3-2
「冒険者ラクシュ、冒険者イオス、入場!」
重々しい宣告とともに、謁見の間の巨大な扉が開かれた。
踏み出したその先には、レベレースの重鎮たちがずらりと立ち並び、品定めするような視線を一斉に投げかけてくる。
その異様な圧迫感に、イオスは思わず背筋が伸びるのを覚えた。
「イオス君、私の後ろについてくれば問題ない。あとは教えた通りに」
隣を歩くラクシュが、周囲に悟られぬよう小声で告げ、静かな足取りで前へと進んでいく。
(さすが有名な冒険者だな。こういう場にも慣れているんだ……)
ラクシュの堂々とした背中に頼もしさを感じながら、イオスもその後に続き、重厚な絨毯を踏みしめて進んでいった。
好奇の目、いぶかしむ目、そしてどこか蔑むような冷ややかな目――。
刺さるような多種多様な視線を一身に浴びながら、イオスは心の中でそっとため息をついた。
(こんなところに、本当はいる予定じゃなかったんだけどな……)
予定通りにいっていれば、今頃は街の賑やかな酒場で、仲間たちと依頼の達成を祝って一杯やっていたはずなのだ。
(カグラさんたち、絶対に今ごろ楽しく飲んでるよな……)
遠い目になりそうになるのをどうにかこらえながら、イオスは前を行くラクシュの背中をただ追いかけた。
王座の前までたどり着くと、二人は深く頭を垂れ、じっと王の到着を待った。
静寂が支配する謁見の間に、ゆっくりと重みのある足音が近づいてくる。
やがて、頭上から力強い声が響いた。
「一同、おもてを上げよ」
そこに立っていたのが、レベレースの国王その人であった。
想像していたよりも若々しい。
だが、何よりイオスの目を引いたのは、その隙のない立ち姿だった。
無駄のない立ち振る舞いと、軸のぶれない姿勢。衣服越しでも分かるほど、鍛え上げられた強靭な体幹が伝わってくる。
「ベイル辺境伯、報告を」
王の促しに応じ、一歩前へ進み出たのは、白髪の老紳士――ベイル辺境伯だった。
白髪混じりの髪とは対照的に背筋は真っ直ぐに伸び、衣服の上からでも分かるがっしりとした体躯は、まさに歴戦の武人そのものだ。
(ベイル辺境伯……)
ベイルの街でその姿を見かけたことがあったが、当時は状況が切迫しており、直接言葉を交わす余裕すらなかった。
ここにいるということは、街の事後処理や警備の引き継ぎを終わらせ、大急ぎで王都へ戻ってきたのだろう。
辺境伯はイオスたちへ一瞬だけ静かな視線を向けると、国王に向かって深く頭を下げた。
「はっ。この度の騒動、ならびにイオス殿らの功績について、ご報告申し上げます」
ベイル辺境伯の重厚な声が、謁見の間に朗々と響き渡った。
「まず第一に、王女リア殿下の警護の完遂。そして我が領地ベイルにて発生した、正体不明の『異形』どもとの戦闘において、両名は多大なる成果を挙げました」
辺境伯の言葉に、並ぶ重鎮たちがざわめき始める。
「特にベイル城前での防衛戦、および突如として現れた謎の魔法師による襲撃に関しましては、イオス殿らの迅速かつ的確な状況判断がなければ、街の被害は目も当てられぬものとなっておりました。彼らの尽力がなければ、王女殿下の御身はおろか、ベイルそのものが重大な危機に陥っていたことは疑いようもございません」
歴戦の武人である辺境伯が、一切の誇張なく淡々と事実を述べる。
それにつれて、イオスたちに向けられていた重鎮たちの視線から蔑みが薄れ、代わりに驚愕と値踏みするような色が浮かび始めた。
周囲の空気が変化していくのを感じながら、イオスはただ静かに、ベイル辺境伯の報告へ耳を傾けていた。
やがて王が、イオスたちをまっすぐに見据える。
その表情には、一切の隙を感じさせない威厳が満ちていた。
「此度の働き、誠に見事であった」
一国の主からの賛辞が、謁見の間に重々しく響き渡る。
そして一瞬の静寂の後――王はそれ以上多くを語ることなく踵を返した。
優雅でありながら力強い足取りで、玉座の奥へと姿を消していく。
(……え、これで終わり?)
あまりにもあっさりとした謁見に、イオスは拍子抜けしてしまった。
それでも促されるまま、ラクシュとともに謁見の間をあとにする。
「緊張したかい? イオス君」
廊下へ出た途端、ラクシュがすっかり緊張のほぐれた様子で声をかけてきた。
「二度と嫌ですね……。それよりラクシュさん、あっさり終わってしまいましたけど、『漆黒の魔法師』の件とか、僕たちには色々と伝えるべきことがあるんですが……どうしましょう」
「まあ、そう焦らなくても大丈夫だよ」
ラクシュはそう言って、意味ありげに微笑んだ。
「こちらでお待ちください」
使用人に別室へ案内され、扉をくぐったイオスは思わず足を止めた。 部屋の中には、意外な人物が待っていたのだ。
「やあ、ラクシュ。久しぶりだね」
寛いだ様子で声をかけてきたのは、オラクル魔法学院の主任――ディオスであった。
「ディオス主任、なんでここに!?」
意図せぬ場所での再会に、イオスは思わず素の声を上げる。
「ベイル辺境伯から今回の件で連絡を受けてね。現地調査の調整と、国王陛下にちょっとしたお願いをしに来たのさ」
「僕たちより早く着いたんですか?」
「イオス君、僕たちは魔法師だよ? 普通じゃ考えられないことだってできるんだ」
そう言ってディオスは得意げに杖を掲げてみせた。
転移魔法か、あるいは別の手段か――。おそらく常識外れの方法で王都まで移動してきたのだろう。
イオスは納得と呆れの入り混じったため息をついた。
「いやぁ、謁見というのは、なんでこんなに肩が凝るかな……そう思わないかい? ベイル卿」
「私も若い頃は、堅苦しい儀礼の類いは苦手でしてな」
軽やかな談笑とともに、二人の男が部屋へと入ってきた。
国王と、ベイル辺境伯である。
「シルク陛下、お久しぶりです」
ディオスが立ち上がり、親しみを込めつつも礼儀正しく軽く会釈する。
シルク=レベレース。
レベレース王国を治める国王、その人であった。
「ディオスか、久しぶりだね。お! 君は!」
部屋へ入ってくるなり、シルクはイオスに気づくと、親しげに距離を詰めてきた。
慌てて膝を折り、最敬礼の姿勢を取ろうとするイオス。
しかしシルクは、ひらひらと手を振ってそれを制した。
「こういう場だ。そう堅苦しい礼はいらないよ。しかしまあ……良い弟子を育てたじゃないか、ディオス」
イオスの全身を値踏みするように見つめながら、シルクは満足そうにディオスへ語りかける。
「義に厚い学院の優秀な生徒ですからね。そりゃ、姫様の決闘も受けますとも」
ディオスの軽妙な言葉に、シルクは可笑しそうに笑みを深くした。
「そうだ、そうだ。それもあったな。ひとまず立ち話もなんだ。みんな座ってくれ」
国王に促され、一同はテーブルを囲むようにして席についた。
(謁見の間での張り詰めた空気とは違って、シルク陛下は随分と親しみやすい人だな……)
目の前で気さくに微笑む一国の主を見つめながら、イオスは心の中でそんなことを思っていた。
「改めて――シルク=レベレースだ。この度は我が国の危機を幾度も救ってくれたこと、心より感謝する」
シルクはイオスを真っ直ぐに見つめ、一国の主として真摯に頭を下げた。
「いえ……僕はただ、その場で自分にできることをやったまでです」
滅相もないと慌てて恐縮するイオスに、シルクは頼もしそうに目を細めた。
「謙虚なのだな。だが、こちらとしては相応の報いを用意せねばならん。……さて、まずは一番の問題から片付けるとしようか」
「『漆黒の魔法師』の件ですね」
イオスの確認に、シルクは重々しく頷いた。
「そうだ。その者について、君の口から詳しく説明してもらえるかね?」
イオスは事のあらましを、順を追って説明した。
リア王女の帰還に偶然居合わせたこと。
そこへ突如として現れた漆黒の魔法師と、魔物たちの進軍。
そして、死闘の末にそれらを撃退したこと――。
さらにオラクル魔法学院側で発生していた異変や、その調査結果についても、ディオスから補足としてシルクへ報告がなされた。
「そういうわけですので、リア王女の護衛を増やしていただきたく思います」
それこそが、イオスが今回一番に申し出たかったことであった。
「リアにはヨミがついているが、それでもか?」
「……はい。ヨミさんほどの腕があっても、リア王女を逃がすのが精一杯という状況でした」
「それほどか……」
イオスの真剣な眼差しに、シルクは眉をひそめ、驚きを隠せない様子を見せた。
そこへ、隣にいたラクシュが静かに言葉を添える。
「シルク陛下。イオス君の仲間に手練れの神官戦士がいるのですが、その者と私の二人で掛かって、腕一本を切り落とすのが限界でした」
「……あのラクシュが、それほどまでに苦戦したか」
重々しい空気が落ちる。
シルクはしばらく考え込んだあと、ディオスへ視線を向けた。
「ディオス、学院の警備はどうなっている?」
「漆黒の魔法師が我が学院へ直接侵入してくるのは、まず不可能ですね。防衛陣の堅牢さで言えば、この王城よりも上ですよ」
「ふむ……」
少しの間思考を巡らせた後、シルクは明確な決断を下した。
「ベイル卿、リアの護衛を少し増やすよう騎士団に伝えよ。それとリアについては、今後もオラクル魔法学院に通うことにする」
「はっ」
シルクの命に、ベイル辺境伯が短く、力強く頷いた。
ひと段落ついた空気が流れる中、イオスはおそるおそる手を挙げた。
「あの……シルク陛下、もう一つよろしいでしょうか?」
「いいぞ。申してみよ」
「前回、漆黒の魔法師に協力していたと思われる教団の情報と、今回敵の魔法師が使用した魔法陣を書き残しておきます。そちらの調査もお願いしたいのです」
「……調査自体は構わんが、何か意図があるのかね?」
シルクは興味深そうに身を乗り出し、イオスに問いかけた。
「教団の連中が暗躍するにあたって、地理的にも政治的にも、このレベレースとオラクルは絶好の潜伏場所となってしまいます。ですから、市井や死角からの攻撃を防ぐためにも、騎士団、そして光の教団双方の協力を得て、監視の目を増やすのが最善かと考えております」
「ふむ……筋は通っているな」
深く頷くシルクに、イオスは言葉を続けた。
「それと、もう一つの魔法陣についてですが……以前、僕自身が呪いにかかった際に解析した結果、あれは『器』に対して強制的に魔力を移送・充填させる性質を持つものでした。それが純粋な魔法なのか、あるいは禁忌の呪法なのかまでは特定できていません。ですが、これを魔法師互助会と光の教団の双方で解析・研究していただければ、いずれ敵の意図の解明や、具体的な対抗策に繋がるはずです」
「ディオス、オラクル魔法学院からも人員を出せるか?」
「ええ、もちろん。腕の立つ良い人材を派遣しますよ」
ディオスの即答に、シルクは小さく頷いた。
「よし。では、そう取り計らうとしよう。……しかしだな」
そこで言葉を区切ると、シルクはどこか不満げな、あるいは拍子抜けしたような視線をイオスへ向けた。
「君は、本当に冒険者なのかね?」
「……一応、魔法学院の生徒でもありますが、今回は冒険者としてお呼び出しいただいたはずですが?」
心底不思議そうに、さも当たり前といった様子で答えるイオス。
「それだよ、それ! ディオス、一体どうなっているんだ。まったく冒険者らしくないじゃないか!」
シルクが身を乗り出し、半ば呆れたように声を上げる。
先ほどまでの威厳ある王の口調から一変し、どこか砕けた素の言葉遣いが顔を出していた。
「シルク陛下、時代の流れというやつですよ」
ディオスのすれっからしな返答に、シルクはさらに不満げに眉を寄せる。
「俺だって現役を退いてから、そんなに経ってないんだぞ」
「……シルク陛下は、冒険者だったんですか?」
思わぬ事実に、イオスは目を丸くした。
「まあ、お忍びってやつだがな。そこでディオスやラクシュと出会ったんだ。それこそ数年前までは、ちょこちょこ顔を出してたんだよ」
昔を懐かしむように語るシルク。
しかし次の瞬間、その表情から気さくな笑顔が消えた。
王としての威圧感とはまた違う――人として相手の本質を見極めようとする鋭さが、その目に宿る。
「――でだ、イオス。本音を吐け」
それまでの砕けた雰囲気を一瞬で吹き飛ばすように、シルクは射抜くような鋭い眼差しでイオスを真っ直ぐに見据えた。
(……これは、はぐらかさずにちゃんと話さないと駄目なやつだな)
シルクから放たれる圧倒的な重圧を受け止めながら、イオスは頭の中で自身の思考を整理する。
しばらく沈黙したあと、イオスは静かに口を開いた。
「……悔しいんです」
「……ほう」
「負けたことが悔しい。もちろん、それもあります」
膝の上で、力任せに拳を握りしめる。
「でも……それだけじゃないんです」
脳裏に鮮明に蘇るのは、あの漆黒の魔法師の姿だった。
圧倒的な力。
こちらを見下ろすような、あの冷たい眼差し――。
いや。
違う。
あれは、見下してすらいなかった。
「……あいつは、僕たちのことなんて、最初から眼中になかったんですよ」
部屋の空気が、わずかに張り詰める。
「僕たちが必死になって戦って、命を懸けて食い止めようとしていたのに……あいつにとっては、僕たちなんて最初から敵ですらなかった」
イオスは滲み出る悔しさを噛み殺すように、強く唇を噛んだ。
「それが……気に入らないんです」
「ほう……」
シルクが興味深そうに目を細めた。
「だから、強くなりたいと?」
「はい」
迷いのない即答だった。
「次に会ったとき、少なくとも――僕たちを無視できない程度には」
イオスは顔を上げ、シルクの眼光を真っ直ぐに見返す。
「僕たちを見て、警戒しなければならないと思わせたいんです」
その言葉を聞き、シルクは静かに息を吐き出した。
「……なるほど。そういうことか」
イオス自身、これが驚くほど幼稚な感情であることは分かっていた。
英雄願望があるわけでもない。
復讐がしたいわけでもない。
ただ――。
「一方的に相手の舞台で踊らされるのが、嫌なんです」
イオスはゆっくりと言葉を紡いだ。
「次は絶対に、僕たちの存在を無視させない」
それこそが、イオスの胸の奥底にある偽らざる本音だった。
「なるほどな。ようやく冒険者らしい面構えになったじゃないか」
シルクは口端を上げ、笑みを浮かべた。
だが、その声にはどこか戒めるような響きがあった。
「だが、相手に認められるために強くなるな。相手に認められるために強くなろうとする奴は、いつかそいつの掌の上で踊らされることになるぞ」
「……それでも、今は構いません」
王の忠告に対しても、イオスの意志は揺らがなかった。
「まずはあいつに、僕たちを『敵』として認識させてみせます」
シルクは静かに目を丸くし、やがて微笑んだ。
「……ふっ、よく言った。その意地、嫌いじゃないぞ」
深く背もたれへ身体を預け、力強い視線をイオスへ向ける。
「よし、話は決まった。王国と教団、それぞれに協力を要請しよう。そなたが持ち込んだ種を、我らの手で芽吹かせてやる。ゆえにそなたは――力をつけろ」
「……はい!」
イオスは力強く答えた。
その返事を聞き、シルクは満足そうに笑った。
「よし。それでいい」
そして、ゆっくりと立ち上がる。
「では行こうか」
「どこへです?」
「決まっているだろう」
シルクは悪戯っぽく笑った。
「王女の帰還を祝う晩餐会だ。まさか主役の一人を欠席させるわけにもいかん」
「……え?」
イオスの顔が引きつった。
「いや、僕はそういうのは――」
「諦めろ、イオス君」
横からラクシュが笑いを堪えながら肩を叩く。
「王命だ」
「そんな……」
情けない声を上げるイオスを見て、シルクは楽しそうに笑った。
部屋を出ると、廊下の窓から王都の街並みが見えた。
建国祭を明日に控えた街には、すでに無数の灯りがともり、通りのあちこちから賑やかな声が聞こえてくる。
つい先ほどまで張り詰めていた空気が嘘のようだった。
「ほら、イオス君。行こうか」
「……はい」
渋々ながらも歩き出したイオスの背中を、ラクシュが可笑しそうに見つめる。
その先には、王宮の奥から漂ってくる、香ばしい料理の匂いがあった。
――どうやら今夜は、戦いのことを考える暇もなさそうだった。




