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西方の魔法師  作者: 榊さん
邂逅
6/25

1-6

石壁を越えた先には、果ての見えない墓地が広がっていた。

苔むした墓石は削り取られたように倒れ、至る所の土が掘り返されている。風もないのに耳元を掠める低い風切り音と、鼻腔を突く爛れた臭気。一歩踏み出すたび、地の底から絡みつくような視線が肌を粟立たせる。


「……墓が、ひどく荒れていますね」


「神殿の異様さに気を取られていて、気づかなかったわ」


駆け抜けながらイオスが周囲へ視線を走らせると、カグラも転がる石を軽やかにかわしながら頷いた。雲に覆われた闇の中、禍々しい魔力の残滓がまとわりつく。手練れの彼らですら、背筋を凍らせるような不快感だった。


「……正面まで回り込むか?」


先頭を走るオロチが短く問う。


「正面は罠や防衛魔法が一番厳重なはずです。外壁から魔力反応を探ってみましょう」


「了解。もうすぐ着くからね。頼むよ、イオス君」


カグラが並走しながら、信頼を込めた強い視線を送ってくる。


墓地の向こうに、あの異質なまでに無傷な神殿の影が次第に大きく立ち現れてきた。建造物を覆う重苦しい空気と、肌を刺すような魔力の圧迫感が否応なしに高まっていく。


「はい……任せてください」


イオスは力強く頷き、握りしめた樫の木の杖へ意識を集中させた。




倒壊した墓石の群れを抜け、四人はついに神殿へ到達する。

間近で仰ぎ見る神殿の外壁は、周囲の凄惨な崩壊が嘘のように、

ひび一つ、欠け一つ見当たらない。


イオスは息を潜め、最大限の警戒を維持しながら外壁へとゆっくり手を当てる。


探知魔法を不用意に使えば、再びあの強烈な魔法反撃を食らいかねない。イオスは魔法を発動させず、掌に伝わる魔力の残滓だけを慎重に探った。


冷たい石の感触に集中すること数十秒。イオスはそっと手を離し、固唾をのんで見守っていた仲間たちへ振り返る。


「壁そのものに、防衛魔法も罠も見当たりません。」


「ほう、結界の類で守られておるわけではないのか?」


ミロが不審そうに太い眉をひそめると、イオスは不気味さを隠しきれない表情で首を振った。


「ええ。中で一人、魔法師が膨大な魔力を放出しています。それが結果的にこの建物を衝撃から保護していたのかもしれません」


「どうする? 裏口探してこようか?」


カグラが素早く辺りを見回しながら小さな声で提案する


「いえ」


イオスは力強く首を振ると、樫の木の杖をかざした。


「魔力の奔流へ、一発ぶち込みます。」


先ほどまでの蒼白な表情から一転、イオスは不敵な笑みを浮かべていた。


巨大な魔法陣ほど、魔力の流れを乱されると脆い。――それがイオスの狙いだった。

仲間たちは、詠唱に入るイオスを庇うように素早く円陣を組み、武器を構えて全方位を警戒した。オロチが大剣を引き抜き、ミロが重厚な大斧を低く構え、カグラが周囲へ視線を走らせる。


いつでも神殿内へ突入できるよう、全員が全身の神経を研ぎ澄ませていた。


その背に守られながら、イオスは樫の木の杖を地面に突いた。


(壁も、敵も、魔法陣も、すべてをこの一撃で残らず貫き通さなければならない)


この一撃を外せば一転して不利になる。仲間たちの命すら、自分の放つ一筋の魔法にかかっているのだ。

握りしめた手に滲む冷や汗を感じながら、押し寄せる不安を無理やり押し殺し、イオスは思考を研ぎ澄ませた。


「ねえ、イオス君、顔が怖いよ? 一発ぶち込んでやるって言ったの、自分じゃない?」


刃を構えたまま悪戯っぽく笑いかけるカグラに、ミロも豪快に鼻で笑ってみせた。


「そうさな。失敗したらワシらが力ずくで壁ごと叩き割るだけじゃ。気楽にやるといい」


オロチに言葉はなかった。ただ一度だけ、重々しく頷いた。


仲間たちの言葉と視線を受け取ったイオスは、深く息を吐き出した。固く強ばっていた肩から、すっと力が抜けていく。胃の奥を縛りつけていた重苦しい結び目がほどけ、視界が一気に開けていく感覚があった。


守ってくれる仲間がいる。一人で全てを背負い込む必要など、最初からなかったのだ。


イオスは腹を括り、覚悟の決まった眼光で前を見据えた。


「——行きます!」


目つきが、鋭く引き締まる。


「——紅蓮の理をここに示す。爆轟の連鎖となり万象を砕き、すべてを薙ぎ払え」


イオスは意識を極限まで研ぎ澄ませた。

虚空に淡い光の円環が浮かび上がり、魔法文字が一筆ずつ紡がれて、幾何の紋様が陣を織り成していく。

最後の一画が刻まれた瞬間、爆発的な魔力は中心へと収束した。

世界の理に重なり、魔法が完成する。


「——穿て!!」


次の刹那――圧倒的な灼熱が解き放たれた。


白熱の閃光が夜の闇を裂いた。


——轟音。


極限まで収束した熱が石壁を紙のように穿ち抜いた。


次の瞬間、神殿内部から爆圧が噴き返し、神殿が呻いた。

装飾窓が無数のきらめく破片となって夜空へと飛び散る。破られた窓という窓から白煙と熱気が吹き出し、神殿全体が大きく鳴動していた。


「いくぞ」


オロチの短く重い合図とともに、四人は煙が燻る貫通孔から一気に神殿内へと突入した。

足を踏み入れた瞬間、肌を焼くような熱波が全身を包み込む。イオスが解き放った魔力の余波が、なおも室内に濃密な熱気として留まっていた。


神殿内には、爆圧で引き裂かれた机や椅子の破片と、人だったものの残骸が区別もつかぬほど入り混じって散乱していた。壁や床には焼き付いた血痕と肉片が散らばり、白煙の中には砕けた骨が転がっている、そのすべてを赤黒い残火が不気味に照らし出していた。


だが、その惨状の中心には一人の魔法師が立っていた。


微動だにせず。


まるで、最初からそこに佇んでいたかのように。


「閃け!」


イオスの鋭い叫びとともに、樫の木の杖の先端から雷光が一筋の光となって弾け飛ぶ。空気を切り裂く閃光が一直線に走る。

それを合図に、オロチとミロが同時に地を蹴った。


「ハアッ!」


疾風のごとき踏み込みで間合いを詰めたオロチが、白刃を閃かせて死角から斜めに斬りつける。それとほぼ同時に、頭上へと跳躍したミロが、遠心力を乗せた重厚な大斧を容赦なく振り下ろした。 上下から放たれる必殺の一撃。


「――なっ!?」


凄まじい衝撃が二人の腕を貫き、オロチの白刃とミロの大斧は無情にも弾き返される。同時に、イオスの雷撃も音もなく霧散した。


魔法師の周囲には、目には見えぬ障壁が揺らめいていた。


見れば、直前に外壁を打ち抜いたはずのイオスの魔法すら通っていなかった。魔法師の周囲を覆う魔力は、いささかの揺らぎも見せず、赤黒い光を帯びて静かに揺らめいていた。


次の瞬間、魔法師を包む魔力が狂おしく波打ち、爆風のごとき圧倒的な衝撃波が周囲へ一気に解き放たれた。


真正面からその圧力を浴びたミロは、巨体ごと宙へ浮き上がり、すさまじい勢いで後方へと吹き飛ばされる。重苦しい音を響かせて石床へ叩きつけられるのを、オロチは鋭い視線で確かに捉えた。


即座に状況を判断したオロチは、地を滑るように後退する。吹き飛ばされたミロに代わって後衛のイオスを護るべく、間合いを詰め直して陣形を立て直した。


「ミロ……!」


イオスが叫びそうになるのを、オロチが静かに制する。


嵐のような衝撃のあと、神殿内は急激に静まり返った。吹き散らされた煙と微塵が舞う中、充満する熱気と異様な沈黙が空間を支配していた。


「まだ……生きている。」


男と女の声が奇妙に重なり合った、歪な二重の音声が静寂を切り裂くように響き渡る。人間離れしたその声の発生源は、煙の奥に立つあの魔法師だった。


魔法師は不気味なほど微動だにせず、ただイオスひとりをその冷徹な眼光でじっと見つめている。


やがて、魔法師はゆっくりと両手を左右に広げた。そのまま天を仰ぎ、二つの重なる声で短く告げる。


「失礼」


その言葉と同時に、魔法師の足元を中心に刻まれていた複雑な魔法陣が、眩いばかりの光を放って浮き上がる。


次の瞬間、魔法師の姿は消えていた。


「なんじゃったんだ、あれは」


吹き飛ばされていたミロが、痛みを押して頭を振りながら起き上がると、散らばった瓦礫を払いのける。


「あの魔法師、女性だったよ?」


死角の陰から滑り出すように姿を現したカグラが、短剣を鞘に収めながらイオスに語りかけた。その表情にはいつもの悪戯っぽさはなく、不気味な違和感を拭いきれないといった色が浮かんでいる。


「カグラさん、あの魔法師は女性でしたか?」


「ちゃんと見たよ」


そう答えるカグラの眼光には、目撃した事実を確信している鋭さが宿っていた。

「イオス、そこまでだ。魔法陣を見ろ」


オロチの制止に、イオスは息を呑んだ。


「消えない……? なんで……」


イオスが青ざめる。 魔法師が消えたというのに、魔法陣は霧散するどころか輝きを増していた。


刻まれた複雑な溝を、青白い魔力が生き物のように蠢き、不気味な脈動を繰り返している。それはさらなる災厄を告げるように、暗がりの中で怪しく光を放ち続けている。


「次から次へと、忙しいのう。魔法師はこれだから……」


ミロが大斧を強く握り直し、苦々しい表情で警戒を強める。

その言葉に応じるかのように、神殿中央の魔法陣が一際強く眩い輝きを放った。


つかの間の静寂は、より深い地獄の前触れに過ぎなかった。


次の瞬間、イオスの放った灼熱の魔法に焼かれ、四方に飛び散っていたはずの肉片が、濡れた音を立てて蠢き始める。炭化した皮膚や、焼け焦げて癒着した内臓の破片が、まるで見えざる糸に引かれるように床を這い、互いに引き寄せられていく。

それらは意志を持つ、悍ましい臓物の塊だった。光を放つ魔法陣の中央へと一点に集まりながら、肉片は互いを喰らうように絡み合い、ひとつの肉塊へ変わっていく。


飛び散った死の残骸が醜悪に融合し、肉と骨が軋む音とともに、冒涜的な何かが生まれようとしていた。


魔法師が姿を消したのは、ただの撤退などではない。この世の終わりを告げる禍々しい怪異を起動させるための、冷酷な前触れに過ぎなかったのだ。


四人は言葉を失った。


あれは、生き物ではない。


その事実だけで、十分だった。



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