第86話 走った後に見えるもの
「予想通り……たるんでるな。日頃の緊張感の無さが表れてる。叔父貴の『全自動温泉卵製造器』の再設計と称して卵をたらふく食ってるからそうなるんだ!少しは鍛え直せ!」
かなめは倒れ込む寮生を前に余裕の表情でつぶやいた。彼女の気まぐれに付き合わされた寮の住人はランニングから戻ると我慢していた腹痛に襲われて食堂に突っ伏していた。あの不死身の島田でさえも顔色を青くしてテーブルに身を伏せて動かないでいる。これが真冬の出来事だからまだ誰もかなめに食ってかかることはなかったが、これが真夏の出来事ならば一騒動あっただろう。かなめの言われるとおりにいつも通り先頭を走った誠はとりあえず腹痛もなかったが、ただ苦笑いを浮かべながら椅子の上で息を整えつつ様子をうかがっていた。
「気合が足りねえな!オメエ等は卵を食うしか能がねえのか?オメエ等の主食は何時から鶏の卵になったんだ?」
たたみ掛けるようにそう言うとかなめはまた周りを見回した。
「これが気合とかの問題?普通に誰でも起きる生理現象でしょうが!最初は自分も走るとか言ってたわりにいつの間にか自転車に乗ってて最後尾になった男の子のお尻を蹴飛ばしてたかなめちゃんにそんなこと言う資格なんて無いわよ!」
涼しい顔のかなめにアメリアが青い顔でツッコミを入れた。いつもは平然と笑っているだけの彼女の右手も脇腹に当てられていた。相当苦しいらしく脂汗のようなものさえ浮かんでいるのが見えた。
部屋中の空気はアメリアに味方していた。冷たい視線がかなめを取り巻いた。さすがに自己中心的なかなめも雰囲気だけは分かるのか、アメリアに浴びせようとしていた罵声を飲み込んでただ黙り込んでいた。
「単に自分の義体の慣らしに全員を付き合わせたかっただけだろ。そう言うことなら自分一人でやれ。正直迷惑なだけな話だ。それに私は自主的に走っていることは西園寺も知っていたはずだ。そんなことに私を巻き込むな」
カウラの一言に一同は同調した。アメリアを始め、食堂の人々が大きくうなずく。かなめは状況不利と悟るとただ乾いた笑みを浮かべていた。
疲労感が部屋中を支配していた。ただ一人元気なかなめはとりあえず話題を変えようと目をつぶった。彼女の脳と直結するネット情報。おそらくは話題を変えてくるだろう。誠もかなめの小手先のごまかしには騙されまいと身構えて彼女が口を開くのを待った。
「それより……面白い話があるんだが……」
誠の予想通り、どこか彼女らしくもなく遠慮がちにかなめが口を開いた。
「なによかなめちゃん。これ以上何か変なことがしたいわけ?つまらない話なら本当に怒るわよ」
いつもは騒動を起こす側のアメリアのその態度に誠は少しばかりおかしく感じながらも誠はどう話が続くのか見守ることにした。かなめもこのくらいのアメリアの態度は想定していたらしく苦笑いを浮かべながらもったいぶることもせずに左腕の端末を起動させ立体画面を表示させた。
「こいつだ……どう思う?」
かなめはポケットから携帯端末を取り出してアメリアに見せた。
「遼州同盟の人権機構の声明?例の東和の間抜けな法術師が起こしたトラブルの帳尻あわせでしょ?それで何か動きがあったわけ?どうせろくな事じゃないんでしょ、その様子だと」
アメリアは小さな画面の詳細を見ようと立ち上がるとそのままよたよたとかなめの腕の上に展開された画面に顔を近づけた。わざと見えにくいというようにアメリアは責めるような視線をかなめに向けた。
「こうすれば見えるだろ?」
かなめは軽く手をひねってみせる。
「見えるけど……ちょっともう少し腕を上げて」
人造人間の強化された視力ならば余裕で読めているはずの画面をまるで見えないというように角度を変えてアメリアは何度ものぞき込んだ。その姿にそれまで下手に出ていたかなめがまた苛立ちの表情を浮かべ始めた。誠はもうもめ事はごめんだと逃げ出す心構えをしはじめた時だった。
「法術適性の強制化に反対する署名活動を始める?ずいぶんと消極的なお話ね。だからなんなのよ」
アメリアは予想を裏切られたという表情でかなめを見つめた。その場の空気は、腹痛への文句から、事件後の世界の変化へとゆっくり沈んでいった。
「よく見ろよ。この署名の発案者には数名同盟機構のアタシ等も知ってる政治関係の議員の名前もある。そいつ等が同盟の意志として法術適性検査の強制化に反対することを示して見せたんだ。連中にとってもかなりぎりぎりの選択だったと思うぞ。何しろ同盟機構最大の出資者の東和が掌返せばすぐにそいつ等の首は飛ぶんだからな。まあ法術師には寛大な遼帝国あたりがかなりごねてこいつ等に何かしろって圧力をかけたんだろうな。あそこは法術師のパラダイスみたいなもんだから。法術適性検査の受検率が一桁台……東和の右っぽい連中も隣の遼帝国のあまりの法術師への優遇ぶりを見て領土的野心があるとかかなり騒いでいるからな」
かなめは苦笑いを浮かべた。予想通りの世の中の反応がそこにあった。誠はすでに法術師と認定された身分として複雑な心境で会話を聞いていた。アメリアはまだかなめの腕を手にとって画面を読み続けていた。
「遼帝国ねえ……法術師に関しての知識は最高でも経済は焼き畑農業が支えていて国民の大半が竪穴式住居に住んでる国が何言ってるのやら。なになに……ここから先は……遼帝国宰相アンリ・ブルゴーニュの声明文ね。法術適性検査の強制化は著しい人権問題になるであろうと……ひいては同盟の人民の間に分断と亀裂を生むことになる……。生むことになるも何ももう生まれてるじゃないの。国民の99%が遼州人で誰が法術師でもおかしくない国の理屈でしょ?そもそもこの宰相自身が地球人の血筋で嫁が遼帝家の出というだけでそれまでは純血の地球人だっていうのによく言うわよ」
アメリアは法術師である誠と島田を見比べながらそう言った。
「ここまで大ごとになってから今頃何言ってるんですかねえ。適性検査の強制化に反対するも何も遼北じゃ国民全員強制じゃないですか?同じ遼大陸の北と南でそんなに扱いが違うと後で揉めますよ……そこまで考えて偉い人は物を言ってるんですかね?」
島田はそう言って苦笑いを浮かべた。
「正人ちゃん。遼北は元地球圏の中華系の人たちが建てた地球人の国。それに一党独裁の元々人権意識の薄い国の話をしてもむなしいだけよ」
島田の言葉に余裕のある突込みを入れるアメリアを見ながら誠の目は端末を起動させたかなめに向いた。
「で……どうなるんでしょうか?」
不安に駆られた誠はとりあえずこういう情報をまともに判断できそうなカウラに尋ねた。しかし、カウラが口を開く前にかなめが皮肉めいた笑みを浮かべて誠の前に立ちはだかった。
「これからは色々あるってことさ。軍事や犯罪組織の活動に関するだけが法術師の話題だった訳だが……これからは人と人との個人的な関係にまで法術と言う存在が食い込んでくることになる。法術を持つものと持たないもの。それが憎み憎まれて世の中が転がることになるってこと。今回の事件でそれだけは変わった……良くも悪くもな」
吐き捨てるようにそう言うとかなめは自分の右腕を握りしめてその上空に表示された画面を追っていたアメリアを振り払って端末の画面を消した。アメリアはふてくされたように黙り込んだ。かなめは彼女を無視するとそのまま視線を誠に向けた。
「東和も遼州人の国とは言え、多くの元地球人の国に対しての体面を守るために法術師を押さえ込む方向に進むだろうな……そうなればたぶんオマエの両親も今回は年貢の納め時だってことだ。ああ、遼帝国の話をしても無駄だぞ。あそこの生まれのラーナに焼き畑農業しか出来ねえ遅れた奴扱いしたら、アイツはうちでは灌漑農業をしているって怒ってた。どっちも農業じゃねえか。しかも今でも鋤と鍬で農業してるって言ってたぞ。今は27世紀だぞ?アイツの世界は農業が進んでたエジプトやメソポタミアなら一万年前の生活をしているってことだ。そんな国が比較対象になるか!」
かなめの言葉の意味を誠は理解できなかった。
「今、西園寺さんは僕の親がなんか関係あるようなことを言いましたよね?他にもどうでもいいことをたくさん言いましたけど……なんで?」
ぼけっとしている誠にかなめは大きくため息をついた。
「誠ちゃんが明らかに進んだ法術師である以上、その両親が法術適性があると考えるのが普通でしょ?それに誠ちゃんのお父さんは学校の体育の先生じゃないの。まずこういう時は教育現場が狙われるものよ。遼州人の法術を持たない人達は法術を持つ法術師が自分達の上に立つために教育現場を利用するとか言い出しそうじゃない?実際地球人は法術というものは無かったけどちょっとした思想の違いで教育者がその職を追われるなんて日常茶飯事だったもの」
アメリアの言葉には誠にも説得力が感じられた。
「あ……」
アメリアに指摘されて誠はようやくかなめの意図に気づいた。
「ともかくこれからはかなり息苦しい世の中になりそうだな……力を持てて当然なのに力がねえアタシでさえそうなんだ。この中では神前や島田にはかなり生きづらくなるな」
かなめがため息をついた。部屋のそれまでかなめへの怨嗟の念に満ちていた雰囲気が消え去っているのを誠はようやく感じていた。島田を始め、法術適正を持つ隊員は少なくは無い。そして自分の血縁者にそう言う存在がいることが不思議ではないこととそうなればどのようないわれのない攻撃が突然訪れるか。そんな事を考えると朝食後にランニングをさせられるくらいの事はすでにどうでもいい話だった。
「法術を持つ者と持たないものの対立……東和も揺れるな……『官派の乱』の甲武の再現か?あれは身分制度を認めるものと認めないものの対立がきっかけだ。戦いの理由なんて少し違いがあれば十分……そこは地球人も遼州人も違いはねえ」
まるで騒動が起こるのを待っているかのようにかなめは不謹慎な発言を平然とした。
「西園寺とは私は違う意見だ。東和は一応シビリアンコントロールができてる国だ。意見が違う者同士が持てる軍事力を自在に行使しても責任のすべてが鏡という意志を持たないものにある甲武と大統領と首相という直接軍事を握っている人物が混乱の責任を負うことになる東和とではその武力衝突の発生する可能性は雲泥の差がある」
カウラとかなめ。別の話題を口にしながらもその目は誠を見つめていた。
「どうなりますかね?僕にはカウラさんの言うことの方がありがたいような気がするんですけど……」
誠はとりあえずこういう時は一言ありそうなアメリアに話題を振ってきた。
「私に振らないでよ。たまには自分で物事を考えるのも良い事よ。まあ、これからも対立が続くと言うことではかなめちゃんの意見が正しいし、今の制度が維持される限り軍事的な行動にまでその対立が発展することは有り得ないと言う意味ではカウラちゃんの意見が私には正しく聞こえる。そんな感じというのが私の答えなんだけど……それじゃあ誠ちゃんには不満?」
誠の言葉にアメリアが苦笑いで答えた。誰もが当惑し、ただどんよりとした空気が食堂に立ちこめた。
「はいはい!なんだか知らないけどお通夜じゃないんだから!まもなく出勤の時間ですよ!」
突然の快活な声。誠もまたその声に救いを感じて顔を上げた。叫んだのは食堂に闖入してきたサラだった。その隣にはため息をついているパーラがいた。
「お二人ともまたアメリアさんに呼び出されたんですか?この人に付き合っても何もいいことありませんよ……まあ、サラさんは彼氏の島田先輩に会えるからうれしいかもしれませんが」
いつものアメリアのお使いを頼まれたのだろうと誠は二人を不憫に思った。
「まあね。パーラに頼んで送ってきてもらったの」
サラの言葉にパーラが引きつった笑いでうなずいた。恐らくパーラは早朝にアメリアからの電話で無理やり起こされて、サラを家まで車で迎えに行ったのだろう。その苦労を想像すると誠も彼女が不憫に思えてきた。
隊員達もそれぞれに我に返ると重い腰を上げて食堂から自室へ散っていった。
「それにしても……なんだか重苦しい雰囲気ね。何かあったの?」
サラは島田のジャージの襟をいじりながら誠達を眺めた。
「まあ……食後すぐに運動させた誰かさんのおかげでね」
アメリアは不満をぶちまけていた。
「しつこいぞ、アメリア!それに暗くなったのはアタシのせいじゃ無くて世の中のせいだ!アタシ達が逮捕した犯人も言ってたそうだぞ!全部この世の中が悪いんだってな!法術犯罪と言う今注目の犯罪を起こした人間本人の発言だ!間違いねえ!」
かなめの責任転嫁はいつもの事だった。
「都合が悪いと何でも世の中のせい……かなめちゃんは中学生?まあ、あの水島は中学校の脳から進歩しなかったような人間みたいだけど」
アメリアはそれが気に食わないのでとりあえずからかってみる。
「おい、いっぺん死ぬか?本当にいっぺん死んでみるか?アタシが中二?じゃあ、小夏を先輩として崇めなきゃいけなくなるじゃねえか。あの餓鬼を先輩と崇めるなんて死んでも嫌だね!」
にらみ合うかなめとアメリアがそこに居た。その進歩のないやりとりにカウラが大きくため息をついた。
「それにしても……アメリアの頼みで技術部の情報将校に調べてもらったんだけど……今回の事件後に情報発信を増やした個人や団体の名前が……」
サラはそう言ってジャンバーのポケットの中を漁った。
「ありがと!」
そう言うとサラが取り出した一枚のチップをアメリアは受け取ってその手にかざして見せた。
「連中に?そんな事を頼んでどうするんだ?」
唖然とするかなめを横目に笑顔のアメリアはチップ握りしめるとそのまま食堂の外へと消えた。
「アメリアの奴は何か知ってるのか?」
カウラは不安そうな表情でそうつぶやいた。
「あいつも一応は運用艦の艦長だ。政治的判断に直結するような指示を受けたときの対応策でも考えているなんじゃないのか」
カウラの言葉にかなめは煮え切らないという表情で腕を組んだ。
「法術師とそうで無いものの対立が誰の利益になるか……そんなことでも調べてるんじゃないですか?」
誠はそう言うとカウラとかなめの顔を見比べた。
「対立を煽っている奴がいる……アメリカかね?それにしちゃあずいぶんの不器用で危なっかしいやり口じゃねえか。『廃帝』ほどじゃ無くても法術師の小さな互助組織の存在はいくつか確認されているんだ。それが今回の騒動の反動で騒ぎ立てた連中にせき立てられて手でもつないでみろ。地球圏も巻き込んだ大騒動になるぞ」
かなめの言葉に誠は反論できなかった。今の状況は誰の利益にもならないように見える。だがあまりに事態は急転していた。そこに作為が無いと考えるのもまた不自然に見える。
「とりあえず後でそれとなく聞いてみるか」
そう言うとカウラが立ち上がった。
「これから聞くんですか?」
カウラの突然の言葉に誠は驚いてそう尋ねた。
「今は着替えるだけだ」
誠の言葉にそっけなく答えるとカウラも食堂を出て行った。
「この寒さで汗もかかない癖にな……」
かなめはそう言うと伸びをしてそのまま食堂の出口に向かった。
「遅刻するぞ」
「はい!」
振り返っての一言に誠も気がついてそのまま食堂を飛び出した。
「なんだか……大きな話になってきたな」
階段を駆け下りる隊員達とすれ違いながら誠はそのまま自分の部屋に飛び込んだ。すぐにジャージを脱いでTシャツとジーンズ、ジャンバーに身を包んで部屋を飛び出した。
階段を駆け下りて玄関に向かうと誠の前にすでに着替えを済ませたカウラとかなめが立っていた。
「それじゃあ行くぞ」
「え?アメリアさんは?」
あたりにアメリアの姿が見えないことを察して誠はかなめに尋ねた。
「アイツはパーラの車で先に出た」
それだけ言うと実に普通に靴を履くカウラ。かなめも気にならないというようにブーツに手を伸ばした。
「そうですか……」
釈然としない誠は彼女達に付き合うようにスニーカーを履いて立ち上がった。




