第67話 人の住まない街に残るもの
「これは……港湾部の遼南難民租界と大差無いな。とても人が住むような場所じゃ無い。あそこは金と暴力の支配による秩序というものがあったが……ここにはそれすらない。まったくの無……虚無が生み出したただの枯れ野原だ」
巨大なトレーラーをやり過ごしてそのまま埋立地の道に車を走らせながらカウラはつぶやいていた。冬の東都城東区。埋立地に向かうトレーラーには基礎工事に使うのだろう巨大な鉄骨がむき出しのまま積み重ねられているのが見えた。走る車は工事用の車両ばかり。去年から本格的に始まった城東沖の埋め立て工事がいかに大規模なものかと言うことを誠達に知らせるには十分すぎる車両の列が続いていた。
「カウラも上手いことを言えるようになったじゃねえか。しかし、どこを見てもメーカーの物流拠点の倉庫と建設途中の工事現場しかねえじゃねえか。本当に人が住めるアパートなんかあるのかよ……ただそこで数日暮らした人間の神経がどうにかならねえ方が不思議な光景だな」
かなめは砂埃にコートの襟を守りながらそう言った。
「二人ともこの土地をまるで極地か宇宙のステーションみたいに表現するのは止めなさいよ。純粋に都心に仕事場があってそこに通うための寝るだけの場所としてはここはそれほど悪い場所じゃないわよ。第一、地下鉄の駅が近いじゃないの。だから人が生活する施設なんてその周辺にはあるんじゃないの?この工事現場だってマンションとか建てる予定なんでしょ?ここだったら都心へのアクセスも良いでしょうから、いい値段で売れそうじゃない?ただ、今この時点でここで生活するなんて言うのは私も勘弁してほしいわね。そもそも休日に家にいたら頭がおかしくなるわ」
かなめの言葉に助手席のアメリアが紺色の長い髪の枝毛を気にしながらぶっきらぼうに答えた。誠も臨海部と言うと危険地帯の難民租界近辺ばかりを思い出していたが、目の前の次第に海へと拡張していく街の端っこと言う光景を見ると別世界のように思えた。
「今現在の所は人が住むには向かないところは租界と一緒か……だけどあっちの方がとりあえずとはいえ現在人が住んでるだけマシかな」
つぶやいたかなめに誠も自然にうなずいていた。大型車の絶え間ない通行に耐えかねて道路のアスファルトの割れ目から地下水が絶え間なく湧き出す様が目に飛び込んできた。そもそもここはまだ人が住む場所ではない、いずれ来る未来に人に住むことになる場所である。そのどす黒い水はそう物語っているように誠には見えた。
「これは……帰ったら洗車しないとな。砂埃がボディーに張り付く」
カウラはそうつぶやくとようやくビルの基礎工事をしているらしい一角にトレーラーが入っていくのを避けながら車を加速させた。
「でもまあ……数年経ったらここら辺のビルもマンションだかオフィスだかができるんでしょ?そうなればにぎやかになるかもしれないじゃない。意外と思いもかけないようなおしゃれな人気スポットになるかも知れないわよ。まあ、演芸場もコアな商品を扱うアニメショップも無いおしゃれな街なんて私には興味無いけど。かえでちゃん辺りがディナーを楽しむにはちょうどいいようなホテルがいっぱいできそうな雰囲気じゃない?」
アメリアは楽天的にそう言うと周りの工事現場を見渡した。
「アメリア……おめでてえな。そんなの一発不況が来ればゴーストタウンの出来上がりだ。どうなるかわかったもんじゃねえよ。それにかえではそんな成金趣味のホテルになんか興味はねえだろうな。アイツの貴族趣味は筋金入りだ。格式や伝統の無い新築のホテルに女を連れ込んで変態行為に及ぶ可能性はゼロだ。アイツは何処まで行っても名門の最上級のホテルを選ぶ変態だ」
一方のかなめは悲観的に物事を見ていた。
「ずいぶん慎重なのね、かなめちゃん……何か悪いものでも食べたの?でもさすがかなめちゃんはかえでちゃんをよく見ているわね。そのかえでちゃんの価値観の分析は実に説得力があるわ」
かなめの皮肉が通用しないアメリアはそう返した。
「今朝はオメエと同じものを食った……そうか、オメエも悪いものを食ったから変なのか?それにかえでを知り尽くしているのはかえでをああしたのはアタシなんだから当然の話だ」
いつものように一触即発の二人を誠は眺めていた。まっすぐ続く道の片隅にようやくコンビニエンスストアーと完成しているビルらしきものを見つけてほっとして運転中のカウラに目をやった。
「あそこのコンビニの近くだな」
カウラはそう言うと走る車の無くなった道で車を加速させる。小さな点のように見えたコンビニエンスストアーの建物が三階建ての比較的新しいビルでその二階より上がアパートになっていることに誠も気づいた。
「コンビニの近くって言うか……コンビニの上じゃん。水島とかいう奴はコンビニの店長だったのか?」
かなめの言葉に誠は曖昧な笑顔を浮かべて再び目の前のコンビニに目をやった。
意外にもコンビニには客が多く見られた。
「結構にぎわってるな……まあこれだけ工事現場だらけで近くの現場で作業中の作業員はうんざりするほどいるのに他に競争相手も無いんだ。独占企業の利益とかいう奴かね」
助手席から降りると周りを見て回っているアメリアが降りるのにあわせて体を乗り出したかなめの言葉が響いた。誠は苦笑いでそれにこたえた。
「あそこが駅の出入り口なんだ……ずいぶんと取ってつけたような駅の出口ね。たぶんこのあたりの工事現場が元工事現場になった時には大改装してそれなりにおしゃれなものに作り替えるつもりなんでしょうけど」
アメリアが遠くの建物を指差した。そこにはいくつもの地下鉄の出口が見てとれた。周りは造成中で枯れた草だけが北風になびいていた。予定された未来のために作られた駅。現在はただ郊外から都心に向かう通勤客に停車時間の分だけ苛立ちを供給する要素以外の効果は無いだろう駅を見て誠もこの荒れ地に住むことの異常性に気がつきつつあった。
「まともな神経の持ち主なら逃げ出したくなるのも当然だな。娯楽施設も何もない。私ならこんなパチンコ屋の無い場所になど住む気にはなれないぞ」
そう言うとカウラはコートから携帯端末を取り出した。
「水島徹……32歳。大手印刷会社の営業部に所属していたが四ヶ月前に退職。自主退職となっているが……これは事実上の法術師外しの因果を含めての実質解雇だな。似たようなケースでの解雇の有効性を争う裁判のニュースは新聞には毎日のように掲載されている。この会社でも類に漏れず一部の同期の面々が個人加盟の労働組合をバックにつけて退職の取り消しを求めて裁判で係争中だ。その原告の全員が法術適性者だ。この会社の件もそう遠くないころにマスコミが騒ぎ出しそうな話だ。別にこの国では珍しい話ではないな」
誠も何度か同じような話を聞いたことがあった。東和政府は公式には法術師の差別行為には労働基準局の強制査察などの強硬姿勢で臨むと宣言していた。だが実際は査察が行われたケースではすべて裁判所の命令によるものだった。先の大戦の敗戦国のゲルパルトや甲武、遼帝国などの著しい経済復興で経済の成長が鈍化していることに危機感を募らせている財界が競争力確保の為に法術師を狙い撃ちしてリストラを行っていると言う話は嫌と言うほど聞かされていた。
誠達はコンビニの駐車場で車を降りた。荒涼とした造成地を眺めながらアメリアは眉をひそめていた。
「こんなところで無職……それはちょっと勘弁してほしいわね。一日この工事現場しか見えない部屋で何もできずにじっとしてるわけ?おかしくなっちゃうわよ」
アメリアはいつも昔みたいにニートになってアニメとエロゲの日々を過ごしたいと言ってる割にそんなことを口にしていた。
「なんだよアメリア。テメエなら一日中アニメが見れてゲームが出来るって喜ぶんじゃねえのか?」
かなめの突っ込みにアメリアは手を叩いて笑みを浮かべた。
ただでさえ男性の建設作業員の客ばかりで女性が珍しい埋め立て地のコンビニにエメラルドグリーンや濃紺の色の髪の長身の女性が周りを見渡していると言う状況には、昼時の近くの工事現場に出入りしているらしい作業員達の注目を集めるには時間がかからなかった。
「おい、見物に来たわけじゃねえんだぞ。とっとと奴さんのお部屋とやらを拝みに行こうぜ」
かなめは手に管理事務所から借りた鍵を持って颯爽と歩き始めた。店の前でタバコを吸っていた客の視線はかなめについて動いているのが誠にも分かり次第に自分の頬が朱に染まっていくのを感じていた。
「誠ちゃん……どうしたの?」
明らかに自分が注目を集めていることを知りながらアメリアが振り返った。ただ何もできずに誠はそのままアパートの階段を登るかなめ達の後に続くだけだった。
そこには生活感が感じられない。階段を登りながら誠が感じたのはその事実だった。
「やっぱり誰もいないアパートはさびしいもんだな。まるでアタシが今の寮に移る前に住んでたオヤジがくれたマンションみてえだ」
あちこち眺めながらかなめがつぶやいた。かなめが寮に来る以前に住んでいたマンションには他の同居人はいなかったが警備員が駐在していたので何とか人の住むところらしさを感じたが、このアパートにはそんな雰囲気すらなかった。二階に上がった四人の目の前には五つのドアの郵便受けから飛び出す雨に濡れてぐったりしたようなチラシがあるだけで他の気配は何一つ感じなかった。
「203号室ね、とっとと仕事を済ませて帰りましょう。こんな所には私も長居したくもないわ」
アメリアはそう言うとかなめから鍵を奪って真ん中のドアにたどり着いて電子キーをセットする。鈍いモーター音とともに扉の鍵が解除された。
「何が出てくるんだ?どうせ相手は犯罪者だ。トラップの一つもあってもおかしなことはなにもねえ」
かなめは楽しそうにニヤニヤ笑った。誠にはただ異様な雰囲気ばかりが感じられて、思わず逃げ出したくなる自分を押さえ込んでいた。
「西園寺、馬鹿なことを言うな。行くぞ」
開いたドアに入っていくカウラが誠の肩を叩いて部屋に入るように促した。仕方なく誠も冬だと言うのに妙に暖かい空気が流れてくる部屋に入っていった。
「普通だな……別に普通の部屋だ。ある場所がどうかしているだけで変わったことはなにもねえな」
靴を脱いですでに部屋の真ん中に立っているかなめの言葉に誠もうなずくしかなかった。染み一つ無い壁。天井も高く白い壁紙に覆われていた。
「ちょっとこれを……このために我々はここに来たんだ」
カウラはそう言うと携帯端末並みの小さな機械を取り出した。残留アストラルデータ測定器。ラーナに与えられた機械を部屋の中心に設置するとその小さな画面に起動状態を示すマークが映りだした。
「これも証拠能力は無いんだろ?だったらいくらデータを取っても意味ねえじゃん。じゃあ、やっぱりアタシが言った通りあの水島とか言う野郎を張って現行犯逮捕するしかねえな。何なら神前を囮に使えば簡単だ」
かなめはまるで関心が無いというようにそう言った。
「しょうがないじゃない。今のところは水島とか言う人がこれまでの違法法術発動事件に関与している可能性があるくらいのことしか分からないんだもの。これで反応が一致すれば東都警察も彼の犯行当時の動向を捜査してくれるでしょうし、上手くいけば任意で引っ張れるかもしれないわよ」
アメリアはそれでもなんとか食い下がろうとする。
「なんだよ、アメリア。オマエもアイツを引っ張りたいんじゃねえか。目的が同じならアタシを馬鹿扱いするような口調を訂正しろよ」
アメリアの言葉にかなめはニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた。カウラは一人機械が求めるコマンドを入力していた。
「それにしても……もしかしてこの一室だけですか?入居していた人がいるのは」
誠の言葉にかなめは呆れたようにうなずいた。
「でも周りに工事現場しかないのを除けば条件としては結構いい物件じゃないの。都心まで地下鉄で20分。その地下鉄の駅は見えるほど近いし……確かに殺風景で今の季節は冷えそうだけど。投資物件なら間違いなく買いの物件よ。まあ、賃貸は……無駄ね。お金の無駄遣い」
アメリアは外の工事現場を思い出してそう言った。
「さっき住むのはごめんだと言っていたのは誰だかねえ。アレか?小銭をため込んでるパーラ辺りにこのコンビニのオーナーからこの土地の権利書でも買い取ってその間に入って手数料でも取ろうって腹か?さすがのパーラもこれだけの建物と土地を買い取るほどの金は持ってねえだろうよ。アタシは持ってるけどそんな事には興味がねえ」
アメリアは冷やかすかなめを無視して思わず窓ガラスに手を伸ばした。アメリアが開いた窓。そこからみえるのは基礎工事の為に杭を打つ機械の群れだった。
「まあ……この光景がいつまでも続くわけじゃないだろうからな。あと数年後に造成が終わればそれなりの街になるって言うのに。水島と言う男はそれまで待てなかったということか」
カウラはあくまで現実主義者だった。
「そうも行かなかったんだろ。突然リストラされて……何かを変えたかったんだろうな」
かなめは静かにそう言うと水島徹の経歴書を携帯端末に表示させた。
「一応私大最高峰の馬場大の社会学部を優秀な成績で卒業。その後会社では営業マンとして務めているが……そちらの方での評判は芳しくないな。お勉強はできるが社会では通用しねえ人間の典型例だ」
かなめはあまりにありふれたサラリーマンの過去の情報を見て呆れたようにそう言った。
「よくある話過ぎて笑いたくなるわね。ありふれた事件を起こすありふれた男。普通過ぎて馬鹿馬鹿しくなるくらい」
そう言いながらアメリアは新品の白い壁紙を撫でていた。ひとたび沈黙が部屋を支配した。
「解雇後は独学で司法試験受験で知られる豊川の明法大学の法科大学院試験に合格……」
カウラはかなめの続きを読み始めた。
「会社員失格の後は資格を取って独立ねえ……真面目そうな奴だね。不器用を絵に描いたような経歴だな。弁護士になったって食えるとは限らねえぞ。叔父貴を見てみろ。アイツも弁護士だが結局食い詰めて『特殊な部隊』の隊長に収まってる。叔父貴の弁護士事務所が食える弁護士事務所になったのは茜が所長になってからだ。弁護士だって食えねえ人間は食えねえのがこの東和だ」
かなめはそう言うとそのまま部屋の中央のアストラルゲージの計測器に歩み寄った。
「これで……データの採取は終わった。ラーナ経由で今回の犯人が起こしたと思われる事件のアストラルゲージのデータを握っている東都警察に送れば……西園寺の勘が当たっているかどうかの結果が出るだろうな」
カウラは中央の小さな機械を手に取った。そしてそのまま画面を操作した。何も無い空間にいつものようにアストラルパターンデータが表示された。
「これをカルビナに転送して……」
カウラはそう言うと機械のスイッチを押しデータを転送した。
「お仕事終了ね。こんな人間の住む場所じゃないところからは早めにおさらばしましょうよ」
そう言うとアメリアは大きく伸びをした。かなめは結局何もすることが無いことに飽きたというようにそのまま玄関に向かった。
そんな二人を見ながら誠はなんとなく外の杭打ち機を眺めていた。
「何か見えるのか?」
カウラに声をかけられて誠は我に返った。そして外の建築用機材の群れを見ながらしばらく眺めていた。
「こんな街……」
誠は視界の果てまで続く工事現場を眺めていた。
「街とは言えねえだろ。ただの工事現場だ」
外を眺める誠にそう言いながらかなめは一緒に外を見た。二人とも明らかにこの部屋が異常な場所であると言うことを確認していた。
「夜はこの下のコンビニの店員と工事現場を警備する警備員だけ……寂しいところね」
アメリアはそう言いながらコートの襟を直した。その動作にカウラも苦笑いを浮かべながらアストラルゲージの終了を始めていた。
「この部屋で暮らすのを選んだ……先を見るにしてもほどがあるよな。確かに空気が読めなくて会社を解雇になるには十分な神経の持ち主だな」
そう言うとそのままかなめは玄関に向かった。
「何年か経てば人気スポットになりそうだけど……どうなるか分からない時代だから……水島って人はちょっとずれてるのよね。きっと友達もいないんでしょうね」
呆然と目の前の道路を通過していくトレーラを眺めている誠の肩にアメリアはそう言いながら静かに手を乗せる。カウラはそれを見ても気にしないというように終了したアストラルゲージをコートのポケットに収めた。
「水島とかいう人物は人間が嫌いなのかな」
誠はポツリとそう言った。
「好きだったらこんなところで暮らせるわけ無いわよね。でも……そんな人物が他人の能力を乗っ取って犯罪に走る。なんだか不思議な話よね。人間が嫌いなのにその中でもレアな法術を持った人間が居ないと全く無価値な存在。もしその犯人がその事実に気付いた時にその犯人の近くには誰が居るのかしらね?」
アメリアもまた誠と同じように水島と言う男が理解できないでいた。
「不思議?むしろ当然じゃねえのか?誰でも彼でも人であると言うことだけで憎むことができる人間はいるものだぜ。まあ滅多にお目にかかれねえが、今回の水島某とかいう奴もそう言う人種だったと言うことだ。アタシが歩いて来た戦場じゃそんな人を見ると殺したくなる奴なんてありふれた人種だったな。そういう人間に一番向いてる職業は傭兵だな……人を殺して金に換える。人間嫌いには最高の仕事だろ?」
カウラ達の雑談にかなめがそんなまとめで一区切りつけるとそのまま外へと出て行った。外の冬の冷たい外気がこもった部屋の中に舞い込んできて誠達を包む。妙に生暖かい空気から開放されて誠は一息つくと玄関に向かった。
「西園寺の言う通りなんだろうな。たまにはアイツもいいことを言うものだ。ただ、その水島という男に西園寺のような戦闘用義体の持主に銃口を向けられて笑っていられるだけの度胸があればの話だがな」
そう言いながらカウラはブーツを履く。誠は靴を履く二人から再び視線を窓の外へと移した。
「どんな人物なんでしょうね?その水島って人……この殺風景な町とも呼べない場所で生きていた人の心なんて……僕にはわかりません」
誠にはこの意外な能力を持って生まれてしまった水島に同情する権利があるような気がしていた。
「すぐに会えるわよ。その時に聞けばいいんじゃない?ここで何を考えて生活していたかって。まあこんな孤独死か友達が居ないような人とは私は会いたくないけど」
アメリアはそう言いながらパンプスを履くと大きく伸びをして廊下へと消えていった。




