9.5 好きなもの⑤
根古屋の指示で抜け目なく持ってきた創部申請書に亀掛川先生のサインをもらい、俺たちは地学準備室を出た。先生が顧問になってくれたことで、ペン回し部の設立が一気に現実味を帯びたものになる。3階隅の空き教室『2-9』に戻ってからも、ユニ助は興奮冷めやらぬ様子で根古屋と何か話している。
「っつーことはよ! あとはこの、活動内容さえちゃんと書きゃあペン回し部が作れるのか!?」
「『一芸研究会』な。事情はよくわかんないけど、この申請書見る限りそれでいけんじゃね」
「おっしゃあ! さすがだぜ根古屋!」
ユニ助の満面の笑みを正面から受けた根古屋は少し頬を赤くして、照れ隠しにフンとそっぽを向いた。
「じゃあどうしよっか! 活動内容! 何書けばいいかな!? ねこやなちゃんが言ってくれた、……んー、なんだっけ?」
「……うなぎいぬPの金言は魂に刻んである」
「特技磨く部活ってのは入れたいよな!」
申請書の周りに集まって話し合いが始まった。俺は何も言わずにそれを聞いていた。何者でもない俺の意見が混じったら、議論の純度が下がる気がした。しばらくして、教室前方のスピーカーから最終下校時刻のアナウンスが鳴った。遅くまで残っちまった。根古屋はスマホで時間を確認して、口をへの字に曲げた。
「6時までしか居れないのか!? うんざりするほど健康的だな!」
「望むなら警備員の監視を突破する裏技を……」
「よーし、みんな帰ろー! キャロちゃん先輩も帰りますよー!」
「オニヅカんとこには明日行くか!」
* * *
そして翌日。放課後の職員室にて。ユニ助は申請書を大塚先生に提出した。
「『一芸研究会』を申請します! これは、ペン回しやルービックキューブなどの、これまで部活にならなかったものたちを集めて部活にしようというものです! 技を練習する過程で、課題を設定して解決するプロセスの習得や、粘り強さを鍛えます! また、そういった生徒たちの交流の場になります! 同じ『一芸』を持つ同士だけじゃなくて、モノは違っても技を磨く気持ちはみんな同じなんで、そういう人たちをつなげます! 俺もそうなんですけど、周りに同じ趣味のやついないんで1人でやるしかないのがさみしいなとずっと思ってて!」
「そしたら、ボクみたいな人間にも学校の中に居場所ができます。ボクが学校に来るモチベーションの10割がこの部活です。似た境遇のやつの助けになると思います。そして、この部活を公認するメリットとして、今まで帰宅部だったやつらを部活に参加させる効果が挙げられます。そうすることで、この高校の部活動参加率の向上に貢献できます」
大塚先生は、丸太のような腕を組んでデスクに置かれた申請書を睨みながらユニ助の説明を聞いていた。ユニ助と根古屋以外の3人は一歩後ろでそれを聞いていた。
「――以上です! 承認してください!」
最後に、ユニ助がびしっと頭を下げる。大塚先生は仁王像の彫刻のように身動きひとつせずに話を聞いていた。
「なるほど」
大塚先生は鬼のようないかつい顔をしたまま、頬の無精髭をざらりと撫でる。今まで見たことない反応だった。
「前代未聞の取り組みではあるが、活動内容に合格最低点の妥当性を認める。その裏付けに根古屋を復帰させた実績もある。顧問も獲得している。書類上では、却下する理由はない。……」
なんと、好感触だ。思わずユニ助と顔を見合わせる。ユニ助は目に見えてそわそわしている。今にもその口から歓喜の雄叫びが飛び出してしまいそうだ。まだ承認されてないのに、もうペン回し部ができた気でいる。根古屋の復帰は大きな影響を与えたようだ。ユニ助の粘り勝ちだな。
大塚先生は回転椅子の背もたれを軋ませ、何か考えるように沈黙した。
「そうだな……1つだけ、質問がある」
「なんですかっ!?」
ユニ助はキリッとした顔で答える。今のコイツは冴えている。どんな質問をされても大丈夫だろう。隣の根古屋も援護してくれるだろうし。何も、問題はない……。
レーザービームでも出しそうな大塚先生の鋭い視線が、さながら戦車のキャノピーみたいに太い首をめぐらせてユニ助から外れたと思うと……
「――黒崎」
俺? なぜか、真っ直ぐ俺に向けられている。どこか他人事のように感じていた意識が、まるで磁石に吸い寄せられるように戻ってくる。やれやれ、最後の最後は俺がカタをつけるのか。さて、この俺になんの質問だ? この部活の有用性か、継続性か? それとも外部交流について? いいだろう。完璧な模範解答を見せつけてやるよ。
前々から準備していた数十に渡る想定質問とその回答を瞬時に思い浮かべる。どの角度からペン回し部にケチをつけようとも迎撃する用意はできている。それを一芸研究会仕様にチューニングするのなんて朝飯前だ。大塚先生が口を開くさまがスローモーションにすら見える。さあ、どこからでもかかってこい。
「お前の、好きなものってなんだ?」
頭の中で回めぐらせていた無数の言葉が煙みたいに溶けて跡形もなくなった。つまるところ、頭の中が真っ白になった。口を開けても、間の抜けた吐息しか出てこない。
「いや、ただの、純粋な好奇心だ。申請書には、特技を磨く部活ってあるからな。遊仁や兎澤はともかく、お前にも何か、特技や好きなものがあるのかと気になって質問した」
心なしかフランクな大塚先生の言葉が遠く聞こえる。何か答えようと思っても、思考がまとまらない。種になる言葉が1つも出てこない。頭の中の歯車から、歯がすっかり抜け落ちたみたいに、噛み合わない思考が脳内を空転していた。
「……それともなんだ、名前を貸してるだけか?」
その長すぎる沈黙に異変を感じた大塚先生は、眉をひそめて不信感を露わにする。ユニ助たちがこちらに視線を向けてくる。……アホか。何をラリってるんだ俺は。俺はペン回し部。好きなものはペン回しだ。事実がどうであれ、それを言えばみんな助かる。色々あったが、念願の部活設立の最後のピースをこの俺がはめるなんて。名誉ある大役じゃないか。
「俺は……」
言いかけて止まった。自分でも分からないとても大きな力が俺の首を絞め、舌を拘束している。すると、大塚先生に何か反応を返さなきゃいけないという気持ちが薄れて、ふと冷静になる。
ユニ助。パーコ。先輩。根古屋。いいよな、みんな。好きなものがあって。俺だって、中学の頃までは、自分がそっち側にいると思っていた。でも、みんなに会って、みんな本気で何かに取り組んでいて、俺だけが偽物だった。
結局のところ、俺が本当に好きだったのは、ペン回しが得意な自分自身でしかなかった。ペン回し自体は好きでもなんでもないから、周りとは違う優越感を得られたらそれでよかった。ペン回しじゃなくてもよかった。
ユニ助は違った。やつはペン回しが好きで、優越感とは無縁の報酬系を持っている。たとえ世界中に敵うやつがいなくなっても、コイツは誰もいない山頂で変わらず新技の練習を続けるだろう。それこそが、俺が理想とする『何者か』の姿に他ならなかった。その強すぎる光を間近で浴び、俺は自分のあまりにも小さな影を見せつけられて今まで過ごしてきた。
喉が詰まる感覚の理由が分かった。それを言ってしまったら、世の中に対してそれを表明してしまったら、俺が俺でなくなる気がしたからだ。こんなにも劣等感でいっぱいなのに、俺は俺が俺であることを手放したくなかったのだ。
こいつらはペン回し部じゃない。一芸研究会だ。この奇妙な集団に付いた名前に、俺だけいつまでも馴染めずにいる。こんな、俺よりも恵まれた奴らのために、俺をすり減らしたくない。それは傲慢か? 人の気も知らないで、それを見せびらかすお前らの方が、よっぽど傲慢じゃないか!
「特にないです。好きなものとか」
「そうか。申請は却下だ。理由は部員不足」
大塚先生は俺から興味をなくしたみたいに視線を外すと、デスクの引き出しからハンコと朱肉を取り出した。もはやそちらを見るまでもなく、バァン! と却下印を申請書越しにデスクに叩きつける音が響く。
「シロー……」
誰とも目を合わせずに先生に背を向けると、俺を案じるように、パーコが俺の名を呼ぶ。
「名は体を表すとはよく言ったものだな。……お前の背景は真っ白なんだ。何も見えてこない」
大塚先生が俺の背中にトドメの一撃を放った。そりゃそうだ。だって、俺はこの中で1人だけ、何も好きじゃない。俺はこれだけは誰にも負けない、って胸張って言えるものなんて何ひとつない。
大塚先生に却下印を押された申請書を手に、俺たちは部室に戻った。面々が口数少なく持ち場に戻る中、その空気を打破するためにユニ助はパンと手を叩いた。
「まあなんだ! 気にすんなよ! 明日もあさってもあるし、また対策しようぜ! そんでまた行けばいいだろ!」
「もういいよ」
俺は、ため息をついた。
「俺、好きなもんとかないから」
「なんだよシロー! らしくねーぞ! そんな落ち込むなって!」
「いやマジで」
「悪かったよ! 俺の教え方がダメだったんだよな! そりゃそうだ、俺アホだから! だははは! だからよ……ペン回しのこと好きじゃないとかさ! 言わないでくれよ!」
「……」
「なあ――」
ユニ助がペンを挟んだ指のまま俺の肩に手をかける。俺はそれを振り払った。ペンが床に落ちるカツンという軽い音が鳴る。一歩退がると、右足の底でパキッとプラスチックが砕ける音。靴をどけると、ユニ助のペンだったものがそこにあり、透明の外装が卵の殻みたいに割れて内部が露出していた。二度と使いものにならないことははっきりしていた。
「あっ」
ユニ助は、とても悲しそうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻って言った。
「だはは! やってくれたなシロー! 後でなんかおごれよ!?」
……クソ。
……怒れよ。
どうせなら、二度と顔も見たくないって殴ってくれ。じゃなきゃ、自分のことで手一杯の俺がアホみたいだろ。格の違いでまでお前に負けるのか、俺は。
「ごめんな」
何に対してかそう呟き、くるりと背を向ける。ここで去れば、俺たちは今までのままでいられなくなる。しかし構わない。自分で選んだ道だ。孤独には慣れている。ここは俺の居場所じゃなかった。
数歩歩くと、「待てよ!」と背中に言葉をぶつけられる。ほとんど悲鳴のようだった。
「部員どうすんだよ!? 今お前が抜けたら、それこそこの部活はオシマイだぜ!?」
ユニ助のやつめ、珍しく頭を使ったな。俺は立ち止まって一瞬考え、振り返らずに言った。
「芽ヶ崎がいる」
「シロー!」
俺は鞄を掴むと、ポケットに手を入れて教室を後にした。あばよ相棒、俺は降りるぜ。
第9話 好きなもの 完




