8.6 Wake Me Up⑥
「マジで!?」
ユニ助はおどけたようにオーバーリアクションを取るが、根古屋の吐いたそれが冗談になることはなかった。俺は街を歩く2人の後を尾行するように数メートル間隔をあけて歩いている。根古屋はユニ助と2人きりだと思って喋っているので、俺が出ていくわけにはいかない。
道は飲食店が立ち並ぶエリアに差し掛かる。看板の強すぎる光は繁華街のギラギラした印象そのものだ。この道が駅までの最短経路なのだが、本来高校生が立ち寄る場所ではない。暗くなって治安が悪くなる前にさっさとおさらばしたいところだ。
「さっきも言ったけど学校の連中にはうんざりしてるんだ。ネットでも有名になってきたし、路上のやり方も分かってきた。潮時だよ。それとも、行く気もない学校の学費まで叔母さんにねだれって?」
根古屋は冷たい声色で言い捨てる。ユニ助の考えの浅さを嘲笑うように。
「ままま待て落ち着けって! 叔母さんには話したのか?」
「きっと賛成するよ。今まで良くしてもらった。だから、なるべく早く独り立ちするのが一番の恩返しだ。都内の安いアパートにいくつか目をつけてる。貯金もあるしバイトで日銭稼ぎながら音楽やる。……お世話になったからこそ、寄りかかっちゃいけないんだ」
スーツケースを転がしながら淡々と答える根古屋。義務教育が終わったら進学と就職という2つの進路が用意されるが、俺の身近にいる全員が高校進学の道を進んでいる。それが人生における王道だから。金銭的な問題を除けば、実質的に選択の余地なんてない。自分の意思で高校進学したんだから勉強に励みなさい、なんて小言は方便だとさえ思う。
義務教育しか経験していない俺たちには、社会に出ることがどんなことかなんて想像もつかない。だから、普通に進学してその判断を先送りにする。みんなそうしてる。
それなのに、根古屋はその王道を自ら外れようとしている。親元を離れる覚悟さえしている。学校も帰る家もなくしてその身一つで社会に放り出されたら? なんて、考えるだけで鳥肌が立つ。
まるで根古屋が違う国の人間にさえ感じるのと同時に、メシを食う手段に音楽を挙げるくらい、自分の能力に自信を持っていることを羨ましく思った。実際、根古屋の運営する『うなぎいぬP』の楽曲はどれもYouTubeで数万回再生されているし、一番人気の曲は200万を超えている。Xのフォロワーは何千人で、何気ないポストにも数百いいねが付く。さっき聴いたが歌っている様子もサマになっていた。ビジュアルだって十分売りになる。素人目にも結構良い線いってると思う。
「まったく、いい時代に産まれたもんだよ。才能さえあれば発信の機会はいくらでもある! 学校なんかクソくらえ! ボクは天才ボカロPとして有名になってみせる!」
根古屋が言葉を発するたびに、実際の距離よりもその背中が遠ざかっていく。こいつは既に俺の手の届かないところにいる。俺がユニ助だったら、根古屋にどんな言葉をかけられる? 何一つ思いつかない。何不自由なく恵まれた生活をしている俺たちには根古屋を止めることができないし、その必要もないのかもしれない――
「すげーなそりゃ! そんじゃ、同じ夢を追う同士、俺からアドバイスだ!」
……その思考を遮るようにユニ助が言った。
「夢ってのはもっと楽しそうに語るもんだぜ! そんなふうに俯いて言うな!」
「……」
根古屋の足が止まった。後ろからなので表情は分からないが、俯いて立ち尽くしている。そこはちょうど行き止まりで、道が左右に分かれていた。左が駅に向かう道で、右が飲み屋街に続く道。左側には何かの巨大な施設の裏口があり、金網のフェンスが施設と歩道を隔てている。
空が暗くなり始めていた。根古屋はおもむろにスーツケースの持ち手から手を離すと、突然その両手をユニ助の首元に突き出した。両手はユニ助の胸ぐらを掴み、力任せに首を締め上げる。
根古屋はユニ助の胸ぐらを掴んだ姿勢のまま前方に突進する。男女差はあれど根古屋の方が背が高いのでユニ助はなす術なく吹き飛ぶ。根古屋は渾身の力でユニ助を押して背中をフェンスに叩きつけた。スーツケースの倒れる音と、フェンスが振動して何かとぶつかる無数の金属音が同時に響く。繁華街のわざとらしい看板の光に濡れた根古屋の顔は憎しみに歪み、赤い光を反射した目がギラギラと輝いていた。
「うるせえな! お前に! お前に何がわかんだよ! 同じ夢!? 笑わせんな! お前が仲間とヘラヘラやってるとき! ボクは1人で世の中と戦ってたんだ! 偉そうに説教してんじゃねえ!」
「……」
言葉を失い、潰れた虫のようにフェンスにへばりつくユニ助。根古屋は糸が切れたようにユニ助から手を離し、背を向けた。
「ごめん……マジでほっといてくれ」
倒れたスーツケースを起こして持ち手を掴むと、根古屋は駅とは反対側の道を歩いていった。風に揺れる枯葉のように頼りなさげに歩く。道が混んできたので今にも通行人と肩がぶつかりそうだ。根古屋薙が雑踏の中に消えていく。学校の中で生きられなかった彼女はここに居場所を見出せるのか……。
その背中が1人また1人と人混みの奥に埋まる。背中が完全に見えなくなる前に、ユニ助は弾かれたペンのようにフェンスから体を起こし、何かに突き動かされるように街を疾走した。混雑した道の通行人をかき分け、根古屋の腕を掴んだ。
「放せっ!」
振り返らずに根古屋が吠えた。
「嫌だね!」
ユニ助も負けじと叫ぶ。
「ここで放したら……お前は遠くに行って……二度と戻ってこない……!」
ユニ助は絞り出すような声で言った。今まで聞いたことがない、マジの声だ。ユニ助の背中が不思議と大きく見えた。その迫力に負けた通行人のサラリーマンが2人を避けて通る。
「だから……離さねえっ!」
「……なんでお前が泣くんだよ」
根古屋の呆れたような声に、俺はとりあえずほっとする。ユニ助は根古屋の手首の辺りを掴んだまま飲み屋街を戻り、もといた分かれ道に戻ってくる。
ユニ助はワイシャツの袖口で目元をぐいっと拭い、照れ隠しのように鼻の下を指でこすった。……いや鼻水拭いたのか。汚ねえな。
「お前の苦しみ全部分かるとは言わねーよ。俺はペン回ししか能がねえバカヤローだ。肩に乗ったモンの重さ変えてやることはできねーけどよ、同じ道なら、バカと一緒に笑って歩いた方が苦しみもまぎれんだろ?」
「……」
「俺な、マジでペン回し部作るぜ! お前は何したいんだ? 言い訳とか、なんかを諦めた先の夢なんてナシだぜ!? 胸張って言える、ホントにやりたいことは!?」
ユニ助に掴まれていた手首をさすりながら、根古屋は沈黙した。何かをためらっているようだった。ユニ助はいつものアホ面で根古屋が話すのを待っていた。
「……バンド」
「バンド?」
蚊の鳴くような声を、ユニ助が聞き返す。
「バンド組んで、文化祭でライブしたい。っていうか、そーいうフツーの高校生活送って、パパを安心させたい……! でもムリだった……! みんなと楽しくやれなかった……『フツー』がボクにはできなかった……」
根古屋はパーカーのフードを深く被り、目元を隠した。せきとめていたものが限界を超えて溢れ出るように、とうとう根古屋は泣き出してしまった。
「だから、せめて有名に……」
根古屋はズッと鼻をすすると、涙と鼻水で咽せそうになりながら、喘ぐように酸素を吸った。
「何者かにならなきゃいけないんだよ……っ」
俺の心臓がどきりと鳴った。最初は、『何者かになる』というフレーズへの単純な反応だ。だが、根古屋の言うそれは俺が発するのとでは言葉の重みがまるで違った。
俺は根古屋の才能を目の当たりにしてきた。それを糧に1人で生きる覚悟も聞かせてもらった。俺なんかよりよっぽどすごい根古屋ですら『何者か』に届かないとは……!
だとしたら、俺は一体何なんだ。根古屋みたいな才能もなく、何かを必死に努力しているでもなく、言葉だけが達者で、実際にやっているのはユニ助の夢のタダ乗り。ペン回し部を文芸部に改めるというアイデアを出して得意になっていた自分が単なるアホに思えてくる。
「そっか! なあ、バンドってのは何人でやるんだ?」
俺の憂鬱など知る由もないユニ助が無邪気に聞く。
「理論上、2人から……グリーンデイも3人組……でも、ボクの才能を表現するには、ギター、ボーカル、ベース、ドラムにキーボードがいるから……」
「5人だな!? なんだよ、そんならできるぜ! お前がペン回し部に入りゃあよ! 5人そろうぜ! よかったな!」
「……は?」
「ペン回し部俺入れて今4人いるからよ! 楽器全部そろうぜ! 俺ボーカルな!」
「ボーカルはボクであるべきだろ」
ふふっ、と根古屋が笑った。
「お、笑った!」
「はあ? うっせえ」
根古屋は顔を背け、誤魔化すように背後を振り返る。あ、そのムーブはやばい。俺が電柱の裏に隠れるより先に、根古屋と目が合ってしまう。前にサシで話しているので顔は割れている。俺を認識した根古屋。次の瞬間、目をまん丸にして、酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせる。見る間に頬が赤くなる。
「なんでいんだよ!?」
根古屋は顔を真っ赤にして俺の前に詰め寄る。その様子は普通の年頃の女の子と何も変わらず、急激に根古屋のことが身近に感じられた。
「……よぉ」
そう言って片手を上げた俺の愛想笑いは、かなりぎこちなかったと思う。いつからいた!? とか、どこから聞いてた!? とか、根古屋は今にも胸ぐらを掴みそうな剣幕でまくしたてる。俺はその質問をのらりくらりとかわしながら、ユニ助に肩をすくめてみせる。そうして3人で話しながら歩いていると、繁華街の中で一際明るい、帰宅する利用者で混雑している駅が近づいてきた。
第8話 Wake Me Up 完




