第77話 表面化する現実
「何でこんなことに……なんでこんなことに……あの少年は俺を見捨てないとは言ったが、あくまでそれは口約束だ。そもそもあの少年と米軍がつながってる証拠だって俺は何一つ知らされていないんだ。米軍の迎えが来るからそれまで待て?そんなことをしていたらあの日本刀を持った大男が俺を斬りに来るに決まってる。そんな時まで待っていられるか!かといってどこへ行けばいいんだ?とりあえずこの病院跡地の建物から出れば何とかなるはずだ。病院が近いということは人家も近くにあるはずだ。あの大男もさすがに衆人環視の前で日本刀を持って歩き回れば警察に捕まる。そうすれば、最初のあの少年の言っていた通り俺も警察に捕まるかも知れないが……その時はあの少年の言う通り外交官特権をあてにして留置所でじっとして取調室では完全黙秘を貫けばいい。そうすれば何も起きない。こんな恐怖の時間も無かったことになる……そう決まっているんだ……」
震えていた。水島はただ狭い書庫にしては大きすぎる棚の中で震えていた。気配の数が増えたのを感じた。警察か……それとも他の組織か……思いを巡らす度に恐怖が増幅される悪循環に思わず頭を抱えた。
『オジサン、人を疑うのも大概にしてほしいな。僕は正規のアメリカ陸軍の中尉。つまり将校だからそれなりの権限が僕にはあるんだよ。それにまるでオジサンの今までの考えたことを聞いているとまるでオジサンは何も悪いことをしていない人みたいだね。でもオジサンはしっかり警察に捕まるような悪いことをしているじゃないか。それにそもそもその悪いことをオジサンがするようなことになった原因は何だとオジサンは思っているのかな?』
再びあの忌まわしい少年のあざけるような声が水島の脳裏に刺さった。水島はそんな少年の言葉に反論しても無駄だとひたすら地上に降りる階段を探して廊下を慎重に進み続けていた。
『それはね、オジサン……あなたに力があるからですよ。力がなければあなたなんかにだーれも目なんてくれないよ。でもあなたにはそれがあった。そしてそれを使ってしまった。力があるって事はそれだけで責任が伴うものなんだよ。それを無視したから……ああ、知らなかったなんて世の中じゃ通用しないよ。いい大人なんだからそのくらい分かるでしょ?この国の法律の適応に関する原理原則の中の一つに『権利の上に眠る者はこれを保護しない』と言う不文律があるよね?法律家なら当然知っていい知識だ。オジサンは権利の上で眠っていた。だからその権利を得られなかった。もし、オジサンに力が無くってすんなり弁護士になれた時だってそう言う権利の上に眠っている人たちに営業を仕掛けてその人に訴訟などの権利行使の手段を選ばせることで報酬を得るのが弁護士の営業活動だと思うんだけど……これもオジサンに言わせれば世間を知らない子供のたわごとに聞こえるかな?』
頭の中であざ笑うようにクリタ少年の声が響いた。だが水島には今はただひたすらこの廃病院から脱出するために歩き続けることしかできなかった。
「知らなかったのがなぜ悪い!俺は知らなかった!こんな目に遭う事なんて知らなかったぞ!君だって何も言わなかったじゃないか!確かに法律を知らないがゆえに苦しんでいる人が居て、その人を救うという名目をエサにその人達を食い物にすることで飯を食っている弁護士が山ほどいるのは知っている!でもこんな奇妙で残酷な現実にまでその原理原則をあてはめるなんてただ単に性格が悪いだけの話だぞ!君はたとえ協力者として俺が米軍に入ったとしても絶対に友達になりたくはないタイプの人間だということだけはよく分かった!はっきり言って君は根本的に性格が悪い!」
誰かに聞かれるかもしれない。そんなことは今となっては関係なかった。叫ぶこと。恐怖に打ち勝つのに水島ができるただ一つの抵抗だった。
しばらくしてそんな無謀な水島の行動を窘めるような別の感覚が頭に入り込んできた。冷たい、感情が死んだような感覚だった。初めてのその感覚に水島は我に返って医務室だったらしいこの部屋の机の下へと体を滑り込ませた。
『申し訳ありません。ジョージは悪戯が過ぎましたね。確かにこの子の性格が悪いのは元になった人間の性格が根本的にねじくれ曲がっているので仕方のないことなんです。それはジョージの個性と言うことで許していただけないでしょうか?ただ、ジョージの言うことの方に理があるように私には思えます。この事態はあなたの思慮の不足と逡巡が招いたことは事実として……合衆国はあなたにはいくつか保障したいことがあります』
キャシーと名乗った女性らしい声が脳内に響いた。水島は今となってはただ静かにうなずくしかなかった。
『まずあなたの身の安全。これは我々も守らなければならない義務が生まれる可能性があります……あくまで可能性です。それが絶対的なものでない事だけはこの場でご承知おきください』
キャシーの冷たい口調が水島の脳裏をよぎる。
「可能性だって?この期に及んで何が望みなんだ?これ以上俺に何をしろって言うんだ!日本刀を抱えた大男に追われる以上の恐怖を君達は俺に与えて楽しいのか?その過程で俺が新たな力に目覚める事でも期待しているのか?そんな実験くらいアンタ等ならやりかねないな!」
叫びたくなるのを我慢しながら水島は小声でつぶやいた。無表情なまま水島の言葉の意味を反芻しているだろう少女の顔を思い出すと水島の怒りは爆発しそうになった。
『あなたが我々に今後、無条件で協力すると言う意思を示さない限りは、我々にあなたの安全を守る義務は発生しません……忘れましたか?あなたはすでに一人の人物の命を奪っていることを。他国の法を犯した者を匿うリスク。考えてみれば当然のことではありませんか?ですから、それを拒否した場合には我が国はアナタとの関係を一切断絶します。このプランに関しては我々もそれなりのコストとリスクを負っているんです。その一方の関係者であるあなたがそれを拒否するのであれば、これ以上のコストとリスクは合衆国にとっては割に合わない話になります。東和共和国と合衆国との間には国交が無いのです。ですので、交渉のパイプはきわめて細い。だから、そのパイプの使用できる提案の中にあなたの案件を入れるかどうかの選択を合衆国は常に迫られることになるのはわかりますよね?だから、その辺に関しての理解はしていただかないと困るんです』
少女の声は相変わらず事務的で冷たかった。抑揚を殺している脳内に響く声に水島は自分を罰しようとしているような少女の表情を思い浮かべて苦笑した。
確かに水島は今となってはただの人殺しだった。その人殺しを匿うのは当然国際問題に発展する可能性がある。遼州圏とアメリカには正式な国交は無い。そうなれば問題はさらにややこしいものになる。
水島には国家の間でおもちゃにされる自分の運命を悟って自虐的な笑みを浮かべる事しか出来なかった。
「確かに……それは事実だけど……不可抗力と言うか……」
水島には未だに犯罪者の自覚が欠けていた。自分は被害者だと思い込みたかった。
『不可抗力?おじさんはストレス解消に放火や器物破損を繰り返してきた犯罪者なんだよ。それをすべて帳消しにしてあげるんだから……それなりに待遇が悪くなるのも我慢しなきゃ。それにおじさんは人殺しなんだ。この事実はそれこそその使者を生き返らせる力のある神でも降臨しなければ消えないんだ。そのくらいのリスクは生き残るには必要なことなんじゃないかな?』
クリタ少年の言葉はその通りだった。それだけに水島は苦悩の表情を浮かべたまま錆の浮いた事務机の脚にしがみつく手に力を込めることくらいしかできなかった。
「分かった!なんでもする!だから助けてくれ!」
いつの間にか自分が叫んでいることに気づいて水島は口を押さえた。
確かな気配がした。それも水島の力では進入を拒む意識を持った独特の気配だった。一瞬だったとは言え忘れることなど無い。先ほどの斬殺魔の気配であることは間違いなかった。
『それじゃあ……すぐ迎えに行くと言いたいんだけど……』
危機が迫っていることは分かっていた。その上でさらに水島を怯えさせて喜んでいるような調子のクリタ少年の声が響いた。
「なんだ?何かあるのか?こちらはこれ以上ないくらいに譲歩したんだ……それに見合う待遇くらい用意してくれてもいいだろう……君達も趣味で俺を虐めている訳じゃないんだろうから」
すぐに少年があの展開した銀色の板の向こうから現れると水島は信じていた。しかしそのような現象は起きなかった。
『おじさんも分かってるでしょ?日本刀を持っている男、それにもう一人そいつをサポートしている法術師の存在。そしてさっき第三勢力が到着した……勘が良いみたいだから千要県警じゃなくて司法局実働部隊かな?ともかく僕達は表に出るわけには行かないんだよ……法術師は合衆国にとっては最後の切り札だ。タイミングを計らないとね。だから残念ながらその斬殺魔と連れの法術師を圧倒できる僕やキャシーにはオジサンを救出する許可は僕のボスからは降りそうにないよ』
クリタの言葉に水島は体が熱くなるのを感じていた。この騒動のすべての源。水島が法術適正があると言う事実がわかるきっかけを作った組織である司法局。どこまでも自分の運命を振り回すその忌まわしい組織の名前を聞いて自然と奥歯を噛みしめている。そしてそれを知らせてきた少年も少女も自分ではこの廃墟の空気を吸うつもりはないという。その事実に水島は怒りを覚えていた。
『オジサン、そんなに熱くならないでよ。こういう時は冷静に動くのが事態を打開するコツだよ。それに衛星軌道からの映像では司法局の連中はショットガンで武装しているみたいだね。場合によっては即座に射殺なんてこともあるかも……』
少年の笑顔を想像すると水島の腸は煮えたぎる思いだった。
「射殺……?」
水島は思わず絶句した。この呪われた水島の力の存在を知るきっかけを作った憎たらしい司法局実働部隊が動いている。しかもその目的の一つは自分を射殺すること。そう言われて水島の体の緊張はさらに激しくなった。
『脅しなどはするものじゃないわよ。私達の手元の情報では彼等は確かに同盟司法局実働部隊の隊員ですが、現在は千要県警に出向の身分です。東和の警察はそう簡単に犯人の射殺を行なう組織ではありません。彼等はおそらくあなたを襲った斬殺魔とその連れの法術師からあなたを保護する目的で動いていると推測されます。つまり、彼らに捕まったとしても千要県警に捕まっても結果同じです。彼らに保護されてそれを私達が合法的に引き取ると言うやり方も……』
キャシーの冷静な判断が逆に水島を苦しめた。
「止めてくれ!警察なんか……警察なんか……それ以前に司法局なんかに……」
立ち上がるとそのまま薄暗い部屋を飛び出した。水島はその行動の意味を自分でもよく分からなかった。動けば殺される。そんな思いで扉の中に隠れていた自分。だが動き出したい衝動に駆られるとその本能のままに立ち上がり走り出していた。
『おいおい、おじさん大丈夫なのかな?下手に動いて斬殺魔の方に殺されないでほしいな。そうなると僕の苦労がすべて水の泡だ』
水島が苦しみあがくことを楽しんでいるようなクリタ少年の声が頭の中で響いた。だが水島はそのまま腐った鉄筋がむき出しの廊下の壁に沿って走り出す以外のことはできなかった。
「死んでたまるか……死んでたまるか……」
そうつぶやきながら階段を駆け下りたところで背後に気配を感じて水島は振り返った。




