第88話 苦いビール
「それにしても何なんですか!僕が戦ったのは『廃帝』一味とクバルカ中佐言うところのイクチオステガの子供だった?僕は原始両生類を相手に戦って新たな力に目覚めたんですか?そんなアニメ聞いたことがないですよ!相手が全員人間の知識どころか原始両生類の中でも果てしない馬鹿な原始両生類相手に戦って成長する主人公のファンタジーなんて絶対に売れないですよ!つまり僕は島田先輩と戦ったということですか!あの人は原始両生類……いや、さすがに島田先輩も原始両生類よりは賢いからチンパンジーくらいの知能はあると思います。原始両生類は日向に置いておくと干からびて死にますけど島田先輩は日向に置いておいても干からびたりしないんで。さすがにチンパンジーと島田先輩を比べると……今度千要動物公園に言ってチンパンジーの知能を調べてきますね。もしかしたら島田先輩より賢いかもしれないですから」
月島屋でビールを飲み干した誠は隊に配属になって初めてかなめを怒鳴りつけた。
「そうカリカリしなさんな……はらわた煮えてるのはアタシも一緒だ。じゃあ、ランの姐御の理屈では叔父貴は前の戦争でサンショウウオに負けたということか?アタシの国はサンショウウオに負けた国だと思えってことか?叔父貴はプライドゼロだから、サンショウウオに負けようがミジンコに負けようがどうでもいい話だけど、アタシはそんなのは認められねえんだ。ちょっと待て……20世紀のSFに『サンショウウオ戦争』というものがあって地球人類は一回サンショウウオに負けてるらしい。つまりアタシ等のやったことがサンショウウオに負けた人類以下だった?そんなのランの姐御が邪魔しなければサンショウウオの帝国を出し抜いて水島の身柄をアタシ等が先に押さえていた!全部ランの姐御の馬鹿法術がいけねえんだ!腹が立つ!あのちんちくりん!……って今は営倉で反省してるんだよな……飯食ってんのかな?ランの姐御は見た目はあんななのにとんでもねえ量を食うからな。当番の整備班の連中も大変だわ」
かなめはそう言いながらキープしてあるラム『レモンハート』をショットグラスに注いだ。かなめの怒りの対象はアメリカから別に本人には全く悪気の無いランへと向けられていた。
「これが組織って……国家ってものよ。地球人をサンショウウオの子供だと信じているランちゃんにいつ殺されてもおかしくないことを平気でするお馬鹿の支配する国だってその馬鹿が人間認定されていて他の国がその国が馬鹿の国だと理解していてもそんな顔をしなければその国は国として認められる。それが国際政治というもの。あそこの国は他の国もうらやむような資源と金と軍事力がある。それを持ってるのが今でも東和の山間部の清流によくいるサンショウウオだろうがランちゃんが食べたという原始両生類のイクチオステガであろうが関係ないわ。まあ、ランちゃんがいつ『最終戦闘フォーム』になってあの国を亡ぼすかはこれからのお楽しみと言うことで。法術師の存在自体誠ちゃんが『近藤事件』で使用するまで伏せられていたくらいですもの。水島の身柄と引き換えに東和政府か同盟政治機構が何か取引でもしたんじゃないの?」
怒る誠に対してアメリアは冷静にそう言って一口ビールを飲んだ。
「今回一番貧乏くじを引いたのは我々じゃない……ラーナだ。彼女が居なければ水島の存在には我々は気づかなかった。それがすべてなかったことになったんだ。今回の事件の解決の暁には茜警部はラーナを巡査長へ昇進させようと上申していたらしい。それもすべて駄目になった。一番の被害者だな。ラーナの前でイクチオステガと言う言葉を口にするなよ。進化と無縁な遼州人であるラーナには地球人が両生類から進化したということを教えることからラーナの落ち込みは見ていられないものなる。確かに理系で一般教養で進化論を学んだ神前ならそれくらいのことはできるだろうが、私にはそんな面倒なことはしたくない」
カウラはそう言うと店の看板娘の家村小夏から焼鳥盛り合わせを受取った。
「そうだぜ……ラーナは法術がいつ公表になるか分からない段階からこの日の為に訓練を受けてきて、せっかく回ってきた晴れの舞台だって言うのに事件自体が無かったことになったんだ……察してやれよ。それに自分が上げた手柄を水から出て数時間で干からびて死ぬ運命の両生類に美味しくいただかれましたなんて知ったらあの野生児は同じ両生類だし食べられるからということで春になったらムキになって田んぼにいるカエルを無数に捕獲して寮に持ち込んでくるぞ。食えって言って……のはさすがに茜が止めるか。そもそもカエルと喧嘩をしているラーナがあまり想像がつかねえ。ラーナは生まれてこのかた喧嘩というものをしたことがあるのか?アイツは誰にでも愛想が良いところしか見たことがねえ。まあ、戦いを意地でも避ける遼州人らしいと言えばそれまでだがな」
そう言ってかなめはネギまを口に運んだ。
「ですけど……隊長が言うように今回の事件はクバルカ中佐にいつ殺されてもおかしくないイクチオステガがクバルカ中佐を怒らせるためにやっただけなんて僕には思いたくありませんよ。確かにクバルカ中佐は地球に行った時に見たイクチオステガが今は二北歩行して言葉を話して自分の前で偉そうにしているのが気に入らないからいつか全員殺して海水に浸して日干しにして干し肉としていつでも一杯やれるような酒のあてにするとか地球から帰ってくるたびに言ってますけど……たぶん今日隊長が止めなければそれを本当に実行してたでしょうけど……さすがの中佐も僕が配属されて以来そんなことをしていないので……でも今回の結末はあんまりですよ……」
誠は怒りの持って行き場も無いというように静かにジョッキを置いた。
「それにしてもみんな大好きイクチオステガ……もといイーグルサムは何が狙いなのかしら……『武悪』を監視してたり特殊な法術師を司法取引で引き受けたり……隊長はあの国を悪を具現化するための最悪の悪魔の帝国だと思いたいみたいだけど、あの国の軍組織と官僚組織はほぼ完成された領域に達してるわよ。大統領と議会と陪審員がランちゃんにとってはイクチオステガの子供でもあの国は確固として大国であり続ける。そんな官僚や軍人達がイクチオステガの子供がハイギョを食べたいからと言って無駄な行動をするとは思えないわ。そもそも自分達が都合がいい命令を出すように誘導するためにハイギョより栄養価の高い硬骨魚類でも用意してイクチオステガの子供に仕組むはずよ」
砂肝を食べながらアメリアは首をひねった。
「知るかよ……いや、誰も知らねえのかもしれねえな……国家なんてもんは一人の指揮命令系統で動いているもんじゃねえ……誰かの思惑なんて関係なく物事が進むことはよくある話だ。イクチオステガの子供の飼育を担当している官僚や軍人達もそれぞれの思惑や利権がある。それが複雑に絡まり合ってどう動くか分からない存在なのが国家というものだ。アタシも甲武陸軍に居てよくわかってるし、その内部を良く知っている甲武海軍でのかえではさらにその事情を深く知っているんじゃねえの?人間の貴族が支配する国である甲武でさえそんな有様なんだ。頂点に立つのがランの姐御が会った限りは全員尻尾が無いだけの人語を話すイクチオステガの子供ばかりの星の事情なんてアタシに分かるかよ。それにそんな上の不条理を押し付けられた時の官僚主義の軍部の連中がどんな命令を下すかなんて工作員時代にうんざりするほど味わったよそんなこと」
かなめはラムを飲むばかりで焼鳥に手を伸ばさなかった。それはかなめが今回の件が心底頭にくる事件だったことを意味していた。
「それじゃあ今回の件はそのイクチオステガの子供の大統領とかも……」
仕方なくボンジリに手を伸ばしながら誠はそう言った。
「知らないだろうな……そもそもイクチオステガの子供にそんなことを理解する知能があると思うか?オメエも理系なんだから進化の歴史とかは勉強してるんだろ?ペラペラ日本語を話すイクチオステガの子供を見たことがあるか?だからイクチオステガの子供向けにあの国は英語を使ってるんだ。自由と民主主義の脅威となる芽を一つ詰みましたって補佐官が報告してそれで終了。あとは研究機関が水島の研究に突き進む……それで終わりだ」
カウラはそう言ってため息をついた。
「これからもこんな事件ばかりなんでしょうか?イクチオステガの子供相手に苦労するなんて僕はごめんですよ」
ため息交じりに誠はそう言って小夏が運んで来た追加のビールを受取った。
「今回の件は特別だろ……叔父貴が言った通り他人の能力を乗っ取るなんて言う法術師は不死人よりレアだ……アメリカさんももう一通りサンプルは採り終えた頃だろうよ。それこそイクチオステガの子供の耳に入ってイクチオステガの孫が騒ぎ出すのはあの国の軍人の得には何一つなる訳がねえ」
かなめはそう言ってラムを口に運んだ。
「後味が悪い事件だったわね……結局、『法術』が明らかになったことが全てのきっかけ……私達の仕事が全てを始めることになった……」
アメリアの言葉に誠は静かにうなずいた。誠自身が蒔いた種が今この星を覆いつくそうとしていた。
「なにしけた面してるんだよ!事件も片付いたんだ!もっと喜べ!今日は吐くまで飲ませるからな!また見せろよ!神前ご自慢のアレを!脱げ!」
急に明るい表情になったかなめがそう言って誠のジョッキを誠の口に近づけた。
「そんな……また僕がそんなバカなことばかりさせられて……」
誠はまた脱ぐことになるかと思うと良い気分にはなれなかった。
「オメエは童貞喪失の機会を失ったんだ。まあ、かえでによる逆レイプだったとしてもそれは生涯彼女いない率70%の東和国民としては残念極まりない事態だってことはわかるよ……アイツはテクニシャンだからな。しかもケツの穴まで使いやがる。最高のエッチの機会を逃した気分はどうだ?」
かなめは笑いながら誠に話しかけてきた。
「嫌ですよ、そんなの。僕は普通に恋をしたいんです!」
「毎週、かえでちゃんの無修正動画を見ている人の言える台詞かしら?そんなこと」
ひたすら強弁する誠にアメリアがツッコミを入れた。
「あれは!かえでさんが!勝手に送ってきている訳であって!」
誠は真っ赤になって反論した。
「でも見てるんだろ?不潔だな」
カウラは烏龍茶を飲みながら誠を汚いものを見るような視線で見てきた。
「仕方ないでしょ!アレを見ないと……もし島田先輩とかに流出したら大変なことになるじゃないですか!」
誠は顔を真っ赤にして言い訳を続けた。
「島田を便利な道具として使うか……まあ、アイツは『愛とエロを完全分離した貴重な個体』だからな。島田の事だ。金を稼ぐために有料でネットに上げて大騒ぎになるのは目に見えてる。まあ、神前も男の子なんだからああいったのが見たいのは当然か……なんならアタシのを見るか?」
そう言ってかなめはニヤけた顔つきで誠に迫ってきた。
「西園寺さんはいつもそれなんですね……僕は誇り有る童貞です!そう簡単には捨てるわけにはいきません!」
誠はそう強弁するとビールを煽った。
「誠ちゃんも意地はっちゃって……そうなると喜ぶのはカウラちゃんよね。カウラちゃんも誠ちゃんのそう言うところが好きみたいだから」
アメリアは笑いながらカウラを見つめた。
「何を言っている。世界情勢はそんな私情など許してくれる状況にはないぞ」
カウラは手羽先を口に運びながらそう口にした。
「まあ誠ちゃんの童貞はどうでも良いとして。この事件は終わったことなのよ、これは。良いなじゃないの!過ぎたことは忘れましょう!」
アメリアもいつもの能天気な調子に戻ってジョッキに手を伸ばした。
豊川の冬の夜は更け行こうとしていた。
今日のビールは誠には少しだけ苦過ぎた。
了




