第71話 些細に過ぎるきっかけ
「まだかよ。もう定時だぞ。東都警察や県警の薄ノロ共に付き合う必要なんかねえんだよ。そもそもアイツ等本気でアタシ等が渡したデータのチェックとかしてるのか?してたとしてもアタシ等にその情報が降りて来るのか?いっそのこと島田に連絡入れてまたあの技術部の情報士官たちを脅してその辺の裏を取れよ。そんじゃなきゃアタシが今ここにいる意味がねえ可能性もある。そうなったらここでは残業手当が出る神前とラーナ以外は全員タダ働きだ。そんな損ばかりの仕事なんてアタシはしたくねえ!」
定時まで30分。かなめは大きく伸びをした。誠は呆れてつい目をかなめに向ける。そのかなめが声をかけたカウラは警邏隊から送られてくるアストラルゲージの波だけが映る画面から目を放そうとしない。彼女も一応は小隊の隊長である。無駄かもしれなくても仕事の真似事くらいはかなめの前ではしなければならない。
「オメエ等アタシの話を聞いてるのか?アタシの言うことに何か間違いがあったか?東都警察の連中が考えそうなことを的確に指摘しただけだぞ。もし連中のデータ照合作業が終わってねえって言うのならそれで良いや。あの人死にが出た事件以来、あの人の褌で相撲を取るのが好きな法術師は大人しくしている。つまりどうせ何も起きねえんだ。とっとと帰ろうぜ。ここにいるだけ時間の無駄だ。着替え時間も勤務時間に入るって最新の労働関連の裁判判例にもちゃんと書いてあるぞ?だったらのんびり30分かけてゆっくり着替えをすればいい。簡単な話じゃねえか」
かなめは完全に待つという状況に耐えきれないようで、ネットに接続して最新の労働判例まで持ち出して一同を説得しようとした。
「まだ30分前だ。それまでは勤務の義務がある。着替えを引き延ばすなんて論外だ。そんな異常な行動をその労働判例は予想していたのか?違うだろ?ならば椅子に座ってじっとしていろ」
かなめのしつこさに耐えかねたというようにカウラが吐き捨てるようにつぶやいた。
「それじゃねえよ。ちゃんと水島を引っ張れる証拠は見つかったのかって言うことだよ。県警の連中自分達でパクるつもりでアタシ等に黙ってるんじゃねえのか?アイツ等がアタシ等に黙って勝手に動くなんて考えたことはねえのかよ、カウラ。だから、その対抗策としてアタシも島田の部下のあの情報士官たちをこき使ってその裏を取れって言う対抗手段を提案しているじゃねえか。それくらいのことをしねえとアイツ等がアタシを出し抜かねえなんて言う保証がどこにあるんだよ!ただでさえ、うちは島田やかえでやリンがこの豊川署で迷惑をかけた上にそれを揉み消しに来たランの姐御が大暴れして県警から目を付けられているんだ。その恨みを今日晴らそうとしていねえなんて保証がどこにあるんだ?」
そう言うと答えを期待していないというようにかなめは大きく身をそらして伸びをする。アメリアもラーナもいつものこのかなめの気まぐれな言動にため息を漏らした。
「かなめちゃん。そう簡単に証拠が挙がるなら誰も苦労はしないわよ。それに県警が法術師に対抗できないのは自覚してるんじゃないの?法術師を彼らが過剰に恐れていることは最初にこの一連の事件の舞台がこの豊川に移った時の過剰反応を思い出せばすぐわかることじゃないの。あんな反応をする県警が死人すら出るようなことを平気でする犯人に自分達だけで逮捕に向かうと思う?私は県警本部長にそんな度胸があるとは思えないわね。そうなったらこの事件がいち早く終わるのを見たいと言うことで結果が出たらすぐに私たちに送ってよこすわよ。まあ、私たちを盾にしてうんざりするほどの数の機動隊員を動員して来るかどうかまでは私も分からないけど。だからわざわざ島田君に貸を作って技術部の情報士官なんて動員する必要なんてないの。県警だって今回の犯人が、これまでの法術犯罪者とは明らかに違うタイプだってことくらい分かってるわよ。だから、それを逃がさないために面子がつぶれるのは覚悟してうちに連絡を入れて来るわ。そうなったら私達の出番よ。その時はかなめちゃんも好きなだけ銃を撃っていいから。それならかなめちゃんも納得できるでしょ?」
かなめの性格を知り抜いているアメリアはとりあえずかなめは銃を撃てればそれで良いということが分かっているので、そう言ってかなめをなだめようとした。
「そりゃあそうだけどさあ……でもその銃があの中途半端な威力しかねえショットガンだろ?確かに相手は死なねえから撃ち放題だが、装弾数が5発でしかも威力が中途半端……そんなんでアタシが満足すると思ってるのか?アメリアは人を舐めてるだろ?見下してるだろ?」
今度はかなめは左肩に手を当ててぐるぐると回す。要するにかなめは退屈なのだ。誠は思わず単純で分かりやすいかなめの行動を微笑みながら眺めることにした。
「サイボーグが準備運動か?ご苦労なことだ。そんな事をしてもあのショットガンの威力が増す訳ではない。いつも言ってるじゃないか。貴様は動けば動くほど生体部品が消耗するって。それならば今の行動もタダの無駄なことだな。そんな無駄なことをする人間の言葉に耳を貸す必要性を私は感じない」
重量のある義体の重さに耐えかねてぎしぎし言う椅子の音が気になったカウラの一言が重く響いた。かなめもその音を無駄に出しているという自覚はあるらしく回していた腕を止めて机に突っ伏せた。
「うるせえなあ……別にいいだろ!する事ねえんだから!それにこの身体はアタシの自前だ!アタシがどう使おうとアタシの勝手だ!パチンコ依存症にどうこう言われる筋合いは一つもねえ!」
かなめはそう言うと仕方がないというようにどっかりと自分の椅子に腰かけた。
しばらくそのままで時が流れた。だがかなめの退屈がどうにかなるわけではない。
「しかし、暇だ。とりあえずタバコ吸ってくるわ。その方がここにいるよりよっぽど生産的だ」
退屈に耐えかねたかなめはそう言って席を立つた。
「はいはい!行ってらっしゃい!二度と帰ってこなくていいわよ。かなめちゃんの読みだと今日もデータは降りてこないんでしょ?だったら私達にすることは無いんだから好きなだけ吸っていらっしゃい」
投げやりなアメリアの言葉にかなめはそのまま席を立とうとした。ここまでは、いつもの光景だった。
だがその時突然ラーナが立ち上がった。
ラーナのその満面の笑みにそれまで仏頂面でくわえていたタバコを落としたかなめを見て誠は何かが起きたことを実感した。
「取れたっす!取れたっすよ!ついに取れたっす!これで間違いないっすよ!これで動けるっす!」
誠より二つ年下とは思えないほど落ち着いているラーナの歓喜の声に一気に部屋の緊張が高まった。
「なんだ?何が取れたんだ?そんなに急に叫んだって何にも起きねえぞ」
まるで子供のようにモニターを指差すラーナにたばこの箱を手に落としたタバコを拾い上げるかなめが驚いて声を掛ける。その表情が眠そうな気配を一気に消し飛ばしてシリアスなものに変わると部屋の空気が一変した。
「元旦の東宮神社の放火!目撃証言が取れたんすよ!確かにその時に水島は現場にいたそうっす!繋がったっす!あの水島が今回の事件の犯人と考える十分な証拠が取れたっすよ!」
そばかすの目立つ顔を輝かせてラーナは誠達を見回した。
「一件だけか?偶然と言われたらおしまいだぞ?ラーナ、興奮するのもいい加減にしろ。茜警部には一回程度の偶然など容疑者に言い逃れがいくらでもできると言われていないのか?私が容疑者ならただの偶然だと言い張ればそれで終わると考える」
待ちかねていた事実だがカウラはまだ冷静を装っていた。だがラーナの言葉は続く。
「それだけじゃ無いんす!豊川市での最初の自転車の転倒事件の現場、次の北川町でのぼや騒ぎ、そして駅前の殺傷事件の現場でも……カウラさん!これでも騒ぎ過ぎって言うんっすか?これだけの事件に偶然水島が居ましたなんて考える方がどうかしてるっすよ!これは決定的証拠っす!確実にこれを理由に裁判所の令状が取れるっすよ!」
ラーナは興奮気味に一同に向けてそう叫んだ。
「その証言どこから出てきたのよ?それだけ証拠が揃ってればとっくの昔に東都警察が動いてるでしょ?あの連中なら元旦の一件を理由に身柄を抑えてから千要県警を顎で使って残りの目撃証言を集めるなんて言うのはやりかねないもの。でも、そんな法的には問題ないけど倫理的にはアウトな捜査方法を得意とする東都警察が動いたなんて連絡は私に入っていないわよ。一応、ここの責任者でこの事件担当は私達ってことになってるんだから。東都県警がその管轄外の千要県警の管轄地で犯人逮捕ってことになればそれなりの話が私の所に来るのが普通よ」
アメリアのたしなめる声もラーナの笑みを止めることはできない。
ただ、こんな場面でこう言った情報をもたらす当てがないわけでは無いことは皆が分かっていた。
一つは、『特殊な部隊』と並ぶ攻勢の司法局の誇る特殊部隊である嵯峨とは腐れ縁の女性安城秀美少佐率いる公安機動隊。彼等は常に通常の武装集団の情報収集先制攻撃を得意とするサイボーグばかりで構成された機動部隊だったが、嵯峨が一声かければ安城がその情報収集活動の一つに今回の事件を当てていた可能性がある。
そして司法局の正規の調査機関である司法局治安管理部東和分室にとっては東和警察に対する調査活動の能力向上を目的として設置されている組織だが、こちらは司法局発足の際に東和警察のエース級の捜査官が多数在籍しており、まさにその一人であり今は法術特捜の主席捜査官である茜にとってはその捜査官のすべてが公私ともに付き合いのある相棒と言える捜査官ばかりだった。
どちらもその捜査能力は東和の警察を遥かに凌駕している。そのことを考えればラーナの喜びの言葉に裏付けが無いわけが無かった。
「同盟司法局法術特捜を舐めてもらっては困るっす!この情報は司法局の独自捜査で東都警察も千要県警も知っちゃいねえっす!情報ソースは秘匿事項なので明かせませんが目撃者の身元は確かっす。裁判での証言の約束も取れるっす」
ラーナは得意げに胸を張った。カウラとアメリアはただ呆然と新事実に目を見張るばかりだった。ただかなめだけは一人うなずいて納得が言ったような表情を浮かべていた。
「西園寺さん……?」
煙草の箱をポケットにしまったかなめの顔には戦場に向う時の惨忍な笑みが浮かんでいた。
「なあに、情報収集を行う必要のある機関はどこでも独自の情報ルートは持ってるものだ。まあ……茜が一から作ったにしては準備が良すぎるから叔父貴のコネクションからの情報だろうな。なら精度は確かだ」
かなめの一言がただ立ち尽くしていたカウラとアメリアの目に生気を戻した。二人は顔を見合わせてとりあえず椅子に座った。
「これで引っ張れるぞ……どうする?」
かなめは部屋の奥に置かれた低殺傷威力のショットガンの入ったケースに向って歩き出そうとした。
「待ちなさいよかなめちゃん。情報が確かで起訴して勝てるのは分かっていても……逮捕令状は?裁判所の命令書は?この国ではそれが必要なの。司法局にはその手続きには時間がかかるはず……ラーナちゃんそっちの方はどうなの?」
アメリアも興奮しながらも必死に落ち着こうとしていた。その声はいつもの余裕のある彼女らしくもなく上ずっていた。アメリアの珍しい鋭い目つきに刺激されるようにラーナのキーボードを叩く速度が加速した。
「千要地裁には茜警部の顔が利きますから……なんとかうちにも令状が取れると思うっす!」
ラーナは確信を込めた調子でそう言い切った。
「頼むぞ茜、希望の星だよ……これでこの退屈な蟄居部屋ともおさらばだ!」
満面の笑みで叫ぶかなめにさすがに不謹慎だと言うようにカウラが白い目を向けているのがおかしくて誠はつい噴出していた。
「そうだな……これで我々の勝ちだ。我々の資料を未だにたなざらしにしている東都警察と県警が間抜けだったということだ」
これまでは黙っていたものの豊川署のやり方に我慢ならならなかった。そんな気持ちがありありと分かるような薄ら笑いを浮かべながらカウラはラーナの手つきを眺めた。
誠は自分には少しばかり女性恐怖症の気があるのではないか。彼女達の人の不幸を喜ぶような顔を見て背筋が寒くなる自分を感じながらそんなことを考えていた。




