある。
「あの時の……」
思わず声を漏らすと、彼女はこちらに気づき、苦虫を噛み潰したような顔をした。なんであんたが、と声にこそ出さないがそう唇が動いた気がした。
やっぱり。この子、事務室で会ったドジっ子黒猫ちゃんだ。雰囲気違うけど、何をそんなにツンツンしてらっしゃる……。
「……」
ははーん。さてはこの子高校デビューだな? 本来ならこの登場でインパクトを与えたかったようだけど、事務室ではオレというイレギュラーに不意を突かれて素の対応をしてしまったんだろう。それなら、別れ際の不自然さにも説明がつく。
絶妙のタイミング……というか、あらかじめ待っていたような気もする……。
「黒井さ〜ん、ですね〜? 教室の中では、ガムはぺっ、しましょうね〜? あと、ヘッドホンも外しましょうね〜?」
亀掛川先生が恐る恐る注意すると、黒井さんは先生をキッ! と睨みつける。ひゃうっ! と怯える先生。
「……」
そしてガムを吐き、ヘッドホンを外して着席した。素直。
「さっそくですが、自己紹介お願いしま〜す」
「……黒井です。馴れ合いは嫌い」
座ったまま、吐き捨てるように言った。
「なにあの子……」
「感じ悪……」
もはや隠す気もない陰口がさざなみのように伝播する。教室の空気は最悪である。そして不運なネクストバッターは黒崎くん。でも逆に、この冷え切った空気を一変させることができれば黒崎くんは一気に人気者街道を爆走できる。チャンスだ、黒崎くん!
「あっはじめまして、黒崎 志狼です! 好きな食べ物はいちごで、趣味はアニ……映画鑑賞です!」
アニメって言いかけたぞ、今。なぜバレないと思ったのか。
「部活は軽音部行きたいと思ってます。……ごほん」
えっ、ペン回し部は? いや、それより出るか!? 伝家の宝刀!
「黒いのに〜〜っ、シロウ!」
キメ顔でたっぷり5秒ほどの沈黙に耐える黒崎くん。完全な無音。突き刺さる物言わぬ視線はまるで針のむしろ。
「……と、覚えてください。あ、やっぱ今の忘れてください……よろしくおねがいします……」
すっかり尻すぼみになり、弱々しく帰っていく。黒崎くんがネタキャラになった瞬間である。




