第85話 かなめ帰還
その日、誠は殺気を感じて目覚めた。時計は5時45分を指している。まだ起きるのには早い。事実、寮のほかの部屋には動きのようなものは感じられなかった。
「眠れないか……」
一月半ばの寒気が全身を覆いつくしたのでそのまま誠は起き上がった。そしてそのまま部屋の端の棚に目を向けた。
「明日だったよな……西園寺さんが帰ってくるの……西園寺さんがいないとなんか足りないんだよな……この寮も隊も」
その棚にはびっしりとアニメのヒロインのフィギュアが並んでいた。半分は誠が作ったものだったが入隊してからは作るのを止めていた。道具を実家に置いてあったという事情もある。軍の養成所の二人部屋では有機溶剤を溶かすなどと言うことはルームメイトに喧嘩を売るようなものだった。司法局実働部隊の下士官寮に移ってからはアメリア達に何度も作るように催促された。アメリアのほとんどゴミ屋敷のような溢れんばかりのモノが詰まった部屋でもその中で特別待遇で美少女系の18禁のフィギュアが大事そうに置かれているのを何度か誠も目にしたことがあった。そんなフィギュアを欲しがるアメリアに何度頼まれてもどうも気分が乗らずに今日まで手を出さずにいた。
「そろそろ作ろうかな……フィギュア。しばらくそっち方面のモノは手を付けていないもんな。今度の休日で実家に帰って道具を持ってくることにしよう。この寮は一人部屋だから人に迷惑をかけることもないし」
誠は並んだフィギュアを見てそう考えた。昨日も見たかえでの無修正動画を見てインスピレーションが沸いているのも事実だった。
「何を作るんだ?かえでのだったら射殺するからな。それ以前にそれはわいせつ物だ。そのまま県警に突き出すぞ」
突然の声に誠は飛び上がって驚いた。
「うわ!」
背中からの女性の声に誠は棚に倒れそうになるのを上手くかわしてそのまま畳に転がった。
そこには当たり前のように冬だと言うのに黒いタンクトップに茶色いショルダーホルスターを下げてダメージジーンズを履いたかなめが立っていた。
島田に鍵の修理を頼んだ島田が安くあげたいと言うことで誠から見ても誰でもすぐ空けられる鍵しかついていない誠の部屋の前にかなめが居るのは当たり前の話なのだが、なぜかその当たり前が誠には信じられない出来事に感じられて思わず涙がこぼれそうになるのを隠すように目をこするふりをしてそれを拭った。
「西園寺さん!直ったんですか?突然声なんかかけないでくださいよ!そんなにピッキング技術が自慢ならバイク部品を部屋に大量に買い込んでそれを狙う整備班の部下達から守るためにやたらと警備センサーを設置している島田先輩と泥棒技術競争でもしていてください!僕が標的になるのは迷惑なんです!」
扉の所に立っていたのはいつにも変わらないかなめだった。
「なんでアタシが島田の馬鹿の部屋に行かなきゃならねえんだ?それにアイツのバイクは全部20世紀の日本製の旧車だからそんな部品なんかアタシには興味ねえよ。それにこの身体……修理完了だ……それにしても気持ち悪りいなあ。人形見つめてニヤニヤ笑いやがって。オメエはそっち系の変態なのか?生身じゃなくって人形に発情する系の。だったら等身大の人形役をアタシが買って出るからこれからはアタシを使え!そうすればこの人工の身体の意味もあるってものだ!それにオメエの趣味とも合う。アタシながら良い提案だと思うだろ?」
かなめは部屋にずかずかと入り込むと人形をまじまじと眺めた。
「その提案をカウラさんとアメリアさんの前でも西園寺さんは言えるんですか?あの二人そんなこと言ったら間違いなくキレますよ。それに僕は自分がフィギュアをよりよく作ることが楽しいんです。西園寺さんは既に完成しているんで僕の手が入る余地が無いんで興味無いです。それに僕が何を好きだって良いじゃないですか!それより何で今の時間に?基本的に西園寺さんは遅刻ギリギリか僕が起きる直前を狙って襲撃して来るって隣の先輩が言ってましたよ。今の時間は僕がいつも起きる時間じゃないです。何しに来たんですか?」
そう言う誠だがすでにジャージに着替えてかなめの背中の後ろに立つカウラとアメリアの落ち込んだ表情でなんとなく予想がついた。二人は誠の言葉を聞くと黙っていつもの姿のかなめを指さした。
「カウラさんとアメリアさんが今の時間にジャージを着ている……カウラさんが豊川署に出向中に自主的にランニングをしているって話してましたけど、僕もランニングにでもするんですか?」
誠はかなめにそれとなく尋ねてみた。
「そう言う事だ。豊川署にいる間はしてないだろ?たるんできてもうそろそろ自主的にやろうと言う気になるだろ?アタシもオメエに気を使っているんだ。それなりの気遣いって奴だ。こんなサービスはアタシは滅多にしないんだぞ。ちゃんと感謝しろよ!」
タレ目の端をさらにたらしてにやけるかなめ。誠は大きくため息をついた。
「ごめんね誠ちゃん。止められなくて。かなめちゃんは言い出したら聞かないから。自分は走らないのに。どうせ後ろから自転車でついてきて脱落者の頭を蹴り上げるだけなんでしょ?寮の男子たちも全員叩き起こしてジャージに着替えさせて……迷惑なだけだわ」
アメリアは不満たらたらと言う表情で誠にそう言った。
「アメリアさんいいですよ。着替えますから」
誠は昨日カメラの前で平然と全裸になって大事なところを晒して見せたかえでの影響で平然とそう言ってパジャマを脱ぎだした。
「え?」
聞こえない振りのアメリアにため息をつきながら誠は箪笥をあけてジャージを取り出した。
「じゃあ食堂で!さっさと着替えろよ!オメエの精神を徹底的にたたき直してやる!今回の事件で生まれ変わったのはオメエだけじゃねえことを思い知らしてやる!新生西園寺かなめの新しい日々が始まるんだ!オメエ等も感謝しろ!」
そう言うとかなめは居座る気が満々のアメリアを引っ張って部屋の外に消えた。
「なんだかなあ……」
冬の寒さに誠は震えながら着替えた。そして先日の事件を思い出しながら着替えをした。
水島徹による連続違法法術発動事件は複雑な様相を呈し始めていた。東都でも地球伝統保守派系の野党が国民全員の法術適性検査の義務化の法案を提出していた。与党がその法案の対案として提出したものにも年齢制限などの緩和策が盛り込まれているものの義務化と言う方向性ではどちらの法案も似たり寄ったたりの内容だった。
法術師の脅威を叫ぶマスコミが連日ワイドショーに集まっては司会者を苦笑させるような暴言をタレントが吐く光景が日常になり、法術適性者の氏名発表をあたかもそれが真実だと言うように晒して回る悪意あるネットユーザーによる投稿が駆け巡っていた。元地球人の国でも遼州人と見た目だけでは区別のつかない元日本人の国の甲武では遺伝子検査で地球人以外のDNAが検出された人間の排斥を訴えた甲武国の貴族主義系月刊誌が同盟憲章に違反する行為だとして廃刊になるなど騒ぎは遼州圏全体を覆う事態となっていた。
ただ朝の誠にはとりあえず着替えを済ませることの方がそんな世の中の流れより重要なことだった。いつもの事ながら大通りから遠い住宅街の中の下士官寮の冬の朝は静かだった。着替えを済ませて顔を洗って階段を下りる。世の中がどう動こうがその動作が変わることは無かった。
なぜか食堂には多数の人の気配があった。皆暗鬱な表情でジャージを着て雑談を続けている。
「西園寺さん……なんで俺達まで。西園寺さんの我儘に振り回されるのはもううんざりですよ……逆らえば射殺するとか言うんでしょ?俺は死なないから良いんですけど、俺の部下達は撃たれると死ぬんでそういうことされると仕事が回らなくなるんですよ……分かってます?」
入り口で島田がジャージ姿で突っ立っている。隣の菰田も面倒くさそうにあくびをこらえていた。
「アタシの我儘?違うだろ?これは軍事警察官であるオメエ等の義務だ。じゃあ、オメエ等これと同じことをランの姐御が言ったらそんな不服そうな顔をするか?素直に従うだろうが。いつも姐御が言ってることを同じ寮の住人であるアタシが自主的に言って何が悪い。鍛え方が足りねえから鍛えてやろうってんだ。感謝しろよ!」
かなめは二人を眺めながら食堂の椅子にどっかりと腰を下ろしていた。厨房の中を見れば食事当番と言うことで難を逃れた肥満体型の大野と菰田とその仲間達がちらちら島田達に哀れみの視線を投げながら料理の真っ最中だった。
「なんですか……寮の全員ですか?いくらなんでもやりすぎでしょ?ああ、中庭の別棟に住んでる技術部の情報士官の人達は除外なんですね。まあ、あの人達がこんなことに付き合うわけが無いとは思うんですけど」
誠はかなめが帰ってくるなりこんな明らかに重い付きでこの夜明け直後の早朝からのランニングにつきあわされるとは思っていなかったのでただ呆然とやる気をみなぎらせているかなめを見つめるだけだった。
「これから忙しくなった時を考えたら当然だろ?法術がらみとなれば茜の法術特捜や県警の法術部隊じゃ遅すぎることは分かったんだから。今回はアタシとカウラとアメリアと神前が危ない橋を渡ったんだ。次はオメエ等の番でないという根拠がどこにある?ランの姐御はあの気まぐれな人だぞ?そんな隊の人間関係を考えた上でのアタシの提案にそんなグチャグチャ言うのは神前くらいの体力を身に着けてからにしろ!」
かなめはいつもの黒いタンクトップの上にいつの間にかダウンジャケットを羽織っていた。恐らく伴走と称して自転車で走るつもりなんだろう。彼女が走ることは誠も想像はしていなかった。
「でもかなめちゃん。それと私達の早朝強制ランニングと何か関係があるわけ?」
アメリアは相変わらず不満そうにつぶやいた。隣のカウラはかなめがマメに非番の隊員までたたき起こしたことに呆れるように静かに番茶を啜っていた。
「なんでもそうだが体力が重要だぞ。今回の事件で分かったろ?今回の事件で最終的に戦力になったのは体力に勝る神前だった。そのことがアタシに啓示を与えたんだ!だからオメエ等も付き合え!オメエ等もランの姐御にあれだけしごかれてる神前並みに鍛えればいつかは神前以上の活躍が出来るようになる!そう言うことだ!」
かなめはそう言って得意げに自分の思い付きを自慢して見せた。
「誰かはかませ犬になって蜂の巣にされたもんね……あの事件で一番役に立たなかったのはかなめちゃんじゃないの」
皮肉たっぷりにアメリアはそう言ってかなめをにらみつける。
「アメリア……死にたいか?そんなに……ああ、死にたいのか?じゃあ望みをかなえてやってもいいぞ……どんな死に方が良い?選ばせてやる。そうすれば二度と危ない橋を渡ることも無くなるからな」
かなめはそう言うとアメリアにとびかかった。
「苦しいわよ!かなめちゃん!暴力反対!」
かなめは口答えをするアメリアの首を握って振り回した。その様子に苦笑いを浮かべながら厨房から菰田が顔をのぞかせた。
「お忙しいところ申し訳ありませんが、この時間だと簡単なものしかありませんけど。豆のスープと黒パン。そしてベーコン」
菰田は明らかにカウラに向けてだけそう言った。
「そのメニュー……いつからここはヨーロッパ文化圏のゲルパルトの領土になったんだ?まるでゲルパルト料理じゃねえか。そんな材料誰が買いそろえたんだ?まあいいや、それだけありゃ十分だ。とっとと食うぞ」
かなめはそう言うと先頭に立って朝食を乗せるトレーに手を伸ばした。
「朝食!」
さっと飛び上がりアメリアがかなめからトレーを奪った。そして何事も無かったようにお玉を手にした菰田の前に立った。
「テメエ……」
かなめは反撃の機会をうかがっていたアメリアの奇襲に明らかに不満そうにそう言った。
「ぼんやりしているからでしょ?この前だって簡単に片腕斬られて腹に銃弾を受けて……」
アメリアは早速ベーコンを口に運びながらそう言った。
「オメエなら大丈夫とでも言うつもりか?オメエにもおんなじことを神前に頼んでしてもらおうか?安心しろ、隣にひよこを待機させてやる。ちゃんと元通りになるんだから安心してアタシと同じ痛みを味わえ」
箸をおいて明らかに頭に来たという表情のかなめがアメリアに反撃した。
「そこまで言うつもりは無いわよ……でも今も現にこうしてトレーを奪われたわけだし」
アメリアの言葉にかなめ言葉を飲んだ。その様子を見ながら笑顔のカウラが一番早く菰田達から朝食をトレーに受けて一番手前のテーブルに着いた。
「カウラちゃん贔屓してもらってよかったわね。まあ寮の女子では寮生に危害を加えてないのはカウラちゃんだけだっていうことは事実なんだけど」
アメリアは皮肉のつもりでそう言った。
「貴様等の日常が異常なだけだ。それより早く食べろ。ランニングをするなら食べてしばらくは動かない方が良いんだろ?その時間を考えれば早めの食事をしておくのは当然の話だ」
菰田の事は眼中に無いカウラは、平然と食を進めた。かなめとアメリアは顔を見合わせると並んでいた島田達整備班員ににらみを利かせてそのまま割り込んだ。
「神前!オメエも早く食え!カウラが言うように胃腸に問題のあるオメエには早めに消化を済ませて胃腸に休み時間を与えた方が良いのはアタシにも分かる!」
かなめの言葉に苦笑いを浮かべると誠はそのまま列に並ばされた。
「でも……ランニングから帰ってから食事の方が良いんじゃないの、ホントは」
アメリアの何気ない言葉にかなめの頬がぴくりと震えた。
「考えてなかったみたいだな……単細胞が……」
カウラは呆れたような顔をしてかなめを見つめた。
「一応俺達は生身なんで……食べてすぐに運動すると腹痛を起こすかも知れませんよ。元々胃腸には自信が無いんで」
カウラと島田の言葉が呆然と立ち尽くすかなめに止めを刺した。
「うるせえ!朝食は大事だ!後で出勤の準備の時間が無くなると困るだろ?」
相変わらずかなめの言うことは無茶苦茶だった。
「言い訳ですね……西園寺さんはいつもそうだ」
かなめの理屈をそう切って捨てると菰田はさっさと黒パンを口に投げ入れた。それを見ながらアメリアは何事も無かったかのようにカウラの隣に座って食べ始めた。
「誠ちゃん!早くしなさいよ。冷めちゃうわよ。冷めた豆のスープなんてこれをゲルパルトでしょっちゅう食べてた私に言わせると単なる炭水化物摂取サプリだから」
アメリアのちゃっかりした態度に切れそうになるかなめを見ながら誠も彼女の正面に座ってスープをすすることになった。
「なんでこんな事に……やっぱり西園寺さんが帰ってくるとこうなるのか?それともこの原因を作った僕が悪いのか?」
誠の愚痴にただカウラとアメリアは苦笑いで答えることしかできなかった。




