2-5
オラクルとレベレースは数百年前、一つの国家だった。
山脈から流れ出る大河の恵みによって栄えた国だったが、激しい内戦の末に二つに分裂した。
その際、どちらの勢力にも与しなかった人々が国境の緩衝地帯へと集まり、小さな村々を作って細々と暮らし始めた。それが、現在の境界線の始まりである。
時が流れるにつれ、追放者や流れ者など、「訳あり」の人間が集まるようになった境界線は、事実上の無法地帯と化していった。
しかし、その一方で、二国間を結ぶオラクルとレベレース側の国境の街ベイルの間に大街道が整備されると、農民や商人も定住するようになった。
今では二つの国を繋ぐ交易と交通の重要な要衝となっているのも、また事実であった。
「疾風の刃、吹き荒れよ!」
ラクシュの詠唱とともに風の刃が吹き荒れ、街道に立ちふさがっていた魔物の一群を一瞬で切り刻む。
「騎士団! 警戒を怠るな! このまま突き進むぞ!」
騎士団長の力強い檄を受け、馬車と護衛の騎兵たちが疾走する。
イオスの立てた作戦は、至極単純だった。
馬車を全力で走らせながら、イオス自身が探知魔法を断続的に展開する。遭遇した人間には状況に応じて対応し、出現した魔物はラクシュの強力な魔法で一掃しながら、レベレース国境を目指す――というものだ。
本来なら早馬でも一日半はかかる距離を、同じ時間で一気に駆け抜けようという強行軍である。
当然、馬への負担は限界を超える。だが、馬が潰れる前にオロチが神聖魔法で疲労と傷を癒やし、強引に走らせ続けるという荒業で乗り切っていた。
出発直後こそ、着の身着のままで逃げてくる避難民や旅人とすれ違うこともあった。
だが、レベレース側からの魔物被害が深刻化しているためか、中間地点を過ぎたあたりから人々の姿は途絶え、代わりに魔物との遭遇率が跳ね上がっていた。
「イオス、大丈夫か?」
今日何度目になるかもわからない探知魔法を解除した時、隣を走るオロチが気遣うように声をかけてきた。
「念のため魔力を少し残しておくとして、そろそろ打ち止めに近いですね」
「そうか。ラクシュ! そろそろ一旦休むよう調整してくれ!」
オロチが大声で呼びかける。
「わかった、オロチ。私もそろそろ休みが欲しいところだった」
いつの間に仲良くなったらしい二人は、互いを当たり前のように名前で呼び合っている。
イオスは不思議そうに首を傾げた。
「いつの間に、ラクシュさんと仲良くなったんですか?」
「今朝方、稽古にな……」
オロチは愛刀の鞘に手を添え、満足げな笑みを浮かべた。
「なるほど。有意義な時間だったみたいですね」
「強い剣士はいい刺激になる」
夜明け前に剣を交え、互いの腕を確かめ合ったのだろう。
剣士ならではの会話なのだろうと、イオスは深く納得した。
「全体、小休止に入る!」
騎士団長の響き渡る号令とともに、行軍が一斉に足を止める。
騎士たちはすぐさま馬から降り、馬体を拭ったり、装備の点検を始めたりと手際よく動き出した。
「馬を見てくる」
荒い息を吐く馬たちの元へ向かうオロチの背中を見送りながら、イオスもようやく深く息を吐き出し、道端の木陰へと腰を下ろした。
「イオス様」
風の通る木陰で息を整えていると、ヨミを伴って馬車から降りてきたリア王女が声をかけてきた。
「リア王女。道中、お体は辛くありませんか?」
「そこまでではありませんわ。ですが、私のために皆様が無茶な強行軍をしてくださっているのが心配で……」
申し訳なさそうに眉をひそめる王女に、イオスは苦笑いを返した。
「一人の脱落者も出ていないのが救いですね。荷馬車でなければ、もっと早く移動できたのでしょうが……こればかりは仕方ありません」
「あの……この度は、本来の依頼にないご苦労までおかけしてしまって、本当に申し訳ありません」
頭を下げようとするリアに対し、イオスは慌てて手を振った。
「いえいえ、王都までお送りする護衛任務ですから、問題ありませんよ。……それと、ひとつ確認させていただけますか?」
イオスは周囲に聞こえないよう、少し声を潜めて本題を切り出した。
「ベイルの領主様は、どのような方かご存じでしょうか?」
「領主は、昔から我が家に仕えてくださっている軍人の方です。辺境伯として、国境の要を担っていただいていますわ」
「ご面識は?」
「幼い頃から何度もお会いしております」
「なるほど……」
じっと考え込むイオスに、背後で控えていたヨミが静かに問いかけてきた。
「イオス様、何か問題が?」
「問題というよりも、国境に到着した後のことについて、少し懸念がありまして」
そこまで言いかけ、イオスは頭の中で懸念を整理する。
せっかくベイルまで辿り着いても、武骨な軍人である辺境伯のことだ。
「王女の安全が第一」と、事態の調査や解決に加わらせる間もなく、すぐに王都へ送り出そうとしてくる可能性が高い。
(ここまで来て、追い返されるわけにはいかない……)
決意を固めたイオスは、口元に小さな笑みを浮かべた。
「ベイルに入城するにあたって、援軍に来たことを大々的に知らせながら入城しましょう。それと、ヨミさん……リア王女に女性用の装飾武具や武装の用意はありますか?」
「ええ、しっかりと『ご用意』してございますが……」
「では、入城の前にはそれに着替えていただけますか。それも、できる限り華やかで、目を引く派手なものでお願いします」
過酷な強行軍を続ける一行の疲労もピークに達し、国境の街ベイルが目と鼻の先に迫った――まさにその時だった。
「騎士団長! 国境の街が魔物が接近しています!」
先触れとして前方の様子を確認しに行っていた騎士が、息を切らせて戻ってきた。
「敵の数は? 交戦状況はどうなっている!? すでに始まっているのか?」
「敵影は三百から四百といったところです!これから交戦状態に入ります!ですが……魔物の群れの背後に、見慣れない巨大な個体が控えています!」
「やはり、例の『異形』かのう……」
ミロが不吉そうに大斧を握り直す。
「火矢の用意をしておいた方がよさそうだね」
カグラも鋭い目つきで仕込み弓に手をかけた。
状況を素早く把握したイオスは、すぐさま騎士団長へと向き直る。
「騎士団長、挟撃をかけましょう! 城壁を前に敵を迎え撃たせ、僕たちが側面から突撃します。余裕があれば、城壁側からも火矢を中心に遠距離攻撃を仕掛けるよう伝達してください」
「よし、分かった! ……一番足の速い馬に乗れる者はいるか! この状況を速やかにベイルへ届けねばならん。志願者は!」
「私にお任せください!」
一人の騎士が力強く名乗りを上げる。
「頼んだぞ」
「この命に代えましても!」
「護衛として五名ほど残し、至急出撃の準備を整えよ!」
騎士団長が指示を飛ばす中、馬車から降りてきたリア王女が前に進み出た。
「イオス様、私も参ります!」
「いや、駄目ですよ! それは絶対に許可できません」
食い気味にきっぱりと断るイオスに、リアは引き下がらず言葉を重ねる。
「私もオラクル魔法学院の生徒です。基本的な攻撃魔法なら修めております!」
「実戦で魔物に放ったことは?」
「それは……ありませんけれど……」
「なら、もっと駄目です! だいたい、王女様を戦場に出すなんて――」
「イオス様。私がついておりますので、最悪の事態には至らせません。ご安心を」
そこへ、静かな足取りでヨミが一歩前に出た。
(ヨミさん、やっぱりただのメイドじゃなくて、護衛も兼ねているのか……)
イオスの視線に気づいた騎士団長が、静かに目配せを送ってくる。
「イオス殿、よろしいのではないかと。ヨミ殿の腕なら心配はいりません」
(これだから、偉い人の護衛は嫌なんだ!)
「危なくなったら下がってくださいね。全員、突撃準備!作戦はさっき言った通りです! あらかた僕たちで片付けますので、王女様には絶対に魔物を近づけさせないように!」
騎士たちが突撃態勢へと切り替える。
「ここからが本番じゃな」
「そうだね、一気に片付けちゃおう」
「うむ」
ミロ、カグラ、オロチが互いに視線を交わし、不敵な笑みを浮かべる。
こうして、国境の街を救うための総力戦が幕を開けた。
城壁の頂に、二本の旗が相次いで翻る。
一本目の赤い旗は、街が敵の攻撃を受け始めた合図。
そして二本目の旗は、こちらの突撃と策を理解したという合図だった。
城門へ群がるのは、従来の魔物たち。
だが、その背後に控える異形の集団は、二足歩行や四足歩行の姿が不揃いに混ざり合い、異様な雰囲気をまとっていた。
「行きますよ!」
イオスが馬の腹を蹴り、敵陣へ向けて一気に馬を走らせる。
「ラクシュさんは、そのまま城門付近の敵集団へ攻撃をお願いします!」
「イオス、わしらはどこへ向かう!?」
並走するミロが大声を張り上げる。
イオスは正面の敵群の奥を指さした。
「敵の中心部です! ですが、少し露払いをしていきましょう!」
イオスは前衛に立ち、走る馬の上で樫の木の杖を掲げ、巨大な魔法陣を展開する。
「――集え、束ねよ、穿つ炎の柱となれ!」
側面からの急襲に気づいた敵の一部が、殺気を放ちながらこちらへ向けて反転してきた。
ここ最近、嫌というほど見慣れた光景だ。
以前よりも大きくなった魔法陣の中心へ、青白く眩い光球が一気に凝縮されていく。
己の魔力が以前よりも確実に底上げされている感覚が、杖を通じてはっきりと伝わってきた。
「穿てっ!」
解き放たれた喉が焼けるような高熱の光球が、押し寄せる敵の群れを呑み込み、肉と骨を焼き焦がす。
「はじけとべ!」
間髪入れずに追撃の衝撃波を流し込む。
腹に響く大爆発が巻き起こった。
イオスが今放てる中級魔法としては、間違いなく最大火力の一撃だ。
巨大な火柱が天を突き、猛烈な砂埃が舞い散る。
爆風が収まった後に見えてきた地面は、真っ黒に焦げ尽きていた。
「ラクシュさん! 前方集団の敵に魔法を!」
「承知した!」
イオスの合図を受け、ラクシュが銀の剣を掲げて風の呪文を解き放つ。
「疾風の刃、吹き荒れよ!」
鋭利な暴風が渦を巻き、城門に取り付こうとしていた魔物たちを一瞬で切り刻み、跳ね飛ばしていった。
「矢を放てぇっ!」
城壁の上からも指揮官の喝破が響き渡り、矢の雨が降り注ぐ。
初動の挟撃作戦は、完璧に決まった。
魔物の群れは崩れ、城門へ迫っていた敵も残りわずかだ。
――勝てる。
イオスが、そう思った瞬間だった。
何かがおかしいと嫌な考えが頭をよぎる。
(……簡単すぎる)
側面から急襲を受けたにもかかわらず、こちらを追撃しようとする個体がほとんどいない。逃げるにしても、統率を失った獣のように散り散りになるわけでもない。
まるで――。
(……こちらに勝たせているような)
その考えが浮かんだ瞬間、背筋を冷たいものが走った。
「……次はわしらの番じゃな!」
ミロが大斧の柄を激しく地面に叩きつける。
重厚な両刃の斧が赤々と熱を帯び、轟々と激しい炎を吹き上げた
「先に行くぞ!」
ミロは馬をも置き去りにする凄まじい脚力で地面を蹴り、敵の中心部に控える異形の巨人へ向かって突進を開始した。
「騎士団の皆さんは二手に分かれて、側面から異形の集団を削ってください!」
嫌な考えを振り切るように、イオスが指示を飛ばす。
「騎士団、側面攻撃いくぞ! これ以上イオス殿に手柄を譲るな!」
騎士たちの士気は最高潮に達し、怒号のような鬨の声とともに魔物の群れへと突撃していった。
「さあ! 異形の怪物ども、ワシが相手じゃ!」
ドワーフとは思えぬ脚力で一気に間合いを詰めると、ミロは異形の集団へ躍り出た。
炎をまとった大斧がひと振りで敵を焼き焦がし、ドワーフの怪力で群がる魔物を薙ぎ払っていく。
敵の反撃を受けても、頑強な鎧に阻まれて傷ひとつ負わない。
まさに攻防一体の武人が、戦場の中心で暴れ回っていた。
「これは……凄まじいな」
一騎当千とは、まさに彼のことを言うのだろう。
イオスは思わず感嘆の声を漏らした。
「あぶれた敵を片付けてくる」
オロチもミロの脇を抜けてきた魔物を、静かに薙ぎ倒していく。
そこへ、開いた城門からベイルの正規軍が勢いよく出動してきた。
「城壁に取り付く魔物から一掃しろ!」
「おうっ!」
挟撃により戦況は優勢に傾き、やがてミロが巨大な異形と対峙する。
「やはり、先日の巨人と同じような奴じゃのう」
赤い肉が剥き出しになった巨人が、蠢きながら城門へ向かって歩を進めていた。
ミロは風のように接近すると、巨人の脚を一撃で斬り払う。
激しい音を立てて、巨人の巨体が崩れ落ちた。
(……再生しない?)
防衛する側にとっては、最高の結果だ。
だが、イオスの中に不気味な違和感が残る。
以前の巨人は、切ろうが焼こうが即座に再生を繰り返したはずだ。
(まさか……)
巨人の倒れた場所。
集まってくるベイル軍。
そして、先ほどから妙に抵抗の薄い魔物たち。
頭の中で引っかかっていた違和感が、一本の線につながりかける。
「最初から倒されることを前提にしていた?」
イオスは鋭い視線で戦況を凝視する。
挟撃は成功し、優勢であることは間違いない。
畳みかけるなら今だ。
だが……もし敵が何らかの罠を仕掛けているとしたら、仕掛けてくるのもまた「今」だ。
「ミロさん! しばらく巨人の相手を維持できますか!?」
「任せときんしゃい!」
ミロは炎の大斧を豪快に振り回し、崩れた巨人を牽制し続ける。
その周囲では、異形たちが不自然なほどミロから距離を取っていた。
(イオスもどうやら、何かあると踏んでいるようじゃな)
一筋縄ではいかない敵だと理解しているのは、異形と戦った経験のあるイオスたちだけだ。
事前の説明で騎士団はある程度警戒を保っていたが、後から参戦したベイル軍は、その異様さをまだ知らない。
「ベイル軍、一気に巨人に突っ込め!」
「援軍だけに手柄をとられるな!」
「前進!前進!!」
城門付近の掃討を終えたベイル軍が、手柄を焦るように巨人の元へ突進していく。
「だめだ! 戻れ! 撤退指示を――!」
イオスが叫びかけた、その時だった。
崩れ落ちていた巨人の周囲に、不気味で巨大な魔法陣が一気に展開される。
「総員、退避ぃっ!!」
イオスの悲鳴のような怒号を受け、ミロと騎士たちが地を蹴って全力で距離を取る。
直後――。
戦場全体を呑み込むほどの光が、弾けた。




