2-6
鉄錆と腐肉が混じり合ったような、胃を焼く臭気とともに、足元から赤黒い霧が這い上がってきた。闇の中で何かが脈動を始める。地面に刻まれた紋様が、鈍い光を放ち始めた。
「総員、退避!」
騎士団長の悲痛な叫びも虚しく、逃げ遅れた騎士たちが脱出を試みるが、魔力の壁に阻まれ、身動きすら取れなくなっていた。
魔法陣の内部は、瞬く間に生き地獄へと変貌した。
充満する濃密な赤黒い霧の奥から、湿った音を立てて無数のどす黒い腕が這い出してきた。それは人間の領域を超えた不自然な関節の曲がり方で伸び、逃げ遅れた者たちの足首を、喉元を、胴体を締め上げていく。
「いやだ、離せ、離し——」
肉が圧迫され、骨が軋む嫌な音が響く。必死に掻いて逃れようとする騎士の爪が、激しい抵抗の末に剥がれ落ちた。大地に黒ずみが広がるのと同時に、裂けるような一際高い悲鳴が惨劇の場に響き渡った。
苦悶、絶叫、絶望、怨嗟――。
あらゆる負の感情を破裂させたような惨叫が、空間を満たしていた。どれも鼓膜を酷く削り取り、脳を直接苛むような、耳に痛い声だ。
悲惨な光景の前にただ立ちすくむ。
「イオス、しっかりせい!」
ミロの力強い声がイオスに叩きつけられる。
彼は両肩に担ぎ上げていた満身創痍の騎士を地面へ下ろした。どうやら怒濤の混沌をくぐり抜け、無事に戻ってきたらしい。
荒い息を吐きながらも、その瞳にはまだ強い光が宿っている。
「イオス」
隣に並んだオロチが低く深く声をかけ、無言のまま力強くうなずいた。その眼光だけが、暗闇の中で静かにイオスを繋ぎ止めている。
(ごめん……僕が読み切れなかったばかりに)
イオスは血が滲むほど固く唇を噛み締め、自責の念に顔を歪ませた。
だが、立ち止まるわけにはいかない。己の弱さを力任せにねじ伏せ、喉を切り裂くような、血を吐くような声で叫んだ。
「総員、警戒態勢を取りながら攻撃準備!火矢を用意!」
イオスの掛け声に我に返った騎士団の行動は早かった。態勢を整え事前に準備していた火矢を構える。
「――――――――!」
不気味な軋みと共に、赤黒い霧が晴れてゆく。
そこに現れたのは、魔物の肉、異形の肉、そして直前まで生きていた人肉が無造作に捏ね合わされた醜悪な巨人だった。
継ぎ接ぎだらけの体表のあちこちには、いま飲み込まれたばかりの騎士たちの顔が浮かび上がり、苦痛と恨めしさに歪んだ瞳でこちらを見下ろしている。その唇が、声にならない叫びを上げていた。
「前にも見たが、なんて悪趣味なんじゃ」
ミロが嫌悪に満ちた表情で呻く中、一歩前へ出たのはオロチだった。
「イオス、やるぞ」
彼は揺らがない瞳で巨人を睨み据え、剣を構え直す。
「騎士団長、火矢を放つ間隔は任せます」
「り、了解した、イオス殿」
騎士団長は自らの頬を強く叩き、震えを無理やりねじ伏せた。
「騎士団、矢を番えろ!」
覚悟を決めた騎士たちが、一斉に火矢を巨人へと向ける。
「撃て!!」
無数の炎が空を切り裂き、巨人の醜悪な肉体へと深々と突き刺さる。 炎に焼かれた肉が爛れていく中、巨人に取り込まれた亡者たちの断末魔が一つの巨大な塊となり、脳髄を直接掻き毟るような怨嗟の声となって響き渡った。
攻撃は効いている——そう思ったのも束の間、安堵する隙など微塵も与えられなかった。
炎に焼かれ、削げ落ちた肉の塊が地面にへばりつき、そこから産声を上げるように蠢きながら這い出してきた。
「次から次へと!」
ミロの炎斧が異形の魔物を灰へと変える。しかし、焦げた肉は再度溶けだし、巨人に吸い寄せられ同化していく。 徒労に終わる反撃を前に、騎士たちは恐慌状態に陥りつつあった。
「くそっ、これじゃキリがない……!」
「あれは……さっきまで戦っていた仲間じゃないか……無理だ!」
絶望が伝染していく。とりわけ、同胞を無残な肉塊に変えられたベイル軍の動揺は凄まじかった。中には武器を取り落とし、へたり込む者すらいる。
「お主ら戦わないなら下がるんじゃ!」
ミロが一直線に巨人へ向かって駆ける。
「ガァアアアアッ!」
鼓膜を揺らす巨人の咆哮。馬たちが怯えていななく中、丸太のような巨人の拳が叩きつけられ、重武装の騎士たちが宙を舞う。
「真正面から受けるな!力を逃がしながら捌くんじゃ!」
ミロの刃が閃き、巨人の太い腕を両断するが、巨人はひるまず攻撃を続ける。
「まだ生きてるぞ!早く後方へ下がらせろ!」
騎士の息を確認したミロが叫ぶ。
血みどろの激戦の中、ミロの善戦でどうにか陣形を維持している状態だ。
(少しずつ押されている。このままではもたない)
イオスはこの混乱状況をどう収めるか必死に考えていた。
魔法で一網打尽にすることもできず、通常の火矢では巨人の分厚い皮膚を貫けない。
(全滅は免れない……せめて、リア王女だけでも街へ逃がす手はずを)
絶望が蔓延しようとした、その時だった。
「――レベレースの騎士よ、立ちなさい!」
凛とした、しかし決して折れることのない硬質な声が、戦場を震わせた。側近の騎士が堂々と翻す軍旗の下、彼女は怯える兵士たちをまっすぐに見据えた。
「私は、レベレース王国第一王女、リア=レベレース。もう一度言います。立ちなさい!」
その声は震えていた。
だが、それでもリアは退かなかった。
(すごく…怖い…)
リアの目の前では仲間が喰われ、肉塊にされ、怪物へと変えられている。
魔法を放つことすらできず、今にも膝が震えそうだった。
それでも――。
(恐怖に負けてしまえば、誰がこの者たちを立たせるというのか。)
「レベレースの騎士たちに問います。同胞をあのまま弄ばせて、いいのですか!」
凛とした叫びが戦場を突き抜けた。兵士たちがハッと顔を上げ、巨人の身体に蠢くかつての戦友たちの姿を直視する。
「……そんなの、許せるわけがない……!」
「このまま逃げてたまるか! 仲間を取り戻すんだ!」
「立ちなさい、前を向きなさい。そして――誇りある剣を執りなさい!」
王女の喝破に応えるように、一人が剣を抜き、続いて数百の鞘走る音が波のように広がり、折れかけていた戦意が一気に燃え上がっていく。
「ちくしょう…敵を討つんだ!」
「俺もだ!仲間を救い出す!」
折れかけていた騎士たちが次々と剣を突き上げ、圧倒的な気迫を取り戻していく。激動する陣列の中心で、リアは気高き威厳をもって命じた。
「ここにいるすべての騎士に命じます。――仲間を、天に送りなさい」
空を突き破らんばかりの雄叫びが轟いた。
「同胞の解放」という誇りを取り戻した騎士たちの刃が、一斉に輝きを放つ。
「化け物は細かく切り刻んで、火で焼いてください、あと、神官を呼んでくるよう早馬を出してください」
立ち直りかけた陣列の隙を逃さず、イオスは矢継ぎ早に指示を飛ばした。 本来なら一介の冒険者の指示など正規軍に通るはずもない。だが極限状態の混乱の中、迷いを断ち切る具体的な指示は、兵士たちを容易に突き動かした。
「攻撃の手を緩めるな! 化け物を限界まで細かく切り刻め!」
「火矢を集めろ! 削り取った肉から焼き払うんだ!」
「お前は神殿に行け! 浄化の魔法を使える神官を連れてくるんだ、早くしろ!」
伝令が走り、途絶えていた軍が再び動き出す。統率を取り戻した兵士たちの怒号が、絶望の気配をわずかに押し返していく。
(王族の演説も、捨てたもんじゃないな)
イオスは確かに一筋の希望の光を見た気がした。
「カグラさん、魔法陣を破壊します」
イオスの切迫した呼びかけに応じ、影の中から静かにカグラが姿を現した。
「了解。私はイオス君を守ればいいのね?」
「最初は僕を。必要に応じてリア王女をお願いします。」
「わかったわ」
短く頷くと、カグラは刃に手をかけ、イオスを庇うように一歩前へと躍り出た。
(巨人はミロさんが引き付けてくれている。ベイル軍も立て直し、騎士団は火矢を構えて待機中だ……。ミロさん、あと少しだけ耐えてくれ……!)
イオスは樫の杖を両手で強く握り締め、魔力を地面へ叩きつけるように注ぎ込んだ。
「紡がれし魔の脈動を絶て! 偽りの理を撃ち砕き、虚妄の刻印を灰燼に帰せ!」
イオスの詠唱とともに、蒼白色の激しい光芒が地面を駆け巡る。
その光は瞬く間に広がり、巨人を取り囲む魔法陣を覆い尽くすほど巨大な魔法陣を描き出していった。
魔法を完遂させるべく、イオスが無防備に魔力を注ぎ込み続けているまさにその時。
「な、なんだあれは……! あれを見ろ!」
驚愕に満ちた叫びが上がり、騎士たちが一斉に巨人の頭上を見上げる。荒れ狂う戦場の遥か上空。巨人の頭上に、重力を無視して浮かぶ一影――。不敵な笑みを湛えた魔法師の姿があった。
その手に集う黒紫の魔力が、空を歪ませている。
(まずい……! 魔法を使われたら全滅だ!)
魔法の維持で動けず、無防備な隙を突かれたイオスの顔が蒼白に染まる。
だが、その絶望を切り裂くように、オロチの威圧的な声が響き渡った。
「来たか……!」
剣の刀身に滾るような魔力を纏わせ、オロチが後方へ叫ぶ。
「カグラ! 飛ぶぞ!」
「わかったわ。ちょっと狙いが逸れても文句言わないでね」
カグラが手際よく純白の矢を取り出し、オロチの背中に狙いを定める。
「飛ぶって……カグラさん、何をするつもりなんですか!?」
混乱するイオスを振り返り、オロチは頼もしさを湛えた声で告げた。
「イオス、安心して詠唱を続けろ!」
「いくよ!」
カグラが純白の矢を放ち、オロチの背中を捉えた瞬間、凄まじい勢いで空へと舞い上がり、そのまま魔法師へと一気に襲いかかった。
「私も忘れないでもらおう!――天歩!」
遅れて、ラクシュの凛とした叫びが戦場に轟く。彼の頭上に幾重もの光の足場が幾何学模様を描いて架け渡された。オロチの描いた軌跡を追うように、ラクシュは光の階段を蹴って虚空を駆け抜け、瞬く間に魔法師へと肉薄していく。
(二人とも、これを読んでいたのか。僕もまだまだだな)
イオスは己の甘さを反省しつつ、全神経を研ぎ澄ませて詠唱に集中する。
「むんッ!」
空中で鋭く空を蹴ったオロチが、凄まじい斬撃を振り下ろす。
急襲された魔法師は瞬時に魔力障壁を展開し、それを防ごうとするが――
「――それは、もう見た!」
冷徹な一言とともに、オロチは魔力障壁を断ち切った。
だが、魔法師もただでは引き下がらない。あろうことか、素手でオロチの刃を力任せに掴み取った。
「甘い!」
その一瞬の硬直を見逃さず、ラクシュが光の軌跡を描いて無防備な懐へと滑り込む。
「オロチ! 落とすぞ――『爆砕衝』!」
至近距離から叩き込まれた衝撃波が障壁ごと空間を歪め、魔法師を地上へ吹き飛ばす。
「逃がさん!」
オロチが空中で反転し、落下の勢いをそのまま乗せた一撃を突き立てる。追撃するラクシュとともに、容赦のない猛攻が魔法師へと怒濤のごとく浴びせられた――。
(いまだ!)
イオスは己のすべてを込めるように、杖の柄を激しく地面へ打ち据えた。
「――『魔力共鳴破壊』」
眩い蒼白色の光芒が一気に広がり、イオスの魔法陣を巡って敵の術式を激しく侵食していく。
(ぐっ……! くそっ、前より負荷が段違いだ……!)
全身から搾り取られるように、急激に魔力が削り取られていく。両手で輝いていた予備の魔導石が、負荷に耐えられずに乾いた破裂音とともに弾け飛んだ。 直後、敵の魔法陣が粉々に砕け散り、戦場を支配していた呪わしい魔力が、潮が引くように一瞬で掻き消えた。
「魔法陣、打ち砕きました!」
「ミロ、下がって!」
カグラの鋭い指示とともに、一筋の矢が巨人の胸に突き刺さる。その直後、膨大な肉を吹き飛ばすものの、肉芽が即座に傷口を塞ごうとうごめく。
「そう簡単に言われても、ドワーフの足じゃ限界があるわい!」
爆風と衝撃波に煽られながら、ミロが間一髪で前線を離脱する。 カグラは即座に二本目の矢を解き放ち、再生しかけた肉塊を再び吹き飛ばした。
「イオス君、あそこ! 巨人の左胸!」
激しい閃光の果て、抉れた肉の深層に脈動する『核』が露出した。
(間違いない、あれが核だ……!)
「お見事です、カグラさん」
前回の巨人は中級魔法で撃破できた。だが、今回はそれよりも大きい。核まで魔法を到達させるには、表面の肉をさらに削るか、火力を極限まで集中させる必要がある。
「カグラさん、魔法の矢の残りは?」
「あと2本。絶対に外せない局面ね」
重苦しい緊張感が漂う中、血に濡れた剣を握りしめた騎士団長が素早く距離を詰めてきた。
「イオス殿、胸の核にはお気づきになられたか!?」
「ええ、確認しました。あの核を無防備にするため、どうやって巨人を崩すか考えていたところです」
「ならば、我らにお任せくだされ! 投げ縄を使い、騎士団総力をかけてデカブツを引き倒します!」
騎士団長は力強く頷くと、陣形を再構築すべく前線へ指示を飛ばし始めた。
「助かります、みなさんお願いします!」
イオスが安堵したのも束の間、隣のカグラが不敵な笑みを浮かべて覗き込んでくる。
「ねえイオス君、ミロの新兵器の話は聞いてる?」
「え……新兵器、ですか?」
「ふふ、細かい説明は後よ。倒しさえすれば勝機はあるから、ミロとすり合わせてくるわ! ……あ、それとこれね。毎回悪いけど、愛がこもってるからちゃんと飲んでね」
そう言って、ひんやりとした見慣れた小瓶を手に押し付けられた
(……強制回復薬)
「ああもう! 毎回毎回、いい加減にしろよーッ!」
魔力を使い果たした疲労も吹き飛ぶような、イオスの絶叫が戦場に響き渡った。
「くっくっく。イオスも苦労するのう」
作戦を聞いたミロが、頼もしい笑みを浮かべた。
「ミロ殿、倒れた後の仕留めはお任せしてよろしいか!」
「おうよ。わしとこの相棒で、一気に叩き潰してやるわい」
輝く炎の斧を叩きつけ、ミロが気合を注入する。
「団長、いつでもいけます!」
固唾をのむ兵士たちを見渡し、騎士団長が剣を一閃させた。
「騎士団、手筈通りに動け! ベイル軍、力を貸せ!」
「「「応!!」」」
疾風のごとく馬を走らせる騎士たち。巨人が足を踏み出そうとした瞬間、ミロがその前に立ちふさがる。
「おい巨人! 相手はわしじゃぞ!」
ミロの咆哮が響き、巨人を釘付けにする。その隙に巨人の足元へと滑り込んだ騎馬隊が、極太の投げ縄を一斉に放つ。四肢を縛り上げられた巨人の巨躯を、ベイル軍が総出で引っぱり、地面へと引きずり倒していく――!
「カグラ!」
「了解!」
ミロの声にカグラが残り二本の魔法の矢を同時に番え、一気に引き絞って解き放つ。
鋭い光の軌跡が胸と腹へ深々と突き刺さり、爆発的な衝撃が巨人の巨躯を揺らした。縄で引き絞られていた足元が耐えきれなくなり、轟音とともに巨人が地面へ崩れ落ちる。
「これでも喰らいおれぇ!」
ミロが踏み切り、宙を舞って炎斧を振りかぶる。
限界まで溜め込まれた一撃が、無防備になった巨人の左胸へ深々と穿たれる。
瞬間、巨人の核が内側から膨れ上がった。
「危険だ、総員退避!!」
騎士団長の叫びと同時に、眩い閃光とともに巨躯が弾ける。
「むうううっ!?」
爆風と衝撃波に飲み込まれ、叫び声を上げながら煙の向こうへミロが吹き飛ばされていく。
もうもうと立ち込める煙の奥で、巨人はまだ動いていた。 四肢を吹き飛ばされ、原型すらとどめていない肉塊になってもなお、しつこく地面を蠢いている。
「全員、退避! ――穿てえぇッ!!」
イオスが魔法を放つ。
灼熱の火柱が咆哮を上げ、残骸ごと異形を呑み込んでいく。 飛び散った肉片が瞬く間に土へと還元されていく光景は、巨人の完全なる沈黙を告げていた。
「まだだ、魔法師がいる! 気を抜くな!」
イオスが声を張り上げ、後退しつつオロチ側へ目をやった、まさにその瞬間――
「とったあぁッ!」
ラクシュの一閃が魔法師の腕を切り飛ばした。
だが――。
魔法師は、落ちていく自分の腕を見ようともしなかった。
『……なるほど』
男とも女ともつかない声が重なる。
『これほどの力を持つ者が、まだ残っていたか』
その声に、ラクシュの眉がわずかに動く。
「……何?」
魔法師は不敵に笑った。そして、手にしていた大鎌を地面へ振り下ろすと、大気が裂けるほどの衝撃波が吹き荒れる。
「くそっ……踏み込めん!」
猛烈な魔力に煽られ、ラクシュとオロチは刃を地へ突き立て、片膝をついて耐え忍ぶしかない。 強引に二人を押し返した魔法師は、血の残る腕をすっと前へと突き出した。
――狙いは、無防備なリア王女。イオスの懸念が、最悪の形で現実となった。
「ヨミさん!」
迫る危機を察し、ヨミが即座にリアを抱えてイオスの後方へ退避する。リア王女を捉えた魔法師の手から、空間を歪めるような黒い光芒が放たれた。
「くっ……『障壁』ッ!」
必死の叫びとともに樫の杖から展開された魔法陣が、直撃を真っ向から受け止める。閃光と魔力が激しく衝突し、不協和音が弾けた。絶え間なく削られていく魔力に、イオスの視界が強烈な眩暈で歪む。もって数秒――!
「おおお!」
だが、その絶望を打ち破ったのはオロチの斬撃だった。衝撃波を力でねじ伏せたオロチが躍り出で、魔法師へ向けて渾身の一刃を振り下ろす。
刃と魔力が真っ向から激突し、イオスの視界を覆っていた圧迫感が一瞬で消し飛んだ。魔法を潰されたというのに、敵の表情には動揺の色すらない。
「いや――素晴らしい、次はもっと大きく頂こう」
魔法師の言葉と同時に、足元に刻まれた禍々しい魔法陣が爆発的な光を解き放つ。 眩い光束が視界を覆い――光が収まった時には、戦場に魔法師の姿はすでに失われていた。
「イオス様!」
不安げな表情でリアが駆け寄る。イオスは荒い息を吐きながら片膝をつき、激痛に耐えるように拳を強く握りしめていた。
「リア王女……全軍に勝鬨を……凱旋をお願いします。……ヨミさん」
痛みを押し殺し、安心させるような笑みを必死に作ってみせるイオス。
「かしこまりました。……さあリア王女、イオス様の言葉に従いましょう」
「ええ、わかりました。また後ほど……!」
ヨミはイオスの真意を察し、素早く王女の背を押し騎士団の元へ移動させる。 リアの姿が見えなくなるや否や、カグラがイオスの元へ滑り込んだ。
「イオス君、大丈夫!? ――って、何よこれ!?」
「……結構、喰らってしまいましたね」
カグラがイオスの衣服を捲り上げると、イオスの右腕は蝕まれたように黒く変質していた。 悲鳴を噛み殺し、なりふり構わず回復薬を振りかけるカグラ。
「カグラさん……あとは……」
「うん。分かってる。もう喋らなくていい」
カグラがイオスの身体を抱き支える。
その腕は、彼女が知るどんな傷よりも酷かった。
「……イオス君」
返事はない。
ただ、呼吸だけがかすかに続いている。
「……絶対に、死なないでよ」
いつもの軽口ではなかった。
カグラの声が、初めて震えていた。
その直後――。
イオスの右腕に浮かんだ黒い紋様が、心臓へ向かってゆっくりと伸び始めた。




