1-7
四人が息を忘れて立ち尽くす中、飛び散った肉塊は醜悪な融合を遂げ、この世の理を冒涜する巨人の形へと急速に膨れ上がっていく。
炭化した皮膚が裂け、爛れた赤肉が剥き出しになる。折れた骨が肉を突き破り、不自然な軋みを響かせながら、歪な二本の脚と巨腕、そして人の形をした歪んだ頭部を組み上げていく。
オロチの倍はあろうかという巨躯が、ゆっくりと立ち上がる。その頭部は崩れかけた神殿の天井を擦り、空間全体へ濃密な腐臭と血の熱気を撒き散らしていた。
眼前で立ち上がる異形の圧迫感に、ミロが怒声を発する。
「イオス、こいつはなんじゃ!」
「僕の……僕の炎で焼けた肉が……!」
イオスは樫の杖を握り締め、青ざめた顔で叫び返す。
肉と血潮だけで形作られた禁忌の巨人。 焦げた肉の臭気と血煙を撒き散らし、巨人は巨木のごとき太腕を持ち上げた。
巨大な影が四人を覆い尽くす。
「身構えろ、来るぞ!」
オロチの鋭い一喝と同時に、頭上から巨拳が振り下ろされた。
「障壁!」
イオスが咄嗟に頭上へ魔力の膜を展開する。降り下ろされた巨拳が不可視の壁へ激突し、空気を押し潰す重圧が神殿を揺らした。
——その瞬間、イオスの体内から凄まじい魔力が根こそぎ引き抜かれる。
(魔力が……持っていかれる……!)
規格外の一撃だった。
代償はあまりにも大きい。
激しい魔力酔いと鈍痛が全身を駆け抜けた。
だが、巨人も無事ではない。絶大な威力を受け止めきれず、障壁の上で押し潰された巨拳が、内側から弾けるように惨らしく破裂した。
焼け焦げた肉片と砕けた骨、粘ついた血潮が障壁を滑り、激しく飛び散る。
しかし、潰れた肉は瞬時に再生を果たし、間髪入れずに次の一撃を振り下ろしてきた。
「おおおッ!」
地鳴りのような雄たけびとともに、ミロの巨大な大斧が一閃した。 巨人の腕が肩口から千切れ飛ぶ。間髪入れず、オロチが刀身をかかげて短い神聖詞を紡いだ。白刃が清廉な光を放つ。
「むんッ!」
光の刃が一閃し、巨人の脚を鮮やかに切断した。 支えを失った巨躯が地響きを立て、大きく体勢を崩す。
「畳みかけるぞ! 何も残さん勢いで叩き潰してやるわい!」
ミロは雄たけびを上げ、肩へ狙いを定めて大斧を振りかぶる。
「ぬっ……!?」
直後、切り落とされた切断面から蠢く肉を突き破り、鋭い骨片が弾丸のごとき勢いで弾け飛んだ。
「伏せて!」
突如襲い来る骨の弾丸に対し、カグラの凛々しい声が神殿内に響き渡った。
ミロが反射的に身をかがめると同時に、一条の閃光がその頭上をかすめ、巨人の切断面へと一直線に突き刺さる。
——耳を聾するほどの激しい爆発が巻き起こった。
カグラの温存していた切り札が炸裂した。
内側から弾け飛んだ猛烈な爆炎と衝撃波によって、飛来していた骨片もろとも、巨人の腕が肩口まで丸ごと豪快に吹き飛ばされた。
「みなさん、距離を取ってください!」
イオスの鋭い叫びに合わせ、オロチ、ミロ、カグラの三人は即座に地を蹴り、巨躯の足元から大きく距離を取った。
全員が退避したのを確認するや否や、イオスは樫の杖を突き出し、高速で魔法陣を展開していく。
重なる魔力の消費による疲弊を気迫でねじ伏せ、一気に魔法陣を構築した。
「——集え、束ねよ、穿つ炎の柱となれ!」
解き放たれたのは、この戦いで二度目となる渾身の中級魔法。 渦を巻く凄まじい火柱が、無防備な巨人の胸部へ真っ直ぐ突き刺さり、一気に炸裂した。
爆炎が収まり、煙が薄れていく。
焦げた血肉と腐臭が重苦しく神殿を満たす。 吹き散らされた血肉はなお死を拒み、焦土を這う肉片と砕けた骨が引かれ合うように急速に組み上がっていく。
気配もなく戻ってきたカグラが、イオスに問いかける。
「イオス君。脚を削いで動きを止めた隙に、撤退する?」
「それも考えましたが……だめです、できません。」
「なんで?」
「外は遺体が眠る墓場です。もし魔法の影響が外にまで及べば……最悪の場合、あの巨人が増えます。」
イオスは絶えず蠢き再生を繰り返している巨人から目を離さずに答えた。
「それは絶対にだめだね。じゃあ、消滅させるには?」
絶え間ない激戦の最中、イオスの頭脳が高速で回転する。 これまでに得た情報を即座に整理し、解を導き出していく。
火と神聖――それが敵の弱点。
勝機は二つしかない。
不浄な魔法陣を破壊すること。
そして、再生を許さず、この巨躯を燃やし尽くすこと。
確実な作戦を組み立てたイオスは、傍らのカグラへ指示を出す。
「カグラさん。さっきの魔法の矢、あと何本ありますか」
「二本」
カグラは短く答えると、背の矢筒に残された特殊な矢の感触を指先で確かめる。
「一本をもう一度撃って時間を稼ぎます! 打ち終わったら、酒樽を取りに走ってください!」
イオスの叫びが神殿に響く。 眼前ではすでに巨人が形を取り戻しつつあった。地を這う肉塊の波が前衛の足元を呑み込まんとしており、一刻の猶予もない。
「ワシの人生そのものじゃぞっ!」
蠢く肉片を大斧で叩き潰しながら、ミロが血走った目で怒号を上げる。死線にあっても酒樽を惜しむミロへ、イオスは叫び返した。
「その『人生』、町で買えるじゃないですか! 我慢してください!」
カグラは迷わず短弓を引き絞り、圧迫感を増す巨躯の傷口へ一閃の矢を解き放つ。 直後、凄まじい爆風と衝撃波が神殿内を吹き抜けた。
その爆炎の最中、オロチの問うような視線がイオスを捉える。
刀身に宿る神聖な光を指し示し、無言でイオスを見た。
「……はい! お願いします!」
イオスが強くうなずくのを見届けると、オロチは迷いなく神聖なる刃を高く掲げ直した。 剣身からあふれ出した清廉な白銀の光が、頭上から巨人の巨躯を包み込むように照らし出していく。白銀の光を浴びた肉片は黒煙を噴き上げ、蠢きを止める。
融合の勢いは目に見えて鈍っていった。
「面倒くさいのう!」
そう叫びながら、ミロは巨人の本体へ向かって、握りしめた大斧を豪快に振りかぶる。
(この隙に……!)
イオスは限界に近い魔力を研ぎ澄まし、床へと叩きつけるように注ぎ込んだ。
「紡がれし魔の脈動を絶て! 偽りの理を撃ち砕き、虚妄の刻印を灰燼に帰せ 」
詠唱とともに、蒼白色の激しい光芒が床面を駆け巡る。 その光は瞬く間に広がり、神殿中央に刻まれた不浄の魔法陣すら呑み込む、桁違いに巨大な魔法陣が描き出される。
——『魔導解呪』
直後、耐えかねた魔法陣が弾け飛び、無数の光片となって空中に散った。 神殿を支配していた禍々しい脈動が断ち切られる。先ほどまで意思を持つように蠢いていた血肉の波が、まるで凍りついたかのようにピタリと機能を停止した。
「魔法陣を壊しました!」
イオスの叫びを聞くや否や、オロチは剣に光を収め、間髪入れずに刃を閃かせて巨人の本体へと肉薄した。ミロもまたそれに続き、凄まじい勢いで大斧を叩きつけ続けている。
魔法陣を失った巨人は融合が止まり、もはや形すら維持できていなかった。 爛れた肉が不気味に弾けて腐敗臭を撒き散らし、足元は液状化した肉と骨が溶け合った泥と化していく。持ち上げられた粘つく腕は、ただ不浄な執念だけを宿した意思を持つ泥濘そのものだった。
「イオス君。お待たせ」
前衛の二人が猛攻で敵の足を止めているさなか、カグラが戻ってきた。
その背には、ミロが命の次に大切にしていた酒樽がしっかりと背負われている。
酒樽を背負っているとは思えないほど軽やかな足取りで、彼女はイオスの傍らへ現れた。
「うわぁ……どろどろだね」
背の酒樽を下ろしながら、カグラは露骨に嫌悪感を露わにした目で巨人の無惨な姿を見つめた。
「カグラさん、あとは——」
「大丈夫、わかってる」
畳みかけようとしたイオスの言葉を、カグラは承知とばかりに短く遮った。
「オロチ、戻って! これ投げて!」
カグラは足元に置いた酒樽を叩きながら、前線で刃を振るうオロチへ向けて叫んだ。
「ワシの酒じゃぞ!?」
大斧で泥濘をすり潰していたミロが悲鳴のような怒号を上げるが、カグラは一蹴するように言い放つ。
「ミロに任せたら惜しんで投げないでしょ!」
「それより、最後の一撃は任せるけど……大丈夫そう?」
カグラは心配そうな視線をイオスへと向けた。 イオスの顔色は蒼白で、全身の魔力がとうに底を突いているのは誰の目にも明らかだった。 だが、イオスにはまだ隠し手があった。
腕に嵌めたブレスレット、そこに嵌め込まれた予備の魔導石さえ使えば、もう一度だけ中級魔法を放てるはずだった。
イオスが「大丈夫です」と答えようとした、その時
カグラが彼の腕元を無言で指さした。
「……え?」
カグラの視線を追い、イオスは自身の腕に目を落とす。 そこにあるはずの魔導石は跡形もなく消え去り、空っぽの銀枠だけが残されていた。先ほどの規格外な「魔導解呪」を強行した際、激しい魔力の反動に耐えきれず弾け飛んでしまっていたのだ。
「なっ……!?」
思いもよらぬ絶望的な事態に、イオスは言葉を失った。
(話が変わってくる……!)
痛烈な誤算に、イオスの背筋を冷や汗が駆け抜ける。
別のアプローチを組み立て直す猶予などない。全員が死力を尽くして巨人を抑え込み、 カグラが追撃の準備を整えた今この瞬間こそが、奴を完全に滅ぼせる唯一無二の好機なのだ。
ここで自分が倒れるわけにはいかない。
——残された手はただ一つ。
自らの生命力を魔力へ変え、強引に魔法を紡ぐこと。
命そのものを触媒として燃やし、強引に魔法を紡ぎ上げる無茶な補填だ。下手をすれば魂ごと焼き切れかねない諸刃の剣。
それでもイオスが固く歯を食いしばり、その瞳に悲壮なまでの覚悟の光を宿した——まさにその時。
「はい、これ」
拍子抜けするほど軽い声とともにイオスの目の前に差し出されたのは、小さなガラス瓶
——魔力の強制回復薬だった。
「……え?」
イオスは素っ頓狂な声を漏らした。
「終わったら倒れていいよ。飲めそう? 飲ませてあげようか? あまり飲みすぎると中毒になるから気をつけてね〜」
数日前にも、まったく同じ笑顔でそう言われたことが強烈に脳裏をよぎる。 イオスが悲壮感をごっそりと削がれて絶句している間に、カグラはおちゃらけるようにひらひらと手を振り、そのまま滑るように足元の影の中へ潜り込んでいった。
追撃のための間合いへと一瞬で消えていくその一連の動作には、欠片の無駄もない。
「中毒は治るぞ」
入れ替わるように戻ってきたオロチが、カグラの置いた酒樽を片腕で易々と担ぎ上げながら言った。
「薬の中毒は、神官魔法でも治らないと聞いていますが……」
イオスが真面目に疑問を投げかけると、オロチは口元にニヤリと不敵な笑みを浮かべて言い切った。
「気合だ」
そのあまりに豪快すぎる一言と表情を見た瞬間、イオスは自分がからかわれているのだと悟った。
恥ずかしさのあまり声にならない悲鳴を上げると、イオスはやけくそ気味にガラス瓶のフタを押し開け、魔力回復薬を一気に煽り立てた。
喉を焼くような激痛とともに、枯れ果てていた魔力回路へ膨大な魔力が激流となって流れ込んでくる。
「燃やし尽くしてやる……! なにもかも!」
湧き上がる魔力を解き放ちながらイオスが叫ぶと、それを見届けたオロチが担いでいた酒樽を大きく振りかぶった。
「では、行くぞ!」
オロチの怪力によって投げられた酒樽が、空を舞い、無惨な泥濘と化した巨人の頭上へと叩きつけられる。
「くっくっく、これだから面白い!」
ミロは大笑いしながら大斧を振り下ろし、酒樽ごと巨人の肉体を叩き潰し、中の酒を全身へぶちまけた。
「いくよ!」
闇の中からカグラの弾けた声が響き渡り、矢の先から放たれた火花が、酒に濡れた巨躯へと吸い込まれていく。
「穿てッ!」
イオスの放声とともに、本日最後となる渾身の中級魔法が解き放たれた。
怒濤の魔力が、酒と火に包まれて燃え上がる巨人の肉塊を正面から穿ち抜く。すでに形を失い崩れかかっていた巨躯は、内部から膨れ上がった爆炎に耐え切れず、轟音とともに四散した。
爆炎は肉片一つ残さず呑み込み、すべてを灰へと変えた。
不浄の巨人は断末魔すら上げることなく灰となって崩れ落ちた。




