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リアは姿見に映る自分を静かに見つめた。黒髪によく映える、水彩画のように淡い色彩のロングドレスが、朝の光を受けて柔らかく輝いている。
今日は、私のために決闘へ赴く人がいる。王女として、それに相応しい姿で見届けなければならない。
「リア様、こちらを」
金色のティアラを、金髪のメイドに丁寧に頭上へと載せてもらう。
「これで完璧ね」
「いつもながら、お綺麗でございます」
メイドが深々と頭を下げる。
ヨミ。祖母の代から王家に仕える、リアが最も信頼する侍女である。優雅な所作の裏では、護衛と諜報をも担う。
「あまり心配はしていないのだけれども、イオス様はどうでした?」
リアは昨夜、彼女に命じておいた調査結果を尋ねた。
「お調べいたしました。お名前はイオス、家名はありません。オラクル王国の田舎にある農家出身で、十二歳の頃に教会の適性審査を経てオラクル魔法学院へと入学しております。冒険者としての活動も同年から開始しているようです。学院内での評価は、魔法の研究に打ち込む優等生。他者と進んで接することは少なく、口数も多くありませんが、決して悪印象は抱かれておりません。一部の生徒からは『孤高』と呼ばれているようです。一方、冒険者としても評判は上々で、暇さえあれば依頼をこなしており、同業者からの信頼も非常に厚いとのこと。現在は三人組のベテラン冒険者とよく行動を共にしており、先日は大きな依頼を片づけたと噂されておりました。ちなみに……冒険者の間では『勤労』と呼ばれているそうです」
「『孤高』に『勤労』ですか。実に興味深い評価ですわね。それで、能力の方はどうでしたの?」
リアは可憐な微笑を浮かべた。
「非常に聡明で賢い方のようです。冒険者たちの間では『あとは場数を踏んで経験さえ積めば、間違いなく一角の人物になる』と噂されております」
「なるほどね……」
そう呟きながら、リアは鏡の中の自分に向かって満足そうに微笑みを深めた。
「他の国とのつながりはどうかしら?」
「オラクル国内の農家を中心に魔物討伐を行っており、その領主や領民と良好な関係を保っていますが、特定の派閥などの取り込みは確認できませんでした」
「思った通りの人ね」
「リア様、一つ懸念があるとすれば、彼が優等生すぎる点です。私の心配しすぎかもしれませんが……」
「それは大丈夫だと思うわよ。今日は勝利を届けてくれるでしょうしね」
「何を根拠に?」
「女の勘というものです」
リアは愛らしくポーズを取ってみせ、ヨミをあっけにとらせた。
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決闘が決まった夜、イオスは情報収集に忙しかった。
まずは、オロチたちに事の発端を報告して笑われ、その足で、カグラと盗賊互助会へ、エルデント家の情報を買いに走るなど、決闘そのものよりも事前の仕込みの方が手間だった。
集まった情報は三つ。エルデント家の当主は王城で政務に就いており、次期当主である長男は屋敷に控えているということ。リア王女が発した親書は、間違いなく彼らの目に入っているはずだ。これだけでイオスの策は半分成功したと言える。残りの策は、本日の立ち回り次第だった。
決闘が行われる、魔法闘技場へ足を踏み入れたイオスは、詰めかけた観客の多さに呆然とした。観覧席は生徒たちで埋め尽くされ、立ち見まで出ていた。
「皆さん、本当に暇なんですね」
呆れを隠さずに呟き、周囲を見渡すと観覧席にリア王女の姿を確認できた。 華やかな水彩画のようなロングドレスに、煌びやかなティアラ。周囲の生徒たちから浮き上がるほど完璧な正装を身に纏い、優雅に佇む王女の姿があった。
(……本気ですか。まさかこの決闘のためだけに、そこまで仕立て上げてきたと?)
たかが決闘の観戦に払うには重すぎる『本気度』を感じ取り、イオスは背筋に妙な冷や汗が流れるのを覚えた。ここでみっともない負け方をすれば、あの王女の顔に泥を塗ることになる。
(本当に、勘弁してほしい……)
ため息を押し殺しながら視線を外すと、エルデント家はまだ到着していないようだった。
「しかし、よく晴れた日だ」
空を見上げると、二羽の鳥が悠々と飛び回っていた。イオスは深く背筋を伸ばして身体をほぐすと、荷物を地面に下ろし、闘技壇の上へと上がる。壇上には、審判と思われる教員とマプサがすでに立っていた。
「よく来たな! イオス!」
自信に満ち溢れた声だ。イオスは一瞥を投げると、静かに詠唱して樫の杖を手に呼び出し、マプサに尋ねた。
「ここに来たということは、提示した条件を呑んでいただけたと捉えてよろしいですね?」
「ああ! 良いとも! それに……私が敗れるはずなどないのだからな!」
見れば、マプサは豪勢な装束を身に纏っていた。魔法の効果が付与された外套だろう。さらに首飾りには魔力が蓄えられている。
「この後、予定があります。早く終わらせましょう」
決闘の後、休暇中の依頼を決める打ち合わせを行うとオロチたちと約束している。イオスが淡々と告げると、マプサは露骨に激昂した。
(思惑通りですね)
魔法師は常に冷静でなければならない。頭脳を最大限に活用し、魔法の質を高める上で、精神の安寧は不可欠な要素だ。
「貴様……ッ! 審判、始めるぞ!」
両者が位置につく。
「はじめ!」
合図が響き渡った。
「切り裂く刃よ、穿て!」
「だから、遅いです」
マプサが先制攻撃の魔法を発動させた瞬間。イオスは相手の短杖の先端へ直接、魔法障壁を展開した。
――封じられた風の刃が炸裂する。
続いてイオスは間髪入れずに電撃魔法を放ち、マプサの視界と姿勢を揺さぶった。
「なに……ッ!?」
狼狽するマプサ。だが、彼の身体には掠り傷ひとつない。
「なるほど、魔法を無効化する魔道具ですか。実に良い品ですね」
「そうだ! その通りだ! これを見てもまだ勝てると思うか!」
魔道具の威光を背に、さも自分の手柄と言わんばかりに胸を反り返らせるマプサ。
「……ようやく、朝の鍛錬ができそうですね」
口元に嗜虐的な(あるいは楽しげな)笑みを湛え、イオスはこの戦いで初めて魔法陣を展開し始めた。
イオスの朝は早く、魔法の研究と修練を重ねるのが日課だった。早朝は誰一人として訓練場を使わないため、無理を言って格安で借り受けているのだ。
父がよく言っていた。 「朝を駆ける者に、女神は小さな祝福を下す」、古くから農家に伝わる言い伝えである。
イオスの得意とする構成は火属性。火球を作り出し、それを鋭利な矢の形へと再構築する。ここまでは一般的な攻撃魔法だ。だがイオスが追求したのは「飛翔速度」と「硬度」。
より速く。
より硬く。
より多く。
三年間、毎朝それだけを繰り返した。
今では一度に五十本もの火の矢を、三巡にわたって構築することが可能となっている。
「――統べよ、穿ち抜く炎となれ」
五本。
火の矢が一直線に駆け、マプサへ襲いかかる。
「甘いッ!」
マプサが杖を掲げた瞬間、外套が淡く輝き、火の矢は障壁へ激突して爆ぜた。
轟音とともに炎が散る。
(やはり、自動で反応する魔道具か)
イオスは冷静に観察すると、続けざまに十本の火の矢を構築した。
「まだです!」
今度は散開。左右へ大きく弧を描いた十本が、時間差で一斉に襲いかかる。
「くっ……!」
障壁が何度も明滅し、激しい爆発が立て続けに響いた。
外套は防ぎ切る。
だが、首飾りに埋め込まれた魔導石が一つ、鈍い音を立てて砕け散った。
(なるほど、障壁は無敵じゃない。蓄えた魔力を消費して維持している)
その瞬間、イオスは勝利を確信した。
一方のマプサは勝ち誇ったように笑う。
「見たか! 私には傷一つ付けられん!」
「ええ。十分に分かりました」
イオスは静かに杖を構え直した。
魔法陣が幾重にも重なり、その周囲へ無数の火球が浮かび上がる。
十本。
二十本。
三十本。
空中へ新たに三十本の火の矢が姿を現す。
空気が熱を帯び、観客席からどよめきが漏れた。
「ば、馬鹿な……!」
「終わりです」
三十本の火の矢が、一斉に解き放たれた。
暴風雨のような火炎の奔流がマプサを飲み込み、その身体へと容赦なく叩きつけられる。
魔法の直撃を耐え凌ぐたびに外套が軋み、身代わりとなった首飾りの魔導石が次々と砕け散っていく。
「ぐあああぁぁぁぁっ!」
最後の一本が炸裂した瞬間、轟音とともに爆炎が空高く噴き上がった。
濃密な土煙が闘技壇を覆い尽くす。
普通であればここで間髪入れずに止めを刺すところだが、イオスはあえて距離を取り、経過を見守る選択をした。どうしても、魔法の外套の耐久性を測りたかったのだ。
煙が晴れると、マプサはかろうじて踏みとどまっていた。しかし、魔法の直撃に耐えかねたのか外套はボロボロに裂け、首飾りに埋め込まれた魔導石までも砕け散っている。激しい魔力の消耗による魔力酔いのためか、もはや立っていることすらやっとという様子だった。
「その外套、着用者の魔力を直接吸い上げて内部で障壁を展開する仕組みのようですね。どう見ても前衛向けの防具です。魔法師が自らの魔力を削って戦うなど、一体どういう意図で採用されたのですか。……ほら、すでに魔力酔いになっているじゃないですか」
立っていることすら限界に見えるマプサに対し、イオスは淡々と降伏を促した。
「う、うるさい……ッ!」
衰弱した身体に鞭を打ち、マプサが執念で杖を振り上げる。
――だが。
「終わりです」
イオスは風を置き去りにする速度でマプサの懐へと潜り込み、樫の杖の柄でその顎を鋭く突き上げた。
弧を描いて空中に跳ね上がるマプサの身体。続いて、鈍い衝撃音とともに地面へ転がり落ちた。
静寂が場内全体を支配する。
「――勝者、イオス!!」
審判の宣言を合図に、会場中に地鳴りのような歓声が響き渡った。誰の目から見ても、イオスの完璧な勝利だった。
(さて、ここから、仕込みの最終段階だ)
イオスは魔力で鋭い刃を具現化させ。横たわるマプサへ近づくと、場内に通る朗らかな、しかし底冷えする大声で言い放った。
「リア王女! 御身に不敬を働いた愚者を成敗いたしました!
この者の処分はいかがいたしましょう?
両腕を切り落とし、見せしめにしても構いません。
脚を削ぎ落とし、二度と御身の前に立てぬようにしても構いません。
首を跳ね、エルデント家へ送りつけても構いません。
……どうぞ、お好きなものをお選びください」
あまりにも残酷な選択肢を、彼は平然と提示してみせた。
考えてみれば当たり前である。一国の王女に魔法を放ち、酒の勢いで決闘を申しつける貴族。 このけじめは誰かが取らなければならない。
模擬戦ではなく、決闘という現実が再認識され、改めて静まり返る場内。
すると一人の男が、ゆっくりとイオスに向かって歩み寄ってくる。
「そこまでにして頂けるかな? 強い魔法師殿」
(かかった……!)
イオスは内心で笑みを深めたが、表面上は無表情を貫き通した。
「あなたは……?」
「エルデント家長男、ラフィール=エルデントだ」
姿を現したのは、長身を包む重厚な騎士団の鎧がよく似合う青年だった。巨大魔獣の討伐経験を思わせる引き締まった肉体と、その佇まいからは一目で猛者だと判る威圧感が漂っている。
「ラフィール殿。この度の一件により、リア王女は大変心を痛めておられます」
(――このままでは事が大きくなる。どう収めるつもりだ)
イオスが静かに告げると、ラフィールは一瞬だけ目を細め、深々と頭を下げた。
「愚弟が誠に不始末を働いた。今後はこちらに任せてはいただけないだろうか」
「……任せる、ですか」
イオスは静かに息をつき、穏やかな口調のまま言葉を継ぐ。
「王女殿下への不敬は、王家そのものへの不敬です。ただ"任せる"というだけでは、少々軽く聞こえます」
(――事の重さは理解しているな?)
ラフィールは小さくうなずいた。
「むろん、口約束で終わらせるつもりはない。当家として責任を果たし、王女殿下には、必ずご納得いただけるだけの誠意をお示ししよう。エルデントの名に懸けて」
(――愚弟は当家で厳しく処断する。補償も惜しまない)
イオスは満足感を押し殺しながら、観覧席のリア王女へ視線を向けた。
「リア王女、いかがでしょうか」
リア王女は扇子を開き一言。
「イオス、見事な立ち回りでした。ご苦労様でしたね」
互いに腹を探り合う、完璧な芝居の応酬だった。
(これで決定的な対立を避けつつ、解決に持ち込めそうだな)
あとはエルデント家とリア王女の間で手打ちを行えば、この問題は綺麗に片が付くはずだ。
「それでは、私はこれで」
イオスが立ち去ろうと身を翻したところで、呼び止められた。
「……イオスと言ったかな、君は」
「ええ、そうです。名前など覚えていただく必要はありませんよ。今後、貴方様方と関わるつもりはありませんから」
「いや……そうではなく。君、本当はもっと強いだろう。戦いの所々で手を抜いていたね」
「まさか。……ただ、リア王女が命までは望んでおられなかっただけですよ」
もちろん、嘘である。単に相手の着用していた魔法の外套の性能を見極めたかったことと、ここでマプサを殺害してしまうと後処理が極めて煩雑になることを嫌っただけに過ぎない。
イオスとしてはこれ以上の面倒ごとは勘弁してもらいたいのだった。
「魔法の腕だけではないな。君は戦い方を知っている。時間があれば、一度手を合わせてみたいところなのだが……」
「剣士と正面から対峙した時点で、魔法師としては二流です。鍛え抜かれた貴方様がお相手では 、私が勝てるはずもありませんよ」
そう言い捨てると、イオスは一礼してその場を後にした。
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「――と、なったわけです。」
相変わらずの喧噪に包まれた酒場の一角。イオスは机に突っ伏したまま、ぐったりと仲間たちに愚痴をこぼしていた。
「ほうほう、それは大変じゃったのう」
ミロは気楽に酒盃を傾けながら、イオスの言葉に適当な相槌を打つ。
「イオスは正しいことをした。自信を持っていい」
オロチが珍しく、イオスへねぎらいの言葉をかけた。
「それで? 決闘に勝ってお金がどっさり入ったってこと?」
カグラが口元に笑みを浮かべて茶化す。
「そんなわけないじゃないですか。そもそも、国家間の問題を起こしかけた次男の首に、価値なんてつくはずがありません」
「それは残念ね」
「得られた成果といえば、無駄に使った魔力の疲労感くらいですよ」
「あら、そうとも限らないわよ?」
イオスが億劫そうに顔を上げると、テーブルの傍らには仲間たちのほかに、見覚えのある金髪のメイドが静かにたたずんでいた。
「……あっ、メイドさん。こんばんは」
「こんばんは、イオス様。この度は誠にご苦労様でした」
「それで……何かご用でしょうか?」
「まずは、今回の件が滞りなく処理されたことをご報告いたします」
「それは良かったです」
イオスとしては、これで後味の悪い結果になっていては本当に割に合わないところだった。
「イオス様への褒章につきましては、各家より相応の品を後日お渡しする形でまとまりました。また、今回はリア様が大変お喜びになられていたこともお伝えしておきます」
「イオス君、王女様の代理で決闘なんて、まるで騎士様みたいじゃない」
「やめてくださいよ、カグラさん」
「それと別件なのですが、皆様にこちらを」
ヨミは淡々とした手つきで、一枚の依頼書をテーブルへ差し出した。
「ほう……」
「この依頼内容で、こんなに貰っていいの?」
「リア様のご厚意により、通常よりも実入りの良い報酬設定となっております」
「……これは『断るな』と言われているような金額ですね」
提示された依頼は、リア王女の里帰りの護衛を補助する、という内容だった。
イオスが仲間を見渡すと、全員が深く頷いた。受けるつもりのようだ。
「わかりました、お受けします」
「ありがとうございます。イオス様、私のことは今後ヨミとお呼びください」
「それでは、ヨミさん、と呼ばせてもらいますね。あと、僕は貴族とか、王族には極力かかわらないように生活してきました。なので今回の依頼で最後にして頂けると助かるんですが……」
「それは難しいと思われます」
「なぜでしょう?」
「イオス様の価値は、これまで学院の主任ディオス様の手の中に収まっておりましたが、今回の件で、国内ではエルデント家、国外ではリア様に知られました。今後は何かと苦労されるかと思います。身の振り方を考えた方が、後々困らないかと愚考します」
イオスの頭が急速に回転し、必死に回避策を考える 。
長い沈黙。
ヨミは静かに首を振った。
「……無駄かと」
メイドの非情な一言に、イオスはこの日初めて沈没 した。
「ああ、やっちまったぁ……」
イオスは頭を抱えて机に突っ伏し、情けない声を漏らす。
ヨミを除く一同から、耐えきれずに吹き出すような笑いがこぼれた。
今日もオラクルの街は平和である。――イオスを除いて。




