10.2 走れ!②
パーコに着いていくと、体育館の裏に到着した。足元に雑草が生えていて薄暗い。バレー部などの屋内系運動部が活動する音が漏れ聞こえてくる。あの茂みの向こうでベッカムがゲロ吐いてたな、とどうでもいいことを不意に思い出した。まったく人気がなく、ここにいるのは俺たち2人だけだった。
「リンチでもされんのか」
意味もなく軽口を飛ばすが無視される。やつが怒っていることは察しがつく。だが、これから何をするんだろうか。
パーコは地面にリュックを置くと、制服のブレザーを脱いでその上にかけた。白いワイシャツの袖を腕まくりしている。ワイシャツにネクタイ、下はスカートにスニーカーだ。パーコはリュックから古びたバレーボールをずるりと取り出した。空気の入りを確かめるように手の中で転がしたかと思うと、腕を振り抜いて思い切り地面に叩きつける。跳ね返って胸元のあたりまで浮かんだそれを慣れた様子で掴むと、ようやく俺の方を見た。
「レシーブして、トスで返して」
と言うなり俺にボールを投げる。レシーブってのは、両手を体の前で組んで……。
なんて考えているうちに目の前に来たボールが右腕に当たり、逃げるように横に飛んでいった。
「あはは、なにそれ」
「いきなり言われてもわかんねーよ」
ボールを拾った俺はそれをパーコに山なりの軌道で投げ返す。すると、やつは別人のように顔を引き締めて両手を組んだ。ボールの落下地点に移動して完璧にレシーブする。真上に上がったボールを、今度は両手で三角形を作るようにして受け止め、音もなく俺にトスを返した。見惚れてしまうような洗練された動作だった。けっ、よくわからんがやってやるよ。
俺も見よう見まねでレシーブしてトスを返すが、パーコの方にボールがいかず、ラリーにはならなかった。
「シロー顔必死すぎでしょ」
「お前と一緒にすんな。こっちは体育の授業でちょっとやっただけなんだよ」
何度かやっていくうちに、ラリーが続くようになる。すると、パーコの方を見る余裕ができる。頭上のボールを見上げるとき口が半開きになる。その無防備さの隙をついて風に揺れるスカートに目がいってしまう自分が嫌だった。
「昨日さあ。ユニ助、ずっとシローのこと待ってたよ」
「……」
「最終下校時刻過ぎてもさ。門の前で待つっていうから、みんなでムリヤリ帰らせたんだ。30分くらいかかったかな。大変だったなぁ」
「まあな。俺がいなきゃ、部員足りないからな」
深い意味もなく軽口を返すと、パーコはとても悲しそうな顔をした。俺はそれに気づかないふりをした。心は、産まれたときはとても敏感にできている。ほんの少しのそよ風でも泣いてしまうほどに。生きていると、心は外の世界からのいろんな刺激にさらされる。そのうちに、心の皮が厚くなって、刺激に鈍感になってくる。俺が今痛いのは、そういう上っ面じゃない、一番弱い心の奥の部分だ。
「難しく考えすぎだよ。好きなものがない、とかさ」
「そんなんじゃねーんだ」
俺が言い返したので、パーコは黙った。飛んできたボールをレシーブして、パーコにトスしながら言った。
「俺は好きなものがない。何に対しても興味がない。やりたいこともない。つまんねー人間なんだよ」
誰にも言うまいと思っていたのに、すらすらと言葉が溢れ出た。もう、自分でも抑えられなくなっていた。頭の中に溜め込んでいた汚いものを全部パーコに吐き出して、そして受け止めてほしかった。
「そんな、真っ白な自分が嫌いなんだ。だから、何者かになりたかった。誰にも負けない特技とか、自分にしかない特別な何かがほしかった。そしたら、俺はつまんねー人間じゃないって証明できる気がした」
「……」
「でもダメだったよ。言っとくけどお前らのせいだからな。お前らといると、嫌でも自分が凡人だって思い知っちまう。俺はつまんねー凡人だからよ、もう疲れちまったんだよ」
俺の独白は終わった。目を背けてきた自分の嫌なところを語ったので、口の中がゲロした後みたいに気持ち悪い。今まで誰にもこんなことは言わなかった。隠してきた本音を晒したことで、裸を見られたような気恥ずかしさが後から湧いてくる。
休憩。植え込みの段差に腰を下ろす。そよ風が吹き、前髪をさらりと撫でていく。それに身を預けて、呼吸を落ち着かせる。普段通りの心拍数を取り戻すにつれて、気持ちも落ち着いてくる。2人で横並びで座り、しばらく何も言わずにただ風を感じていた。
「――でもねシロー。これだけは言っとくよ。シローに好きなものがないなんて、私にはそうは思えない。だってシロー、ペン回し部を作るにはどうしたらいいか、めちゃくちゃ考えてくれたよね。好きでもないことのために、そこまでできないよ」
パーコはしんみりとした様子で言った。俺は隣を見た。風に揺れる金髪のショートボブ。パーコはまっすぐな瞳で青空を見ていた。それにつられて見上げた空にかかった雲に、今までの出来事を投影した。入学してからひと月ちょっとの間に起こったそれは、鮮烈に記憶に焼きついていた。
「ってことはさ! 私たちと過ごした時間は、好きって言えそうじゃん? 少なくとも私は好きだよ!」
パーコは立ち上がった。スカートをはたくと、活発そうな大きな目を意味ありげに俺の後方に向けた。背後から足音が聞こえた。振り向くとユニ助がいた。
「だから、これで終わりなんてヤダな! シロー、なんとかしろー! なんちゃって!」
そう言うとパーコはおどけた調子で向こうに消えていった。




