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深部へ足を踏み入れるにつれ、頭上を覆う巨木の葉はいっそう厚みを増し、差し込む陽光は細い筋となって地面へ落ちていた。湿り気を帯びた空気が肌へまとわりつき、一歩踏み出すたびに足取りは重くなっていく。
道中、物陰から飛び出してきたゴブリンや、不気味に枝を蠢かせる木の魔物トレントなどが立ちはだかった。しかし、事前に手の内を明かし合っていた一行にとって、いずれも脅威にはならず、危なげなく退けていった。
だが、重苦しい静寂と先の見えない森は、肉体の疲労以上に胸の内へ緊張を積み重ねていく。
疲れた様子でため息を漏らしながら、カグラが近くに立つ一際太い木を指さした。
「……?」
イオスも足を止め、彼女の指し示す幹を覗き込む。そこには、鋭利な刃物で切り刻まれた、特殊な痕跡が残されていた。
「これは……?」
「私が前につけた印だよ。確か、朝方だったかな」
「間違い……ないですか?」
真剣な表情で確認するイオスに、カグラは自信ありげに頷いて見せた。
「間違いないね。見た目はただの傷に見えるけど、私にしか分からない暗号を刻んであるから。他の誰かがつけた痕跡とは絶対に区別がつくよ」
「……」
カグラの言葉を聞いた瞬間、場に重苦しい沈黙が落ちた。
頭上を見上げれば、巨木の隙間から覗く空は朱色に染まり、静かに日が傾き始めている。朝に刻んだ目印へ、夕暮れになって戻ってきてしまった。
一日近く歩き続けた末の結果が、それだった。
「もらってきた地図通りに進んではいるのですが……」
イオスは羊皮紙の地図を広げ、指先で現在地と思われる箇所をなぞりながら眉をひそめた。
「そもそも、その地図が合っている保証がないな」
オロチが腕を組み、冷ややかな視線を地図に落とす。
「仕組まれた依頼ってこと? うーん、それはないと思うけどなぁ。今回の依頼主、かなりしっかりした人だしさ」
カグラは短刀の先で再び木肌に新たな暗号を刻みつけながら、軽い口調で言葉を足した。
イオスは黙って思考を巡らせる。 確かに、依頼自体の信頼性はある程度保証されている。だが、地図に従って遺跡へ向かう道中で、本来ここにいるはずのない「クリムゾン・ペタル」と遭遇した。そして今、まるで一行の到着を拒むかのように、森の空間そのものが歪められている。
(偶然が重なったにしては、出来過ぎている……)
思考をまとめたイオスは意を決し、地図をそっと畳んだ。
「みなさん、提案があります」
その引き締まった声に、一同の視線が集中した。
「誰かが魔法で森を歪めています。まずは原因を突き止め、安全を確保した上で先へ進みましょう」
「このままじゃ戻れるかも怪しいしのう。悪くない案じゃ」
ミロが髭を撫でながら、力強く首を縦に振った。
「それにさ、その原因が、目的の遺跡かもしれないしね〜」
カグラの言葉は楽観的に聞こえるが、十分に考えられる可能性だった。
「……続けろ」
オロチが静かな声でイオスに続きを促す。イオスは一瞬表情を曇らせ、警告するように言葉を継いだ。
「敵は相当な手練れです。探知魔法で元凶を探りますが、こちらの居場所が割れるおそれがあります」
しかし、返ってきたのは迷いのない言葉だった。
「かまわない。それが最短だ」
オロチが短い言葉に強い意志を込め、ミロとカグラも満足げに頷いた。腹をくくった仲間たちの頼もしい姿に、イオスもまた気を引き締め直した。
「では、行きます」
イオスが静かに樫の木の杖を地面へと突き立てた。
それを合図に、ミロ、オロチ、カグラの三人は慣れた身ごなしでイオスを取り囲み、周囲の暗闇へ視線を走らせながら警戒体勢に入る。不意の奇襲から魔法師を守るための、完璧な陣形だった。
イオスが杖を通じて意識を集中させると、足元から地表へ向かって淡い青銀色の光が駆け走り、繊細な幾何学模様を描く魔法陣が静かに展開された。
「探知魔法を使います。近場から波を伸ばしていきますね」
この魔法は、術者を中心に円状へ魔力を放射し、その反応から対象の場所を正確に割り出す術だ。能動的に動いている魔力要素に強く反応するため、自然の魔力が穏やかなこの森においては、異変を見つけ出すのにこれ以上ない効果を発揮する。
足元の魔法陣から、澄んだ波紋のような光の輪が幾重にも広がり、鬱蒼とした森の暗がりへと消えていく。イオスは脳裏に描かれていく魔力の地図に、じっと意識を研ぎ澄ませた。
「……やっぱり、そうか」
眉をひそめたイオスの脳裏に、いくつもの微弱な魔力が浮かび上がる。自然界にはあり得ない、歪んだ魔力の脈動だった。 この無数の微小な結界こそが、森の空間を歪め、進路を狂わせていた正体だった。
「……もっと奥へ」
イオスは、さらに深く集中して探知の範囲を押し広げた。
足元の魔法陣が一段と強く輝き、青銀色の波紋がさらに先の闇へと染み渡っていく。
そして次の瞬間――。
(捉えた……!)
脳裏の地図に、これまでの小さな痕跡とは比べものにならないほど強烈で、不気味に脈打つ巨大な魔法の波動がはっきりと浮かび上がった。
「ありました。この先に、明らかに桁違いの魔力が――早く、離れ――」
警告を叫び切るより早く、イオスの心臓を冷たい鉄の爪で直接掴み上げられたかのような鋭い激痛が襲った。
(逆探知――つかまった……!)
「っツ……!?」
胸の奥から焼けつくような衝撃が全身を駆け抜けた。魔法陣が一瞬で霧散する。襲いかかる猛烈な眩暈に両膝がガクガクと震え、手にした樫の木の杖にしがみつかなければ、その場に崩れ落ちてしまうほどだった。荒い息が漏れ、冷や汗が顎を伝って落ちる。
「イオス君!?」
真っ先に気づいたカグラが、素早い身ごなしで滑り込み、倒れそうになるイオスの肩を支えた。
「カグラ、動かすな」
低い声と同時に背後へ回ったオロチが、大きな手でイオスをしっかりと支え直す。
「何かしてやられたな……」
ミロは大斧を構えたまま周囲の闇を油断なく警戒しつつも、ちらりと後方へ視線を送り、苦しむイオスを気遣った。
「……っ……ぁ……」
激痛に息も絶え絶えなイオスの傍らで、オロチは「…………」と低く短い祈りを呟き始める。その無骨な掌に、温かく柔らかな光がじわじわと収束していった。
「……はっ」
短い掛け声とともに、オロチは光を纏った手で、イオスの背を力強く叩いた。
「がはっ!?」
イオスの背中に鈍い衝撃が走る。 だが次の瞬間、胸を抉るような激痛が嘘のように霧散していった。荒れていた呼吸がみるみるうちに整い、視界を覆っていた激しい眩暈も引いていく。
驚きに目を見開くイオスに対し、オロチは小さく鼻を鳴らすと、無言でその肩をぽんと叩いた。その豪快でありながら確実な施術は、まさに「神官戦士」としての腕前そのものだった。
「くっそ……やりやがったな!!」
静まり返った森の中に、イオスの怒号が響き渡った。
普段の知的で礼儀正しい学院生としての面影はどこへやら、イオスは珍しく顔を真っ赤にして激怒していた。
罠に嵌められた怒りか。探知を逆手に取られた憤りか。それとも、魔法師としての失態に対する恥ずかしさからか。
怒りのあまり肩を激しく上下させるイオスの口から、次に飛び出したのは彼らしくもない粗野な言葉だった。
「首洗って待ってろ……!」
温厚なはずのイオスの激昂ぶりに、周りを固めていた仲間たちは思わず目を見張った。
「おお!大人しい優等生かと思っておったら、なかなか威勢がいいじゃないか!」
ミロが頼もしそうに不敵な笑みを浮かべる。
「あはは! イオス君って、怒ると口悪くなるタイプなんだ〜。イイねイイね、その意気だよ〜!」
カグラが楽しそうに拍手を送ると、オロチも無言で大剣の柄を握り直した。
「……行くぞ。借りは返す。」
オロチの低い一言に、四人の士気が一気に跳ね上がる。
イオスは樫の木の杖を強く握り締め、暗闇の奥――巨大な魔力が潜む方角を、まっすぐ見据えた。




