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全身の緊張が一気に抜け、激しい疲労感と魔力酔いが襲ってきた。イオスは糸が切れた操り人形のように、その場へ座り込んだ。
乱れた息を整えていると、爆発の余波で生じた熱風が頬を撫でていく。本来なら熱いはずの風だった。だが魔力を使い果たして体温が落ちた今のイオスには、それが日だまりのような温もりに感じられた。
(……構築、詠唱、発動。全て完璧だった。中級魔法を実戦で……)
自分の手を見つめながら、じわじわと湧き上がる達成感を噛みしめる。 その静寂を破るように、弾むような明るい声が響いた。
「ミロ! 酒もらうよ!」
「なんじゃと!?」
ミロの驚く声もどこ吹く風で、カグラは慣れた手つきで酒樽の栓を抜き、木のカップへと豪快に酒を注ぎ込んでいく。なみなみと注がれた酒から、芳醇な香りがふわりと立ち上った。 さらにカグラは腰のポーチに手をやり、小さな小瓶を二つ取り出した。
「カグラさん、それ……何を入れているんですか……?」
地べたに座り込んだまま、イオスは怪訝そうな視線を向けた。 対するカグラは、不敵でいたずらっぽい笑みを浮かべている。小瓶の液体を静かに注ぎ足すと、怪しくもどこか甘い香りが周囲に広がった。
「火酒と覚醒薬と魔力回復薬。カグラちゃんオリジナルカクテルです。イオス君はもうひと仕事。次は鎮火ね」
「いや、カグラさんに何か案があるのでは……?」
「だから、その案」
差し出されたカップと、口元に悪戯っぽい笑みを浮かべるカグラ。その瞬間、イオスはすべてを理解した。 強引に魔力を回復させ、そのまま鎮火までやらせるつもりなのだ。
「終わったら倒れていいよ。今日はここで一泊だからね。飲めそう? 飲ませてあげようか?」
「そんなのアリか!?」
イオスの悲鳴も虚しく、秘薬入りの酒が口へ流し込まれる。体内で枯渇していた魔力が強烈な勢いで再構築され始めた。疲労が吹き飛ぶのと同時に、脳裏を駆け巡る「これからまた働かされる」という圧倒的な絶望感。
「おーおー、元気になったな! ほれイオス、森へ燃え広がる前に頼んだぞい!」
ミロが面白がりながら爆発の残り火を指さす。
「……承知。イオス、水を用意せよ」
オロチまでもが燻る森へ視線をやる。
(金稼ぎの冒険者……過酷すぎだ、僕の人生!)
心の中で血の涙を流しながら、イオスは充填されたばかりの魔力を振り絞り、再び杖を握り直した。
「ああもう! 倒れたら本気で守ってくださいね!? ――清涼なる水流!」
夜の帳が下り始めた森に、イオスのやけくそ気味な魔法の詠唱と、豪快な水音が響き渡ったのだった。
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オラクル王立魔法学院――西方の賢者によって創設されたその学び舎は、西方諸国でも指折りの名門。大陸に数ある魔法教育機関の中でも比較的新しい学院だが、一言でいえば「極めて実利的な象牙の塔」である。
数百年変わらぬ教義を尊ぶ古い学院が多いなか、伝統に凝り固まらず、基礎魔法から実戦的な応用魔法への展開速度に力を入れているのが最大の特徴だ。それゆえに卒業生の実力は折り紙付きだが、その分、学費や施設利用料も破格の高さだった。
(このソファ、やわらかいですね……)
イオスは思わず息を漏らした。
学院の最奥に位置する、重厚な執務室。腰が沈み込むほど豪華な革張りソファに座りながら、緊張で背筋を固くしていた。目の前の大きな窓からは、陽の光を浴びて白く輝くオラクル王立魔法学院の広大なキャンパスが一望できる。 農家の次男坊として生まれ、学費の請求書に毎月怯えている自分には、およそ不相応な部屋だった。
正面に座る男――主任のディオスは、黒髪に片眼鏡型の魔道具を装着した実戦主義の人物だ。現役冒険者としても知られる彼が、なぜ一生徒に過ぎない自分を応接室に呼び出したのか、イオスにはまったく見当がつかない。
「早速だが本題に入ろう」
低い声で切り出したディオスに、イオスは膝の上の杖を固く握り直した。
「……主任。僕のような者が呼び出された理由が、いまひとつ呑み込めていないのですが」
「そう身構えるな。なに、優秀な生徒に少し相談があってね」
「相談、ですか。学費の滞納なら、今月もきちんと納めているはずですが……」
「事務方のような話をしに来たわけじゃないよ。君の懐事情には興味があるがね」
ディオスは口元に薄い笑みを浮かべると、磨き上げられた机の上に上質な羊皮紙を滑らせた。
「この件を君にお願いしたい」
羊皮紙の中央には、重々しい字体で『特定地域における調査任務』と記されている。触れずとも伝わってくる上質な紙の質感と、そこに押された学院の公式な封蝋が、この依頼の異例さと重要性を物語っていた。
イオスは息を呑み、慎重な手つきでその羊皮紙へと手を伸ばす。 そこに記された三つの項目へ視線を走らせた。
『1 近隣の森の生態系の調査』
『2 遺跡外周の調査』
『3 遺跡内調査』
簡潔な箇条書きだからこそ、そこに潜む無茶振りの規模が際立っていた。要約すると「未調査の遺跡を一から調査してこい」という、学生に課すには難易度が高い内容だ。
イオスは羊皮紙から目を離し、目の前で不敵な笑みを浮かべるディオスを見つめ返した。
「……あの、主任。もっと適任な生徒がいるのではないでしょうか? うちの学院には、裕福で高価な魔道具を揃えた貴族の特待生がごまんといます。僕のような、学費を払うために日銭を稼いでいるだけの平民に頼むような案件ではないと思うのですが……」
必死に自分を卑下し、なんとか辞退しようと言葉を尽くすイオス。 そんな教え子の抵抗を、ディオスは片眼鏡の奥の瞳をわずかに細め、愉快そうに観察していた。
「ふむ。他の生徒たちかね。確かに彼らは優秀だ。だがね、イオス君。この依頼に必要なのは『机の上の綺麗な理論』や『過保護に育てられた魔法師』ではないのだよ。どんな泥臭い状況でも限られた魔力と応用力で現場を生き残ってきた――君のような『実践的な粘り強さ』をもった魔法師が適任と私は考えている。
ただのモンスターや盗賊の退治なら腕利きの傭兵で済む。だが、異変の原因を探り、未知の遺跡を調査・分析できるとなると、学院の教育を修めた魔法師の頭脳が必要不可欠なんだよ」
イオスは膝の上の杖を固く握り直した。
とんでもない厄介事に巻き込まれたという実感が、じわじわと胃を締め付けていく。
「……恐縮です、主任。ですが、僕の粘り強さは単に『極貧の学費生活で培われた生き汚さ』に過ぎませんよ」
肩をすくめ、苦笑交じりにそう返した。
だが、ディオスの言葉の重みは、イオス自身の肌で嫌というほど理解していた。
潤沢な資金で高価な魔道具を揃え、整備された演習場で高威力の魔法を練習する貴族や特待生たち。たしかに彼らは華やかで強い。だが、一歩荒野へ踏み出し、泥にまみれ、魔力が底をつきかけ、土壇場に立たされた時、本当に生き残れるのはどちらか。
(……皮肉なもんだ)
ディオスが教壇で説く「実戦主義」を、学院で最も泥臭く体現させられていたのは、日銭を稼ぐために泥と汗に塗れてきた自分だったのだから。
イオスは深々と溜息をつき、諦めたように肩の力を抜いた。
「なるほど……僕の『しぶとさ』を評価してくださるのは光栄ですが、要するに過酷で泥臭い難所に、僕という手頃な駒を放り込みたいわけですね」
「言い方には気をつけたまえよ。だが、期待しているのは本当だ」
ディオスは目元の魔道具を押し上げ、口元に笑みを浮かべたままイオスを見つめる。 イオスは深くひとつ息を吐き出し、膝の上の杖を握る手にぐっと力を入れた。腹は決まった。
「引き受けます。……ただし主任、事前準備くらいはしっかりさせてください? 『節約したので命を落としました』というわけにはいきませんからね」
「実に賢明な判断だ。必要な手配は済ませておこう」
イオスが席を立とうとした、その瞬間だった。 思い出したようにディオスが指を鳴らし、言葉を付け加える。
「それと、今回は協力者も用意した。3人組のかなりの実力者だ、力になってくれるだろう」
未踏の地への調査任務にたった一人で乗り込むほど無謀ではないイオスは、自前で仲間を集める手間が省けたと思いつつ、特段驚きもせず尋ね返した。
「現地集合ですか?」
「いや、君のいつものたまり場『牢屋亭』にいきたまえ」
ディオスの言葉に、イオスは小さく眉をひそめた。
(僕の動向も調査済みということか……)
イオスは心中で苦笑を漏らした。 彼が日銭を稼ぐために通う『牢屋亭』の存在まで把握しているとは、さすがは現役の冒険者であり、学院の主任を務める男だ。この調査任務も、協力者の手配も、最初からイオスを逃がさぬよう入念に外堀を埋められた「仕込み」だったのだと悟る。
「……僕の私生活までよくご存じで。完璧な根回しに感謝しますよ、主任」
イオスは軽く皮肉を込めながら、頭を下げた。
「有能な生徒の動向に気を配るのは教員の務めだからな。期待しているよ、イオス君」
ディオス主任の満足げな笑声を背に受けながら、イオスは応接室の重厚な扉を押し開けた。
過酷な調査任務。高価な魔道具も、名門魔導家系が有する固有魔法もない。だが、生き残るための知恵だけは、誰よりも磨いてきた。
扉を後にしたイオスの胸の奥で、新しい冒険への微かな高揚感が小さく芽生えていた。




