2-1
(この学院は、どこもかしこもこんな高級な調度品ばかりなのか……?)
案内された応接室に通され、イオスは内心で小さく息をついた。 革張りのソファの座り心地すら落ち着かない。最近、どうにもこういった身分違いな場所に呼び出されることが多い気がする。
視線を対面に戻すと、そこにいたのはこの学院に留学してきているリア=レベレースだった。 艶やかな長い黒髪をなびかせ、優雅な動作で紅茶に口をつけている。 彼女はレベレース王国の第一王女だ。自国に魔法学院がないため、魔法の才能に長けた彼女が代表としてオラクル魔法学院へ留学してきているのだという。その美貌と卓越した才能から、学院内でも一目置かれている存在だった。
カップをソーサーに置くと、リアはすっとイオスに視線を向けた。
「この度は、私的な問題に巻き込んでしまい本当に申し訳ございません」
そう言って、王女であるはずの彼女が丁寧に頭を下げた。
「いやいやいや、頭を上げてもらえますか? あの状況ではどうしようもなかったんですから」
(それに……王女様に頭を下げられるとか、寿命が縮みそうなんだけど……)
「ですが……」
「そもそも原因はあちらさんですよね?抗議された方がよろしいのでは?」
「それはもちろん行いますが……それよりも!」
(話が堂々巡りになりそうだな)
イオスは助けを求めるように、脇に控えている金髪のメイドに視線を送った。
「姫様、これを……」
察したようにメイドが、リアに一枚の羊皮紙を渡す。
リアがそれを確認したあと、高級なテーブルの上に差し出した。
「ご確認いただけますか」
イオスは差し出された羊皮紙へ目を落とした。荒々しい筆跡を見た瞬間、昨日の出来事が脳裏によみがえった
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あの激戦からしばらくが経ち、街は本格的な夏を迎えようとしていた。
青空は日に日に深みを増し、石畳を吹き抜ける風には、くちなしの甘い香りが混じる。
そんな中、学院の期末試験を終えたイオスは、試験で必要となった高価な魔法書を買い揃えた結果、先日稼いだ報酬はほとんど消えてしまった為、出稼ぎへ向かった。
依頼内容はなんてことのない、魔物討伐だ。農家にとって苗を植えるこの時期、魔物を駆除しておかなければ作物を食い荒らされ、その年の収穫量に大きな被害が出てしまう。そのため、この時期の冒険者は、ある意味、かき入れ時でもあった。
無事に討伐を終えたイオスたちは、いつもの酒場でささやかな打ち上げに興じていた。
「イオス君は学院の試験が終わったんだっけ?」
エールを傾けながら、カグラが尋ねてくる。
「そうです。終わってすぐに出稼ぎに来たわけです」
これから学院は夏季休暇に入る。この期間、貴族の生徒たちは一度実家へと戻り、近況を報告するのが通例だ。
「大変だねぇ。もう冒険者になったらいいじゃん。長く旅に出れたらもっと稼げるし、今より生活が楽になるんじゃない?」
「いやいや、まだ覚える魔法はたくさんありますから。当分続けますよ」
「さすが、オラクル魔法学院の学院生、あなどれない……」
酔ったのか。おそらく酔った振りなのだろう。カグラが信じられないという顔でイオスを茶化した。
「いや、さすがに貴族が多い学院なので、僕みたいなのは少ないですよ」
「相変わらずの働き者じゃのう」
「うむ」
ミロが火酒を煽り、オロチが重々しく頷く。
「たしか、試験が終わったらそのまま長期休みに入るんだよね?」
「ええ、明後日からまとまった休みになります。今夜あたりは、休み前のパーティーをやってるんじゃないですかね」
「イオス君は参加しなくてよかったの?」
「農家出身の僕じゃ、とてもじゃないですけど参加できませんよ。間違いなく浮くだけです」
「いいなぁ……ドレスとか着て、みんなでダンスを踊ったりするのかな?」
自分がドレスを着て踊っているところを想像したのだろう、カグラがうっとりとした表情で、酒場の天井を見上げる。
もっとも、ハーフリングの小柄な彼女に似合うドレスは少なさそうだが……。
「そうらしいです。僕は出席したことがないので、よく知りませんけどね」
貴族社会で人脈を築くため、学院ではこうした催しが頻繁に開かれる。
イオスは出稼ぎに行くのが日常となっているため、いつの間にか「催し物には参加しない人」という地位を築いていた。 イオス個人としては、魔法と冒険を兼任できて非常に充実した生活を送れていると満足している。
「そういやぁ、レベレース王国で祭りがあるらしいんじゃ。イオス、知っとるか?」
火酒で顔を赤くしてミロがイオスに尋ねる。
「夏の建国祭ですね。毎年やってますね。」
イオスはこの時期、農家の討伐依頼を受ける事がここ数年続いていた。依頼中に建国祭に合わせて行う村の祭りに顔を出させてもらう程度で、王都の建国祭にそこまで思い入れはない。
「それなんじゃがな。調べてみると、結構良い額で色々と依頼があるんじゃよ」
「どんな依頼なんですか?」
「王国間を行き来する商館の護衛依頼、レベレース王国での警備依頼なんかじゃな」
「それ、詳しくお願いします」
食いつくようにイオスは身を乗り出してミロへ詰め寄る。
金欠続きのイオスにとって、「良い額の依頼」という一言はどんな高位魔法よりも魅力的な誘いだった。
イオスはミロから護衛依頼の詳細をいくつか聞き、仕事の計画を頭の中で練りながら学院へと戻っていた。
(休暇期間に、往復で護衛依頼を受ければ、後期の授業時間がだいぶ確保できるぞ)
未熟な学院生とはいえ、魔法師の報酬は破格だ。食っていくだけなら十分すぎる。 しかし、魔法師は上を目指す生き物だ。そして上を目指すには、とにかく金がかかる。
だからこそ、日々の投資と努力は欠かせない。
作物を美味しく、大量に育てるために工夫を凝らす農家と同じだ。イオスには、その理屈が骨の髄まで染み込んでいた。
(最近はオロチさんたちとの共闘が増えて随分稼がせてもらっているから、何かお礼をしないと)
あの戦い以降、イオスはオロチたちと行動を共にするようになり、共闘することが多くなった。おかげで、熟練冒険者の知識や集団戦での立ち回りなど、様々なことを教えてもらっている。
(オロチさんには、光の神々の分派を調べてまとめたものを渡そうかな)
イオスができるお礼といえば知識を共有することくらいだ。そんなことを考えながら、イオスが学院の中庭に差し掛かったときだった。
「―――……」
なにやら騒がしいざわめきが聞こえてくる。
(そういえば、今日はパーティーがあったっけ)
人ごみに差し掛かったそのとき、
「おい、イオスがいるぞ」
「あれ?イオス君だ」
学院での催しには一切顔を出さず、依頼と魔法の研究ばかりこなすイオスを、いつしか「孤高」と呼ぶ者まで現れていた。
「なんで『孤高』がパーティーにいるんだ?」
一人の生徒が囁いた直後、潮が引くように人混みが左右へと割れた。 まるでそこだけ見えない壁でも作られたかのように、綺麗な道が出来上がる。
「はい……?」
驚いた顔で、イオスは周囲を見回す。 周囲の生徒たちはパーティー仕様の華やかな衣装で着飾っているが、今のイオスは完全な冒険者姿だ。場違いにもほどがある。
「―――……」
と、その瞬間――悲鳴と共に二人の女性が吹き飛ばされ、まっすぐイオスに向かって飛んできた。
「漂え!」
樫の木の杖の柄を地面に叩きつけると、イオスの目の前で鮮烈な魔法陣が展開した。吹き飛ばされてきた二人の身体が浮き上がり、空中にとどまる。
そのままゆっくりと着地させると、整った顔立ちの、黒髪の女性がイオスに向き直った。
「飛翔魔法の失敗にしては、いささか危ない速さでしたね」
「ありがとうございます、色々と立て込んでいるもので……」
(これは……厄介事だぞ)
見れば、その女性はレベレース王国の第一王女リアだった。なぜ隣国の王女が空を飛んできたのかは分からないが、関われば確実に胃が痛くなる事態だと直感が告げていた。
すると、王女が絶叫する。
「ヨミ!」
一緒に飛ばされてきた金髪のメイドの背中から、血がじわじわと滲み広がり始めている。おそらく、この姫を庇って背中に攻撃を受けたのだろう。
「誰か、神官を呼んできてください!」
血で手を染めながら、必死にメイドの背中を押さえ込んでリアが叫ぶ。
「手伝います」
イオスは迷わずメイドの背中の服をナイフで切り裂き、鞄から一本の小瓶を取り出した。
『カグラ特製・すっごく効く傷薬』
カグラとオロチの合作によるこの回復薬は、そこそこの切り傷なら患部に垂らすだけで即座に塞いでしまうという代物らしい。
薬を数滴垂らすと、見る間に傷口が塞がり、赤みが引いていく。
(よく効くなこれ。今度、カグラさんに何本かお願いしておこう……)
応急手当を終え、イオスは小さく安堵の息をついた。
「邪魔をするのは誰だぁっ!」
人ごみの奥から、きつそうなタキシードを着た男が歩み寄ってきた。怒りからか、あるいは酒のせいか、顔を真っ赤に染めたその男は、周囲の視線も構わず、怒声を上げながら大股で迫ってくる。
「あの人は誰ですか?」
「エルデント公爵家の次男、マプサ殿です」
苦々しい表情でリアが答える。 その名を聞いて、イオスは記憶を手繰った。
(エルデント家といえば、オラクル王国でも高位の貴族……そういえば先日、次期当主が巨大な魔物を討伐したって冒険者の間で噂になっていたな。だが、あれが噂の討伐を成し遂げた人物とは思えない)
「はぁ~……」
イオスは隠そうともせず、大きくため息をついた。 そのままぐるりと周囲を見渡し、男の取り巻きであろう貴族の生徒たちへ視線を送る。(おいおい、このまま王女を傷つけたら本気の国際問題になるぞ。止めなくていいのか?)と、目で訴えかけた。
沈黙が場を支配する。
しかし、誰も動こうとしない。イオスと目が合うと、関わりを恐れて一斉に顔を背ける始末だ。
「はぁ~~……」
イオスは本日二度目の、深く重いため息をついた。それがマプサのプライドを打ち砕いた。
「ふざけているのか貴様ァッ! ――切り裂く刃よ、穿て!」
マプサは腰から抜き放った短杖を突き出し、鋭い風魔法を放った。イオスへ向けて、目に見えぬ風の刃が襲いかかる。
「危ない!」
リアの悲鳴のような叫びが中庭に響き渡る。
(遅い……)
あの戦いで対峙した敵魔法師の魔法は、もっと速く、そして絶望的なまでに強かった。 イオスは思考と同時に、静かに左手を前に突き出す。
――瞬間、襲いかかった風の刃が霧散し、跡形もなく掻き消えた。
中庭が水を打ったように静まり返った。
イオスが魔法を打ち消した様子を目の当たりにし、マプサの取り巻きたちが青ざめた顔で慌てて駆け寄ると、マプサの身体を必死に抑え込み始めた。
「マプサ様、あの相手は! ヤバいです!」
「ええい!煩い!黙れ! 私の偉大さを見せてやる!」
駄々をこねるマプサを一瞥し、これ以上ここに留まるのは時間の無駄だと判断したイオスは、気絶しているメイドに再び浮遊魔法をかけ、身体を浮かせた。
「リア王女、お送りします。あちらですね?」
イオスが女子生徒の寮を指さすと、周囲を取り囲んでいた人混みが、引きつった笑みを浮かべながら一斉に道をあけた。
「あ……はい。お願いします」
呆然としながらも、リアが応じる。
イオスが取り合わないことにさらに怒りを募らせたのか、取り巻きに抑え込まれながら、マプサが叫び散らす。
「け、決闘だ! 貴様、僕と決闘しろッ!」
「ご自由に。それでは失礼します」
イオスはマプサを心底憐れむような目で見下ろすと、短く吐き捨てた。
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――そして、現在。
ヨミから受け取った羊皮紙を、リアは静かに机へ置いた。
そこに記された悪意に、リアは困惑を禁じ得なかった。
向かいへ視線を向けると、イオスは昨日の記憶を反芻していたのか、少しの間呆然としていたが、すぐに手元の紙片へと意識を戻した。自分が巻き込んでしまったせいで、こんな不条理な事態に彼を晒してしまうなんて――。リアの心に重い申し訳なさが残る。
「こちらがマプサ殿からの決闘状となります」
向かいに座るイオスは、書き殴られたような文字へ目を落とす。
「マプサ殿、文字は書けたのですね」
思わず皮肉が口をつくイオスに、リアは苦笑を交えて応じた。
「いえ、もしかしたら代理かもしれませんよ」
イオスは苦笑しながら決闘状へ目を走らせる。
「たしかに、公爵家の代筆にしては文章が拙いですし、インクの染みもひどい。怒りに任せて本人が書いたのかもしれませんね」
イオスは呆れ気味にさらに視線を滑らせた。リアは小さく息をついた。
内容は明日の正午、決闘を行うというものだった。敗者は退学。末尾には、公爵家の名が誇らしげに記されている。
(自分から喧嘩を売っておいて、退学まで要求するなんて……)
留学先という立場上、できるだけ事を荒立てたくはなかった。
しかし、酒に酔った勢いで他国の王女へ魔法を放ち、ヨミを傷つけた男を許せるほど、リアも甘くはない。権力を笠に着て他者を踏みにじる姿勢には、嫌悪感しか覚えなかった。
「つくづく頭が悪いな」
イオスの本音が漏れる。
「どうしますか? お断りもできますが」
公爵家を敵に回せば、学院での立場も危うくなるかもしれない。
これ以上イオスを巻き込みたくない――それがリアの本心だった。
「いえ、受けましょう」
イオスはためらう素振りもなく答えた。
「イオス様には、全く関係のない話なんですよ?」
「喧嘩を売られたのは私ですし……それに一方的になんだかんだ言われて腹が立つんですよね。リア王女もそう思いませんか?」
「それは、そうですけど…」
図星を突かれ、困惑したリアは思わず口ごもった。
(……ええ、胸がすくほど腹が立っていますわ)
気品ある王女としての理性が言葉を止めさせたものの、本心ではあの無礼な男に一泡吹かせてやりたい気持ちでいっぱいだったのだ。イオスが見抜いたような笑みを浮かべるので、リアは自分の心が読まれたような心地になり、少し頬を朱に染めた。
イオスはどこか悪戯を思いついた子どものような笑みを浮かべた。
「ちょっと条件をつけましょう。そちらが負けた場合、マプサ殿の命と同等の金貨を請求すると書いてください。その通知を、マプサ殿と公爵家に二通出していただけますか?」
「……イオス様、公爵家の次男の『命の値段』となると、家が傾くほどの莫大な金額になりますが……」
リアは思わず目を丸くした。退学を賭けられた腹いせにしては、あまりにもスケールが大きく、そしてあまりにも強欲だ。
「結構じゃないですか。僕の夏休みの稼ぎと、今後の学費・研究費を全部賄ってもお釣りが来ます」
穏やかな笑みだけを見れば、人の良い学院生にしか見えない。
だが、その口から飛び出したのは、公爵家から莫大な金貨を取り立てるという、とんでもない提案だった。
(このお方……本気で公爵家から身の代金を毟り取るつもりですの!?)
あの中庭で見せた圧倒的な魔法の打ち消しといい、この底知れない図太さといい、リアは驚きを通り越してどこか頼もしさすら覚え始めていた。
「あの、イオス様」
控えていた金髪のメイド、ヨミが気遣わしげに声をかけてきた。
「これは、いわゆる代理決闘となりますが、必ず勝てますか?」
「僕が負けると?」
イオスは不思議そうに首を傾げた。
その声音には虚勢も気負いもない。
本当に疑問に思っている――そんな響きだった。
まるで、自分が敗れる可能性など最初から計算に入っていないかのように。
その迷いのない眼光に圧され、ヨミは言葉を詰まらせる。
「いえ、失礼しました」
リアはふっと小さく微笑むと、手で制してヨミを下がらせた。
彼が誇大妄想や過信で語っているようには見えない。ただ、自らの実力を正確に把握した者だけが持つ静かな自信が、その態度から伝わってくる。
(……お任せしましょう)
胸の奥でくすぶっていたモヤモヤが晴れていくのを感じながら、リアは背筋を伸ばした。
「では、その条件で手続きをお願いしてもよろしいですか?」
イオスとの会談が終わり、重厚なドアが閉じられた。 一人残された応接室で、リアは優雅にカップを持ち上げ、すっかり冷めてしまった紅茶を一口含んで小さく息をついた。
(彼は決して負けないでしょう。ただ……やりすぎるかもしれませんね)
先ほどイオスが見せた、どこか底知れない笑みを思い返す。公爵家を相手に「命の値段」を請求するなど、並の肝持ちでは口にすらできない。彼にとって、あの増長した貴族など脅威すらなく、単なる『金貨の山』でしかないのだ。
「ヨミ」
「ここに」
静寂の中、影のように控えていた金髪のメイドが声を落とす。
「イオス様について調べてください。生い立ち、学院での評判、冒険者としての経歴……分かる限りすべてを」
「了解いたしました」
ヨミが短く応えると、まるで夜の闇に溶け込むかのように気配を消し、静かに室外へと姿を消した。
一人残されたリアは、窓の外に広がるオラクル魔法学院の夜景を見下ろす。 王女としての重圧や、他国での孤独な留学生活の中で忘れていた高鳴りが、胸の奥で小さく弾けた。
あの傲慢な公爵家がどう叩きのめされるのか。そして、あの異質な青年がどんな戦い方をするのか。
――明日の決闘が、待ち遠しかった。




