1-3
イオスが重い瞼を押し上げると、巨木の隙間から差し込む茜色の斜陽が視界を染めていた。
深く蒼い影が落ち始める森の中、クリムゾン・ペタルの凄惨な気配はとうに消え去っていた。燃え広がる炎を鎮めるため、限界を超えて魔力を使い果たし、そのまま意識を失った記憶がゆっくりと脳裏によみがえる。
背中の感触に違和感を覚え、イオスは重い体をゆっくりと起こした。自分のものではない大きなマントが、冷たい地面から身を守るように敷かれている。
我に返り周囲を見回すと、あれほど獰猛に森を飲み込もうとしていた火の手の気配はなかった。
静まり返った夕暮れの森に、かすかに煙の残り香が漂うのみだ。自分の放った水魔法がしっかりと消火したのだと知り、イオスは胸を撫で下ろし、深々と安堵の息を漏らした。
「……おお、ようやく起きたか、イオス」
声のする方へ視線を向けると、木々に囲まれた一角に手際よく野営地が作られていた。その中央、小さな焚き火の傍らでミロが腰を下ろし、木樽から汲んだ酒を木のカップであおり、喉を鳴らしている。
「見事な腕前じゃったぞ。お主が倒れた時には、火は綺麗サッパリ消えておったわい」
ミロが満足そうに目を細める横では、オロチが黙々と作業を進めていた。先ほど森の奥で狩ってきたであろう肉を捌き、焚き火の上の鉄串に刺して火にかけている。脂の弾ける香ばしい匂いが漂い始めていた。
「……無理をするな。肉が、もうすぐ焼ける。」
短くそれだけ告げると、オロチは再び火加減に集中する。
「イオスくん、こき使ってごめんね。でも、良い働きっぷりだったよ!」
そのとき、設営されたテントの幕を押し分けて、カグラがひょっこりと姿を現した。おちゃらけた調子でイオスの元へと歩み寄ってくる。
「皆さん、ご心配をおかけしました……。ご迷惑まで」
仲間たちの姿と温かい言葉、そして漂う肉の匂いに包まれ、イオスは膝の上のマントの生地を静かに撫でながら、そっと笑みを浮かべた。
「しかし、クリムゾン・ペタルじゃったか? そんな魔物この森にいたかの?」
ミロは木のカップを置き口元から外し、首を捻りながらそう呟いた。焚き火の爆ぜる音が、しんとした森に小さく響く。
「もう少し浅い場所を探索したことがありますが、前に来たときはそんな兆候はなかったですね。それに、クリムゾン・ペタルは魔動植物なので、自然的には生まれません」
イオスが身体を起こしながら静かに答えると、場に一瞬重い沈黙が降りた。
本来なら、誰かが意図的に種を持ち込むか、強力な魔力実験でも行われない限り現れるはずのない存在である。焦げた土の匂いの中に、別種のきな臭さが混じったような空気が流れた。
「……つまり、何者かが仕掛けたってこと?」
カグラが煽るように両手を広げ、肩をすくめて見せた。おちゃらけた口調とは裏腹に、その目は鋭く森林の暗がりを見据えている。
肉をひっくり返していたオロチの手が、ピタリと止まった。
「……人為的か」
短く溢れたオロチの呟きに、ミロは眉間に深いシワを寄せ、イオスは考え込んだ。ただの調査で終わるはずだったこの依頼に、何かしらの影が潜んでいるのは間違いなかった。
きなくさくなった雰囲気を振り払うように、イオスは膝の上のマントを整えながら一同を見渡した。
「みなさん、このまま引き返すのも手ですが。どうします?」
冒険者にとって命が一番大事だ。無理をせず、安全に撤退できるときに撤退しておくのは、この世界における生存の鉄則でもある。
「イオス君、依頼の失敗は学費に響かない?」
カグラが顎に手を当て、意地悪そうにニヤリと笑いながら問いかけてきた。
「うっ……そうなんですが……皆さんを危険には……」
痛いところを突かれ、イオスは言葉を詰まらせた。学費の支払いを考えると生唾が飲み込まれる思いだが、仲間を危険に晒すわけにもいかない。葛藤に苛まれ、思わず尻込みしてしまう。
「この先にあるのは遺跡じゃろ? 惜しいのう」
ミロがぐっと酒を煽り、喉を鳴らしたあと、横目でチラリとカグラへ目線を送った。
「依頼は調査でしょ。別に無理して敵を倒さなくてもいいなら、ちょちょっと行って。見て帰ってくるだけじゃダメかな? そうしたら依頼も達成できるでしょ」
カグラは人差し指を立てて、楽観的な調子でポンと案を出す。
「うむ」
オロチも特に反対する様子を見せず、静かに肉の焼き加減を確かめている。
(……どうやら、三人は進みたいみたいだな)
イオスは三人の雰囲気を察し、困ったような、けれどどこか安心したような苦笑いを浮かべるしかなかった。
「では、もう少し、みなさんのことを教えてください」
イオスが少し居住まいを正し、真剣な眼差しで仲間たちを見つめた。
「というと?」
ミロがカップを置き、不思議そうに首をかしげる。
「みなさんもお気づきだと思いますが、依頼の難易度があきらかに想定より高いです。なので、今後の冒険の戦略を考えておきたいんです。できることとできないことは、ハッキリしておきたいと思います」
そう語るイオスの視線は、カグラへと向けられていた。戦闘が終わったばかりだというのに、彼女は先ほどまでとは明らかに形状の違う軽鎧へと着替えていた。
「例えばそうですね、カグラさん。弓がメインと言っておられましたが……短刀も使えますよね? それと、精霊魔法は使えますか?」
指摘を受けたカグラは、一瞬だけ目を見開いたあと、おちゃらけた微笑みを浮かべて口元を手で覆った。
「イオス君、目がいいねぇ。」
「ふむ……そうじゃな、ここから先へ進むなら、もう少しお互いの腕を自慢し合っておいた方が良さそうじゃのう」
ミロが髭を撫でながら頷く。
ただの調査依頼のはずが、人為的に配置された魔動植物との遭遇。そして、底の知れない仲間たちの実力――。焚き火の爆ぜる音の中、互いの「手の内」を明かすための小さなミーティングが始まった。
「では、始めに僕から――」
イオスは咳払いを一つ挟み、真剣な面持ちで語り始めた。
「以前もお伝えした通り、僕はオラクル王立魔法学院の学院生です。火属性の中級魔法を扱えます。戦略や戦術も学院で学んできました。冒険者としては五年ほど活動しているので、それなりに実戦経験もあります。魔法の火力は先ほど見ていただいた通りですが、連発するのは難しいですね。」
「魔法師なのによくやるのう」
ミロは感心したように深く頷き、髭を撫でた。
魔法師といえば後方で守られながら長詠唱をするのが定石だが、実戦経験に裏打ちされた立ち回りは伊達ではないと認めたのだ。
「……剣は使えるのか?」
それまで黙って肉を焼いていたオロチが、低い声で問いかけた。
「これは、秘密ですよ?」
イオスはいたずらっぽく微笑むと、手にしていた樫の木の杖にそっと魔力を込めた。そして、柄を静かに引く。
澄んだ金属音が夕暮れの森に響いた。
「「「なんと!」」」
一同から驚きの声が漏れる。木目の美しい杖の中に隠されていたのは、刃文の美しい仕込み刀だった。
「君、アサシンじゃないよね〜?」
カグラがおちゃらけた調子で目を丸くし、茶化すように笑う。
「これはできれば使いたくないですね。こんなものを抜く状況に陥っているということは、前衛が崩れたか、後方からの強襲を受けた時くらいですから」
「……どのくらい使える?」
オロチの鋭い視線に、イオスは苦笑いを浮かべながら刃を収めた。
「居合のみです。不意打ちを外したら、僕の命はありませんね」
潔い割り切り方に、愉快そうに笑い声を上げ、酒をあおった。
「理にかなっておるわい。お主がただの温室育ちの学院生じゃないことは、よう分かったぞ」
香ばしい肉汁の匂いが鼻を突き、食欲をそそる。焚き火の上の肉はすっかり良い焼き色に染まり、脂が爆ぜる音を立てていた。
「次はワシにしようかの。イオスのようにできることは多くないのだが……まあ、肉を食いながらにするか」
ミロがカップを置き、火の上の肉を嬉しそうに見つめながら言う。
「それがいい。今取り分ける」
オロチは腰の短剣を手際よく滑らせ、焼き上がった肉を切り分けた。木の皿に盛られた熱々の肉が一人ひとりに手渡されていく。
「わーい!いただきます〜!」
カグラが歓声を上げ、さっそく肉にかぶりつく。イオスも差し出された皿を受け取り、ふうふうと息を吹きかけながら口へと運んだ。口いっぱいに広がる香ばしさとジューシーな肉汁に、激闘と魔力切れで疲弊した身体がじんわりとほぐれていく。
「美味しいです。生き返りますね」
イオスが素直な感想を漏らすと、オロチは満足そうに小さく頷いた。
「うむ、やっぱり戦の後の肉と酒は最高じゃな!」
ミロは肉を豪快に噛みちぎり、酒で流し込むと、髭に付いた脂をぐっと拭った。
「さて、ワシの番じゃな。冒険者としては筋骨隆々の前衛に見えるかもしれんが……」
自分の腕をポンポンと叩きながら、ミロは語り始めた。
「実際のところ、ドワーフとしての戦闘力は至って普通じゃ。だが……ワシはクラフトマンだからのう」
ドワーフの種族に時折現れる、モノづくりの天才——クラフトマン。ミロが不敵に笑うと、着ている鎧をポンポンと拳で叩いた。重厚な見た目とは裏腹に、甲高いくすんだ金属音が響く。
「まずこの鎧、滅法硬いのは当然として、驚くほど軽い。それに加え、昔世話になったエルフに『足の速さを補う魔法』を付与してもらっておる。おかげでワシでも、人間が本気で走るくらいの速さは出るぞ」
「すごい……それ、買うとなると相当高そうですね」
イオスの言葉に、ミロは鼻を鳴らした。
「ハハッ、自前じゃよ! 素材の採取から加工まで、全部ワシが一人でやった。もし売ったら幾らになるかなど、考えたこともないわい」
素材の狩り出しから極上の武具へ仕上げるまで、その工程の果てしない労力を思い描き、イオスはただただ感嘆の息を漏らした。
「それに、この大斧じゃ。柄の根元に魔石が嵌め込まれておるのが分かるな? これで火属性を纏わせられる。なんやかんやで素材を集めるために冒険者を始めて、気付けば二十年ほど経っとるわけじゃ。……ワシの自己紹介は、そんなところかの?」
肉を噛みちぎり、再び豪快に酒をあおるミロ。その一見無骨な立ち振る舞いの裏には、長年かけて培われた圧倒的な技術と経験が隠されていた。
イオスは前々から抱いていた疑問を口にした。
「少し気になったのですが……みなさんは、オラクルに来る前から同行していたのですか?」
戦闘中の息の合った動きや、どこか気置けない独特の空気感。イオスは三人の関係性がずっと気になっていたのだ。
「三年くらい前じゃったかの?」
ミロが肉の脂で汚れた口元を袖でぐっと拭い、記憶を辿るように頭上の枝葉を見上げた。
「そうねぇ。私はオロチが小さい時から一緒。ミロとは魔法都市の仕事で出会って、それからずっと一緒だね〜」
カグラが串をくるくると指先で回しながら、あっけらかんと言い放つ。
「なるほど……だから、連携がスムーズだったのですね」
思った以上に長い付き合いのようだ。幼馴染の二人組に、腕利きのクラフトマン。このパーティの底知れぬ安定感の理由を納得し、イオスは深く頷いた。
「じゃあ次はカグラさん、オロチさんの番ですね」
イオスが二人に視線を向けると、カグラは待ってましたとばかりにニヤリと笑みを深めた。
「次は私達ね。あと、オロチは口下手だから、まとめて話すね〜」
カグラがそう言うと、オロチは否定することもなく無言で深く頷いた。
「私はシーフね。イオス君が指摘した通り、弓も使えるけど、本職は短剣。『弓が得意』って言ったのは半分くらい本当かな ! あと、魔導具かな。面白い効果があるものを集めるのが好きなの。基本的にはみんなの補佐が得意というか、そういう役割だと思って動いてるわ」
一癖も二癖もありそうな笑みを浮かべるカグラ。戦闘中の気配を消す技術などはシーフ由来。不自然な装備の多さも、魔導具好きゆえなのだろう。
「で、オロチなんだけど……」
カグラが横の無口な剣士に視線を送ると、オロチは火にかけた肉を一度見つめ、短く呟いた。
「……神官戦士」
「え?」
あまりにもイメージとかけ離れた単語に、イオスは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。大剣を背負い、黙々と獲物を捌く姿からは、神聖な聖職者の面影など微塵も感じられない。
「ふふっ、そういう反応になるわよね。こう見えてオロチは神官戦士なのよ。ただ、本人がどの神様の加護を受けてるのか分かってないから、自分を導いてくれる神様を今探してる最中なの。ちなみに基本的な回復魔法と浄化魔法が使えるから、光の神様系じゃないかしら?」
「光の神……」
イオスは目の前の武骨な剣士と「光の神官」という言葉を交互に思い浮かべ、頭を悩ませるように首を傾げた。しかし、前衛として頼れるだけでなく、パーティの回復・浄化まで担えるとなれば、これほど心強い存在はない。
「……必要なら、怪我はすぐ治す」
オロチはイオスに視線を向け、静かに、だが力強く言い添えた。
「すみません……個人的なところまで教えていただいて」
恐縮した様子で頭を下げるイオス。冒険者の世界において、互いの過去や能力の深いところまで詮索しないというのは、半ば不文律のようなものだ。それを破って聞き出しておきながら、イオスは申し訳なさに顔を曇らせる。
「いいのよ〜、別に隠してるわけじゃないしね。もしオロチの神様に関する情報があったら、教えてくれれば十分よ」
カグラはひらひらと手を振り、気にした様子もなくカラカラと笑った。
「学院には古今東西の様々な書物が保管されています。戻ったら、オロチさんの神様について詳しく調べてみますね」
イオスの真面目な提案に、オロチは焼き肉の串をくるりと回しながら、小さく目を細めた。
「……助かる」
短く返された言葉には、確かな感謝が込められていた。
「よし! これで互いの手札も分かったことじゃし、肉も腹におさまった! 明日はいよいよ、『遺跡』の調査じゃな」
イオスが仲間たちの顔を一人ひとり見据えた。その瞳には、夜の闇をも跳ね返すような確かな炎が宿っている。
「では、明日から頑張りましょう」
イオスがそう言って力強く締めくくる。 夕闇が本格的に森を包み込み始める中、焚き火の赤い光が四人の顔をあたたかく照らしていた。




