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遼州戦記 司法局実働部隊の戦い 別名『特殊な部隊』と低殺傷兵器  作者: 橋本 直
第三十七章 『特殊な部隊』と屈辱の選択

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第72話 選択肢のない選択

「まだ……決心は付かないのかな?僕たちもいい加減待ちくたびれたよ」 

挿絵(By みてみん)

 水島の部屋には昨日必要を感じて買った真新しいちゃぶ台があった。あの墓場のような湾岸地区のアパートを後にしたときにすべての家具は処分した。新しい生活が始まる。そう確信していた。水島にとってそれはまさに再出発のはずだった。


 だが目の前で頬杖を付く少年を見ているとそれがいかに浅はかな考えだったのか思い知らされてきた。再出発なんてできるわけがない。過去のない人間なんていないのだから。過去とのつながり、過去との折り合いを付けることを放棄したときから今の脅迫めいた目つきをする恐ろしい餓鬼の瞳を目にする運命にあった。そう思ってみたところで急須を持つ手の震えを止めることなどできない。それが今の水島に突きつけられた残酷過ぎて耐えられない現実だった。


 水島を苛立たせる嫌な目つきのクリタ少年の隣では例のキャシーと名乗る少女が目をつぶってじっと俯いていた。今日は玄関から来た二人が当然のようにこの水島の住処にたどり着いて腰を据えてからずっと彼女は同じ姿勢を保っていた。


「そちらのお嬢さんは……何を?」


 他に言うべき言葉が見つからずに吐きだした水島の言葉が届いたのか、ようやくキャシーは顔を上げた。だがその目は浮ついていて水島を見ているとは思えない。 


「せっかくお茶を入れていただいたんですもの。ご馳走になりますね」 


 相変わらず長い金髪を揺らしながら静かに湯飲みに手を伸ばした。クリタ少年はそれを見てもまだ目の前の湯飲みには関心が無いというようにキャシーを見つめる水島の観察を続けていた。


 二人の能力をサーチすれば逃げ出すことはできるかもしれない。だが、一体どこに逃げればいいのか?水島には分からなかった。恐らくサーチを始めた段階で気づかれて、今は少なくとも水島に敵意を持っていない二人の同類を敵に回すことになる。それから先にできることと言えば身の安全の為に警察署に自首する位のことだろう。


 そんな水島の動揺を見透かしたようにクリタ少年は満足げな笑みを浮かべた。目の前で湯気を立てる自分のための茶を断る理由はないというように手を伸ばし当然のように音を立てて啜り込んだ。

挿絵(By みてみん)

「そう言えば……もうそろそろ僕のくれてやった情報を千要県警も掴む頃だよ……連中も地球圏の力を借りないと何もできないなんて……遼州同盟なんて所詮形骸だね」 


 少年の言葉を聞くと水島は手にしていた急須を取り落とした。ちゃぶ台から転がり落ちた急須はそのまま畳の上にひっくり返り残った茶をあたりにまき散らす。立ち上る湯気、しばらく言葉の意味が分からずに空転していた水島の頭の中にはっきりと『くれてやった』という言葉が刻み込まれた。


 水島は少年を睨み付けた。クリタ少年は表情を変えることなく水島を見つめている。悪事がばれた子供でさえもう少し悪気を感じた目の色をしているものだ。


「お……大人をからかうもんじゃないよ……俺の情報を……県警にくれてやった?子供のいたずらで動くほどこの国の警察は無能じゃないよ」


 水島は自分の喉が動揺で震えているのを感じながらどうにか言葉の体をなしたというような音を口から出した。それでもクリタ少年の表情は笑みで埋め尽くされたまま変わることがない。


「からかってなんかいないさ。むしろ文句を言いたいのはこちらの方なんだから。おいたはするなってあれほど念押ししていたのに……事件を次々と起こしちゃってさ……僕が言った練習は人畜無害な現象を起こせと言う意味であって放火とか……ましてや死人が出るような事件を起こせなんて僕は一度も言った覚えはないよ。それに東和の警察はそれなりに優秀だと言うことは何度も言って聞かせたよね?もしかしておじさんはその部分だけは聞き逃したと言い逃れでもするつもりなのかな?」 


 クリタ少年はそう言うと静かに湯飲みをちゃぶ台に置いた。


 そしてその瞳が上目がちに水島を捉えた。その虚ろな姿。恐怖というもの、それまで考えていた恐怖というものの具体的な形を初めて見た水島はただ動けずに座り込んでいた。


「ことが器物破損で済んでいたのなら僕たちはいくらでも待つことは出来たんだ。放火を始めたあたりから僕たちも次第にイライラし始めた。そして死者が出た段階で僕のボスは僕に文句を言い始めたんだ。つまりね、おじさんにも分かるような易しい言葉で言うと僕たちはこれ以上は我々は待てないってことだよ……分かったかい?お馬鹿さん♪」 


 少年から聞くとは思えない言葉が部屋に響いた。水島は再び意識して少年を見たがそこには見慣れてきた単純に事態を楽しんでいる少年らしい笑顔があった。それでも先ほどの少年の顔に浮かんだ恫喝の視線は水島の脳裏から離れることは無かった。うなずくこともしゃべることもできずにただズボンの膝のあたりに染みこむお湯の温度だけを感じていた。


「どうやら水島さんは私達と来る気は無いみたいね。まあ、国際交渉で警察経由で水島さんの身柄を合衆国が手に入れることも可能ですが……その時は犯罪者としての待遇になりますがよろしいですか?その際は以前ジョージが言っていたような人権のある環境での協力ということではなく、合衆国の国民ではない異星の生物に行うのと同じ境遇があなたを待ち受けていることになりますが、そちらをお選びになると言うことであればそれも仕方がありません」 


 ぽつりとキャシーがつぶやいた。水島は必死になって首を振ろうとするが金縛りにあったように体は言うことを聞かない。 


「キャシーそんなことを言ったらおじさんも僕たちを極悪人の集団だと勘違いしちゃうかもしれないよ。僕はそうはなりたくないね。だから、それならあと三時間くらいこの部屋で過ごすと良いよ。その時間がオジサンに与えられた僕たちの慈悲にあふれた選択の権利の時間だ。ただ、それだけ待てば千要警察も重い腰を上げるだろうからね。それとも動くのは司法局実働部隊かな?まあどちらでもいい話なんだけどね、僕にとっては。僕にとってはどちらでも結果は同じだけど、おじさんにとっては合衆国で過ごす時の待遇がかなり変わってくるんだ。例えば朝食が僕やキャシーが食べているすがすがしい朝にふさわしい料理と呼べるものが運ばれてくることになるか……どう見ても豚の餌にしか見えないもので栄養の摂取して健康を維持することを強制されることになるか。おじさんはどちらを選びたいのかな?」 


 何とか金縛りを解こうと力を入れた拍子に水島のだぶついた腹がちゃぶ台にぶつかって揺れた。その弾みで少しこぼれたクリタ少年の目の前の茶色い湯飲みが揺れた。それをハンカチでぬぐいながら手に取るクリタ少年はどこまでのその見た目通りの12歳くらいの少年だった。


 思えば彼が米軍と関係する組織の人間だと言うことは彼自身の言葉以外に証明するものは何もなかった。その言葉にはどことなく信用できない雰囲気がまとわり付いていると水島は思いたかった。隣の少女も多少クリタ少年よりは分別がありそうには見えるが彼女から有益な情報が聞き出せると言う気配はまるでない。事実、今も再び目をつぶって俯いて水島が言葉をかけたとしても返事をしてもらえるかどうかすら定かではない。


「……違法法術行使は懲役2年だね……これまでの起訴事件は三件。その中ですでに判決が出た一件は法術に対する使用者の軽い思い違いがあったということで執行猶予の判決だったはず……」


 とりあえず沈黙に耐えきれずに水島は聞きかじった知識を口に出してみた。だが少年の笑みは崩れることは無い。それどころかそう水島が言い出すに違いないと読んでいたと言うように満足げにうなずいてさえいる。 


「それはまた……ずいぶん希望的な見方をなさっているようですわね。確かに私もその話は聞いています。駐車場に止めてあった車のタイヤをバーストさせたおじいさんが被告だった話ですわよね、その事件は」


 珍しく少女が口を開く。水島は驚きとともに少女を見つめた。はっきりとその青い瞳は水島を見据えていた。反論は何もない。事件の詳細については水島も少女の口から初めて聞いたくらいだった。


 少女はそのまま湯飲みの中に視線を落とした。沈黙の後、静かに茶を口に含む。


「確かに俺の場合とは違うね……俺の起こした事件では死者が出ているから」


 水島は流れる冷や汗を拭いながらそう言った。 

挿絵(By みてみん)

「ご存知ならいいんです。なら迷うことは無いと思うのですが……自由な協力者として合衆国にたどり着くか、犯罪人として自由も無く合衆国に連れてこられるか。あなたには選ぶ権利が有ります」 


 そう言うと少女は珍しくちゃぶ台の中央に置かれたみかんに手を伸ばした。水島はただひたすら反論の材料を頭の中から引き出そうとした。


「それなら……実験材料や戦争の小道具に使われるなら……牢屋の中のほうがずっとすごしやすいと思うんだけどな」


 水島の苦し紛れの一言しか出なかった。少女は剥いたみかんの袋を一つ手に取ると口に放り込んだ。クリタ少年は動揺する水島の様子が本当に面白いと言うように相変わらず頬杖をついて笑っていた。 


「それも甘いですね。あなたの犯罪については同盟司法局が動いています。その中でも同盟司法局実働部隊は名前の通り遼州同盟の攻撃的な司法執行機関です。しかも『シュツルム・パンツァー』と言う破壊を前提とした兵器を所持する準軍事組織。当然その攻撃性も極めて高いのですよ」


 キャシーは相変わらず表情も変えずにそう言った。 


「だから何が言いたい……」 


 水島にはそう言い返すことが精いっぱいだった。


「言いたいことがあるのはおじさんの方じゃないの?僕が見る限り今のおじさんはそんな顔をしているよ」 


 クリタ少年はそう言うと顔を上げた。そのまま背筋を伸ばしてじっと水島を見つめてきた。


「自分の能力はどんなものなのか?警察はそれをどう見ているのか?同盟司法局は?そして僕らは?こんな話を聞いてそれに包み隠さず応えてくれる相手なんてそうはいないと思うんだけど。僕たちと一緒に来てくれるのならばそのすべて……いや、おじさんにも見えていないその裏側でどんな組織や国家がおじさんの身柄をめぐって骨肉の争いを繰り広げてきたかという事実をおじさんは知ることができる。勉強好きなおじさんには悪い話じゃないと思うんだけどな」 


 確かにその通りだと水島は思っていた。自分の経験など法術と言う奇妙な存在がこの国で知られるようになってからはまるで役に立たない。


 会社を解雇され、住む場所を失って居場所を探すのにも苦労して、そしてこうして目的を見つけたとしてもそこには悪意に満ちた会いたくも無い化け物達が待ち構えている。


「それなら俺は……どうしたら良いんだね?」 

挿絵(By みてみん)

 ようやく搾り出した言葉にクリタ少年はうれしそうな表情を作った。


「ようやく分かってくれたんだね。それが一番賢明な最上の選択だと僕には思えるよ。きっと神もその選択を祝福してくれるはずだ。じゃあ……少し待っててくれるかな。早速迎えのものをよこす準備をするから」 


 そう言うとクリタ少年は湯飲みを置いて立ち上がった。金髪の少女もまた仕方がないというような表情を浮かべて立ち上がった。そしてクリタ少年は背後の何もない空間に銀色の板を展開させた。少年たちはそれを『干渉空間』と呼ぶんだと言っていた。その空間は空間制御系法術師が展開できる能力だという説明はクリタ少年から以前受けていた。その板は少年の意識によるコントロールでどんな場所ともつなげることができる。この家に突然現われる少年の行動で水島はその事実を思い知らされていた。


「とりあえず僕のボスに話をつけてくるから。安心して待っていてくれても良いよ。それと県警や司法局が来たら抵抗しないでそのまま捕縛されても構わないんだ」


 クリタ少年は笑いながらそう言った。 


「逮捕されろと?本当に大丈夫なんだね?」 


 弱みを握られたような表情で水島は干渉空間に消えようとするクリタに声をかける。


「なに、外交官特権でどうにでもできるからさ。数日留置所でくさい飯を食べていれば晴れて自由の身さ。その帰りに合衆国の連絡事務所ではおじさんを歓迎するための最高の食事を用意するようにボスにも僕からお願いしておいてあげるよ。きっと僕のボスも賛成してくれるはずだよ。合衆国は協力的な人物を裏切るような真似はしない……それにより今の地球圏での絶対的な地位があるんだから」 


 水島にも国交のないアメリカがこの国にどんな圧力をかけるかの想像はついた。


「豪華なディナーで俺を懐柔したつもりか?しかもその先に待っているのが自由……?ふざけたことを。実験動物の間違いだろ?」 


 つい本音を水島がこぼしたのを見ると金髪の少女が初めて見るような素敵な笑みを浮かべた。


「人の善意を疑うのはおじさんの悪い癖だね。そこは僕みたいな子供にでも分かる短所だ。直した方が良いよ……それじゃあね♪」 


 クリタ少年の言葉とともに干渉空間は消滅して何も無い部屋に戻った。


「ふざけた話……と言ってしまえばそれまでだけど、あの少年の言うことを信じる以外に俺の道が残されていないのは事実なんだよな。そうさ、俺はこの国に捨てられた存在だ。だったら食べる為なら何でもするさ。この国が俺を必要としていないなら俺を必要とする悪魔にでも魂を売ってやるよ……それが生きるってことなんだろ?この国も警察も会社も通行人の一人まで俺には手を差し伸べようともしなかった。だったら俺の力をアメリカが研究し尽くしてその結果そいつ等がどうなろうが俺の知ったことじゃない」 


 水島は思わずそうつぶやいていた。


 もう法に救われる未来など水島には想像できなかった。

挿絵(By みてみん)

 そしてそのまま自分の注いだままで冷めている茶をゆっくりと飲み干して立ち上がると手にして行政訴訟の判例集のノートを思い切りよく引き裂いた。



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