9.1 好きなもの①
根古屋を自宅まで送り届けた後、ユニ助と二人で歩く帰り道。横断歩道の目の前で青信号が点滅したので、俺は足を止めた。
「すげーな、お前」
信号待ちの間、俺はそう口にした。ユニ助は普段通りのアホ面で「なにが?」と聞き返す。
「根古屋のこと、救っちまってよ」
「だははは! 何言ってんだシロー、人に人は救えねーよ!」
「……」
「俺はただ、もっかい立ち上がる手伝いをしただけ! 救われたように見えたなら、そりゃあ根古屋が頑張ったんだぜ!」
当たり前のようにユニ助が続ける。準備されたセリフではなく、自然に出た言葉って気がする。つまり、常日頃俺より深く考えてるってことだ。一陣の風が吹いて首元の髪を揺らす。冷たい空気が肌に触れて神経が緊張する。
お前、何モンだよ。
隣に立つユニ助の横顔がまるで全然知らない人みたいに見える。呆然と立ち尽くすとユニ助の背中が一歩遠ざかる。いつのまにか信号が青になっていた。ユニ助が振り返って早く来いと促す。何かが変わった夜の中で、俺だけが取り残されている。……。
* * *
翌朝。普段通り俺は一人で登校する。ユニ助はいつも遅刻ギリギリに来るのだ。廊下を歩いて他のクラスの前を通り過ぎると、どこの教室も騒がしい。もう5月も終盤で、入学してから2ヶ月が経とうとしている。クラスの連中もよそよそしさが消えて、特定のグループで固まって自然に騒いでいる。朝からうるせーなクソ。
自分の教室に着いたので開放されたドアから入る。うちのクラスも例に漏れず騒がしい。自席に視線を向けるといつもと様子が違う。俺の座るべき椅子に先客がいる。
一名の女子生徒が俺の席に座っている。ウェーブのかかった金髪のショートボブを肩まで伸ばし、制服を小慣れた様子で着崩している。短いスカートから長い脚が伸び、くるぶしまでのソックスに白とピンクのスニーカーが暇そうに揺れる。活発そうな大きな目を巡らせてきょろきょろと教室を見回している。主人の帰りを待つ犬のように。
教室を進んで席に近づくと、その女子……乾涼夏は俺の到着に気づいた。
「あああああっ! シローやっと来た!」
椅子を蹴倒す勢いで立ち上がると、パーコは俺の前に詰め寄った。教室の騒がしさをかき消す声量で叫ぶのはよせ。おかげでクラスの奴らに異様な目で見られてるじゃねーか。『あれって乾涼夏だよな?』『クラス違うのに何で?』『てか隣の奴誰?』みたいな声が聞こえてくる。
「ねえねえ昨日どうなったん!? ねこやなちゃん無事!? 教えてシロー! ユニ助にLINEしてもなんかよくわかんないし! こっちはずっとモヤモヤしてんだけど!」
騒がしいのは嫌いだが、顔だけは良い女子が自分を求めてくることに悪い気はしない。ふっ、そんなに俺が待ち遠しかったかよ。……ん?
俺、こいつのLINE持ってないな。てかこいつ、ユニ助とは交換したのか。俺の知らない間に。へえ。
「え、シローなんか怒ってる?」
「は? なんで怒るんだよ」
「怒ってんじゃん! うわ絡みづらっ!」
パーコに大袈裟に距離を取るジェスチャーをされる。ここで気さくにLINE交換しようか、なんて言えるわけもなく。そもそも別に俺はこいつのLINEなんかいらないし、向こうが必要と思うなら向こうから持ちかけるべきだ。俺はSNSに頼らなくても学校生活を送るにあたって過不足ない人間関係を築けている。女子のLINEの数で自分の何かを測る趣味もない。……まあ、どうしてもって言うなら、交換してやってもいいけど?
ごちゃごちゃとそんなことを考えながら昨日の出来事を簡潔に説明した。
***
「それじゃ今日はここまで。号令!」
4時間目の現代文の授業が終わる。授業を担当するのはうちのクラスのホームルームも担当する、中谷先生という冴えない痩せたおっさん。七三分けに野暮な眼鏡、よれたスーツがしみったれた……親しみやすい雰囲気を印象付けている。先生が宣言すると、日直の機械的な号令が発動する。起立、礼。
昼休みを満喫せんと騒がしくなる教室の雰囲気を無視して、俺は教科書を持って中谷先生の元に向かった。別に授業で分からないところがあったんじゃない。なんなら昨夜に予習済みだ。
中谷先生はチョークをケースにしまうために下を向いていて目の前の俺に気づいていない。俺は先生の頭頂部の髪の分け目に向かって話しかける。
「先生」
普段、授業終わりに話しかけられることがないからか、中谷先生は全身をびくりとさせて顔を上げた。平静を装っているが、眼鏡の奥の目は意外そうに見開かれている。
「どうした、黒崎?」
「一個質問いいですか。冒頭のこのシーンって何かの比喩だったりしますか?」
「おお、よく気づいたな! 授業では扱わなかったが、そこはこれこれこういう意味があって、主人公の心情を表しているんだ」
「なるほど、ありがとうございます。そういや先生、ちょっと調べたんですけどこの学校って文芸部ないんですね。いつからないとか分かりますか?」
「文芸部かあ。もともと小規模ではあったんだが、顧問されてた先生が数年前に離任して自然消滅って感じかな」
「俺今、文芸部作ろうとしてて。顧問になってくれそうな人、いませんか?」
「まあーどの先生も忙しいからなあ。亀掛川先生なら空いてるかな……あれ、ペン回し部は諦めたのか?」
「ペン回し部として成立させるのは厳しいかなと。中谷先生、顧問なってくれませんか?」
「ええ俺!? 俺はムリだよ。卓球部の顧問やってるし。でもまあ……ホントにどうしようもなくなったら声かけてくれ」
「ありがとうございます」
甲斐性のある良い先生だ。冴えないとか言って申し訳ない。俺はどうも他人を侮る癖がある。教科書を持って自席に戻ると、ユニ助が弁当を持って待っていた。
「ありゃあずっと何してたんだ? シローお前真面目キャラになんのかよ?」
「ラリってんじゃねーよ。顧問探せっつったのお前だろ」
俺の机に無遠慮に弁当を展開するユニ助。俺は今日、授業終わりに先生のところに行くのを1から4時間目まで計4回やっていた。昨夜予習して質問したいことを探し、それを手土産に顧問になってくれそうな人を探る。
どの先生も忙しいのは予想していた。現代文担当で俺のクラスの担任でもある中谷先生が文芸部の顧問としての本命だったが、無事に言質を取れた。
昨日感じた根古屋との差は、目標達成のためにどれだけ行動したかの差だ。重要なのは行動だ。昨夜は1日分の予習をして質問を考え、今日は先生と直接交渉した。もはや昨日感じた劣等感は微塵も残っていない。俺はペン回し部を設立した影の参謀役として、今度こそ何者かになる。




