折れた心は治せない
無事に……とは言い難い状況だが、とりあえず誰1人掛ける事無くジャスティアの街へと帰還を果たした「獅子の牙」の面々。
しかし、全くの無傷というわけにはいかなかった。
病室に運び込まれたニックスは、ほどなくして目を覚ましたのだが……。
無事に……とは言い難いものの、マリーシェ達は傷つき意識のないニックスを連れて、どうにか始まりの街ジャスティアへと辿り着く事が出来た。
彼女たちは疲労困憊ながらも休む事はせず、そのままニックスを治療院へと運び込んだ。未だ素人の域を出ないマリーシェ達から見ても、彼の容態は決して楽観出来るものではなかったからだ。
道中、回復系魔法使いであるサリシュが、何度もニックスへと回復魔法を行使したのだが、結局彼の意識は戻らずじまいだった。それが、マリーシェ達の不安を更に掻き立てていたのだ。
「怪我はすっかり治ってるのに……なんで目覚めないんだろうね?」
「……さぁ? ……なんでやろなぁ?」
まだ14歳でありレベルも低く、冒険者としての経験も浅い彼女たちにしてみれば、戦闘で受けた怪我は治れば元通り……と言う認識しか持ち合わせておらず、ニックスが目覚めない原因が分からなかったのだった。
「……里の人が魔物に襲われて大怪我した時も……こんな状態だった」
蒼い顔をしたデンテは、声を震わせて呟くように発言した。普段は活発で勝気な彼女だが、今の表情からは見る影もない。
「わ……わたしも、聞いた事があるわ。中にはその……そのまま目を覚まさなかった人もいるって……」
顔を青ざめさせているのは同じ、カメリアも自身の知識を口にした。もっともそれは事態を好転させるものでは無く、それを聞いたデンテがブワっと涙を溢れさせたのだった。
男性陣は女性陣程ではないが、明らかに動揺が見られ、何をして良いのか分からず困惑している様子だ。
答えの出ない問答を行っていると、奥の部屋より医師とみられる男性が出て来た。彼は全員をゆっくりと見回すと、静かな口調で話し始めた。
「……傷の手当てに、回復魔法をかけたんだね? 処置としては適切だった」
その言葉を聞いて、誰よりもサリシュが大きく嘆息して安堵していた。
怪我をすれば回復魔法……と言う当然の認識だが、今回はそれでもニックスが目覚めないのだ。彼女が、自分の治療方法や回復魔法の使用に疑問を抱いていたとしても仕方がない。もしかすれば、サリシュの行為はニックスにとって逆効果だったかも知れなかったのだ。
「話から、受けた傷は相当に深いものだったんだろうけど、処置が早く魔法を使ったという事もあるし、まずは問題ないだろう。もうすぐに目を覚ますから、このまま寝かせておくと良い」
そんな医師の説明を受けて、一同に明らかな喜びの色が戻った。全員が笑みを浮かべているが、ただ1人、デンテだけが再び大泣きを始めたのだった。無論これは、悲しみではなく喜びの涙なのだが。
「……でもね」
もっとも、医師の説明はそこで終わりと言う訳では無かった。表情は先ほどと大差ないのだが、声音自体は幾分低く、一同の時間がピタリと止まるのに十分だった。
「外傷は癒えているだろうけど、心に負った傷だけは、医療でも魔法でも治せない。これだけは覚えておいてくれ」
それだけ告げると、医師はその場から立ち去っていった。殊更に足早に去って行った訳ではないのだが、その場に残された全員の印象は、まさに早足で立ち去ったといったものだった。
もっともそれも仕方のない話で、この療養所に患者はニックスだけではない。多くの者が入院しており、外来の患者もひっきりなしに出入りしている、冒険者御用達の療養所なのだ。医師も常に忙しく、ニックスに掛かりっきりとはいかなかったのだ。
「……心の傷って、どういう事なんだろうね?」
「……さぁ? ……何なんやろなぁ?」
その場にいた全員が、顔を見合わせて疑問符を浮かべていた。
戦闘で傷つくのは、冒険者にとって当たり前の話だ。そしてマリーシェやサリシュも、これまでに少なくない回数の怪我を負ってきている。それは、この場の全員が同様だった。
そんな彼女たちにしてみれば、今回だけが特別だとでも言わんばかりの医師の説明が、どうしても納得出来なかったのだった。
「とにかく、ニックスが目を覚ますのを待つしかないな」
答えの出ない問答を行ったところで時間の無駄だ。そう考えたのだろう、キッソスが総括した意見を口にし、全員がその言葉に頷いて応えた。
それから一刻程して、ニックスは無事に目を覚ました。少し気怠そうにしているのだが、受けた傷から考えれば、回復魔法で治癒させたとは言え体力が低下していてもおかしくないので、この状態に違和感はない。
「ニ……ニックスッ! 良かった……本当に」
真っ先に病室へと駆け込み、彼へと声を掛けたデンテだが、その眼には涙が浮かび声も震えていた。
「ニックスッ! 目が覚めて良かったわ!」
「えと……見たところ、具合が悪いところは無さそうね……ニックス?」
次いでマリーシェとカメリアが明るい声音で話し掛けるのだが、当のニックスの表情は冴えず、カメリアは思わず彼へと確認する為に名を告げたのだが。
「……なんや、様子が変やなぁ」
それまで後方で控えていたサリシュが、怪訝な顔でぽつりと呟いた。その台詞は特に大きな声では無かったのだが、何故か全員にはハッキリと聞き取る事が出来ていた。
「……おい、ニックス。どうしたんだよ?」
「ニ……ニックスさん?」
それでも反応を示さないニックスへ向けて、キッソスとカナヴィが不安げに声を掛ける。それでだろうか、ベッドに腰かけたままのニックスがようやく首を動かし、仲間の方へと顔を向けた。だがその瞳は虚ろであり、全員声を出す事が出来ず、デンテなどは思わず息を呑んでしまっていた。
「……める」
誰も声を出さない中で、ニックスが感情の籠らない声音で呟いた。それはとても低く小さく、その場の誰も確りと聞き取る事が出来なかったのだが、まるで魂から絞り出したように重いものであり、誰からも反問する声は上がらなかった。
「もう……やめる」
しかしその必要はなく、ニックスはもう一度、恐らくは先ほどと同じ台詞を繰り返したのだった。その余りの唐突さに、誰もニックスが何を言っているのか理解出来ないでいた……のだが。
「や……やめるって、何を」
それでも最初に口を開いたのは、副リーダーを務めるキッソスだった。ニックスはやめるとしか言っておらず、何をやめるのかは定かではないから、はっきりと言って欲しいと思ったのは間違いではない。
しかし確かに、その場の全員には嫌な予感が脳裏を過っていた。
「……俺、冒険者……やめる」
だが、全員が抱いたであろうその予想は外れる事は無かったのだった。ニックスは、冒険者家業から足を洗うと宣言しているのだ。
「ちょ……ちょっと待ってよ、ニックス。あんた……嘘よね? 冗談でしょ?」
驚きを隠しきれないまま、デンテがニックスに問い返した。彼女にそのような行動を起こしている気はないのだろうが、まるで彼へと詰め寄っているような風情があり、ニックスもそう感じたのだろうか。
「もう……もう、嫌なんだよっ! あんな痛くて怖くてっ!」
まるでデンテを突き放し遠ざける様に、ニックスは大きな声を出して彼女へと返答した。その顔は先ほどまでとは違い、怒りを湛えている様な、それでいてどこか怯えている風にも見える。
「で……でも、痛いのも怖いのも、今までだって何度かあったじゃない」
困惑するマリーシェも、ニックスの真意が未だに分からず、彼に質問を返していた。
彼女の言う通り、痛い事も怖い事も、冒険者をしていれば幾らでも遭遇する。そして、それを踏まえた上での冒険者業を選んだのは、誰でもなく自分自身なのだ。
今更それを理由に冒険者業をやめるというのは、〝今の〟マリーシェには理解出来ないのも仕方がない。
「お……お前は、死にそうになった事が無いから、そんな事が言えるんだよっ!」
正しく死の淵から生還したニックスにそのように言われては、マリーシェも言葉を返す術が無かったのだった。確かに彼女は……彼女たちには、ニックスの様な深い傷を負って重体になった経験はない。
「……まぁ、今はあれこれゆぅてもしゃあないな。……今日はゆっくり休ませて、明日またみんなで話しようかぁ」
ニックスは感情的で情緒も不安定であり、メンバーの問い掛けに冷静な返答が出来ているとは言い難い。
サリシュの提案は妥当なものであり、全員が納得して、重い足取りで病室を後にしたのだった。
怯え、恐怖し、錯乱状態のニックスは、冒険者を辞める事を訴えた。
冷静に話し合えないと考えた一同は病室を後にするが、その心情は暗澹たるものだった。
初めて恐怖に呑まれてしまった者と直面して、「獅子の牙」の面々は困惑するより他になかったのだった。




