10.1 走れ!①
翌朝。俺は気まずさを感じつつ教室のドアを開けた。朝はいつも1人だ。ユニ助はいつも遅刻寸前に来るので、それに付き合っていたらいずれ通信簿にケチがつく。
だから、ドアの向こうにユニ助はいないという予想が裏切られて俺は心臓がドキリとした。
「よう! シロー!」
ユニ助は俺の机に座ってペン回しをしていた。いつものアルファゲルじゃなくてドクグリだ。
「よ」
「聞いてくれよ! 今日道歩いてたらさ、足元に何落ちてたと思う!? でっかい……」
「わりーな、用事があるんだ」
俺は鞄を置いて教室を後にした。もちろん用事などなかった。意味もなく廊下をうろついて時間を潰す。こんなことがしばらく続けば、いずれユニ助も失望するはずだ。
その後も、休み時間のたびにユニ助は近づいてきた。だが、話題が部活に移る気配を感じると俺は話を切り上げた。放課後はすぐ帰った。一人きりの静かな帰路の中で、もう戻れない昨日までの日々を思い出した。
帰宅して自分の部屋に着く。カーテンで締め切られた薄暗い部屋の電気をつけて、重い鞄をドサリと下ろしても、気分が軽くなることはなかった。思考は至って冷静なはずなのに、気持ちが落ち着かなくて不快だった。勉強机の前に座る。机の上はいろんなものが乗っかって散らかっている。
俺はその中から無造作にルービックキューブを掴み取り、適当に崩してみる。気を紛らわせるならなんでももよかった。充分混ぜたら、次は揃える。昔、攻略法を丸暗記したので揃えることはできるが、パーコほど速くできない。
揃えたそれを机に投げ出し、次はヨーヨーのストリングを中指に巻く。立ち上がってヨーヨーの軌道を確保し、ループザループをやってみる。3周回してキャッチする。勢いをもったヨーヨーが手のひらにぶつかり、ジーンと痺れる感触が広がる。
机を眺める。そこにはいくつもの夢の残骸が積まれている。数枚のA4のプリントの上に文鎮代わりに古典小説が積まれ、その隣には漫画本の山。ルービックキューブと半開きの攻略本。ペン立ての中央に刺さるペン回し専用ペン。中古のノートPC。ペンタブレット。ワイヤレスマウスに有線のヘッドホン。オーディオインターフェース。コインマジックの教本。エアガン。ハンドスピナー。自由帳。
あれもこれも、少しかじっただけで、深くまで追求しようとは思わなかった。どれもしっくり来なかった。ガラスの靴を無くしたシンデレラじゃないが、自分にはもっと相応しい何かがあると思った。
無遠慮に部屋のドアが開く。妹だ。この春で小学4年生になった。俺に似て美形だ。
「わぁーっ! あんちゃんだぁ! 今日は早いんだねっ! おかえりぃ!」
ぴょんぴょんとスキップするようにして俺のもとに駆けてくる。満面の笑みで、後ろ手に隠したものを俺の前に出した。その手にはけん玉が握られている。
「あのねっ! ハクね、飛行機できるようになったよっ!」
「おいおい、そりゃおととい教えたばっかだろ。天才か?」
「えへへっ! あれからずーっと練習してたんだっ!」
そして、実演。玉の方を持ってけんを半回転させて刺す。……本当にやってのけるのだ、うちの妹は。物覚えの早さ、というより目の前の一つのことを夢中で深める姿勢には呆れすら感じる。
ハク……黒崎 虎珀は、俺が手を出してきたあれこれに興味を示した。けん玉もその中のひとつだ。また、このパターンだ。最初は俺がコハクにものを教える。でも、こいつの成長速度はすさまじい。俺がママチャリを漕いで進んできた道を、後ろからスポーツカーでぶち抜いていってしまう。コハクは俺と違って優秀で、何をやっても上手くいく。そんな才能があれば、俺も何かを好きになれる人生を送れていたのだろう。
「すごいなー、コハクは」
「えへへっ! あんちゃんのほうがすごいよっ!」
頭をなでなでしてやりながら、俺はいつまでこうしていられるだろうかと考えた。コハクが俺の能力の限界に気づき、見切りをつけて、俺を頼らなくなるのは。
* * *
その翌日。つまるところ、申請期限最終日。放課後、俺は早々に教室を出た。どうせもう申請は間に合わないだろうが、だからこそ戦犯の俺には合わせる顔がない。仮病を使って休んでしまおうかとも思ったが、そういう思い切ったことができないのが俺だ。
教室から数歩離れる。顔を上げて、足を止めた。廊下の真ん中に、乾涼夏が立っていた。




