第74話 遅すぎた非常線
水島のアパートまであと少しというところだった。急に狭くなった道の押しボタン式信号の前で信号待ちのためにカウラは車を止めた。
その瞬間、かなめは運転席のカウラの肩を叩き緊張した面持ちで目をつぶって頭の中のネット情報に集中していた。その様子から状況に何か動きがあったことは手にした鮮やかな青に塗られたショットガンを手にしていた誠にもすぐに分かった。助手席のアメリアも振り返りかなめをその糸目で見つめている。
「おい、西園寺……何かあったのか?その角を曲がれば水島のアパートだ。何かあればこの距離からなら分かるはずだ。そんな気配は何もないぞ」
カウラは後ろの席のかなめに声をかけた。右足を車の後部座席に突っ込んだままかなめは右手を耳に当ててじっと動かないでいた。それは彼女の脳の中に埋め込まれた通信端末にアクセスしている時の彼女らしい態度だった。
「西園寺さん……とりあえず僕は法術反応を……少し感じるような……感じないような……たぶん法術師は居ないと思いますけど、もし居るのなら僕よりかなり格上の相手です。僕じゃあ、役に立たないんで救援を呼びましょうよ。日野少佐かクバルカ中佐クラスなら相手の動きを掴めると思います」
心配して声を掛けた誠の顔面にかなめの右ストレートが炸裂した。そのまま誠の体はアメリアの頭のある助手席の背もたれに激突した。そしてすぐに苦々しげな笑みがかなめの顔に浮かんだ。
「神前!アタシ等の切り札のオメエがそんな気弱でどうする!それより状況が動いた!どこかの馬鹿野郎が水島のアパートにカチコミをかけやがった。カウラ!豊川署の警邏課に巡回車両の所在を確認してみろ!その角を曲がった路地にはもうパトカーが止まってるはずだ!騒ぎを聞きつけて駆けつけた警邏巡回の警官二名が斬りつけられていま豊川署に救援を呼んだところだ!どこかからラーナの情報が水漏れしてたみてえだな……漏れるとしたら県警か?県警内部にも外部と繋がってる犬が居るってことなんだな……」
かなめの言葉に誠は『自分は戦闘の役に立つ法術は持ってないっすから』と茜と『特殊な部隊』との連絡先を買って出てあの元用具入れのかび臭い部屋に残ったラーナの事を思い出していた。
「後手を踏んだか……で?それ以外の情報は何かわからないのか?」
いつもなら車が傷つくと文句を言うカウラだが冷静に後部座席のかなめに振り向いて尋ねる。隣ではアメリアがすでに端末を取り出して検索を掛けていた。
「今死にかけてる駆けつけた警官が豊川署に連絡してきた内容によると出てきて斬りつけてきたのはダンビラ片手の大男だそうだ。防弾ベスト越しに二太刀浴びせた後は忽然と銀色の円盤の中に消えたそうだ……そりゃあ干渉空間だな。やられたよ。もうすぐ救援のパトカーのサイレンと救急車のサイレンが聞こえてきて集まった県警のパトカーに埋め尽くされて、この道はこの車じゃ動けない状態になるぞ。大男以外は誰も居なかったとその死にかけた警官は署に報告を入れてるから、水島はそいつ等とは別の勢力の連中に救助か拉致をされたな……すべては遅かったということだ。今からかえでを呼んでももう手遅れだ」
かなめはそう言うと制服のポケットに手を伸ばしてタバコを取り出したがさすがにそれを許すほどカウラは寛容ではなかった。睨み付けられるといつもの卑屈な笑みを浮かべてかなめはタバコを仕舞った。
「そうね、私の端末にもかなめちゃんの言ってる緊急招集が来ているもの。今は豊川署はその連絡でハチの巣を叩いたような大騒ぎみたい。必死になってこの周りを巡回していたパトカーや署から増員を出して非常線を張ってるみたいだけど……空間跳躍をする相手に主要道路に非常線なんて何をやっているのやら……そんなもの距離の概念を持たない法術師相手には何の障害物にもならないっていうのにね。それにしても先を越されたわけね……どうするの?」
助手席で携帯端末の検索結果から視線を離したアメリアの目がカウラに向かった。誠はただ黙って指揮官の表情のカウラを眺めていた。
「西園寺。他に死者や怪我人は出ているのか?警官二人だけか?市民にけが人は?」
カウラはより詳細な情報を得ようとかなめに尋ねた。
「怪我したのは警官だけ。斬り付けられた時に警官が悲鳴を上げてそれに驚いて飛び出した近くの住人がいるそうだが……その大男の顔とかを見る余裕も無かったらしい。単独犯かどうかも定かでは無いみたいだな。ただ、あまりに見事な消えっぷりから考えて最初から干渉空間を展開できる法術師がもう一人同行していると考えるのが自然だ。おい、神前。さっき自分より格上の相手だと言ったな?だったらオメエは無能なのか?アタシはそうは思わねえがな。オメエでもやれるもう一度法術の残滓を探ってみろ。オメエなら出来る」
現段階では分かるのはそれがすべて。かなめはそんな顔でそう言った。
「わかりました……やはり……少し感じます。ただ、その大男が消えたタイミングの前にもっと大きな反応が同じ場所からするんですよ。それがこれまでクバルカ中佐の反応が僕たちの捜査を邪魔していたような感じで……二つの異質な波動が混じり合わさって正確にその干渉空間で飛んだ場所とかが特定できないんです……申し訳ありません」
かなめに信じていると言われて再度力を集中させた誠だが、微妙な時間差で二つの大きな自分より確実に格上の法術師の法術が展開された気配がまじりあう様に焦るばかりで正確にその力の方向を掴むことが出来ずにいた。
「誠ちゃん、あんまり力を使いすぎないでね。これからその誠ちゃんより格上の法術師相手に私達はやりあうことになりそうなんだから。それよりカウラちゃん。どうするの?今回は全部県警に事件を丸投げしていったん撤退する?そしていっそのことのんびりと怪我をしたおまわりさんの回復まで待ちましょうか?私としてはそれは面白くないわね。ものすごく不愉快」
アメリアの言葉とは裏腹の糸目に浮かぶ笑みが誠には重く感じられた。明らかにカウラを挑発しているような雰囲気のその言葉がカウラに迅速な行動を強制していることだけは確かだった。誠はそんな彼女を一瞥した後あごに右手の親指を当てて考え込んでいるカウラに視線を移した。
「例の『同盟厚生局違法法術研究事件』で志村三郎を斬った人斬りかどうかは分からないが、警官相手に冷静に刀を振えるそういうことに慣れた人物だ。それに大男の仕業かどうかは別として干渉空間を展開できるだけのもう一人の法術師が動いている。ターゲットが留守だと言うのに行われた騒ぎだとしたらとてつもない馬鹿だったと言うことだが……そんな馬鹿が今まで警察の捜査網に引っかからないで闊歩しているとは考えにくいな。間違いなくその直前までは水島は部屋にいた。そして神前が言うようにその前に水島の部屋に居たという大きな力を持った別の法術師が水島をどこかへ連れ去った。だからその刀を持った大男は手ぶらで警官に斬りつけてそのまま干渉空間に消えた。恐らくは大きな力を持った法術師が敵対する大男から水島の身柄を保護した……いや、奪い取ったと考えるべきだな。大男はおそらくその最初にいた法術師を追って干渉空間に消えた。だとすると……我々はどう動くべきか……」
カウラの推察にアメリアは同感というようにうなずいた。
「恐らく警官に切りつけた大男は水島とは顔を合わせたがそれ以前に水島に会っていた法術師のせいで逃げられた……斬殺魔以外にも水島さんとやらに接触している勢力があるわけね……しかも恐らくこちらも干渉空間を展開できる手練れ付き。厄介なことになりそうじゃないの……いっそのこと出直す?でもそれじゃあこれまで私達のしてきたことは全部無駄になる。いいえ、その大男にとっては逆にこれ以上ないプレゼントを私達はしてあげたことになったのかもしれない。そんな無駄な仕事をしていただなんて扱いは私は御免だわ」
そう言うとアメリアはそのまま助手席の扉を開けてカウラの『スカイラインGTR』の後ろに回りこんだ。カウラはそれを見てトランクの鍵を開ける。開いたトランクに上半身を突っ込んだアメリアはそのまま鮮やかなオレンジ色に染められたショットガンを取り出した。そしてそのまま車中にショットガンを突き出してきた。夕闇の中、あまり車の通りの多くない大通りの中央で銃の受け渡しをしている姿は極めて目立つものだった。誠がなんとか銃を受け取りながら周りを見るといつの間にか何人かの通行人が珍しそうに歩道で立ち止まっているのが見える。アメリアが東都警察の制服を着ていなかったら通報されていたかもしれない。
「かなめちゃん。ラーナちゃんに連絡つく?この街中のアストラルゲージの反応の再チェックをお願いして。たぶんランちゃんは機動部隊の詰め所から出ていないと思うからいつもみたいにフィルターを掛ける手間も掛からないでしょうからすぐに水島の飛ばされた場所は特定できると思うわよ。誠ちゃんがかえでちゃんで十分程度の法術師だというんだから恐らくとっさに干渉空間で跳べる範囲なんて限られている。恐らくこの豊川市から出るほどの距離とは思いにくいわ。そうなれば出口での反応をアストラルゲージの反応で掴めるかも」
アメリアは何か思いついたように用具入れで留守番をしているラーナの事をカウラに話した。
「それに例の警邏隊に仕掛けたアストラルセンサーか?頼りになるかねえ。確かにランの姐御は今勤務時間中だから隊から出てねえのは間違いないからラーナの仕事の邪魔はしねえだろうがな」
かなめはアメリアの思い付きを先回りして否定して見せた。
「他に手段が無い。西園寺、ここで終わりと言うわけでは無いんだ。そのことだけは覚えておけ」
渋るかなめを一瞥した後、アメリアから銃を受け取ってそのままダッシュボードを開けた。中にはオレンジ色の紙箱が入っていた。カウラはそれを躊躇無く開け、中から取り出した低殺傷性弾薬を薬室に装填した。
「誠ちゃんも」
助手席に戻ったアメリアから低殺傷弾薬を受け取った誠もまねをして初弾を装填した。かなめも同じく銃を手にしてにんまりと笑いながら弾薬を装填し始めた。
「どこまで干渉空間を使っての転移ができるかはわからないが……突然の襲撃を受けてとなればそう遠くには飛べないはずだ。上手くいけば、すでにある固定式のアストラルゲージや警邏隊のアストラルゲージに動きが見られるはずだ」
カウラは今回の襲撃が水島を跳ばした勢力の予想していたものでは無いと考えているようだった。
「あくまで希望的な推測だと言うわけね。こんなところで例の機械しかあてにならないとは……情けなくなってくるわね」
カウラの推測を聞くとアメリアは自分の銃を手にして初弾を装填した。
「まあ無駄口を叩いてもむなしいだけね。ここは人事を尽くしたんだから後は天命を待ちましょう」
アメリアの言葉に誠達は大きくうなずいた。




