3-3
シルクに促され、イオスたちが連れてこられたのは王族専用の待合室だった。
そこは足が沈み込むほど厚手の絨毯が敷かれ、壁には巨大な歴史画、磨き抜かれた調度品が並ぶ格調高い空間だった。窓越しには王宮の庭園が一望でき、その溢れんばかりの豪奢さにイオスは思わず息をのむ。
(この部屋はまずいぞ……だけど逃げられそうもない……)
イオスが密かに絶望していると、部屋の奥の椅子から一人の女性が立ち上がり、軽やかな声をかけた。
「待っていたのよ」
金髪に映える鮮やかな赤いドレスを纏った、小柄で可愛らしい女性だった。彼女はシルクへ向けて華やかな笑顔を咲かせる。
躊躇うことなく駆け寄ると、シルクの胸元へ嬉しそうに飛びつき、そのまま抱きついた。一国の主であるシルクも手慣れた様子でその勢いを受け止め、愛おしそうに彼女の背を抱き留める。
「待たせてしまったようだね」
「いいのよ。それで、お話は終わりましたの?」
シルクは小柄な女性をそっと抱きおろすと、視線をイオスへと向けた。
「ああ。彼がイオスだ」
「あら、リアと同じくらいと聞いていたけれど、やっぱりお若いわね」
柔らかな笑みをたたえて見つめてくる女性に対し、イオスは慌てて姿勢を正した。
「初めまして。リアの母のアリア=レベレースです」
「ぼ、冒険者のイオスと申します」
「やだ、そんなに緊張しなくていいのよ。一応は王妃ってことになっているけれど、私はもともと農家の出身だしね。貴族の細かい決まり事なんて、いまだによく分かっていないんだから」
あまりの若々しさと親しみやすさに驚きつつも、イオスは気を引き締める。
(これは気遣われているな……せめて最低限の礼儀だけは欠かさないようにしよう)
「王妃様のあまりの若々しさに、思わず見とれてしまいまして」
「まあ上手ね。こう見えて、もう二児の母なのよ?」
そう言ってイオスの二の腕を可笑しそうに叩くアリア。だが、イオスはその一瞬の所作から、彼女の体内を巡る魔力の流れが常人とわずかに異なっていることに気づいた。
さらにその瞳を見つめると――透きとおるような、鮮やかな碧眼。
レベレースの王妃。かつて平民の冒険者だったという、小柄で金髪の女性。 その情報と目の前の異質な魔力、そして印象的な碧眼――わずかな手がかりが一気に繋がり、イオスの脳裏にひとつの仮説が浮かび上がる。
(……碧眼か。まさか……? いや、これ以上追及するのは危険だ。自重しよう)
危険な領域に足を踏み入れかけたことを察し、イオスはそれ以上深く思考するのをやめ、心の奥底に押し込めた。
イオスの鋭い視線に気づいたアリアは、どこか試すような満足げな笑みを浮かべた。
「なるほど……シルク、合格よ」
「ふむ、やはりか。私もそう思っていたところだ」
国王と王妃が顔を見合わせ、深く頷き合う。その意味深な雰囲気に、イオスはまたしても得体の知れない事態に巻き込まれつつあることを察し、背中に嫌な冷や汗が伝うのを覚えた。
「お!リアの騎士がやっと来たか」
奥の扉から一人の青年が現れた。その堂々とした立ち振る舞いと状況からして、この国の王太子なのだろう。 イオスよりも頭一つ分ほど背が高く、青を基調とした豪華な仕立ての服を纏い、腰には見事な剣を佩いている。
「リチャードだ。うちのリアを守ってくれて感謝する」
そう言って、気さくに手を差し出してくる。
(……王族と握手を交わしてもいいものだろうか)
一瞬迷ったものの、イオスはおっかなびっくりその手を握り返した。
「イオスと申します」
「リアの決闘の件、話を聞いた時は胸くそが悪くて腹が煮えくり返っていたが、事の顛末を聞いて溜飲が下がったよ。本当によくやってくれた」
「いえ、あれは向こう側の落ち度ですから。あとは煮るなり焼くなり、お好きに処分していただければ……」
どうやらレベレース王国側では、イオスの取った行動は非常に好意的に受け止められているらしい。リチャードは満足そうに「そうかそうか」と頷きながら、何度も勢いよく握手を上下させた。
「それにしても……」
リチャードは握る手にぐっと力を込め、イオスをじっと見つめた。
「何か?」
「冒険者の魔法師というのは、これほど筋肉がついているものなのか? まるで剣術の使い手のような、軸のぶれない体幹だが……」
イオスは日頃から剣を振っていることを極力伏せているため、図星を突かれて密かに焦りを覚える。悟られまいと、慌てて話題を逸らした。
「冒険者はとにかく歩きますからね。それに体力はあればあるだけ生き残れる確率が上がりますので、基礎的な鍛錬は欠かさず行っているんです。……王太子様も剣術を?」
「ああ、騎士団長に手ほどきを受けている。少しだが実戦の場にも出たぞ」
握り交わした手から伝わる硬い掌に、彼が日頃から鍛錬を積んでいることが伝わってきた。
「イオスが剣士なら、練習相手を願いたかったのだがな」
「それなら、ラクシュさんにお願いしてみてはいかがですか?」
そう提案すると、リチャードは苦笑いを浮かべて首を振った。
「ラクシュ殿は強すぎるのだ。一度打ち合ったことがあるが、剣技だけでも全く歯が立たなかった。加えて魔法まで使うとなると、どういう鍛錬を積めばあそこまで辿り着けるのか、見当もつかん」
「はは……全くですね」
イオスは愛想笑いを浮かべつつ、心の中で深く同意した。
「イオス、滞在している間にぜひ冒険の話を聞かせてくれ」
「たいしたお話はできませんが……」
へりくだるイオスに対し、どこかシルクに似た不満気な顔を浮かべると、リチャードは快活に言った。
「それだ、それ! 歳も近いのだから、プライベートではリックでいい。敬語も不要だ」
(親子ともども、豪快で親しみがあるな)
どこかシルクの面影を感じさせる気さくさに、イオスは苦笑いを浮かべた。
「みなさま、お待たせいたしました」
静かに扉が開き、リアが入室してきた。アリア王妃とお揃いの、華やかな赤いドレスに身を包んでいる。
学院で見せる凛とした制服姿とは異なり、ドレスの裾を揺らして歩む姿は息を呑むほど美しく、イオスは思わず目を奪われた。
「イオス様!」
イオスに気づいたリアは、満面の笑みを浮かべて小走りに駆け寄ってくる。
「おい、イオス。何か言ってやれ。守護騎士の名が泣くぞ」
リチャードが楽しそうにイオスの脇腹を肘で突いた。
不意を突かれたイオスは、目の前のリアを改めて見つめる。
いつもの学院制服ではない。
鮮やかな赤いドレスに身を包み、長い黒髪を背に流した姿は、普段の凛とした彼女とはまるで別人のようだった。
けれど――。
イオスの目に映ったのは、王女として着飾った姿だけではなかった。
旅の途中、馬車の中で疲れた顔を隠そうとしていたこと。
危険が迫っても、決して騎士たちの足手まといにならないよう振る舞っていたこと。
そして、別れ際に見せた、ほんの少し寂しそうな笑顔。
それらを思い出しながら、イオスは静かに口を開いた。
「……リア王女、とてもお綺麗です」
「それだけですか?」
リアが小さく首を傾げる。
その表情に、イオスは少しだけ困ったように笑った。
「いえ……そうじゃなくて」
一度、言葉を探すように視線を逸らす。
「なんて言えばいいのか、よく分からないんですが……」
そして、もう一度リアを見た。
「学院で見るリア王女も、とても綺麗だと思っています」
「……っ」
リアの頬が、ほんのり赤くなる。
だが、イオスはそれに気づかない。
「いつも背筋が伸びていて、誰に対しても真っ直ぐで……王女様だからというだけじゃなくて、一人の人間として、すごい人だと思っていました」
「イオス様……」
「でも、今日のリア王女は……少し違いますね」
「え?」
「綺麗なのは同じなんです。でも……」
イオスは少しだけ目を細めた。
「今日は、王女様というより……家族に囲まれている、一人の女の子に見えます」
リアの瞳がわずかに揺れる。
「だからでしょうか。いつもより、ずっと――」
そこでイオスは言葉を止めた。
「……ずっと、近くに感じます」
静かな部屋に、その言葉だけが落ちた。
リアは完全に固まっていた。
「……」
「……リア王女?」
返事がない。
見る見るうちに顔を赤くしたリアは、隣に控えていたヨミへと救いを求めるような視線を向けた。
「よ、ヨミ……っ!」
ヨミは何も言わず、扇子を差し出した。
リアはそれを奪うように受け取ると、急いで広げて顔を隠してしまう。
「……ありがとうございます」
扇子の向こうから、消え入りそうな声が漏れた。
「えっと……?」
何が起きたのか理解できないイオスが困惑していると、横からリチャードが肩を震わせ始めた。
「……おい、イオス」
「はい?」
「お前、それを無自覚で言ってるのか?」
「え?」
「いや……もういい」
リチャードは額を押さえ、深々とため息をついた。
「俺の妹が相手じゃなかったら、今のはかなり危なかったぞ」
「……?」
「お前、学院で相当モテるだろ?」
「えっ!? いや、全くモテないですよ。というか、友達すらほとんどいませんし……」
「本当か……?」
疑わしそうに眉をひそめるリチャードに、今まで控えていたヨミが無慈悲な追撃を放った。
「本当でございます」
「ヨミさん!?」
「イオス様の学院生活は、授業、鍛錬、冒険者ギルドの依頼処理が全てであり、他者との浮ついた交流など一切ございません」
「ちょっと待ってください!?」
「ちなみに、学院では『孤高』、冒険者の間では『勤労』と呼ばれております」
「それ、今初めて聞いたんだけど!?」
イオスが頭を抱える。
その様子を見ながら、扇子の陰に隠れたリアは、誰にも見えないほど小さく微笑んでいた。
「……近くに、感じる……か」
その呟きだけは、誰の耳にも届かなかった。
ヨミのさらなる暴露にイオスが頭を抱えると、その場の全員が哀愁と納得の混ざった温かい視線をイオスに向けた。
「そういえば、リアちゃんの学院での勉強はどうなのかしら?」
場を和ませるように、アリア王妃が柔らかく微笑みながらイオスに尋ねる。
「僕が知っているのは座学だけですが、とても熱心に勉強されていますよ」
「ま、魔法に関しては……少し手こずっています」
イオスの言葉に重ねるように、リアが小さな声で明かした。イオスは優しく首を傾げる。
「リア王女、どのあたりでつまずいていらっしゃいますか? よろしければ助言させてください」
「本当ですか……?」
リアは手に持った扇子を少しずらし、上目遣いにイオスを見つめた。
「僕でお答えできることでしたら」
「あの……魔法を使うのは、魔力で魔法陣を描いて、そこに魔力を流し込みますよね?」
「その通りです」
「流し込んだ魔力が、どうしても上手く流れないんです。量を増やせば発動はするのですが、消費する魔力に対して威力が伴わないというか……」
イオスはリアをじっと見つめ、その体に巡る魔力の脈動を感じ取る。以前から薄々感じていたが、リアは光魔法の素養が極めて高いように見受けられた。だとすれば――。
「特に苦手な属性は水魔法でしょうか?」
「はい……」
「では、実際に水で試してみましょう。そこのコップに半分ほど水を入れられますか?」
リアはヨミから受け取った小杖を構え、魔法陣を展開した。だが、注ぎ込んだ魔力の量に対して魔法陣の反応が鈍く、著しく効率が悪く見えた。
「リア王女。もしかして、光魔法は問題なく使えたりしますか?」
「はい……光魔法だけは昔から得意なのですが」
「なるほど。では、少しだけ魔力に対する意識を変えてみましょう」
イオスはリアの隣に寄り添うように立ち、ゆっくりと語りかけた。
「魔力を込めて魔法陣を展開する際、その魔力を『水の色』として強く意識してみてください」
「水の色……ですか?」
「はい。頭の中で思い描くだけで構いません。青く澄んだ水の色を感じながら、そのまま魔法陣を展開してみてください」
イオスが手本として示してみせると、コップの下に小さな魔法陣が浮かび上がり、その中に滑らかに清らかな水が溜まっていった。
「おそらくですが……リア王女は、ヨミさんの魔法をお手本にして育ちましたか?」
「……その通りです」
「やはり。ヨミさんの魔力は光の属性が非常に強いですから、無意識にその影響を受けてしまっているのでしょう。ですから、魔力の『感覚』そのものを上書きします」
「感覚を……どうやって?」
「リア王女、手を貸してください。僕から直接『水の魔力』を流しますので、その感覚を覚えてください」
「あ……」
イオスがリアの手の上にそっと手を重ね、ごく微量の魔力を流し込む。触れ合う体温と手に伝わる感触に、リアの頬がほんのりと朱に染まった。
「これが水の魔力です。さあ、もう一度どうぞ」
「……清涼なる水流……!」
リアが唱えた瞬間、魔法陣が澄んだ青い光を放った。先ほどとは一変して勢いよくカップへ水が流れ込み、あっという間に溢れ出しそうになる。
「リア王女、そろそろ止めて大丈夫ですよ」
「イオス様、すごいです……! ずっと悩んでいたことが、一瞬で……!」
感嘆の声をあげるリアに、手を叩く音が重なった。
「いやあ、さすが学院の優秀な生徒だね」
使用人に案内されて入ってきたディオスが、楽しそうに笑みを浮かべていた。
「魔力を色や感覚で認識させるか……うん、素晴らしい発想だ。これまでの『魔法陣に魔力を合わせる』という主流の考えから脱却した、まったく新しい指導法だよ」
ディオスはシルクへと向き直り、誇らしげに胸を張った。
「シルク陛下、いかがですか? 我が学院が誇る優秀な生徒は」
「うむ……実に見事だ」
二人は視線を交わすと、満足げに深くうなずき合った。
「イオス君」
「はい、何でしょうか」
シルクは力強い眼差しをイオスへと向けた。
「リアの守護騎士、改めてよろしく頼んだよ」
「え?」
事態の展開についていけず、イオスは思わず呆然とした声を漏らした。事前の打診すらなく、国王の口からあっさりと告げられた事実に脳の理解が追いつかない。
「細かいことは私とシルク陛下で詰めておくから、君の手がかからないように極力調整しておくね」
ディオスがイオスの肩を叩き、してやったりと言わんばかりの笑みを浮かべて国王夫妻とともに部屋を後にする。
「じゃ、俺も婚約者を探してくるわ。イオス、あとでな!」
続いてリチャードも気さくに手を振り、嵐のように立ち去っていった。
広々とした部屋に残されたのは、呆然と立ち尽くすイオスと、赤くなった顔を伏せているリアの二人だけだった。あまりにも唐突な決定に、互いにどう言葉を交わすべきか分からず、気まずい沈黙が流れる。
そんな二人の様子を、少し離れた場所で静かに控えていたヨミが見つめていた。
(……あれほど『王家には気をつけろ』と忠告しておいたというのに……)
ヨミは小さく溜め息をつき、イオスに向けて呆れ混じりの視線を送る。 イオスが有能すぎるのは知っていた。知っていたからこそ嫌な予感がしていたのだ。案の定、持ち前の頭脳と人の良さを存分に発揮した挙句、王家と学院の見事な連携プレイによって、まんまと外堀を埋められてしまった。
別段、イオス本人に問題があるわけではない。それどころか守護騎士としても一人の男としても、これ以上ないほどの優良物件であることは間違いなかった。リアの反応を見ても、彼にささやかな好意を抱いているのは明らかだ。
ただ、気に食わないのは王家の強引なやり口だった。ヨミとしては外圧で固めるのではなく、リア自身の手で自然に彼を選ばせてやりたかったのだ。
(優秀すぎるのも考えものですね……。まんまと術中にハマって。バカな人です)
あっさりと取り込まれてしまったイオスに対し、ヨミは胸の中で盛大に不満の毒づきを吐くのだった。




